5月の工芸
2nd HomeTownとタイトルした記事を上げたのは1月だったが、半年も経ずして松本を再訪することになろうとはその時は考えなかった。
数名の知人を訪ね、再び〈松風庵〉でお茶して、合間にクラフトフェアを観覧する。
まずクラフトフェアについて。
久々の観覧だった。
この松本クラフトフェアが始まったのは、ボクが松本で木工修行をスタートさせた時期と重なる1980年代半ばのこと。
つまり四半世紀を重ねることになるが、年々拡大し、評判も高まっているというのに、このところ出掛けることはとんと少なくなってきていた。
以前は同世代の知人も多く出展していたこともあり頻繁に出掛けていたのだが、世代交代もありやや疎遠になっていた感がある。
今回、その充実ぶりに目を見張るとともに、5月の信州の空気に触れることで心身ともにリフレッシュすることができた。
実行委の方々、そして出展者の皆に感謝しよう。
規模の大きさから全てをくまなく見て回るというのは至難のことだが、ほぼ全域を見回し、声を掛け、あるいは手に取り、作家の方々との交流を図ることができた。
まずなによりも若い方々のアイディアあふれる造形感覚、センスに刺激を受けたのはもちろんだが、このフェアの空気感がすばらしいと思う。
今では全国的にこうしたクラフトフェアが展開されているようで、すばらしいことだと思うが、実はボクが知るのは、この松本だけ。
他には出掛けることが無く比較すべき基準を持ちあわせないのだが、そうはいっても松本クラフトフェアの素晴らしさは群を抜くものがあるのでは無いのか。
無論規模から、出展作家の質から、運営の資質から、さまざまに語ることができると思うが、何よりも“作り手による自律、自立した企画”であるということに尽きるように思う。
他地域の多くの類する企画というものが、メディアによる仕掛けであったり、企業によるものであったりと、その肌合いにはかなり違いがある。
出展者にこうした話しを向けても、さしたる関心を持たない若い人もいたが、それも時代精神というものか。
自立、自律などといっても、無関心というわけである。
出展作については上述のように、その造形感覚、アイディアに目を奪われることも多かったが、一方で、これでは生計を維持するのはさぞ困難なのではと思うようなものも少なくなかった。
これは例えば陶芸で言えば、造形で主張しているらしいのは理解できるものの、焼きがとても甘そうで、ひどいものは水漏れしちゃうんじゃないかと思うようなものとか、地方の物産展でよく見掛けるような土産品的なものも屡々。
逆に、造形から、ディテール、技法と、すばらしい作品を出している作家も少なくなく、その価格設定からして、相当無理して市場に出しているのだろうな、との思いにもさせられるなど様々だ。
ボクは懐不如意のこともあり、ほとんど何も買えなかったが、1つだけ気に入って買い求めたものが画像のモノ。
竹のスプーン。
実はこの作家の作品展開では、これは最小のサイズのもので、しゃもじほどの大きさのものがあり、目を見張った。
こうしたジャンルでは、いわゆる茶の湯の茶杓というものがあり、竹の使い方、あるいは技法においてはそれに近いものがあるように思ったが、本人にそのあたりのことを尋ねると、先生はいるものの、最初からこうしたモダンなスタイルで貫き通しているらしい。
竹の節、外皮をデザイン的に活かし、匙部はシャープに削り取り、機能的にも十分なデザインに処理されている。
ボクはこうしたクラフト作家にはとんと疎いので、既に良く知られた方なのかも知れない。
チャンスさえあれば大成する作家なのではないだろうか。
竹の世界に限らず、このような自然素材を活かしたクラフトはあまりに一般的であるのだが、凡百のものとは次元の異なる、質の高いモダンクラフトだと感じ入った。
ご覧になる機会があれば、ぜひ応援して欲しい。(竹と暮らす・沖原紗耶)
クラフトフェア創立メンバーの核となった木工の方々は今も元気に出展されていて懐かしく交流することもできたが、静岡からの出展者、tass・遠藤さんも小家具から木工クラフト、そして奥様のテキスタイルまでアイディアあふれる良い作品をひっさげてがんばっていた。

画像は〈松風庵〉での一コマ、そして松本は初めてという同行者もいたのでお城から開智学園まで、少し散策する。
お城の正門前を竹箒で掃き清めていた袴姿の女性と少しお話しさせてもらったが、この日は4,000人が来場したとのことで、疲労をにじませながらの接遇となり、気の毒なので早々に退却することに。
往復500kmの日帰り走行というのも疲れたが、やはり出掛けて見なければ感得できないものはあるということだ。
たいすけ
2012-5-31(木) 08:40
竹の杓子は非常に使い易いです。木のものより洗い易いと言うか、、。
我が家では神奈川に住む姉がディスカウントショップで大量に仕入れた竹の大きめのスプーンを調理に使っています。先日、ある老調理人に火にかけた料理を混ぜたり汁を掬ってかけたりという行為がいまの調理には欠けている、という話を聞きましたが、混ぜて美味しくなるものは結構多いようです。竹の杓子はまさにうってつけ、です。
artisan
2012-5-31(木) 12:34
>竹の杓子は非常に使い易い
うちでも2つほど調理に使われています。
>火にかけた料理を混ぜたり汁を掬ってかけたりという行為がいまの調理には欠けている
なるほど、煮込み料理というのは、和食の重要なジャンルの1つであるのですがね。
煮込み料理はカレーだけではありません。
豆料理なんて、大好きだな。
なお、この作家のお玉大のスプーンは、ちょっと他には無い造形美を持っていました。
ホントは買いたかったのですが、お預けです。
しかし、竹の工芸品は古来から様々な生活雑器として作られ、また愛好されてきたわけですが、
これらはプラスチックのものに置き換わられてしまっています。
その結果かどうかは分かりませんが、里山の竹林は威勢を増し、居住地域まで侵犯してくるありさまも困ったものです。