工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

クレーの食卓

クレーの食卓木工職人の読者は多いと思うけれど、皆さんは調理場に立ったりしますか?
優れた木工職人を自負するあなたは、もしかして木工よりも料理人になった方が成功していたかもしれませんよ。
アホなことを、などと仰いますな。
料理はすばらしい芸術的営為でっせ。
(美味い料理が仕上がった時、いつも家人に自慢げに話す。「人生が2度あれば、木工ではなく○▽屋さんになったほうが皆を喜ばすことができるね‥‥絶対 ! 」と。・・○▽はその時の料理のジャンル)
そんな内輪でしか通用しない話しはここまでとして‥‥、
「ピカソとクレーの生きた時代展」の記事を上げたのは昨年の11月だった。
ボクはこれを名古屋市美術館で鑑賞したのだが、この展覧会はその後東京と神戸に巡回している。
その東京展会場は渋谷Bunkamuraの「ザ・ミュージアム」。
ここも過去10回ほど入館したお気に入りの場所だが、その入館時刻によっては同敷地内にある「ドゥ マゴ パリ」というレストランで食事をすることも多かった。
ランチでもいわゆる軽いフレンチでメニューが構成され、味も逸品だしお財布にも“やさしい”お気に入りの場所。
この「ドゥ マゴ パリ」ではこの東京展の期間は『クレーの食卓』メニューというのがあったようだ。
知っていればあわてて名古屋で観覧するのではなく、このドゥ マゴ パリの食事と共に東京展を楽しめば良かったかなと痛く反省した。
それはこの「クレーの食卓」という本との出会いがあったためだ。


パウル・クレーの日記は以前読んだことがあり、このクレーという画家の料理好きは知っていたが、この本のようにレシピから実際に調理されたものを見せられると、より実感が湧き、料理好きにはクレーという芸術家をより近しく感じさせてくれとても嬉しくなってしまう。
序でに言えば、彼は画家になる前に実は既に早熟の音楽家だった。
6才でヴァイオリンを学び、11の頃にはベルンのオーケストラで弾いていた。
プロの音楽家レベルとは大きく異なるものの、無類の音楽好きであるボクとしても近しく感じてしまう。
さらにかてて加えて、彼の死因は肺炎を患ったことが引き金になったようで、その素因は気管支炎にあった。
同じ苦しみを日々受けているボクとしては妙な親愛を重ねてみたりもする。
やや牽強付会な話しではあり、引いてしまわれるだろうね?
クレーの食卓1
ボクは食いしん坊で料理が好きで、○▽も好きな極々普通の男だが、そんな話題を向けるとき、怪訝な顔をする人も中にはいる。
男が調理場に立つなんて !? というジェンダーに支配された思考の人たちはまだまだ多い。
しかしその時は言ってやるんだ。
木工の腕前というのは、デザインの才能であり、技法の熟練であり、道具の選択と手入れであり、工程においては段取りの重要さを理解し、無理と無駄が無く事を進めることのできる才覚と言えるだろうが、一方料理というジャンルも、実はほとんど同質のものが要求されるのではないのか、とね。
腕の立つ木工職人に料理をやらせてごらん。見事にすばらしい味のものを作ってくれるよ。
そうそう、食いしん坊という資質も必須の要素として加味しなければいけなかったな。
我こそは、という食いしん坊な木工職人はぜひチャレンジして、このボクの定理を証明してやってはくれまいか。
クレーの食卓2
最後に1つ、クレーと似ては困ることがあった。
クレーの絵画活動の黄金期は、やはりなんと言ってもグロピウスにより教授職で迎えられたバウハウス時代であったと言ってよいと思うが、このバウハウスはナチスによる迫害によりワイマールからデッサウに移転させられ、さらにはクレー個人への迫害が強まり、バウハウスの退職を余儀なくされた。
その後デユッセルドルフ美術学校へ招聘されたものの、ついには「退廃芸術」の烙印を押され、ナチスが政権を取った1933年のクリスマスの夜、石もて追われるように故郷のスイス・ベルンへと失意の亡命をしたのだった。
このような不当な勢力により、活動の停止を迫られるというのは実に嘆かわしいことだが、これほどではなくともいつの時代にも同様なことはあるだろう。
こうした最期を迎えるようなことの無きよう願いたいと思うのだが、どこにも、どの時代でもおかしな勢力はいるものであるようだ。
さて、この「クレーの食卓」は、彼のもっとも活動的な時代の健康的な肉体と精神に彩られた華やかな人生の頃のもの。
「ピカソとクレーの生きた時代展」でもナチスからの政治的圧力の不当さを暗喩するようなテーマも少なくなかったが、やはりクレーの色彩と造形の華やかな世界は、そうしたものではないところに開花しており、この「クレーの食卓」も、華やかで美しい絵画活動とともにあった時期のものとして、大切に読んで、見て、そして調理場に立って、味わっていこうと思う。
この本の装丁もとても美しいし、表紙、中身ともに写真がとても良質。
講談社による発行だが、日本クレー協会による編集であることでの品質だろう。
ぜひ手にとって見ていただきたい。
そして気が向いたら調理場に立とう。
なお、この書はクレーの食卓に関わる話しを越えて、いくつもの美しいクレーの絵画とともに、クレーの日記からの引用、あるいは論考「クレーと市民社会」(新藤 信)が納められていてなかなか読ませてくれる。
素敵な本との出会いは嬉しいものだ。
*画像は「クレーの食卓」からの引用
・上:「魚をめぐって」(ニューヨーク近代美術館 蔵)を再現
・下:クレーのレシピより、スパゲティー

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • クレーは好きな画家の一人ですが、そんな背景を持つ人とは
    知りませんでした。
    うちには武満徹さんの
    『サイレントガーデン・キャロンティンの庭』という
    レシピ本があります。
    私も昨夜はウニのクリームパスタをつくり、いづつワインで
    酔いました。お酒弱いんです・・・

  • ベルリンで訪れたピカソとクレーの美術館について
    ブログを書き終えた後に 
    ここを読んで そのままアマゾンで注文してしまいましたーーー!!!
    届いたらまた「クレーの食卓」についてブログ書きますっ!
    個人的には優れた木工職人ではないせいか、料理は苦手ですが
    木工と料理が同質のモノを要求されるというのは
    私もずっと思っていました。

  • ユマニテさん、
    武満徹展、一昨年東京オペラシティーのギャラリーで観覧しましたが、そのご本あったのかな。
    見逃していますね、きっと。
    病床でのレシピですか。その時の心象風景を表しているのでしょうかね。見ていたいです。
    「井筒ワイン」ですか。塩尻桔梗ヶ原ですね。修行中、すぐ近くに住んでいましたので、良く飲みました。
    ウニスパ、次回はぜひBlogでレシピ公開しましょう。

  • サワノさん、
    やはりスイーツに目がない、食への欲望が人一倍、というのは1つの資質。
    何ごとにも淡泊というのは、表現者、クラフツマンには不向きなのではないのかな。
    >ベルリンで訪れたピカソとクレーの美術館についてブログを書き終えた後に‥‥
    読みましたよ。素敵な紹介です。
    「退廃芸術」への烙印も、晴れて多くのドイツ市民から受け入れられ、喜ばれていることをクレーの墓前に伝えたいと思うね。
    「クレーの食卓」サワノBlogエントリー、楽しみにしているね !(^^)

  • 今日、アマゾンから「クレーの食卓」が届いていました♪
    コジャレタ料理本、雑貨本、旅行本に載るような かわいい写真!
    美術本の様に美しい絵の写真!
    ヨーロッパで大好きになったマッシュルーム料理!
    想像以上にたまらない一冊です。
    まだ拾い読みですが 早くも厨房に立つことを決意!(←!!)
    本当に素敵な本を紹介していただいて感謝です。

  • サワノさん、
    >早くも厨房に立つことを決意!(←!!)
    クレーその人もそうであったように、家族とともに幸せになるための魔法の1つが料理を作り、楽しむことですね。
    サワノさんを覚醒させるに十分な良書のようで。

  • クレーの食卓

    先日Museum Berggruenについてのブログを書き終えて
    いつもオジャマしているブログ巡りに出ると工房 悠さんが
    「クレーの食卓」という本の紹介をしていました。
    なんてタイムリーなクレー繋がりでしょ。
    何だかすっごく興味が出てきてそのままアマゾンにて購入!

    木工

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