工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

シンディ・ローパー 武道館ライブ

Cyndi Lauper Girls Just Wanna Have FAREWELL TOUR 於:日本武道館

80年代半ばからポップ・ロックシーンに強烈な足跡を残し、そして40数年を経て今、ステージに立つ姿は衰えを見せることは無く、あの4オクターブの声域とパワフルなパフォーマンスは健在で、6年ぶりのLIVEを待ち望んでいたファンにその輝きからの驚きと安堵とエキセントリックな叫喚の渦を巻き起こすに十分な迫力でした。

バンドメンバーはリードギター、ベースギター、キーボード(女性)、ドラムス、パーカッション(女性)の5人編成に、バックコーラスが2人という、思いの外、小編成。

ステージ登場を今や遅しと待ち望む大歓声の中、ステージバックからの照明にシンディのシルエットが浮かび上がり、同時にステージ側から観客席に向かってレインボーカラーの紙吹雪が放たれ、最初の演奏が始まります。

リズムを刻むベース音から始まる曲は〈She Bop〉
ファンであれば誰もが知る性的な隠喩を含む女の子のちょっと生意気な歌詞を持つ曲ですが、1st.アルバム〈She’s So Unusual〉からシングルカットされ、超有名な〈Girls Just Want to Have Fun〉〈Time After Time〉とともに、ビルボード3週連続でTop5に入るという人気曲でもあり、これを最初に持って来たシンディの挑発にほくそ笑んだファンも多いのでは…。
そして休む間もなく2曲目、〈The Goonies ‘R’ Good Enough〉へと続く。

今回のセットはアンコールを含め16曲ですが、全体を通してシンディのこれまでのキャリアの総決算のように、各時代の名曲が散りばめられていましたが、バックのLEDパネルには、それぞれの時代背景から彼女自身の人生や社会事象などが優れた編集により投影され、こうしたビジュアル効果が歌を盛り上げる演出で素晴らしかったです。

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終盤に入り、観客に唱和とスマホのLEDライト点灯を求め、左右にゆっくりと揺れるキャンドル効果を背景に、静かに…、力強く…〈Time After Time〉のバラードが観客席の唱和とともに流れていくのでした。

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タピオ・ヴィルカラ 展 (すべての素材には不文律がある)

タピオ・ヴィルカラ展、図録より
タピオ・ヴィルカラ展、図録の見返しより
展覧会ポスター(公式サイトより拝借)

日々、鉋屑にまみれ、木工家具を基軸としたモノ作りに勤しむ私でも、柄にも無く、時にはふと立ち止まり鉋掛けの手を休め、自戒の時を送ることもあります。
木材工芸のスピリッツ(≒ Fine Woodworking)を失ってしまうようであれば、木工する意味を見出せなくなってしまうのでは無いのか、などと…😓

先月は豊田市美術館での大規模な『生誕120年 人間国宝 黒田辰秋 木と漆と螺鈿の旅』を拝観し、木工を志す初発の意志の再確認となったのでしたが…、

木を削り、繋ぎ、組み…、何らかの形にすれば、ただそれだけで一定の小っちゃな充足感を得ることもできてしまうという、モノ作りという生業に避けがたいある種の(勘違いな)魔力に囚われてしまいかねない日々への自戒を迫るものでもあったのです。

またこれまでも幾度か書き記してきたことですが、
工芸とは、と問われた時…、生を受けて以降、野山で遊び惚けた子供時代、手や身体に体得されてきた感性、あるいは学業や読書、そして音楽やアートに触れる中から育まれた教養などから創出される作り手の美意識というものを、自然界の素材を借り、体現させるものという自分なりの定義付けがあります。

もちろん、その手法、方法論、用いる道具などは当然にもその素材によって異なってきますし、完成度の高さを求めるのであれば、その分野の専門的な教育訓練や日々の熟練が要求されます。

したがって、こうした工芸に携わる者にとり、素材横断的にこれを為すというのは決して容易では無いばかりか、火傷をしてしまう怖れさえあり、安易にすべきことでは無いという思いは強いものがあります。

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講壇、CROSS(十字架)

十字架を作るのは初めて。

「神は死んだ」としたニーチェに依るまでもなく、近代という時代精神は神による世界支配を超克するものでしたが、戦後80年の現在、その近代的精神そのものにさえ疑いの眼を向けられ、ついにはファシストの使いであるかのようなトランピズムの横行で世界は混沌の渦の中で喘ぐ状態に…。

しかし如何に時代が変遷しようと、人々が救いを求め、寄る辺を求め、世俗を超絶した何者かに帰依しようと考えるのは、ある種、人間の普遍的な姿の1つであることに疑いは無いでしょう。
混迷する時代に翻弄される現代人にしてみれば、なおのことなのかも知れません。

私のような近代主義で凝り固まった寄る辺なき無神論者の孤独の魂は、はてどこへ・・・。

戯れ言はともかく、十字架のお話です。

相欠きが一般的な十字架

Google 画像検索「十字架 木製」

一般には、ただ縦、横の部材を直交させるため、〈相欠き〉にて構成するものが多いようです

(右は「十字架 木製」で画像検索した結果です)。

ただ私が作るのであれば、それじゃつまらないだろうと、縦横、それぞれの断面を〈兜巾〉に面取りし、この状態で交叉させようと考えたのです。

面取りによる立体感が生まれ、ここに光があたれば陰影を生じ、豊かな造形美が生まれますからね。

ただ、この〈兜巾面〉での直交ですが、〈兜巾組〉と呼ばれ、建具や在来構法の建築などで使われることもありますが、その仕口加工は簡単ではありません。
なぜなら、幅の1/2づつを面取りするのが兜巾であり、その結果、面腰による〈十字相欠き〉のような平面は残りません。
平面が残らないということは、相欠きという構造にはなりませんが、兜巾組はこのあり得ない組手を可能ならしむる裏技があるというわけです。

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キリスト教 Y教会、礼拝堂の講壇

講壇

横浜の郊外に佇む美しい教会に納めた〈講壇〉。
まずはこのような高貴な仕事の機会を与えてくださったYキリスト教教会には深い感謝を!

以前、これより少し大振りの講壇を京都の教会に納入しましたが、その時に用いた材種と同じマホガニー材によるものです。
嘘偽りの無い、真正マホガニー材。

本格的にマホガニーを使うのは久々でしたが、あらためてこの樹種の素晴らしさを再確認されつつの制作工程でした。

細部加工において破綻しがちな木材加工ですが、材の物理的安定性が高く、靱性、剛性も高いマホガニーですので、そのような懸念からは自由で、また南洋材などに観られる、切削工程で弾き出されるオガ粉による刺激的な臭気も無く、快適な加工工程であったことは言うまでもありません。

ただ今回はともかく予算が大変厳しく、材料代に機械設備運用経費を載っけただけのような契約でしたが、一切の手抜きもせず、精一杯作らせていただきました。
何せ、教会における調度品の中にあっても最重要なものの1つの〈講壇〉でしょうから、最善を尽くすのは当然ではあるでしょう。

教会への納品、設置

教会の講堂は100名を超える信者が集えるほどの広さがあり、この舞台にしっかりと鎮座させてもらいました。

制作依頼していただいた牧師らからもその出来具合には過分なお褒めの言葉を頂き、苦労も報われたといったところ。

教会 講壇
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アリの枘(ホゾ)について(Chips)

アリホゾ

欧米の木工クラフト家具には、ダブテールによるホゾ接合を見掛けることは比較的多いようです。

私も含め、日本の木工では、多用されることは無いと思われます。

その理由を考えますと、加工合理性の判断がまずあるでしょう。
ホゾ加工は比較的容易で、接合度も、嵌め合わせが杜撰でなければ、強度を出せます。

他方、アリの場合、メス側はホゾ加工と異なり、丸ノコ傾斜板での加工はできず、ルーター盤、ハンドルーターなどに依りますので、こちらは容易ではありません。

また、アリの嵌め合いでは、相当程度の高い精度が要求されます。
この精度が必要なレベルに無いと正しく組むことはできません。

嵌め合わせがキツ過ぎれば、オス・メスを組む工程で破断を招くでしょうし、
緩すぎれば、接合度は大きく劣り、胴付きも隙間が空いてしまうことになります。

こうして、ホゾの設計においては、2つの特性を良く理解し、それぞれ個別具体的な対象にもっともふさわしい技法を選択する事になります。

鉋イラスト

さて、今回紹介する事例ですが、これは間口4尺のキャビネットのベース部分になります。

高さ、わずか5寸ほどの脚に、1.5寸幅の幕板(前後はなだらかな円弧状)を四方に廻し、構造体とするものです、

この脚部と幕板んお接合のホゾを今回はアリとしました。

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CLARO Coffee Table

CLARO Coffee Table

小卓です。
コーヒーテーブルとしましたが、2人〜3人掛け、といったところでしょうか。

これは甲板のサイズから規定されるものですし、しかも耳付き(皮部がそのまま残っている)でもあることから、同じものを作ることはできない、唯一性のものになります。

なぜこんなものを作ったかと言えば、他でも無くクラロウォールナットの端材活用法としての創出です。

甲板(Claro Walnut)

クラロウォールナット

端材とは言っても、ご覧の通り、とても魅力的な杢を持ち、クラロウォールナットの特徴を見事に体現したものです。
バール杢瘤杢チジミ杢を醸しつつ、ここにチョコレートブラウンから濃緑、紫、青、黄色とバリエーションに富み発色しています。

また耳付きの耳部分は、ゴツゴツ、トゲトゲ、ウネウネ・・・、これらの杢が原木丸太の表皮にどのように表れるかを見せてくれ、木材を愛好する人にはたまらない魅力があるでしょう。

上下数カ所に、クラックが残っているため、これをアレー型のチキリで抑えています(チキリの材種はローズウッド)。

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無念と感謝がない交ぜになった2024年も終わる

9.11 WTC

2024年も間もなく幕を閉じようとしている。
新聞・TVなどは、来る2025年を「戦後80年」「昭和100年」などと、その結節点の到来に喧しいけれど、それを言うならば、個人的には四半世紀前を想起してしまう。
2001年、9.11米国WTCへの連続テロのことだ。

2001.09.11 WTC

当時、私などは新世紀を迎え、民主主義への新たな時代相を期待を持って待ち望んだ口だが、そんな無根拠で軽薄な考えなど、一瞬で吹き飛ばされるほどの凄まじいばかりの衝撃を受けたものだった。


まぁ、いかに自分自身がオポチュニズムに過ぎたのか、という証しでしかないわけなのだが…、

9.11WTCテロはアラブ世界からの戦後支配秩序への猛烈な異議申し立て、という見立ては、たぶん大きくは間違っていないと思う。

国際的に違法であった2003年からのイラクへの軍事侵攻も、失墜したアメリカの権威を糊塗するかのような焦りに駆られた無法な暴力でしかなかったことはその結果からも明らかだし(大量破壊兵器の存在ゆえのイラク侵攻であったが、それらの現認はされることなく、膨大な犠牲と、取り消しのつかない秩序破壊だけが遺された。日本の自衛隊侵攻もまた、一切の総括が為されぬママだ)、

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『そっと 静かに』(韓江 著)のプレイリストから

2024年ノーベル文学賞・韓江(Han Kang、ハン・ガン)さん、ストックホルム、コンサートホールでの 授賞式、日本時間、12月10日深夜に及ぶ Live中継でしたが視聴した方もおられたかもしれない。(こちらから)

また同日夜の記念晩餐会での短いスピーチでは、
「文学を読んだり書いたりする仕事は、生命を破壊するすべての行為に反対するものです。
文学のためのこの賞の意味を、暴力に反対する皆さんと共有したいと思います。
ありがとうございます。」と締め括っていたが、
スペシャルディナーへのフォークの手を休め、神妙に聴き入っていた晩餐会 列席者の姿が印象的だった。

後段、引用

・・・

Ever since I was a child, I have wanted to know. The reason we are born. The reason suffering and love exist. These questions have been asked by literature for thousands of years, and continue to be asked today. What is the meaning of our brief stay in this world? How difficult is it for us to remain human, come what may? In the darkest night, there is language that asks what we are made of, that insists on imagining into the first person perspectives of the people and living beings that inhabit this planet; language that connects us to one another. Literature that deals in this language inevitably holds a kind of body heat. Just as inevitably, the work of reading and writing literature stands in opposition to all acts that destroy life. I would like to share the meaning of this award, which is for literature, with you – standing here in opposition to violence together. Thank you.


韓国「非常戒厳」と重なった、ノーベルウィーク

韓江氏の記念講演を含めた複数の席上でのスピーチは、ノーベルウィークを迎えようとしていたその矢先の12月3日夜、尹錫悦大統領による「非常戒厳」が発せられ、動乱の中にあるソウルの混乱をまさに時代背景とした中での発言として意識せざるを得ないものだったはず。
ただこれも、この度のノーベル文学賞の受賞理由でもある、彼女の小説世界におけるテーマとかけ離れたものではなく、それどころか、この結語の段落は、彼女の小説世界を貫くテーマそのものであることに気づくのは決して難しいことではない。

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BOSCH 電動工具 10.8V シリーズ(その2)

BOSCH 10.8Vシリーズ
BOSCH 10.8Vシリーズ

BOSCH10.8V バッテリー駆動の電動工具のラインナップは上図のようです。

ご覧になってお判りのように、特徴的なのは、図中〈1、ネジ締め・穴あけ、〉などは他のメーカーにおいても、一般的に普及しているジャンルといえます。
マキタの10.8Vバッテリーも、BOSCHのものと互換性は無いものの、近似したサイズと形状で、BOSCHの小型インパクトドライバー同様の商品があります。

一方、〈2、研削・研磨〉〈3、切断・切削〉の分野は、BOSCHならではの展開で、ここに大きな特徴が観られます。

もちろん、電圧を14.4V、18Vへと昇圧させれば、他メーカーもこれらのジャンルの機種も充実させてくるのですが、
10.8Vの分野に限っては、BOSCHの充実ぶりは群を抜いていることがお分かりかと思います。

makita 10.8Vシリーズ

しかも 10.8Vとはいえ、グリーンボデーのDIY用では無く、プロフェショナル仕様のブルーボデーであるところ8にもその位置づけの確かさを感じ取ることができます。

この違いは何なのかなと考えるわけですが…、
1つには現場作業における作業員の負荷を軽減させるため、電動工具の機能性、作業能率を重視しつつも、人間工学的視点から極力軽快で作業しやすいマシンを開発していこうとの理念を感じ取ることができます。

前回の投稿にコメントを頂いた佐々木氏の指摘もここにありましたね。

あるいはBOCH以外のメーカーの開発理念としては、10.8Vの分野は重きを置かず、端から開発への意思は希薄との位置づけと言えるのかも知れません。

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ハンガン(韓江、Han Kang)さんへのノーベル文学賞が意味するもの

10日、ノーベル賞授賞式が執り行われる ストックホルム・コンサートホール

アルフレッド·ノーベルの命日である12月10日、ストックホルム・コンサートホールでノーベル文学賞の授賞式が執り行われる。
アジアの女性として初のノーベル文学賞の栄誉を授かるのが ハンガン(韓江、Han Kang)さん。

既に数日前からストックホルム入りされていたとみえ、日本時間、6日の夜、スウェーデンアカデミー(ノーベル文学賞の選考を兼ねる国立の学士院)においてメディア向けのカンファレンスが行われ、これが世界にLive中継されており、私も少しYouTubeでLive視聴した。

日本国内の一部のメディアでもストレートニュースとしてこれが報じられたのは、他でも無く直前の3日の夜半に尹錫悦大統領が「非常戒厳」を宣布し、その6時間後には慌ただしくもこれが解除されるという、風雲急を告げる状況となり、ソウルで日々執筆を行っている彼女の発言に注目がいくのも当然というわけだ。

ストックホルムに向かう前、ソウルの自邸で小説執筆の手を休め、ノーベル文学賞受賞スピーチ原稿を書き、推敲を重ね、授賞スピーチへと準備万端でいたものと思う。

しかしこの原稿は、自国が動乱のただ中にあるところから修正を余儀なくされ、ストックホルムのホテルの小部屋では授賞式を前にした高揚感は失せ、遠くソウル国会前の刻々と変わる+緊迫した動静を気に掛けながら、冷や汗搔き搔きの執筆だったに違いない。

元の受賞スピーチ原稿では近代韓国の文学の営為から、ご自身の文学への関わり、小説のテーマであったり、スウェーデンアカデミーが受賞理由とした、詩的な作風への思いなどとともに、
4.3済州島事件、光州民主化運動とそれへの弾圧など、圧倒的な暴政の下で、蔑ろにされる人の命への尊厳と悼み、悲しみ、そしてその下で生きていく韓国の人々の強さなどを、現在進行するウクライナへのロシアの軍事侵攻、さらにはイスラエルによるガザへのジェノサイドへの苦悩という現実に照らし合わせ、思考を深めるといった言及もあったのではと勝手に想像してしまうのだが、これは間違っている所為だろうか。

朝日新聞12月6日 デジタル版より(記事はこちら
『そっと 静かに』から

これは今に生きる文学者として避けては通れない命題であるからという一般的な了解もあるだろうし、さらにはそこを越え、彼女自身、エルサレムに住むパレスチナの詩人、作家であるマフムード・シュカイルと親しく交流していたようで(『そっと 静かに』の中で一章設けられ、語られている事柄だ)、

生存さえ危うい過酷な状況下に置かれた、年上の友の事を考えれば、世界有数の軍事力を誇るイスラエルによる暴政とその下で生きる か弱き人の命のもろさというものを大きなテーマとして描いてきた文学者として、まさに差し迫った問題として言及するであろうと、ある種の確信めいたものさえあったからね。

事実、スウェーデンアカデミーが2024年のノーベル文学賞をHan Kang氏に授与すると発表された際、彼女は周囲の求めに応ずること無く、受賞会見を拒むという態度を取っている。

その理由が世界の状況(ウクライナ、ガザの過酷な現状)から、「今すぐスポットライトを浴びたくはないです、私は静かにしていたい。世界に多くの苦痛があり、私たちはもう少し静かにしていなければなりません」と応答したと伝えられている。

ここに韓江氏の文学する根幹の一端が垣間見られるように感じたものだ。
暴政に打ちひしげられる人々に強く共振し、これを自身の人間的な感性として受け止め、学び、鍛え、そして創作への源へと昇華させていこうとする態度。

しかも、何とあろうことか、彼女の大作『少年が来る』では、1980年の光州事件をテーマに描いており、3日夜半の尹大統領の「非常戒厳」は、まさにこの光州事件を彷彿とさせる軍政による民主主義の圧殺であって、このあまりのリンクに韓江さんは身震いしたに違いなく、いつ止むとも知らないガザの惨憺たる状況への懸念とともに、自国の現在進行形の危機的状況に頭を抱え込み、スピーチ原稿への手直しも容易では無かったのでは。

このノーベル文学賞受賞理由として、スウェーデンアカデミーは
「作品のなかで、過去のトラウマや、目には見えない一連の縛りと向き合い、人間の命のもろさを浮き彫りにした。
彼女は肉体と精神のつながり、生ける者と死者のつながりに対して独特の意識を持っており、詩的かつ実験的な文体で、現代の散文における革新者となった」
と讃えている。

昨夜12月6日、授賞式を前にしたスウェーデンアカデミーでの記者会見において、彼女はこの自国の動乱に驚天動地の思いに追いやられ、穏やかならざる精神状態に陥っただろうことも想像に難くない中、スウェーデンの伝統的な美しい椅子に、シンプルで清楚な黒づくめの出で立ちで腰掛け、尊敬の眼差しと意地悪な顔を持つ各国記者を前に、いつものように静かに言葉を紡ぎ、しっかりと受け答えしている印象だった。

そうは言っても胸中の穏やかならざる不安と苦悩を押し隠しているのだろうなとの緊張感も感じ取れ、いつもの笑顔は少なく、1時間余りで会場を足早に立ち去っている。

(下の画像は記者会見で見せてくれた照れ笑いというのか、柔らかな笑顔があったので、スクショ。
彼女のインタビュー映像を観る限り、世界的に評価されている大作家でありながら、語り口はとても静か。威圧する雰囲気はまったくなく、屈託無く笑うところからも好印象を与えてくれる)

12月6日 スウェーデンアカデミーでの記者会見より(YouTubeスクショ)

今深夜 行われるというノーベル賞博物館での講演が楽しみ。
YouTubeで Live配信が行われます。(こちらから)
日本時間、8日 0時からです
(次は、読み進めている韓江氏の著書についても触れていければと思う)