工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

盛岡は桜の季節を越え、

パタゴニアへの旅ではないけれど、今日はちょっと遠く、東北盛岡への旅路。





予報では雨に遣られるところで、確かに白石あたりでは田植え前の代掻き作業で耕耘機を忙しく操作する人を濡らしているのが車窓から眺められたが、仙台を過ぎた辺りから晴れ間も広がり、何とか終日持ちこたえてくれたようで助かった。

助かったというのは、ただの観光での雨男であればともかくも、納品での搬入作業とあらば、少なからぬ影響を受けてしまうことから。

いくつかの家具を納品設置させていただく旅だが、年初より取り掛かるというかなりのボリュームだったこともあり、こうして終えたことの安堵もまた深いものがある。

当初、3月下旬の納品スケジュールだったのが、この大震災を受け、被災地でもある地域に在住する顧客の要望もあり、この時期になってしまった。

この盛岡市内の顧客の新しい住宅は、幸いにして無傷であったので予定通りに進めることもできなくはなかったのだが、状況が状況だけに、少し落ち着いてからにしたいという要望を受けてのものとなった。
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東日本大震災・災害ボランティア活動日録(9)

被災地・災害復興支援活動

3月26日(地震発生から15日経過)天気:雪のち雨

ブルルッと震えながら目覚めたのは5時過ぎくらいか。
テント幕を通しての周囲がいやに明るい。



テントのジッパーを外して外を見やると、一面の銀世界。
寒いわけだ。
静岡では桜も開花もしているというのに、この地では真冬の気候が続く。
避難所の人々はちゃんと暖を取れているのだろうか、などと思いを馳せるが、まずは自分たちもストーブを焚いて暖まらねばならないが、この朝にロケットストーブは石巻ボラセンに託すことになっているので、使えない。

コールマンストーブでの煮炊き兼用で腹から暖めることに。
その前にテントの雪を払い、タープの雪を下ろす。

静岡から農家が託してくれた採れたてのレタスでサラダを拵え、α米を暖め、ラーメンスープで口に押し込む。
暫し、ボランティア登録手続き開始までの時間、寒え込む空の下ではあるがコーヒーを啜りながら、周囲の他のボランティアで駆けつけた方々と交流を図る。

食後、これまで同様にボラセンでの登録手続き。
日に日にボランティアの人数も増加している様子。
多くは学生のようだが、駐車している車両を見れば、かなり遠方から駆けつけた様子も伺える。

それぞれ、「東北大震災 ○▽緊急支援部隊」などと大書された幕などが雪まみれ、泥まみれでの車体に貼り付けてある。

我々も「災害ボランティア エスペランサ 木工隊」としたマグネットステッカーを貼り付けてきたのは大正解だった。
決して高速料金が安くなったり、GSでの優先扱いなどがあったわけではないが、被災地での運行にあたり、我々の運行目的を明示することで、周囲に分かってもらうのは必須のツールだった。
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《180°SOUTH》を楽しむ

GWですが、皆さんは良い旅をしていますか?

“どこか知らない遠くへ行ってみたい‥‥”というのは、人間の根源的な欲望の1つかもしれない。

未知の土地への旅は発見と感動をもたらし、人を豊かに鍛えてくれる。

数多くはないものの、ボクもこれまでいくつかの旅をしてきたが、南米の果て、パタゴニアに行ってみたいと思わされる映画がこの《180°SOUTH/ワンエイティ・サウス》

patagonia〉の創業者イヴォン・シュイナードと〈THE NORTH FACE〉の創業者ダグ・トンプキンス、二人の運命を変えた伝説の旅の映画。
もちろんただのロードムービーなどではなく、自然の厳しさを前にしてのチャレンジングな旅と、この体験を元にした二人のその後の人生を追体験するものとなっている。

〔STORY〕
1968年のある日、友人のダグ・トンプキンスが南米パタゴニアの山に登らないかとイヴォンを誘った。
2週間後、サーフボードや登山道具、旅を記録するための16ミリのカメラを中古のヴァンに載せ、2人は南米を目指して旅立った。
‥‥‥‥
それから40年近くの時が流れ、ジェフ・ジョンソンというアメリカの青年が、パタゴニア行きの旅に出ようとしていた。
彼はイヴォンとダグによる旅の記録映像を偶然見て衝撃を受け、自分も彼らの旅を追体験しようと考えたのだ。
‥‥‥‥
メキシコを出発してから124日目。ついにパタゴニアへ到着。
イヴォンが彼らを迎えてくれた。
天候がよくなるのを待ちながら、パタゴニアの高峰コルコバド山登頂を目指す。
‥‥‥‥(公式Webサイトから引用)

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東日本大震災・災害ボランティア活動日録(8)

被災地・災害復興支援活動

3月25日(地震発生から14日経過)天気:曇りのち雨

ボランティア活動のその日の登録を前に、早朝から石巻市街沿岸部を眺望できる「日和山公園」に5名全員で向かう。

石巻に入って3日目に入るが、市街地の惨状というものは走行の度に新たな衝撃と哀しみを誘う。

石巻市沿岸部(石巻市民病院) 石巻沿岸部(日和山より)

日和山公園はJR石巻駅から南に1Km余りの位置の住宅地として造成されつくした小高い丘陵地の一角にある「鹿島御児神社」の境内を公園として整備されたところ。

石巻ボラセンのスタッフから聞いてはいたのだが、ここから海に向かっての地域は、旧北上川を挟み、東西の地域、および中瀬と呼ぶのか、いわゆる中州のすべてと言って良いほどに壊滅的な惨状を呈していることを目の当たりにする。

石巻の地形に関する沿革などは不明なるも、恐らくは埋め立て地として開発されてきた地域のそのほとんどがやられてしまっている。
湾岸に近い位置に立地する石巻市立病院の白いビルだけがポツンと残っていることに、むしろ強い違和感を覚えるほど。
焦土と化す、という表現があるが、煙こそ出てはいないものの、まさに絨毯爆撃攻撃を受けた後のような惨状である。

アポカリプスの世界とは、果たしてこのようなものか、と思わされるほどに‥‥。
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ハンス・コパー、とは一体何ものだったのか(観覧記)

美術館カフェ

美術館カフェ



ハンス・コパーの遺言の1つが「自分の生の痕跡を遺さないで欲しい」と言うことだったというので驚いた。
したがって自著も無く、ルーシー・リーのように生前のアトリエでの作陶に励む姿を遺した映像などもなく、全ては作品にのみ語らせているということになる。

ルーシー・リーのように生前において既に高い評価を受け、様々な角度から取り上げられてきた陶芸家とは異なり、あらかじめ付与された作家性などは背景に追いやり、ただ展示された陶と純粋に向き合うことができるという意味では、観覧者の方が試されているようでもあり、少し緊張を強いられる展覧会だった。

これは造形の特徴からも同じような事が言えるように思う。
例えば器としての機能をあえて重視せず、若い頃にめざしたという彫刻的なアプローチとしか形容しがたい造形の数々。

しかしよく見ればそれらも、やはり陶の技法と陶のテキストに則った造形であることに気づく。

これらは昨日4月29日、昨年6月からスタートした【HANS COPER ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新】と題された大回顧展、全国巡回の最終地、静岡市美術館で行われた「スライドトーク」での西マーヤさんの解説での“種明かし”で見えてきたことだった。
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東日本大震災・災害ボランティア活動日録(7)

被災地・災害復興支援活動

3月24日(地震発生から13日経過)その2 天気:晴のち曇り

野営地に帰着後、ボランティアセンター受付に再度登録。
2名+学生ら2名は前日に引き続き、石巻市街の被災者住宅で大地震・大津波に大きな損傷を受けた家財道具などの撤去、廃棄作業、ヘドロのかき出しなど。

ボクはピースボート主体の炊き出しの手伝いだ。
炊き出しとは言っても、ここ石巻専修大学のグランド内、ボランティアの野営地の一角を借り、仮のテントを張り、プロパンガスなどを持ち込み、調理し、使い捨てのPackに詰めて、各避難所の方々にお届けする、デリバリー方式。
あるいはこの近所の被災者には取りに来てもらう。

メニューは野菜炒め風の丼。その数、とりあえず500食。
お米を炊く者、ひたすら肉を切り刻む者、タマネギを剥く者、刻む者、総勢6〜7名での作業。
ボクも包丁、まな板を持ち込み、調理し、また炒め、煮込む。

リーダーは都内でレストランを営むシェフ。
ピースボートの乗船も果たし、こうした緊急事態にはいつも積極的に活動しているように伺える。

多くのメンバーは学生、あるいは若い社会人だが、皆挨拶も良くでき、手慣れない作業なのだろうが、熱心に、ほがらかに、よく立ち働く。
この頃、ピースボートとしてのボランティア活動員の募集と説明会が都内で行われていたようで、そうした新たに供給される活動員の宿泊のためのテント設営も始まっていた。

ここ石巻ボラセン(ボランティアセンター)が置かれた石巻専修大学には、スポーツ競技のための大きなグラウンドが併設されており、石巻市はここを借りてボランティアらのテント設営地としている。
ボクたちが入った頃はまだ少なく、カナダからいち早く派遣されてきた緊急医療支援隊の巨大で真っ赤なテントが眼を引くぐらいだったが、ピースボートらの増設もあり、徐々に大小のテントが増えていった。
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小ネタ(違い胴付き、あるいは“おしゃぶり”)

仕口を自在に使いこなす、というのは家具作りに限らず、建築はもちろんのこと、様々なモノ作りにおける習熟にとり、欠かすことのできない重要な要素の1つだね。

ボクの修業時代とは、そもそも職人になろうと思うのはバチあたりな30も半ばになってからのこと。
10代から純粋培養で修行を積んだわけでもなく、いくつもの不純な属性を纏いながらのものであったわけだ。

それはともかくも、木工の世界に入ってからと言うもの、夕食後は毎日のように仕口に関わる書に親しみ、取り掛かっている家具制作に有効に使えるものがないか、必死になって探し、研究したもの。
それは修業時代があまりにも短かったことへの幾ばくかの焦りと、申し訳なさと、良い職人になりたいという一心からのものだった。

今ではただの長年弛まずやってきただけの職人風情の男でしかないが、若い頃はそれなりにまじめに取り組んでいたというわけだ。

ま、そんな昔話はどうでも良いことだが、仕口を抱負に持ち、これを適切に使いこなすことで、デザインの自由領域も拡がり、ねらった造形を無理なく、無駄なく、形にすることができるというもの。

今回紹介するのは、それほどのものでもない、昨日ご紹介したカップボードに用いた小ネタの2つ。

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カップボードはブラックウォールナットで

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スタジオでの撮影でいきたいところだが、汚い工場でのものになっちゃった。
せめて日が落ちてからというわけで、夕食後三脚とストロボをい担いで工場に入り、数10枚のシャッターを切る。
光学フィルムではそうもいかないが、デジカメだとなんぼでもいける。
ストロボ撮影では調子を掴むまでが難しいからね。

簡易なディフューザーでのバウンスと、2灯ワイアレススレーブの設定でいけば、簡単に“それなり”の結果が得られる。
調子の難しさとは、マスター側発光とのバランスだが、経験を積むことで少しは上達するかな?

ところでこれらは震災前に納品する予定のものだったが、納品先は被災地の1つ、岩手県下ということで先延ばしされていた。

普段利用している運送屋はトラックを失うなど深刻なダメージを受けたようで、代わりの適切な業者を探すのはなかなか困難だった。
それも何とかクリアさせ、やっと落ち着き先へと旅立たせることができる。
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東日本大震災・災害ボランティア活動日録(6)

被災地・災害復興支援活動

3月24日(地震発生から13日経過)天気:晴のち曇り

ボランティアセンターへの活動登録は1日単位でのものとなっており、この日も朝9時に受付を行い、被災者からの依頼に応じ、適宜マッチングされ活動対象地域へと向かうのだが、2名は前日の継続となり、ボクは炊き出しの手伝いを担うことに。

朝9時の受付には十分な時間の余裕があるので、ボランティアセンターの責任的立場の人に掛け合い、石巻近郊の壊滅的地域の様子を伺うとともに、地図を含めてそれらの地域へのアクセス方法を確認する。
最初は少し渋ったが、事情を話すと快くアドバイスをくれた。

この日は9時までに野営地、石巻専修大学に戻ることを条件とし、近郊で最大の大津波の被害を受けている「雄勝町」(おがつちょう:宮城県北東部沿岸、2005年より石巻市に合併)方面に向かうことにした。

メンバーは我々と、前日の活動で合流していらい寝食を共にしている学生ら、若いソロのボランティアの2名を加えた5名。

服部さんが今回の災害ボランティア運行のために急遽買い求めたカーナビを頼りに、大地震・大津波被災地の石巻市街を駆け抜け、一路雄勝町へと峠を越えて東進する。

旧北上川の支流にあたる真野川沿いを抜けていくのだが、周囲は旧北上川を逆流した津波に大きく侵犯されたようであり、様々な痕跡が認められる。
車が水没し、あるいはでんぐり返り、あらぬところへと打ち捨てられている。
小舟が陸の上を漂流した後、家屋に突撃している。

そして津波に洗われた家屋から吐き出された家財、畳がところ構わずうずたかく積まれている。

真野川、川面には様々なガレキが落ち着くところもなく漂流しているが、その何倍ものガレキが水底に堆積しているのだろう。
この川沿いに拡がる田畝一帯は全て浸水し、果たして今年の稲作は絶望的であろうことは素人でも分かる。
周辺の住民が三々五々通りに出ては、捻りはちまきでの困惑顔、苦笑いの顔、顔。
こちらは遠慮気味にカメラを構えつつも、こっくりと軽く会釈しながら通り抜けていく。

車両4面には災害ボランティアのステッカーが貼られているので、遠方の他府県ナンバーではあっても見咎められることもない。
明示的では無いものの、それなりの敬意は持っていてくれるようにも感じる。

山間に入ってからはほとんど出会う人もいなければ、通り過ぎる車も数台という状態。
本来であれば通勤通学の時間帯であるので、すれ違う車両なども多いはず。
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“小沢昭一的こころ”に導かれて

「絆を強調 ちょっとだけ心配」

今朝、acanthogobiusさんからコメントをいただいたが、朝日新聞の記事からのものだった。
少しページをめくると、第二社会面というところになるのか、『シブトク立ち直って』というタイトルでの小沢昭一のインタビュー記事があった(インタビューというより聞き書き、かな)
以前、このBlogでも同小沢師匠の「大相撲八百長問題」に関わる持論を紹介したことがあった。
今回もまた師匠の被災地へのエールと、警句に惹かれた。

小沢昭一的こころぜひ原文にあたって欲しいと思う。
ここでは他人のBlogを借りて申し訳ないのだが、「ネパール評論」というBlogに引用があったので、ご参照いただきたい(震災後日本と小沢昭一の貧主主義

小沢師匠ならではの、芸能という切り口での東北論、とりわけ沿岸地域、港町の人々のその根っからの明るさ、開放感を自らの芝居を通した経験から振り返り、「東北というのは日本の原鄕」と位置づけている。
そして後段、いよいよ小沢師匠ならではの批評精神、希有の芸能人ならではのエスプリ(そうは思わせないところがまたすばらしいのだが)が開陳される。

先にこのBlogでも語った「ガンバレ ニッポン !」の薄気味悪さと同じ文脈で「一致協力」「絆」の強調への「心配」を糺している。
「‥若い人たちには初めての新鮮な言葉なんでしょう。いつの間にか意味がすり替わらないように、気をつけなくちゃいけませんよ。」との苦言。

小沢師匠に座布団○枚、やってください !!
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