工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

老婦人と語る戦後モダニズム(坂倉準三展)

その展示会場の最後のコーナーに置かれていた低座椅子と、食堂椅子にちょこっと座ってみる。
壁に貼られたキャプションには制作年、製造メーカー名の記載はあるものの、デザイナー名が何故か記されていない。
このデザイナー、長大作さんが気付けば展示企画責任者を叱責するのではなかろうか。
日本における著作権の権利意識の低さを常に嘆かれていた長さんのことである。
そこへ、コンパクトな手押し車を押しながら、長さんと同年齢ほどかと思われる端正な顔つきをされた老婦人が話し掛けてきた。
弱った身体を手押し車に預けるようにして、一人で電車を乗り継いでここまでやってきたのだろうか。
「‥‥この椅子は坂倉先生のデザインなのですか ?‥」
「いえ、坂倉事務所におられた長大作さんのデザインによるものです」
「あぁ、そうですか。ちょっと座らせてもらっても良いですかね」
「どうぞ、どうぞ」と、ボクは隣の食堂椅子の方に移り、低座椅子に手助けしながら案内して差し上げる。
「私はね、天童木工の剣持先生の椅子を使っていましてね。今日はこうして、新橋まで坂倉先生のお仕事を拝見したくてやってきたのですがね、ちょっと身体がいうこと効かなくて、皆さんにご迷惑を掛けながら楽しませてもらっているんですよ。‥‥ありがとうございます」
笑顔でのそんな会話からはじまり、剣持勇、坂倉準三、長大作、シャルロット・ペリアン各氏の話題で楽しくお話しさせていただく。
失礼と思いながら聞けば、83になるのだという。
立ち入った話しをしたわけではないが、都内の閑静な住宅地でモダンな生活スタイルをされてきた方なのだろう。
新橋、汐留ミュージアムで開催中の「建築家・坂倉準三展」でのこと。


建築家・坂倉準三による日本国内での業績は、こうした老婦人のような世代の戦後における生活、つまり戦後日本のモダニズム的復興とともにあったのではと思わせ、思わぬ感慨をもたらしてくれたのだった。
21Cを迎え、そしてまた昨年のリーマンショックを受け「近代とは我々にとって何だったのか」という懐疑からしか出発することのできない“不幸な”我々の世代とは違い、旧弊を打ち破って希望に満ちたモダニズムを強く志向し、疑うことなく実践してきたのが、剣持勇、坂倉準三、柳宗理、長大作らであり、そしてそれらのきらびやかなシャワーを浴び、美しい未来への希望を求めるように受容してきたのが、この老婦人たちであったのだろう。
「住宅は住むための機械である」と喝破したル・コルビュジエの弟子として建築家人生をスタートさせた坂倉準三氏であったが、新宿駅西口広場の都市再開発、渋谷一帯の戦後復興など大プロジェクトを手がける一方、個人住宅も積極的に携わるなど、戦後建築界における代表的な建築家の一人だ。
建築という器に留まらず、その内部に納まるインテリア、家具に至るまで設計してしまうこだわりようというものは、師匠ル・コルビュジエの建築設計スタイルからの影響であり、またル・コルビュジエ事務所で机を並べた同士・シャルロット・ペリアンの影響もあったのだろうか。
また、それを可能ならしめたのも長大作氏などの建築デザイナーを手元に置き、戦後モダニズムの時代の熱気をその先端で担う意気に満ちた群像によって為されたものであったのだろう。
昔、ある企画展が催されるというので、坂倉準三建築事務所を訪ねたことがあった。
今あらためてGoogleマップでその地を検索すると、訪ねた頃の地形とは大きく変貌していて、ちょっと記憶を辿るのは困難なほどだ。
六本木ミッドタウンの再開発により、敷地一帯が変わってしまったのだろう。
主は遠く既に無く、こうした首都の再開発を天国からどのように眺めておられるのだろうか。
さて、この「建築家・坂倉準三展」、以前鎌倉紀行の時にも触れたように、神奈川県立近代美術館 鎌倉館とともに同趣旨で開催されたものだが、鎌倉館がパリ時代の公共建築物の設計、および戦後日本の公共建築物、大規模都市開発に焦点が当てられていたのに対し、こちら汐留ミュージアムでは個人住宅、家具、インテリアデザインに焦点が当てられたものとなっている。
展示会場に持ち込まれ設えられた〈li邸/テラスと大扉〉は幅が9尺(1.5間)もあろうかと思われる大きな扉で、手で触れ揺らして館内スタッフに注意を受けたりしながらの観覧だったが、家具(主要には椅子、キャビネット)の展示点数も多く、それらのデザイン的進化をみるのは楽しいものだった。
シャルロット・ペリアンとともに、竹を素材とした椅子の設計デザインからはじまり、天童木工への技術指導とともに生み出された数々の椅子の多くは、ラミネート手法にみられるプロダクト的アプローチを強く印象付けるものとなっている。
モダニズムという志向をデザインする場合、木材という素材を他の工業素材同様にプロダクト的に御するための手法として、ラミネート加工、成形にその可能性を求めたということは、ある種必然的で合理的な考えであったことは言うまでもないだろう。
恩師ル・コルビュジエは長躯で蝶ネクタイが似合うジェントルマンだったが、坂倉準三氏もまた、Wのテーラードスーツに胸ポケット・チーフを欠かさない紳士だったようだ。
いわば彼らは意識的にモダニズムの典型を装ったのだろうが、今の建築家、デザイナーはそんな格好はしないように、モダニズムを越え、ポストモダニズムからさらに彼らの先に見えるものは一体何であるのだろうか。
デザイン志向は拡散し、その多様さは尊ばれるものであることに異論はないが、しかしまた、都市設計などに、バラバラな様式で好きなようにデザインされる結果生み出される醜悪な街並みほど無惨なものはないというのも事実。
強力な意志と力量をもった建築デザイナーの指導性を求める時代ではなくなっているのかも知れないが、「建築家・坂倉準三展」で受けた近代社会の青年期の幸福というものは、今や求むべくも無い時代なのかもしれないと、急に肩を落としてしまう気分でもあった。
いずれ80歳を越えた時、この老婦人の如くに自分の時代を象徴するデザインがこれだ ! と、次の世代の若者に誇れるモノをどれだけ残せるかが試されるのだろう。
少し調べてみたいものがある。
坂倉準三氏主導の下、当地島田市に設立されたという「三保建築工芸」のこと。
恥ずかしながら、灯台元暗しであり、情報は皆無。
竹を素材とした家具制作の試験的プロジェクトであったのかな。


「建築家・坂倉準三展」
・主催・会場 :パナソニック電工 汐留ミュージアム
・開館期間 :〜9月27日(日)
・入館料 :一般700円(65歳以上500円)
■ 「天童木工PLYコレクション展 天童木工とデザイナーの軌跡〜坂倉準三建築研究所/長大作」(同時開催)主催は 天童木工PLY
http://www.tendo.ne.jp/ply/
http://info.tendo-ply.jp/?eid=240
■ 坂倉建築研究所、公式サイト
「坂倉準三展、モダニズム建築の魅力に迫る」(本展、展示会場写真など良い案内があるサイト)

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