工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

義援金を寄せられたN I さん、ご連絡ください

礼状

礼状

昨日、義援金、および支援物資を寄せていただいた方々への活動報告を含む礼状を発送。

その中で住所もメルアドも不明な方が1人いらっしゃった。
銀行で確認できるのは振り込み元の銀行名、記入氏名ぐらい。
ぜひこのBlogのMail宛にご連絡いただきたい。

こうした方も含め、この度の呼びかけにはボクの知る範囲外の人の方がむしろ多かった。
一部の方とはその後メール交歓などで、おおよそのプロフィールを知ることになったが、このBlog読者の広汎さとともに、やや無謀とも思えた(本人はぜんぜんそうは思っていないので困るのだが)ものの、震災直後の現地活動への強い共感がそこからは読み取ることができるように思う。

つまり自分は様々な事情から現地に入ることはできないものの、その自分の気持ちをぜひ代わって届けて欲しい、という願いのようなものがあったのだと思う。

それまでは言葉を交わしたこともなければ、メール交換したこともないボクらに貴重なものを託すという、ある種の飛躍へは、ボクはとても感激した。

ある商品を購入する時の決断というものも、1つの飛躍であるわけだが、そうしたものとは異次元の寄付行為というものの飛躍は金額、物資の価値を超えた、測ることを超えた特異な人間的行為である。
経済学的には贈与という概念に相当するわけだが、直截な見返りを超えた何ものか、である。

同様にまた、ボランティア活動というものも、経済学的に見れば贈与という概念に相当すると言えるのだろうか。これは専門家でもないので良くは分からない。

さて、こうした見知らぬ読者からの熱いエールとともに、様々な方々から貴重な義援金、支援物資をいただいてきた。
付き合いの長い友人知人は、しょうがないねぇ、あいつは言い出したからには後には引かない男だから1口乗ってやるか、などと苦笑いしながらのものだったろうし、
意外だったのは数名の顧客の方々からのもの。

金額の多寡を云々するのも野暮だが、決して少なくない額を、こうした方々から頂戴するという罪深い家具屋である。
つまりこれは、単に家具という商品を挟んだ関係に留まらず、それを超えたところでの作り手と使い手の人間関係をそこに見ることができるというわけだ。
本当にありがたいと思う。
ボクはどちらかと言うと人間関係はドライな方で、顧客関係も決してウェットなものでもなく、比較的ビジネスライクかな。
にもかかわらず、こうして熱い視線を寄せてくれたことに半ば驚き、そして感激している。

また呼びかけに最初に応えてくれたのが近畿地方の農業従事者だったが、この人からはお米を60Kgも届けてくれたことに驚いた。
全く初めての人であったが、被災地での栄養摂取は困難だろうからと、ビタミンが摂取できる七分搗きにした、とのコメントがあった。
至れり尽くせりとはこのこと。

さらにまたこれは先に述べたことでもあるが、幾人かの女性からは、ボクが気づかない、女性ならではの必需品であるとか、衛生用品を事細かに配慮してセットしてくれた。

こうして多くの方々が、ボクたちの企みへ、祈りを込めるような思いで様々な有用なもの、および多額の現金を送り届けてくれた。

昨日発送した礼状には言葉を尽くして感謝を述べさせていただいたものの、尽くしきれぬ熱い思いがあったろうと思う。
あらためて深い感謝を捧げたい。

これらは確かにボクたちの活動を背中から支えてくれ、ハートをより熱いものに鍛えてくれ、被災者の下へと届けられた。

無論、まだまだ被災地の支援活動は、その緒に就いたばかりだ。
今後、かなりの長期にわたるスパンでの活動が求められるわけだが、これは被災地の極限的な状況、大切な家族を失った被災者の絶望を考える時、少しでもこの苦しみを自らのものとして受け入れる度量というものが、今ボクらに求められているように思う。切実に思う。

つまり、2011年の3.11とは明確に歴史の歯車がゴロリと回ってしまったということへの認識が必要だということ。

3.11以前と、以後とは、日本社会は峻別されて語られていくであろうということ。

2001年の9.11、あるいは1945年の8.15と比肩すべきものとしての3.11であるということ。

被災者はそれを語らずも、その苦悶に歪む姿からボクたちは感知できるようでありたい。

ロケットストーブ

パスタはロケットストーブで茹で上げ・夕闇迫る野営地、石巻

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