工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

東日本大震災・災害ボランティア活動日録(7)

被災地・災害復興支援活動

3月24日(地震発生から13日経過)その2 天気:晴のち曇り

野営地に帰着後、ボランティアセンター受付に再度登録。
2名+学生ら2名は前日に引き続き、石巻市街の被災者住宅で大地震・大津波に大きな損傷を受けた家財道具などの撤去、廃棄作業、ヘドロのかき出しなど。

ボクはピースボート主体の炊き出しの手伝いだ。
炊き出しとは言っても、ここ石巻専修大学のグランド内、ボランティアの野営地の一角を借り、仮のテントを張り、プロパンガスなどを持ち込み、調理し、使い捨てのPackに詰めて、各避難所の方々にお届けする、デリバリー方式。
あるいはこの近所の被災者には取りに来てもらう。

メニューは野菜炒め風の丼。その数、とりあえず500食。
お米を炊く者、ひたすら肉を切り刻む者、タマネギを剥く者、刻む者、総勢6〜7名での作業。
ボクも包丁、まな板を持ち込み、調理し、また炒め、煮込む。

リーダーは都内でレストランを営むシェフ。
ピースボートの乗船も果たし、こうした緊急事態にはいつも積極的に活動しているように伺える。

多くのメンバーは学生、あるいは若い社会人だが、皆挨拶も良くでき、手慣れない作業なのだろうが、熱心に、ほがらかに、よく立ち働く。
この頃、ピースボートとしてのボランティア活動員の募集と説明会が都内で行われていたようで、そうした新たに供給される活動員の宿泊のためのテント設営も始まっていた。

ここ石巻ボラセン(ボランティアセンター)が置かれた石巻専修大学には、スポーツ競技のための大きなグラウンドが併設されており、石巻市はここを借りてボランティアらのテント設営地としている。
ボクたちが入った頃はまだ少なく、カナダからいち早く派遣されてきた緊急医療支援隊の巨大で真っ赤なテントが眼を引くぐらいだったが、ピースボートらの増設もあり、徐々に大小のテントが増えていった。

さて、炊き出しの途中だった。1度に調理できるのが約150食ほど。
バンで避難所を往復し、送り届ける。
石巻市街に限ってみても11万人という膨大な人々が避難している状況からすれば、ほんの一部への炊き出し支援でしかないわけだが、暖かい食事は被災者にとって恵みのものであるはず。
今日のメニューは肉野菜炒め、卵とじ、白菜漬け添え、なんていうところ。

昼食を挟んで2度の調理を担当し、被災者住宅への支援活動から戻って来るメンバーと合流するまで続ける。

この頃、連絡を取り合っていた山形のSさんがやってきた。
車の燃料確保でかなり苦労されたらしく、何とか往復距離分を確保できたようで、合流することができた。

このSさんとは昨年10月に会津でお会いして以来の再会。
この4月から大学を卒業し、社会人1年生のはずなのだが、この震災のあおりを受けて少し懸念される状況にも。
実家は仙台市内にあり、当然にも大地震・津波の被害から免れることはなかったが、母と祖母が困難な状況にあるにもかかわらず、彼女らを置いての石巻での支援活動へと奮い立った。
「宮城県のために起ち上がってくれ、感謝します ! 」との弁に、少したじろいでしまったが、自分らが大変なときにこうして合流してくれたことに、こちらこそ感謝すべきところだ。

一方、2日間にわたり、活動をともにしてくれた学生ら、一人が離れることになった。
心理学を専攻しているところから、被災者の子供達へのカウンセリング、支援活動のため、石巻市役所へと転戦していくことに。
本人の希望が叶ったわけで、皆で喜んで見送る。
その際、こちらから支援してくれたり、買い求めた絵本、お絵かき道具、などを彼に託すことにした。
有効利用してくれることだろう。

野営地晩餐

野営地晩餐

我々の夕食は、α米と肉たっぷりの野菜炒め、野菜サラダなど。
この日は冷え込みが強く、食べている先から調理したものも冷えていく。
しかし活動後の食事は話も弾み、美味しく食べることができる。
被災者宅からいただいてきたビールも、食が進む源だったか。

食事を囲みながら、それぞれの活動報告、そして新たに参加したSさんの自己紹介など。
翌朝は、今朝に続き、激甚被災地の視察を敢行することに。
市内南部、石巻湾を一望できる日和山(ひよりやま)へと向かうことにする。

食事も終わり、片付けをしているところに、市内在住の患者の病院への搬送依頼が飛び込む。

車両があり、動けそうなメンバーのいるところを見定めてアタックしてきた感じだった。
服部さんがこの依頼を快く受け、車とともに夜を突いて出掛けることに。

他のメンバーは片付け、珈琲を啜りながら服部さんの帰着を待つ。
帰着後、簡単に報告を受け、就寝態勢。

200ccペットボトルにそれぞれお湯を入れ、湯たんぽ代わりそれぞれシュラフ内に持ち込み、就寝態勢。
その後も余震あり、またあまりの寒さのせいもあったが、なかなか寝付けない夜だった。

《関連すると思われる記事》

                   
    

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.