工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

真実を見据えることの困難と、オプチミズム然とした生き方と

災害ボランティアへの準備を始めて、はや3週ほど経過する。
帰還後翌々日からは工房へと戻り、溜まりたまった業務へとシフトしつつあるものの、事後の諸々の整理、文書作成、貸与物資の返却等々、慌ただしく過ぎ去っていったが、概ねこれらも終わりに近づきつつある。

明日には義援金、支援物資を寄せていただいた方々への活動報告を兼ねた礼状発送で、一応の区切りが付きそうだ。
多くの方々を巻き込んでしまったことの負債は返さねばならないのは当然で、アドバルーンを上げた時に想像しなかったわけではないが、それを大きく超える様々な事後処理は、それまでの人生でさほどの社会的な活動経験が無かった事への教訓として噛みしめればよい。

礼状発送の後にも、現地活動のスナップなどを交え、リポートを上げていくのも務めとなるので、業務への一層の傾注とともに、努力していこう。

画像は庭に咲いたスミレと侘助。(クリック拡大)
やっとこういうものにも眼がいく余裕ができたと言うところか。
しかし東北ではまだまだ春の兆しを感じ取ることはできないだろう。
遅い春の到来とともに、こうした命の芽吹きにも眼がいくようになればうれしいのだが‥‥。

スミレ 侘助 侘助

今なお、ヘドロの匂いが身体から離れず、もの皆消失し、神に見捨てられた集落に吹く、肌に突き刺す風の冷たさも忘れることはない。

日常へと戻れば、そうした厳しい実像も徐々に薄れていくことになるのかも知れないが、復興への足取りの重さと、そして何よりも全ての前提を覆しかねない福島第1原発の予測不能なクライシスは、そうした甘さを許さないものがある。

現地へと足を運び、その現実に手を触れた者の1人とあれば、なおさらのこと。
つまりは傍観者であることは許されず、多くの犠牲者、被災者の痛みのごくごく小さな部分かもしれないが、これを引き受ける立場で過ごしていきたいと思う。

多くの愛と優しさを持ち寄り、それぞれの意思に従う範囲で良いだろうが、何某かの痛みを共有することで、彼らと共にあることを感じ取ることができるはずだ。

数日前のメールトレーには、少し復興が始まった段階、ぜひ様々な花の苗と肥料を車に満載し、庭造りのボランティアをしたい、と決然と語る若い女性の言葉があった。
そのために、いそいそと苗の育成を始めているそうだ。
こうした人々はあまねく全国至る所にいるのだろう。

恐らくはここ数十年の間というもの、公共空間がギスギスとし、真っ当な社会関係が成立しがたい傾向を色濃くしていた状況に鉄槌を下されたかの如くのこの度の災厄に対し、奇貨として(という言い方は決して適切な用法ではないのかも知れないが)一過性の優しさの安売りではなく、社会の再構築としての復興と再起へと繋げられるものであることを心から願っている。

(ここ数週間、ニュースをまともに追えていないので、原発事故後の推移には疎い。
この終局をどのような推移で辿るかによって、上述したことがらの多くの前提が崩れてしまう可能性も捨てきれないが、ここではあえて触れない)

事は東北、東日本の問題に留まらず、日本という国、そしてこれを超える世界の主要な問題の1つとして、さらに言えば、ホモサピエンス・ヒトとしての未来を賭けた、困難な闘いとなるだろうが、オプチミズム然として上を向いて進んでいきたい。

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