工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

さよならを心からの感謝とともに(吉田秀和さん死去)追記あり

吉田秀和さんが亡くなった。
100歳近い高齢であることは知っていたが、あまりの突然の訃報に驚いた。
そして、時間経過とともに哀しみは深まっていく。

「突然の訃報」としたのは、24日(木曜)NHK FM〈名曲のたのしみ〉で、ここ数年のしゃがれながらもしっかりとしたいつもの口調に触れていたからだ。
昨晩の訃報だったが、22日に亡くなっていたというので、この番組は録音だったということ(この番組の収録はもう数回残っているとのこと)。
いつの録音であるかは、未確認ではあるものの、そんなには時間を遡るものではないだろうから、やはり「突然の訃報」であり、また長きにわたる療養生活を経てというのではなく、第一線で活躍途上、ついに天に召された(よく知られているように、吉田さんは敬虔なクリスチャンだった)と言ってよいだろう。

木曜日の放送中、うちの若い修行徒に、少し吉田秀和氏について話していたのだが、訃報の直前になってしまったとはいえ、ただ訃報をスルーするだけでなく、何らかの印象を持って受け止めてくれるきっかけになったとすれば、それはそれで良かったと思う。

この放送を聴いていた多くの人が、同じような思いで振り返っているのでは無いだろうか。

ボクは高校生の頃からクラシックを聴くようになったのだが、同じような人も多いと思うが、音楽評論ということでは、小林秀雄の『モオツァルト』が最初だった。
クラシックを聴くとは言っても、どちらかといえば、あのシルバーレーベルのドイツ・グラモフォン、アルヒーフ盤のバロックであったり、逆にマーラーなど後期ロマン派以降のものが多く、モーツアルトは必ずしも好んで聴く対象では無かったこともあり、小林秀雄の「モオツアルト」へは深い理解などできていなかったはず。

しかしその後、吉田秀和さんの批評に触れるようになってからというもの、クラシックの聴き方はより丁寧に、時にはスコアを手に入れ、読む真似事もしたものだった。
そうして音楽の楽しみは深まり、また音楽家というものがよりリアルに定着してくるのだった。
過去何度もピアニスト、グレン・グールドをこのBlogでも取り上げてきたが、吉田秀和さんによる好意的な批評に影響されたことは隠すまでも無いだろう。

朝日新聞に不定期(年4回?)に掲載される〈音楽展望〉は欠かすことのできない必読のエッセーで、時折切り取ってはスクラップ帳に収めたものだった。

しかしその読み方というものは、同紙に並行して連載されていた加藤周一氏のエッセーとさして変わらぬ視線と関心領域であったのも事実。
つまりどういう事かと言えば、音楽を取り上げるエッセーながら、より深く行間を読み取ろうと目を懲らすのは、美術、文学などへの文化全般にわたる批評であり、あるいは時代を鋭く撃つ論考であったり、またそれらを貫く良質な文体であり、日本語表現の美しさに深く惹かれるという風だった。

戦後日本の音楽批評というものを高い次元で確立させ、音楽教育の実践家としての功績も大きく‥‥、と多面的に高く評価される人だったが、ボクにはやはり戦後日本の自由な精神の象徴的な存在であり、高い感性が知的思考と結びあった結果の瑞々しい文体というものへの憧れの対象として屹立していた人だった。

3.11原発震災には深く心を痛めていらっしゃったご様子。
こうした辛い思いを抱えての死地への旅路であったとすれば、あまりに哀しいが、しかし戦後日本の行き着く先が3.11であったとするならば、それもまた苦々しく受容していただろう吉田秀和氏の哀しみというものは、やはりボクたちも共にしなければならない。

心からご冥福をお祈りいたします。
そして深い感謝を捧げたいと思います。


追補 (2012.05.29.18:00)
NHKで追悼番組があるようです。
『吉田秀和さんをしのんで』(仮題)
──『ETV特集“言葉で奏でる音楽~吉田秀和の軌跡~”』(89分)のアンコール放送
     Eテレ 6月2日(土)前0:00~1:45(1日(金)深夜)

また、記事でも触れた『名曲のたのしみ』ですが、
今後も収録済みの音源を含め、年内いっぱい続けるとのこと。

《関連すると思われる記事》

                   
    
  •  父親はクラシック音楽が好きでしたが、吉田さんの言動への意識が強かったように思います。知らないうちに吉田秀和氏の名前は僕の頭に入っていました。
     朝日新聞の不定期コラムでしか存じ上げませんでしたが、僕は音楽に詳しく無いので、むしろエッセイとして楽しみにしていたようなところがありました。
     追悼番組、是非見たいです。

    • たいすけさん、クラシック愛好家だったご尊父のお話し、
      戦中〜戦後世代として、同時代を生きてこられた方ですので、
      心性にも近いものがあったでしょうし、
      また何と言ってもクラシック音楽を身近にしてくれた功績は大きなものがありますからね。

      今後は吉田さんに続き、独自の文体を持つ若い世代の批評家が出てくることでしょう。

      ただ、
      私の世代はまだ名曲喫茶などでクラシックに触れる機会も多かったのですが、
      現在はそうした環境には無く、音楽ジャンルも細分化してきていますので、
      吉田秀和氏ほどに、良質で高邁でありながら大衆的な支持を受けるということは難しい時代かも知れませんね。

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