工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

「木工家ウィーク 2008・NAGOYA 記念フォーラム」に参加して

フォーラム
本Blogをスタートさせて間もない頃であったと記憶しているが、2005年名古屋丸善ギャラリーでのChairs展(谷進一郎、高橋三太郎、村上冨朗、デニス・ヤング各氏)での出展作家とボクを含む木工家の交流はこの6月初旬の「木工家ウィーク2008NAGOYA」の一連の企画となって、まずは成功裏に結実し、次への展望を切り開く礎として確認されたことはとても喜ばしく思う。
企画に少し関わった者として、まずは簡単ながら報告しておきたい。
本企画は名古屋栄地区のいくつかの会場において木工家具を中心とする複数の展覧会が同時期に設定され、相互に連携し、相乗効果をもたらすことを想定してのものであったが、企画者の思惑を超えるところで地域的拡がりを持つ木工家、および関連する様々な各界各層に波紋をおよぼしつつ、決して1つの思いに収斂するものではなかったものの、しかし木工への熱い思いを託すにふさわしい成果をもたらしたと言えるだろう。
先に本件企画へ向けての個人的な思いを本Blogで晒し(「木工家ウィーク 2008・NAGOYA」へのご参加を)、また公式Webサイトにおいてもメッセージとして表白させてもらった(木工へ)ので、その意味付けについては繰り返しは避けたいと思うのだが、収斂されずとも様々に交錯する思いというものは、ただ1つ「木工への志し」として集約され、共通の意志として確認されたことの意味は少なくないものがあるだろう。


今日は本企画の主たる催しとして「記念フォーラム」を開催し、つづいて「集う会」と称する交流会を実施。
当初の目途としては、100名ほども集まれば良いのかななどと想定していたものの、この予測を超える220〜名のエントリを数えた。
「記念フォーラム」では、長大作先生、諸山正則さんをお迎えし、それぞれの立場から近代日本の木工芸、インテリアデザインに深く関わられての総括と思いというものを語っていただいた。
長先生には大変失礼ながらこうした公的な場でのお話を聞けるチャンスというものは今後どれだけあるのかと考えれば、ただそれだけで貴重な時空であっただろうし、また諸山さんのお話しというものはボクたち木工家としては様々な木工展示企画などでの主催者側からのメッセージに触れることなどでその鑑識眼の鋭さと洗練されたお考えに接していたものの、こうした木工家主催による記念フォーラムに快く応じていただき、直接お話を伺うという好機は得難いものだった。
記念フォーラムでは最後に質疑応答コーナーも設けられたが、学生を含む若い木工家志望者が質問に立ったことはうれしく思う。
なおボクの質疑内容は概ね、以下のようであった。

「近代の木工芸」(1987年)、および「現代の木工家具」(2003年)を企画していただき、おおいに勉強させられたことに感謝する。
2つの展示企画は対象とするところも異なれば、企画主旨も異なる。
しかし諸山さんのお話を聞いてこの2つはやはりその時代精神の位相の違い、変容を背景とすることを読み解けば、実は木工家としての社会との関わりにおける位相の差異として認めることができ、時代とともに木工芸から木工家具へとそのその表現の在り方の違いと変遷はあれ、木工という表現手段によって社会と関わることの自覚と誇りは変わるものではないということの確認ができたこと。
様々な問題が表出している現代社会の困難な中にあって、木工家具の可能性というものへの示唆があるとすればどのようなものであるか‥‥、

さて、個人的には「木工家ウィーク」参加者との交流というものも大いに胸躍らせるものがあった。
木工の世界に入って間もない頃に出会った高山のN氏(クレノフセミナーなど)とは20年ぶりの邂逅であったし、またこのBlogあるいはWebサイトの読者だと明かしながら名刺交換をした数々の木工家諸兄(コメント残してくださいね)との知遇は貴重であった(接遇での数々の失礼を詫びつつ)。
そして何よりも特徴的であったのは、とても若い木工家、木工家志願の方々が多かったこと。
年齢を聞けば、その親の年齢がボクよりも若いという厳然たる事実に、ただ愕然と我が身を振り返ることを迫るものではあった
謂わば、こうしたこれからの木工家の方々に、ボクたちが諸先輩から受け継がれてきた木工家としての生き方、あるいはそれを支える木工技法体系というものを世代的な使命として次の世代に送り届けるという、この「木工家ウィーク」の1つの目的はまずはその手掛かりというものをつかめたものとして評価すべきだろう。
無論、企画内容に深く立ち入れば、いくつもの足らずを認めねばならないかもしれない。
しかしこれを第1歩として次へ向けて歩み出すことはできるだろう。
言葉をかけていただいた多くの木工家、そして企画実施への様々な困難を克服し、実務作業を担っていただいた実行委員の方々、そして終始弛まないリーダーシップを発揮していただいた谷さん、高橋さん、井崎さんには深い感謝を述べておきたい。

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  • 参加しなかった物がトップを切ってのコメント失礼します。
    この手の企画がなぜ東京ではなくて名古屋なのか、ちょっと不思議に
    思いつつ、名古屋はちょっと遠かったということで、お許しください。
    次にお目にかかれる日を期待して。

  • acanthogobius さん、
    >この手の企画がなぜ東京ではなくて名古屋なのか
    仰る訝りは理解できます。
    ただ、たまたま経緯が記事中のようなことですので、ご理解下さい。
    各地域で同様な企画ができるのが望ましいのですがね。
    そうしたことも含め今後の方向につきましては未定としか言えません。
    あなたのお名前がリストされてきていたのは知っていましたので、キャンセルされたのは残念に思っていました。

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