工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

メディアなどから見るJames Krenov氏の訃報

James Krenov氏死去に関しては米国関連サイトを中心として、いくつもの弔文、様々な評伝がupされつつあるようだ。
既報「James Krenov氏、訃報」後段を参照

転じてそれにしても国内における反響の少なさにも驚かされる。(数種の検索サイトへのアクセスから)
James Krenov氏への傾倒、理解の深度における彼我の差異は想像を超えるものがあるようだ。
エッ どうしてこの程度なの?

いやしかしネットでの反響を基準として、James Krenov氏の業績のあれこれを評価することの危うさもまた自覚しなければと思う。
反響の少なさを嘆いてみせるのは簡単だ。
しかしそれは外部の人に許されるものであっても、木工に関わる者が嘆くというのは、そのまま自身の関わりの結果へと向かってくるものだから安易であろうはずがない。

畢竟弔意などというものは、極めて個人的なものであり、心の中でThank youと語りかければそれで良いのだしね。

ところでボクは新聞紙面の「惜別」というコーナーに目を停めることは多い。(朝日新聞 夕刊 隔週1?のコーナー)
関心の度合いにもよるが、その故人と親交の深かった記者によるものと思われる評伝は、その人の隠されたエピソードを知ることで、親愛の情をより深く刻むものとなり好ましいコーナーとなっている。
そうした紙面を含め、恐らくは国内のメディアがJames Krenov氏を語ることはまず無いだろうと思われる。
これを記者の勉強不足 ! 、と難じるつもりはない。

難じたければ、国内に於いて、James Krenov氏の木工世界、工芸哲学の普及を怠った自分たちを責めるところからスタートさせねばならないのだから。

例えて言えば柳宗悦の民藝論と同等程度以上にJames Krenov氏を語り、強く位置づけねばならないだろうし、また伝承者・krenovianとして、そのスピリッツを作品化させ世に問うという営為の積み重ねの成果が、この程度の反響でしかないという冷厳な事実をこそ見据えなければならないということだろう。

そこへいくとやはり英語圏では事情は違うようだ。
驚くなかれ『TIMES』には長文の記事が上げられている。(こちら

まだ死去して数日経過しただけなので、今後更に別の大手メディアが報じることになっていくのだろうと思う。

国内でのうら寂しい状況については、著書『A Cabinetmaker’s Notebook 』の翻訳本が出される経緯を取り上げた記事(1)(2)でも触れたように、何も特別驚くべき事でもない。
ただしかし一方その影響力は決して広範なものではないかもしれないが、木工への志し豊かな人々、あるいは木工を深く掘り下げようという人々の水脈には深く浸透してきていることは疑うものではない。

ただそうした信頼に足る人々は、このBlog運営者のような軽いノリで社会と関わることをむしろ忌避する傾向にあり、知的で、寡黙で、籠もりがちで、外へは出てこないという傾向は共通しているようでもあり、ひとり静かに追悼するというスタイルを課しているのであろう。

彼らからすればボクのような半端者は余計なお世話であり、アホで愚か者なのだ。

クレノフを語り、クレノフ作品を模倣し、クレノフの人生に自身のそれを重ねたりと、程度の差異はあれども、彼の存在なくして、自身を語ることが困難である人は少なくないはず。

そうした木工界のアイコン、指標を亡くした今、James Krenov氏という存在の意味、業績、学ぶべき事、などを省みることが有為でないとどうして言えようか。

国内メディアのお寂しい状況があるとすれば、せめてこうしたネットでの個人メディアで情報を上げ、偲ぶことも何某かの意味はあるのではと思い、ピエロを演じアホを買ってでているというわけだ。

さて次に上げるのは『TIMES』のTop画像(krenovのプレーン)に興味があり、その元ネタを探したところ、やっと見つかったサイトであるのだが、ここに貼り付けてみよう。(亡くなる1年ほど前の取材からのものだろうか)
動画も含むが、もしかしたらこれが最晩年の姿を留めるものである可能性は大きい。




■ 『San Francisco Chronicle』サンフランシスコ クロニクル 2008年10月22日付(初めて聞く名前だが、サンフランシスコに本拠地を置く日刊新聞だそうだ)
「California’s fathers of woodworking
James Krenov: Author and teacher started making toys at age 6 – with a jackknife」


この記事は6歳の頃からナイフを手にして自分のおもちゃを作っていたなどといったことからはじまる回想録のインタビューとなっている。

数年前に患った病で視力を失ってもなお鉋制作だけは止めていなかったという(多くの信奉者からの依頼であったのか? 、ボクの少なくない数の知人も訪ねていってはもらってきていたからね)
このビデオからもので良質なスチール写真も数葉見ることができる。(左メニュー・View More Imageから)
彼のワークベンチ、道具、近影、キャビネットなど。

このインタビュー(撮影)は昨年10月頃の取材によるものと思われるが、既に彼は白内障で視力を失いつつありキャビネット制作からはリタイアされていた。
このBlogでJKの衰えた姿を晒すのは抵抗はあるものの、彼の姿、道具の数々、妻のBritta(JKの苦節の木工人生を支えてきた)さんの姿が映る数少ない画像でもあり、あえて貼り込んでみた。

ここにも取り上げられているキャビネットからは、そのフォルムの美しさは見て取れるが、木取りの美しさ、刃物の切れなどを偲ばせる造形のディテールなどは見ることはできない。

ボクが別の作品を数回みた限りでも、その見事な勢いと、腕の冴えは、愛好者を魅了して止まない特有の品格を感じさせるものだったが、機会があればぜひご覧になっていただきたいものだ。
(後ろにはマルーフのものと思われるロッカーが見えるが、コレクターの居間での撮影なのだろう)

ワークベンチにはBESSEYのFクランプ、スタンレーのプレーン、他、ヤスリがある。
ワークベンチのTail vise はボクのものと比べるとずいぶん幅がある。(スウェーデンから持ち込んだもの)鉄のスクリューと較べ、ウッドスクリューの締まりのフィーリングは何とも言えず快適だった(JK所有のものと同じ制作者のものに触れたことがある)。

数多くのヤスリが映っているがボクは使わないので判らない。興味のある人もいるだろうね、どこのメーカーのものだろう、なんて。
壁には胴付き鋸が数本ぶらさがっている。知人のA氏が持っていったものだろう。

TiteBondかな、棚にあるのは。
最後に生活を共にした猫はトラだったのか。

プレーン(鉋)を作っているところのようだね。(Planeについては、多くのファンが語っているが、弔文とともに良質画像を含むBlogがあるので紹介しよう)

『TIMES』に引用された画像は、このプレーンのテストでもしているところだろう。
Brittaの近影は、20数年前の高山以来だが、お元気そうで何よりだ。

長年連れ添った伴侶を亡くし、さぞ辛い日々を送っているのだろうが、死去に伴う様々な雑事を乗り越えて、健康に余生を過ごせればと思う。

総じて‥‥、身体も年齢相応に衰え、眼を悪くしてなおワークベンチに向かうその姿は、決して痛々しいというものではなく、日々の平穏の生活の中に、50数年のキャビネットメーカーとしての歩みと誇りが感じられ、ただ愛おしく思えてきてならない。

あらためて こころからのご冥福を !

*なお、右メニューRECOMMENDにJKの著書を紹介してみた。(amazonサイトにジャンプ)
(『James Krenov Worker in Wood』は画像が無いようだ。 表示のレイアウト崩れがあり、申し訳ない。Blog運営サーバー側の問題でユーザーとしては関与できず)

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 私がJames Krenovのことを知ったのは、私の師匠から教えてもらい
    その本を見せてもらったからです。
    私の師匠は職業訓練校時代に講師から教えてもらった、と話していました。
    今回の和訳本のことを師匠は知りませんでしたので1冊プレゼントした
    ところでした。
    今の訓練校では、そのような事はないのでしょうか?
    授業のカリキュラム以外に自分の感動を生徒に伝達するようなことは
    なくなってしまったのでしょうか?
    それとも、今の若い講師はJames Krenovの事を知らないのでしょうか?
    文字通り職業訓練だけの学校になってしまっているのかもしれませんね。

  • acanthogobius さん、
    > 師匠は知りませんでしたので1冊プレゼント
    良い弟子を持って幸せな師匠です。
    > 今の訓練校では、そのような事はないの
    訓練校で教えるかどうかですが、カリキュラムに盛り込まれるということはまず無いでしょうから、その指導教官が木工界全般にわたるリソースをどこまで持っているのか、あるいはその人の志向、美意識、如何ということになるでしょうか。
    もっとも、生徒側がそうした情報を求める意欲がなければ、俎上にされないまま、ということもあるでしょう。
    ま、しかし、Krenov氏の作品は既に70年代、国立近代美術館などで紹介され、高い評価を受け、またFWW誌などでも巨匠として頻繁に取り上げられてきた人ですので、その教官の好みの問題を差し引いても、立場上知らないというのはあってはならないことですよね。
    知らん、ということであればそれはモグリだわ(爆)

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