工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

家具職人の個展(その2)

当初の予定を1日早め14日、この個展三度目の名古屋入り。
スタートして旬日を過ぎ、多くの来場者に恵まれ、中には幾度となく訪れる木工ファン、数寄者もいて話しが盛り上がる。
この会期中、Webサイト、Blogなどの記事へのアクセスもされたようで、共通の関心事項、例えばクラシック音楽、アートなどの話題へも話しが及び、より親しく、失礼な物言いかも知れないがフレンドリーな関係性にも似た感覚を覚え、こうした個展展開の副産物としてありがたく受け取ったものだった。
昨日は週末とあり、また「木工家ウィーク」のメインイベントである「講演会」が催される日ということで、朝早くから大挙して各地域の木工職業訓練生と思しき若者がドドッ、ドドッと列を成し訪れてくれた。
筆が乗れば後ほど触れるかも知れないが、この夜は「木工家ウィーク」参加者によるパーティー、「集う会」が催され100名近い関係者が一堂に集い歓談したのだったが、今朝からもまた、そこで知己を得た多くの関係者が大挙して訪れてくれ、ご覧いただくこととなった。
購買を前提とする客もいる中での同業者目線でのディテールへの関心と振る舞いは、先の投稿での困った客同様の懸念もなかったわけではないが、その多くは丁重に取り扱っていただき、またパーティー会場で知己を得た方々にはより親しくご覧いただき、リアルな作品を前にしてのモノ作りを共通言語とする者どおしならではの良い交流が図られた。
前にも触れたようにWebサイト、Blogなどを通して活発に発信している作り手本人が、本当のところ一体どのようなものを作っているのかという関心は強いものがあったのだろう、「フム、なるほど‥‥」といったような様子での納得のされ方だったのではないか。
ところで個展会場の地域性というところから考えると、名古屋という都市の奥行きの深さと言おうか、他の地域にはない、書画骨董美術、工芸品への関心の強さというものを少数ではあるとは言え、数名の数寄者から感じ取ることがあった。
話しでは人間国宝クラスの銘品の数々に囲まれ暮らされている人にも観覧いただき、触手を迫るほどの関心をいただいたのだったが、またその一方で厳しい指導を含む数寄者の高い鑑識眼による真剣な眼差しは、曖昧な作品解説を許さないほどに厳しく迫ってくるのだった。
モノ作りの厳しさと深さ、そしてこれが顧客の手に渡るまでの“命がけの飛躍”(経済原論で語られることの売買の原点)というものは大根1本、せんべい1枚の売買であっても安易では無いことを示す警句であるわけだが、工芸品的家具ともなれば例え自信作とはいえども、相手の手に渡すまでの難しさというものをあらためて思い知らされるものでもあった。
多くの来場者、わけても親しくお話しをさせていただいた家具購入の顧客の方々、数年後の新築時に是非にと希望された親子連れの方などにあらためて感謝したい。
そして連日の展示会立ち会いと、夜遅くまでの仲間との交流でのお疲れの中、声を掛けていただいた、こう言っても差し支えなければこの度の「木工家ウィーク」において知己を得た新たな友人たちの暖かい眼差しに感謝をしておきたい。
この厳しい社会経済情勢の中にあって、木工家具という切り口で結び合った木工職人、家具作家の方々、とりわけ志し豊かな若い方々の真剣な眼差しに、ボクのような老いぼれもまた励まされるものだったが、彼らには少しでも木工で生きる道筋の拓けた可能性というものを指し示すことができればと、あらためて思ったものだった。
ボクの個展は後2日残されている。
まだ未見の方々、どうぞじっくりと見ることのできるウィークデーになりますので、ぜひお越し頂き、お気軽にお声を掛けてください。
閑話休題
このところBlog更新がままならないが、休み時間も取れない日中の立ち会い、そして連日連夜の酒席での交流でホテル帰着が午前様となり、Mac起動もせずに床に入る日々が続いたことによる。

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