工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

神なき苛烈な現場でのボランティア活動

雄勝地区

雄勝町


神なき苛烈な被災現場に別れを告げ、昨夜遅くに帰還した。

雪中、あるいは雨中でのヘドロまみれの家財道具の片付け、廃棄の作業は、延々と繰り返すいつ果てるとも分からない慣れない一輪車(ネコ)を駆使してのもので、それはシジフォスの如くの過酷な作業だったが、しかし終わりはあるものだ。

22日に出発し、大地震、津波被災地の1つ、石巻市に入ったのが翌23日お昼過ぎのこと。
さっそくボランティア登録後に、午後の活動が与えられて以降、26日夕刻までの延べ4日間にわたる被災者支援活動に従事。

そして石巻市ボランティアセンターから与えられた全ての活動は終了し、昨27日朝、ひとまず被災地への別れを告げ750Kmの移動ルートを駆け抜けて帰還した。

肉体的疲労は蓄積しているのだろうが、それを覚えさせないほどの心の疲れ、悲しみで、あり得べきわずかな充足感をも吹き飛ばしてしまう。

しょせんわずかに数名での支援活動などというものは、超広域被災現場にあっては豆粒のような小さなポイントでしかなく、メディアが連日報ずる大きな物語からは比較にならないほどに影響力は小さいというのがその実態。

しかし、それを裏返せば被災者の数だけそれぞれの物語があり、個別具体的な苦しみ、嘆きがあるわけで、これらを受け止め、再生へのステップを共に作り出そうとするのが、個人レベルのボランティアとしての位置づけとなるだろう。

とかく、あまりの激甚性と広域性からの遠慮のためか、次へのステップへと誘うものとなるであろう、己の思いの丈をぶちまけることなどはできず、一層心身のバランスを崩していくことにも繋がりかねないわけだが、ここに柔らかに介入し、被災者の要請に応え活動することを通し、悲嘆と苦しみに寄り添い、共有するという振る舞いは、決して無視されねばならないほどに小さな貢献ではない。

事実、今回の活動を終えてみれば、被災者との最後の別れでの彼ら、彼女らの柔らかな笑みと、感謝の言葉は、決して形だけのものなどではなく、心の奥底からのものであっただろうことが教えてくれる。

さて、今もなお、ボランティアの現地入りには多くの問題があるので、控えられたい旨のメッセージが出され続けられているようだ。(例えばこっち
いわばボクたちはこれを無視して現地へと赴いたわけで、アホな面々という誹りを頂戴することになったのかも知れないが、しかしボクたち3名はもとより、数多くの現地で活動したボランティアにとっては、こうしたメッセージは半分の正しさしか示していないことを身をもって知り、体験し、自身の果敢な思いと行動の全くの正しさを再確認したはずだ。

今日のところは少しだけ紹介するに留めるが、ボランティアとして登録するにあたっては、いわばボクたち個人資格でのボランティア登録を両手をあげて迎え入れてくれたし、その日のNPO、NGO連絡協議会主催による合同会議にも出席を求められるなど、その期待度の大きさを示してあまりあるWelcomな姿勢であったことは触れておかねばなるまい。
実はその日も含め、この石巻市ボランティアセンターは連絡先の電話もないような状態であったにも関わらず、であるのにだ。

ボクたちは3.11から遅れること、11日目に被災地に入ったわけだが、この時期というのは、被災者も生活再建へ向け、自身の置かれている客観的な環境を見定め、次へのステップへと移行しようとする段階ともいえる。
そして主たる活動も、こうした被災者の再生への第1歩を築くためのお手伝いとしての家財道具の整理、廃棄などとなったわけだ。

確かに「エスペランサ 木工隊」と名付けたものの、それにふさわしい活動ができたかと言えば、残念ながら胸を張れるものでは無いが、この段階にあってはやむを得ないものであり、切迫した被災者の要請にこそまずは応えねばならないという原則を貫いたということにおいて、高く評価されて良いものだろうと思うし、先遣隊としての務めは果たされたと考えている。

また、相互にさほどの交流があったわけでもない、にわか作りの小隊だったが、それぞれに被災者への強い支援の思いの強さによって結ばれ、良い活動ができたことは呼びかけ人としてありがたく、彼らの肉体的、かつ知的で献身的な活動を高く評価したいと考えている。
また、この3人に加えて、実はもう3名が期せずして現地で合流することになり、大きなパワーアップになったことは想定外の喜びであった。
それらのことについても、あらためて記述していきたいと思う。

最後になってしまったが、この企みには多くのBlog読者らによる義援金、支援物資の提供と、暖かい励ましと応援があってはじめて為し得たものとして、心より感謝している。
昔からの友人、知人、そして見知らぬBlog読者も含め、あなたがたの熱い思いこそが、ボクたちの背中を押してくれたのだ。

現地はまだまだ深刻な被災状況の苦しみの中にある。
ボクたち3名はいったん帰還したが、ぜひこれに続き、現地へと向かうあらたな者が現れることを信じたいと思う。
復興へと確かな歩みがはじまって赴くのも良いのだが、このアマルガム、混沌とした苛烈な状況下でしか感じ取ることのできない、巨大震災、巨大津波というものの真実がそこにはあるからだ。

なお、そうした意向があるようであれば、ぜひボクの方にコンタクトしていただきたい。
積みきれなかった支援物資もあれば、いくつかの支援リソースもある。

共に東北のこの苦難を乗り切ってきたい。

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 見知らぬ人々が、自分たちの為に馳せ参じてくれた、
    被災し、色んなものを失い沈み込んでゆく様な人心を、
    これほど勇気づける行動はありません。
    木工隊の活動は、心底有意義であったろうと思います。
    御苦労様でした。

    • hoopさんのこの度のロケットストーブ提供など、熱い思いというものの背景にあるのが1995/01/17でのご自身の体験であろうとは理解できても、しかしやはり被災者とそうでない者との隔絶は知っておきたいものです。

  • 被災現場に直接接した人でないと、本当の悲惨さは実感できないで
    しょうが、今回の「木工隊」の活動を賞賛します。

    話は変わりますが、
    今、上映中で私も観た映画「ヒア・ウオーター」が津波のシーンが
    あるとの理由で上映自粛だそうです。

    5月の連休に毎年開催される「地元の浜松祭り」も中止になりました。
    毎回150万人程を動員する祭りを何の論議もなくお上からの
    一方的な通達で中止です。
    祭り用具、宿泊、飲食、交通等この祭りを生計の糧と
    している人々が多数いることも事実です。

    報道等に依ると全国各地の祭りやイベントが
    次々と中止と聞いております。
    外国からの観光客も激減で全国各地の観光地も大打撃だとか。

    地震被害者の追悼には、祭りなんぞははもってのほか何でしょうが
    今後の地震災害地の復興にはお金が絶対必要となります。

    私としては、復興の義援金を募る中で、祭りやイベントを開催する等の
    知恵を今一番必要としている時だと思います。

    只でさえ経済が低迷している日本です。
    皆さんはどのようにお考えでしょうか。

    • 鈴木さん、他地域での様々なイベント自粛というものは、あまり良い気分にはなれませんね。
      震災の被災、犠牲者を悼むことは無条件に重要なことではあっても、それと自粛の間には次元の異なる飛躍があるように思います。
      つまり賢明な対応ではなく、とりあえずヤメトコ、というのは安易で稚拙であるように思います。
      フリをするだけのように思えますね。
      所詮傍観者であるにも関わらずなのに‥‥

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