工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

瀨戸内国際芸術祭 2016 Setouchi Triennale 2016

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夏の終わり、妻の瀨戸内の実家への訪問に合わせ「瀨戸内国際芸術祭2016」のいくつかを探訪することになった。

このアートフェス、全国的にどの程度知られているのか分からないし、私自身、今回の帰省がなければさほど関心を持つものではなかっただろう。

そうしたややネガティヴなツアーだったものの、思いの外楽しめたというのが実感。
ただ時間的制約で渡った島は2つだけ。
小豆島とその東隣の豊島。

以下、簡単に書き留めておきたいと思う。

瀨戸内国際芸術祭

瀨戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸祭と略します)は2010年にスタートし、3年ごとのいわゆるトリエンナーレの開催となっており、今年は3度目のフェスティバル。

トリエンナーレって?(朝日、2016.09.02)

トリエンナーレって?(朝日、2016.09.02)

昨日の朝日朝刊に「トリエンナーレって どんな催しなの」とのコラムがあるので、貼り付けよう。
他の地方の同様な取り組みも紹介されているので理解が早いと思う。

ところで、アートに深い関心を持たない人にとっても、今回の会場にもなっている「直島」の「地中美術館」は安藤忠雄建築によるということで良く知られていると思う。

教育関連書籍の出版業で財をなした岡山市を拠点とする福武書店、今のベネッセコーポレーションが設置運営している美術館だ。(例の顧客情報漏洩で大きな話題をさらった企業名として知れ渡ってしまったわけだが)

この瀬戸芸祭そのものも、関連自治体を除けば、このベネッセコーポレーションがメインスポンサーになっているらしい。(総合プロデューサーに福武美術館財団理事長が就任しているところからもそれと窺える)

会場は 高松港周辺、直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島、本島、高見島、粟島、伊吹島、宇野港周辺、
となっていて東西瀨戸内海のほぼ中央部に位置する多くの島々が対象となっている。

これらをじっくりと鑑賞し尽くせば、自ずから島々の風土と、現在の暮らしぶりにも深くアクセスができるという仕掛けでもあるのだろう。


この島々をイメージするには少し旧い映画の話しから説き起こすのが良いかも知れない。
戦争下の悲劇を描き、人々に涙を誘うこと数度にも渡る映画化で知られた『二十四の瞳』、ではない。

満々と水を溜めた2つの桶を天秤棒に縛り付け、大汗を掻き掻き、ただひたすら島の急斜面を運び上げる殿山泰治と乙羽信子のサイレント映画の如くで異彩を放った『裸の島』という新藤兼人の腐朽の名作の方。

会場となった島々もまさに同じような地形と景観を持つ、産業基盤の乏しい風土。

この地域の最大の面積を持つ小豆島も含め、概してこれらの島々は急峻な地形を特徴としていて平地は少なく、産業と言えばオリーブ農園はいたるところにあるものの観光農園的な規模であり、やはり採石関連業が主体なのだろうと思われる。
大阪城の築城にはここの石が欠かせなかったらしく、その旧跡がいくつも残っている。

イサム・ノグチがアトリエを構えたのが高松の牟礼だったのは、 彫刻家・流政之の誘いでもあったわけだが、何よりも良質な石材が豊富であったことに尽きると言って良いだろう。

さて、この瀬戸芸祭という催し。
当然にも、現在では人口は減る一方だろうし、限界集落的様相を見せてもいるはずだ。
しかし、考えようによっては都会には無い様々な魅力があり、これを芸術祭の場として広く知ってもらい、少しでも展望を切り開こうという思いもあるのだろう。

公式メッセージにもそうしたことが綴られている。

海の復権
古来より交通の大動脈として重要な役割を果たしてきた瀬戸内海。行き交う船は島々に立ち寄り、常に新しい文化や様式を伝えてきました。それらは、個々の島々の固有の文化とつながり、育まれ、美しい景観とともに伝統的な風習として今に残されています。
今、世界のグローバル化・効率化・均質化の流れの中で、島々の人口は減少し、高齢化が進み、地域の活力の低下によって、島の固有性は失われつつあります。
私たちは、美しい自然と人間が交錯し交響してきた瀬戸内の島々に活力を取り戻し、瀬戸内海が地球上のすべての地域の 『希望の海』 となることを目指し、瀬戸内国際芸術祭を開催します。

実は私は1950年代後半から4年ほど、この瀨戸内の岡山側の牛窓という鄙びた港町で小学校生活を送っていた。
しかし、これらの島々に渡ったことは無かった。
当時は観光を楽しむなんてことは庶民の暮らしにはまったく無縁な時代だったから。

少年時代、牛窓の港からはるかかなたに遠望できる島々に、やっと今回渡ることができたということでもある。

少し余談が過ぎたが、以下、私が観覧したところをいくつか紹介していく。
日程がタイトで、観覧できたのは小豆島と豊島のみ。

岡山市からレンタカーを出し、巡ったのだが、フェリー料金はハンパではなく、お財布事情があったことも否めない 汗;

小豆島

太陽の贈り物(土庄)

太陽の贈り物

太陽の贈り物

太陽の贈り物(拡大)

太陽の贈り物(拡大)

これは小豆島の玄関口、土庄のフェリー船着き場に設置された彫刻。
作家:チェ・ジョンファ(崔正化)

小豆島といえばオリーブ。
このオリーブをリース状にあしらった彫刻。
葉っぱ一枚一枚には、島の子供の様々なメッセージが刻まれていて「希望」を感じ取れるものになっている。

フェリー船着き場で船を下りる客を迎えるものとして恰好なモニュメントだ。

土庄郵便局舎アートプロジェクト(土庄)

年賀切手(土庄郵便局)

年賀切手(土庄郵便局)

郵便局の外壁全面に年賀切手を拡大プリントしたものを貼り付けたもの。
特に仕掛けがあるわけでも無いようで、切手コレクターには魅力的であるのかな。

大岩島2(土庄)

瀨戸内の海と島々のイメージを描き込んだエアドームのインスタレーション。
直径10m、高さ7mほどの空間に、瀬戸内海の波、島、島の風土、民家などが大胆に、かつ微細に描かれ、座り込んで、あるいは寝転んで楽しむ。

作家:大岩オスカール

オリーブの夢(肥土山地区)

オリーブの夢

オリーブの夢

オリーブの夢

オリーブの夢(内部)

地元産の約4000本の竹で構築された巨大ドーム。

観覧したこの日も猛暑で、駐車場からダラダラ坂を下りるだけで汗だくになるほどだったが、ドームに入れば外気とはそのまんま繋がった竹の格子状のドームに過ぎないものの、広い空間が拡がっていることと、一帯は遮光が効いているためか、かなり涼しさを感じる。

聞こえてくるのは近くを流れるせせらぎとヒグラシの音、そして竹の格子を抜けていく風の音だけ。
妙に魅力的な空間ではあった。

この日はウィークデイであったにも関わらず、老若男女が思い思いに座り込み、あるいは寝転び、不思議な竹の空間に身を置く快楽を楽しんでいた。

作家:ワン・ウェンチー(王文志)

坂の途中の千枚田で農作業している農夫と立ち話したが、昨今、獣が里に下りてきて農作物を食べてしまう被害が多いと顔を歪ませていた。
以前は鹿による被害だったが、最近は猪が頻繁に降りてくるとのこと。

小豆島の木(大部地区)

小豆島の木

小豆島の木

海辺の傾斜地に伐採されてしまった、樹齢60年を越えるくぬぎの木。

これを毛根1本残らず掘り起こし、展示したインスタレーション。

15mを越えるほどの根張り。

たぶん、地上にはそれ以上の枝が張っていたはず。

幹から一方向へと根が張っているのは、片方が石垣に接していたからだそうだ。

「生前」のその画像も掲示するとなお良かったと思う。
樹木の持つエネルギーをより訴求できたかもしれない。

作家:竹腰耕平

一見、関心を持たない人からすれば、酔狂なことをやるもんだとしか視られないような代物。
たぶん、地域の人々を動員し、掘り起こす作業から、洗浄する作業、そして会場となった廃工場の梁にぶら下げる作業と、とても難行だったに相違ない。

人々を鼓舞し、この難行をやり遂げさせた作家の力だけでもすごいものだと思わされる。

普段、樹木を扱う我々としては、地上の樹形への関心は強いものの、地下茎へと関心を及ぼすことは無く、この大胆な発想のインスタレーションには少なからぬ衝撃を受けるものではあった。

国境を越えて・潮(大部地区)

Top画像参照
個人的には小豆島の作品の中ではもっとも関心を惹いた1つ。

瀬戸内海を北に望む大部の浜辺いっぱいに、少年の立像が思い思いの方向を向き、屹立している。

エーゲ海に散ったシリア難民の少年にインスピレーションを得ての作品なのだろう。
196体の像は日本国が承認する国家の数とのこと。
バラバラな像の視線の先は、それらの国々。
首から提げたプレートにはそれらの国々の座標と、ここからの距離が記されている。

作家:リン・シュンロン(林舜龍)

近くにいた老人、関係者に訊ねたところ、制作時のエピソードをいろいろと聴かせていただいた。
この像はやがては風雨に晒され崩れ落ち、海砂と一体化していくらしい。

海砂と樹脂を混合し、支柱と共に型に流し込み、打ち固める。
この作業を作家の指導の下、地域の住民総出で行ったという。
慣れるまでは失敗が続き、難儀したとのこと。

しかし、難儀しつつも、楽しく積極的に挑んだのだろうことも、また確か。
誇らしげに語る、その口ぶりから窺えた。

少年と海と死。
海は生命の源。シリア内戦は地中海を希望の街へのアクセスルートとして迎え入れたものの、
時として、無謀な航海は少年を死へと誘う危険な海にも変貌する。

エーゲ海の悲惨な事態は決して遠い世界のことでは無く、まぎれもなくこの同じ海の先に起きた事柄であり、日本だけが無関心というわけにはいくはずもない。

この瀬戸内海を地中海になぞらえ、哀しみの少年の像を打ち立てようとした作家の魂に触れたいと思ったものだ。
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この画像は2,000pxのワイド。ブラウザを横に拡げることで瀨戸内の海が展開します。

豊島

トムナフーリ(豊島・硯)

トムナフーリ

トムナフーリ(公式サイトから借用)

蓮で埋め尽くされた池の中央に屹立するモニュメント。

スーパーカミオカンデからデータをもらい、超新星爆発で光を放つ、というもの。

スタッフからアドバイスをもらった時間まで、他の観覧者らとともに待機したが、残念ながら変化を感じることは無かった。
真夏の強い日射しが疎外したのかもしれない。
(写真撮影は許可されず、Webから拝借:撮影;中村脩)

作家:森万里子

豊島美術館(豊島・唐櫃岡)

豊島美術館

豊島美術館

言わずとよく知られた建築家・西沢立衛とアーティスト・内藤礼による美術館。

豊島の雑木林に開かれた丘陵地に突如として現れる、白いモルタルの建築造形物。

中は一部円形に切り取られた開放部を除けば、ただのだだっ広い静寂な円形ドーム空間。

しかし床のあらゆるところに穿孔された微細な孔からは水がゆっくりと湧き出し、大小の水玉となって緩やかな傾斜の床を転げ落ちていき、あるところで固まりとなり留まる。

外構にダイレクトに繋がった開放部もあるので、四季を通して異なった空間を見せるのだろう。

撮影は禁止されているので、絵はがきのスキャンを貼り付ける(モアレを取り切れず、ご容赦を)

作家:西沢立衛、内藤礼

豊島横尾館(豊島・家浦)

豊島横尾館

豊島横尾館

横尾忠則ワールド

石庭や池も横尾忠則に掛かるとこうなってしまうのかという意外性。

キッチュな感もまた横尾ならではのものだが、今や巨匠であり、言うこと無し(笑)

写真撮影はダメなので、建築アウトラインのみ。

島キッチン(豊島・唐櫃岡)

島キッチン

島キッチン

島の食材を使ったレストラン
広い敷地の中庭も活用した開放的な空間。

ここでランチを摂ったが、この日はスズキのローストがメインメニュー。

平日だったものの、1時間待ちの混雑だった。

公式サイト:
http://www.shimakitchen.com

地域のトリエンナーレという試み

今や日本列島、いずこも地域は少子高齢化が進み、限界集落と言われてしまうところもそこかしこにある。
そんな中にあって、こうしたアートイベントを打ち、地域住民を巻き込み、共に設置運営し、外部から多くの人を呼び込むという試みは、冒頭の朝日記事のように、ちょっとしたブームになっている感がある。

ただそれら全てが成功するというわけでも無いだろう。

確固としたコンセプトを打ち固め、アーティストを招聘し、けしかけ、地域住民を熱くさせ、巻き込むというプロデューサーの存在、そして企業からカネを引き出す力が必須。

この瀬戸芸祭の場合、ベネッセという企業の美術館展開が既にあり、ここに北川フラムという名ディレクターが関わって来たからこそ、社会的なインパクトを引きだし、3度目の成功へと導いたのだろうと思う。

観覧のポイントは島々の傾斜地を越えたところに位置するため、アクセスは決して安易では無い。

私の場合、レンタカーを駆使したので、何ら苦労することは無かったが、観覧者の多くの若者はレンタサイクルで汗掻き掻きの登坂で楽しんでいたようだ。
レンタサイクルは電動アシスト付きなので、多少の傾斜地は平気なようだ。

それぞれの場所でこれらの若者に声を掛けてみたが、多くは美大生であったり、デザイナーの卵、といった人々。

アジアを中心に外国人も多いようだった。
出展作家の過半は外国人ということもあり、まさに「国際」と銘打つだけの内容なのだろう。

ただ、地域の人に聞けば、必ずしも第1線で活躍するアーティストでは無いと、やや自嘲気味に語る人も複数いたが、それも現実であるとは言え、こうした活躍の場を与える事で飛躍する人もいるだろうから、安易な評価は避けたい。

一流のアーティストとして名前で人を呼ぶことはできても、地域とは隔絶された状況で、自分のお仕着せがましいアート作品を展示したからといって、その地域ならではの作品とは言いがたいものに堕して仕舞いかねない。

やはりこうした芸術祭のキモは、まず何よりもアーティストが地域に溶け込み、そこから起ち上がる想念を起動力とし芸術作品を産み出すことで意味のある創作がなされるものだろう。
地域の人を巻き込み、思わぬエネルギーを放つからこそ面白いのでは無いのだろうか。

いくつかのインスタレーションはそれを実践し、良い作品になっていたと思う。
総括的には、たぶんそれは、地域の人々が元気になってくれたかどうかで決まるのだろう。

瀬戸内の島々の皆さん、楽しませてもらいました。ありがとうございました。
また数年後に訪れてみましょう。


■ 瀨戸内国際芸術祭 2016 公式Webサイト

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