工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

イスラエルの狂気を なぜ世界は止められない

「イエス・キリスト生誕の地、ベツレヘムでクリスマス行事中止」(朝日新聞)

今日はクリスマスイブの12月24日。
新約聖書ではキリスト生誕の日とされ、現在のヨルダン川西岸、パレスチナ自治区に位置するベツレヘムで生誕したとの記述がある。
例年、ベツレヘム聖誕教会には多くの信者が集い、クリスマスミサを執り行い、祝うのがならわしだが、今年、ベツレヘム当局は「殉教者に敬意を示し、ガザの人々に連帯を示す」として、クリスマスの関連行事をすべて中止した。
また、教会内に崩落するガザに見立てたガレキを設え、ここにイエス・キリスト生誕をなぞらえている。

凄惨な状況のガザ、これこそジェノサイド

そのガザではどうだろうか。
Xmasを祝うどころか、侵略軍イスラエルによるガザ攻撃から10週が経過し、丸腰のガザ市民、2万人が虐殺され、今も数千人が空爆により倒壊したガレキに埋もれた状態に捨て置かれたママだと言われる。

生き延びた人とて、水も、電気も、ガスも、医薬品も、食糧品も絶たれ、レトリックでは無く、字義通りの飢餓状態にあり、明日に命を繫げられるかの確信など何も無い状況。

外部世界に開ける唯一のラファ検問所を通し、生命維持に必要な物資がかろうじて運び込まれているようだが、搬入されるそのトラックの荷台に殺到するガザの若者の混乱ぶりからは、絶望を越えた人間の素の姿を晒すようでいたたまれず眼を背けてしまう。

Xmasを境とし、イスラエルからの空爆も、侵攻していたイスラエルの戦車などからの砲撃による犠牲もますます増加の一途のようで、こうした殺戮に加え、銃砲が突きつけられた状況での南部への強制移動により、210万人と言われるガザ市民の8割を超える人々が難民化すると言う暴虐は、80年前のナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)により定義づけられた、ジェノサイド(民族的集団の一部、あるいは全部を破壊する意図を持って行われる他の集団による殺戮)と言わずして、何と形容すべきなのか知らない。
その攻撃者はホロコーストの犠牲者であったはずのシオニストが統治するイスラエルだ。


80年前のナチス・ヒトラーから受けた残虐を、踵を返し、同じ事をやっている。

いや、イスラエルのユダヤ人だけではなく、欧米諸国と、これに追随する国々も民主主義国家としての成り立ちをポイッとゴミ箱に投げ捨て、イスラエルを支持し、つまりはシオニズムへの疑念を覆い隠し、偽りの正当性を奉じるという始末。

【シオニズム】
イスラエルを統治するのはユダヤ人だが、ユダヤ人全般がパレスチナの地に居住していたアラブ系パレスチナ人を追い出し、暴力的にイスラエルを建国し、今に至るイスラエルを治めてきたわけではない。
パレスチナのシオン(ユダヤ教の聖地)に帰ろう、として世界中に離散していたユダヤ系の人々を集約し、建国に邁進した〈シオニズム〉というイデオロギーに応えた人々とその子孫がイスラエル統治の根幹を占めてきた。
ユダヤ人の中にはこのシオニズムに同じる人ばかりでは無いのは言うまでも無い。

これに批判的な視点を持つユダヤ人もアメリカを始め世界には多くいるというのが実態
ガザの悪辣な暴力から「反ユダヤ」のイデロギー的な非難と、暴力も発生していることからも、ユダヤ一般を批判するという陥穽に陥ること無く、ここはあくでもシオニストが治めるネタニヤフ政府を批判するという峻別はとても重要で、パレスチナ問題を語る場合に基本的な認識で無ければいけない。

〈三枚舌外交について〉 第一次世界大戦の最中、英国は戦争資金調達のため富裕なユダヤ人社会に協力を仰ぎ、 「パレスチナにユダヤ国家建設を支持する」と表明した書簡を送った(バルフォア宣言)。

一方、オスマン帝国からの独立をめざすアラブ民族主義をも利用し、預言者ムハンマドの血統を継ぐハーシム家・フセインに対し英国への協力の代わりに「アラブの独立支持を約束する」という書簡も送った(フセイン・マクマホン協定)。

さらに同盟国であるフランスと戦後のオスマン・トルコ帝国領の分割を約束する秘密協定を結んだ(サイクス・ピコ協定)

こうして 英国はアラブとユダヤ双方に対し相反する約束をしたことが、二つの民族主義の衝突の芽となっていく。

ネタニヤフの友、バイデンの責任は重大

その代表格はアメリカのバイデンといって良いだろう。
彼はユダヤ系では無いのだが、「私こそシオニスト!」、と公言するほどで、ネタニヤフとは友邦を結ぶ関係。
そうしたところから、グテーレス国連事務総長が幾度も幾度も、ガザ侵攻を諫めるメッセージを発し、法的拘束力を待つ安保理に停戦決議を掛けてもなお、これをあざ笑うかのように「拒否権発動」で消し去ってきている。
バイデン大統領の思考の背景には、来年秋に迫る大統領選でのユダヤ票(米国政治における最大のロビースト団体と言われる)を期待するものがあるとの説明が為されるが、2万人の犠牲者のうち、幼児、未成年が8千人を占めると言われる状況の中、日々インターネット上を駆け巡る悲惨な状況をバイデンは正視できているのだろうか。

バイデンがネタニヤフに一言、「もういい加減にしろ、このままではオマエの国も、アメリカも、世界からの信頼を無くしていくだけだぞ!」と諭し、軍事援助を即刻止めれば、もはや継戦はできない。
米国がかつてのような世界支配力を失いつつあるとは言え、イスラエルとの関係においては絶対的な紐帯で結ばれており、バイデンの意志はこのガザ戦争の行方を強く規定づけるものがある。

世界から澎湃として起ち上がるパレスチナ連帯の声

開戦以来、ガザ停戦、イスラエル非難の抗議活動は世界的規模でうねりのように拡がりつつある。
開戦直後は確かにハマースによる越境攻撃の残虐さから、イスラエルの自衛権を語り、どっちもどっち的な議論も多かったようだが、その後のイスラエルの猛攻、赤子の手を捻るが如くの近代兵器による空爆、北部からの軍事侵攻の苛烈さ、残忍さに人々は覚醒し、イスラエルとパレスチナの圧倒的な非対称の現実を突きつけられ、パレスチナ問題を歴史的文脈から読み解き、イスラエルを倫理的、人道的、政治的な反動性、あるいは国際的に犯罪とされている集団懲罰的な戦争行為として、強く非難するようになってきている。

世界が起ち上がった、パレスチナ連帯デモ(英国 The Guardian)

中東地域に留まらず、ロンドンから、ニューヨークから、ワシントンから、北欧から、アジアから、巨万の人々が街頭に繰り出し、Free Gaza! 、即刻停戦を!とイスラエルの暴虐を非難し、パレスチナへの連帯と停戦を呼び掛けている。

ガザの苛烈な状況はとても正視に耐えるものではなく、自身の存立自体を問いかけるものとして、抗議活動に押したて、街頭を埋め尽くしているようだ。

日本は

先月、上川陽子外相はテルアビブでイスラエルのコーヘン外相と会談。
ハマスによるイスラエル攻撃について「残虐な殺りく、誘拐などを含むテロ攻撃を断固として非難する」と語ったという(日経

10月7日のハマースによるイスラエルへの越境攻撃だけを切り取った文脈のみでこの事態を捉えるという、ハーバードでいったい何を学んできたのかと呆れるばかりの一面的な政治的メッセージ。

今年、日本はG7議長でありながら、ガザでの戦争に何ら有効なメッセージも出せず、バイデンの後ろを付いていくだけという、情けない態度は歯がゆくて仕方が無い。
まるで戦前の中国大陸・満州での植民地支配を懐かしむような視線でこのガザを見遣るとすれば、実に犯罪的と言わねばならないのでは。

日本もかつて朝鮮、台湾、中国への軍事占領と植民地支配を行ってきた過去があり、戦後はこれを反省し、民主主義国家建設に邁進してきたというのが公的な理解とすれば、イスラエル高官と握手し、ガザへの空爆を「仕方無いね」と支持するというのは、実は戦前の帝国日本の世界観と何も変わらないわけで、戦後の民主主義への転換など、いかに噓っぱちなものかと思えてならない。

このガザの状況は、地球の反対側の遥か遠くで起きた特異な事案とは全く思えない。
言うなれば、戦後世界の構造的問題における最悪の断章があからさまに露呈し、それまで封印されてきたものが、実におぞましい姿として噴出したものと受けとめたいと考えている。

前述した通り、戦後世界はナチスとの戦い、日本の八紘一宇による朝鮮、中国、東南アジアへの軍事侵略、植民地主義との戦いにおいて、自由と民主主義を奉ずる連合国が勝利し、国連を打ちたて、新たな国際秩序を構築してきたというのが公式な理解かもしれない。

しかし、中東の地では一貫してイスラエルによるパレスチナの地からのパレスチナ人の追い立て、排除、虐殺が続き、これへの反抗として石を投げるしかないインティファーダという抵抗運動があり、家族を惨殺されたりといった苛烈な暴力に、未来というものをイスラエルにより奪われた青年が身体に爆弾を巻き、絶望的な自爆攻撃を敢行するという悲しきテロリズム。

これを一面的にテロリズムとして非難するだけでは、何らの理解にも繫がらない。
せめて20世紀以降の「シオニズム」と、戦後、イスラエルの建国における暴力的なパレスチナ排除の歴史という文脈への視座を打ちたてねば、何も視えてはこないだろう。
近代兵器を整えたイスラエルと、ヘロヘロ、ロケット弾と石つぶてしか無いパレスチナ。
この圧倒的な非対称の暴力装置の差異による相互の関係こそ、現在進行するガザの実態だ。

ハマースとは

またバイデンなどは、スラエル軍のあまり残虐性と、世界からの非難にはさずがに怖じ気づき、目を覚ましたのか、イスラエルの軍事行動につきハマースとパレスチナ市民を峻別して行うべきと語るようになってきたが、それはたぶん無理。
ハマースは2006年、パレスチナの自治政府での選挙により過半数の議席を取っている。
ハマースは元々は1987年に設立されたもので社会福祉活動などから起ち上がってきた自治的な組織。
必ずしも軍事的な組織というより、パレスチナの自治政府の腐敗がすさまじく、これに変わる自治的な運動体としてパレスチナ市民から信頼を勝ち得てきていた。

数日前の報道では、開戦後もパレスチナの人々のハマス支持は減るどころか、ますます支持が高まっているという。(CNN:パレスチナ人の大多数、イスラエルに戦争仕掛けたハマスを支持 政治的解決は見えず

▼ハマスがイスラエルに仕掛けた攻撃
正しい:72%
間違い:22%

▼ハマースの武力闘争
支持:(ガザ地区):56%、(ヨルダン川西岸):68%

▼ファタハの支持率:3ヶ月前の26%から17%に急落

つまり、(過激派)のハマースを壊滅しさえすれば、秩序は回復するとかいったものでは全く無く、
パレスチナの人々の生きる術として、ハマースによる行政、医療、食糧配布、世界からの支援の差配などがパレスチナ社会に根強く、広汎に張りめぐされている事を考えれば、ネタニヤフの戦略は画餅でしかない。

例え今日の時点でハマースと思しき人々を壊滅できたとしても、歴史的に根深く残っているイスラエルによるジェノサイドへの怨念は決して消え去ること無く、次なる「第二のハマース」が組織され、パレスチナの人々を鼓舞し、巨像のイスラエルへと立ち向かっていくことは火を見るより明らか。
もしハマースを根絶やしにするという戦略を字義通りにを実行するということであれば、文字どおり、パレスチナ市民を全て焼き尽くし、殺し尽くさねばならないということになる。
そんなことは現実的にあり得ないだろう。

今回の戦闘により、イスラエル政府の一部にはは、パレスチナ人を全て排除し、ヨルダン川西岸から、地中海まで全ての地をイスラエル統治支配におくとの情報もある。
その構想の1つに、パレスチナ市民には草一本生えない砂漠、シナイ半島へ追いやるという構想だそうだ。これこそ、民族浄化、ジェノサイドそのものだろう。

第二、第三の ナクバ

数千年にわたり、このパレスチナの地にオリーブを育て、暮らしてきたパレスチナの人々だが、1948年、イスラエルの建国で70万人という人々が故郷から暴力的に排除され、難民と化し、ガザなどへと追いやられてきた(ナクバ、と呼ばれる)。
今回のガザ戦争における北部から南部への強制移動は、いわば第二のナクバであるだろうし、さらにこれがシナイ半島への強制移動ともなれば、いったいどう呼べば良いのか。

このガザの戦争は戦後世界の構造における隠されてきた歪さが、数万人の犠牲者という何ものにも代えがたい代償を払いながら、世界市民の喉元に突きつけられた刃なのかと思う。
ガザの人々へのジェノサイドの絶望的な苦難。怒りと悲しみというものは、これまで観て見ぬフリしてきた世界そのものの汚濁を私たちの眼前に展覧し、どのようにこれを観、どのように考え、そして、どのような立場に立つのか、一人ひとりに問いかけるものであるように思えてならない。

ガザの戦争はXmas休戦も無く、ますます激しく、ますます苛烈なままに2023年を越えていくだろう。

ウクライナ戦争と世界

他方でのウクライナ戦争は3度目の冬を迎え、東部戦線、南部戦線ともに、ますます混沌としてきている。
本年6月からのウクライナの反転攻勢は残念ながら奏功しているとは言い難い状況のようだ。
プーチンの勝ち誇ったような笑みをたたえた相貌には辟易とするが、これが世界の実態でもある。

私はウクライナの戦争を民族自決の立場から注視してきた。
ドイツ、アメリカの最新鋭のタンクの投入などから、反転攻勢への期待があった事も確か。
しかし、実態は甘くない。

加え、戦時内閣の腐敗が伝えられたり、アメリカを主体とする支援国の支援疲れはある種、必然的な潮流でもあり、錯綜する情報の中からは、様々な停戦へのPlanが語られつつある状況に加え、2024年は米国大統領選も控えており(トランプがホワイトハウスの主として戻って来るというのが大方の見立てだそうだ)、こうしたいくつかの変数から、ここ1年ほどで大きな転換期を迎えるのかもしれない。

世界秩序はますます混沌とし、多極化どころか、専制主義の跋扈の傾向は否定しがたいものがある。
ホロコーストの悲惨な歴史を負うイスラエルが、何と、パレスチナに同様の事を再現して恥じないガザ戦争。

中国は毛沢東の類い希なる対日戦争の指導力から植民地支配を脱し、今や米国と対峙する唯一の強国へと変貌を遂げつつある。

そして、台湾からアジア東南海地域への傍若無人の振る舞いの増長には目に余るものがある。

植民地支配を受けた民族、国家。ホロコーストの悲惨にまみれた国家が、まるで仕返しをするかの如くの振る舞いで世界は大きく揺らいでいる。
世界はいったいどこに向かうのか。

人類という愛すべき地球におけるかけがえの無い存在は、果たして生き存えるのであろうか。
あるいは生き残る価値のある存在であるのだろうかという問いは、余りにも不遜なものと思えるものの、しかし、このガザとウクライナの戦争を眼前にした時、世界のあまりの無力さに、人という存在のおぞましさに、ただただ茫然と立ち竦むしかないのも事実なのだ。

いやいや、そんな悠長な話しでは無い。
今、ただちに、ガザでの戦争を終わらねせばならない。

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