工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

バウハウス展(東京芸術大学・美術館)

上野の森
きのうの都心も梅雨の中だった。
新幹線車窓からは相模川を渡る辺りから雨も強くなっていた。
六本木で所用を済ませ、午後早い時間帯に上野公園口に出る頃には雨も止んでいた。
JR上野駅、上野公園口から南北に縦断する東京芸大美術館の上野の森の往復は、まとわりつく湿った大気も、むしろ開放的な広大な緑の公園での散策で気持ちよく感じさせてくれる。
その後、新宿へと移動し、軽めの遅い昼食をとり外へ出れば副都心の超高層ビル群は雨で煙っていた。
上野の森、東京芸大美術館では「バウハウス・デッサウ展/BAUHAUS experience, dessau」が開催中。
これだけの規模で展観するのは、セゾン美術館での「バウハウス1919-1933展」(1995)以来だそうで、またバウハウス・デッサウ財団所蔵のコレクションをかなりの規模で借り出して展示されるのは、世界初のことだという。


セゾン美術館でのものも懐かしく思い起こすことができる。
ところでセゾン美術館については別途稿をあらためて論じねばならないほどに思い入れがあったし、その閉館についてはただただ残念としか言いようがないのだが、現代美術に格別の理解があったと言われる堤清二氏の庇護の下で、他の美術館では企画できない前衛的なものや、カウンターカルチャーとしての視点からの企画など斬新な切り口での展覧会はとても見応えがあり、この「バウハウス1919-1933展」もその1つであった。
今回の「バウハウス・デッサウ展」は東京芸大という芸術教育の立場から企画するにあたって、バウハウスにおける教育プログラム、カリキュラムの成果としてのデザインを展観させるというよりも「アーツ&クラフツ」、「ユーゲント・シュティール」などの影響を受けつつベルギーの建築家ヴァン・デ・ヴェルデにより開校された時期のヨハネス・イッテンの色彩論、造形論などの展開の過程というものを実際の素材を通して観せることをかなり意識した展示になっていること一つをとっても、いわばバウハウス設立とその教育実践での理念というものの検証を中心軸に企画されているように見えた。
バウハウスもワイマールで設立されて以降、校長の人事の変遷とともにその教育理念、教育概要も変わっていった。
今回は建築家ヴァルター・グロピウスの校長就任後のデッサウへの移転(1925)後を主対象としている。(社会情勢の反動化の中、社会民主党の勢力が強かったデッサウが受け入れた)
これらの美術工芸の基礎教育の素材などを見せられると、やはりボクのような専門教育を受けたことのないものからすれば、とても新鮮で、刮目されることが多く、また現代のようにアート世界においてもデジタル社会に変貌してしまっている時代の教育現場の困難さも感じてしまう。
色彩のグラデーション、配色、混色などアナログ的なアプローチでなければ体感できない色彩基礎教育の重要さをあらためて感じさせてくれる。
また同時に恐らくはワイマール時代という一種の特別な時代精神というものを背景として、夢と希望にあふれた教育理念が横溢し、若々しい教授陣が世界から集まった有能な学生達に心血注いで指導していたことを彷彿とさせるものであった。
(周知のようにバウハウスはナチスの圧力により、1933年〔=ナチス支配の確立〕にその短い生涯を終えた)
なお、インテリア・家具の部門でもヨゼフ・ホフマンの椅子から始まり、ミース・ファン・デル・ローエ、そしてマーセル・ブロイアーのワシリー・チェアに至るまで多くのものが展示されている。
個人的に関心を持ったのは、やはりパウル・クレーの素描、あるいはヨハネス・イッテンの版画集などか。
なお、関連の企画として、東京芸大としてのバウハウスとの関わりからの展示も興味深い(吉村順三の建築などが中心)。
新宿OZONEで開催された「暮らしの中の木の椅子展」の選考委員によるセミナー、および受賞レセプションに顔を出したが、これについてはまた後日紹介しよう。
バウハウス展

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  • 上野にいらしてたのですか
    知らせてくだされば
    でいと 出来たのに
    ちなみに昨日は赤坂に行ってましたが・・

  • 谷根千辺りにお住まいのkokoniさんと“でいと”ですか。 ^_^;
    配慮が行き届かず失礼しました。
    では芸大の音楽の方の企画の時にでも、お誘い下さい。

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