工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

2nd Home town〈松本〉

ボクの木工修行のスタートは、信州松本。
それ以前にも少しだけかじったことはあったが、実質的な修練の場は松本だった。
ただボクの場合、恥ずかしながら青年と形容するにはほど遠く、残された人生が見えてきた30代半ばからの転職であったため、わずかに数年の居留であったのは今にして思えば残念なこと。

しかし、タイトルの“2nd Home town”という形容は決して間違いでは無い。
経過した時間の蓄積量だけではなく、その密度、およびその後の人生を規定づけるものを育んだとするならば、その地は誰憚ること無く、“2nd Home town”と言ってしまおう。

小寒の週末、久々にこの地を訪れ、いくつかの懐かしいところを訪問。
友との邂逅を果たし、語り、そして呑み明かす。
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正月の酒は蕎麦屋から

2012年、新年は皆さんはどのようにお過ごしだったでしょう。

私の場合、元旦は自宅でゆるりと‥‥、
コンビニまで腹ごなしを兼ね、徒歩で往復。
30年間、欠かさず行ってきた慣例の1つが新聞各紙の購入。

ざっくりとチェック。
(別刷りも多いので、ザックリとは言っても半日ほど掛かる)
いくつか取り上げておきたい記事もあったが、ここでは止めよう。

2日は年始回りに数件を訪ね、最後の訪問先の友人宅では久々にゆったりと語らう。
ここ数年、体調が芳しく無かった男だが、久々に息子も帰省していたためか顔色も良く、ほがらかに、饒舌に語ってくれた。

3日は、ぼちぼち始動の真似事でもしようと思ったが、
挫折し、結局、酒を呑みに、近くの蕎麦屋に出掛けてしまった。
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2012年、新年を迎えるにあたり


2012年が明けました。
旧年中は本Blogへの深く長いお付き合い、本当にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆さま方からは、心温まる賀状を頂戴しています。
当方ではいくつかの事情で欠礼いたしましたが、皆さまのご健勝と、佳い年でありますことを心より祈念しておるところです。

Topバナー「希望への2012年」としましたが、テキスト部分、不透明度4割ほどに抑えました。
これが少しでも鮮明になっていくように、非力な己を叱咤しつつ努力していく覚悟です。
また引き続きこのBlogへのご愛顧をお願いいたします。

* 週末に掛け、いくつかのProjectに関わる小旅行があり、工房の本格的な始動は10日からです。

年の瀬に その2


2011年も数時間で終わりを告げ、間もなく新年がスタートする。

思い起こせば様々な事柄が走馬燈のように蘇る。
今年はいろんなことがあった。
いろんな人と出会い、語り、共に働き、共に活動し、ともに笑った。

木工活動においても、新たな木工家との出会いと協働作業もあったし、小海町高原美術館を舞台にした活動も楽しいものだったし、新たな顧客との出会いも創造性を刺激させるものだった。

そしてそれまでにない領域での活動も特徴的なことだった。
3.11から旬日後、騒然たる雰囲気と思考停止の闇をぶち破り、払暁を探すために、他の二人の仲間とともに石巻へと旅立ったのは、自分自身“想定外”の行動だった。

恐らくは多くのボランティアに起った若者、あるいはボクのような前期高齢者も同じ思いだったに違いない。澎湃たる人々が北へ、北へ、と“想定外”の行動に出たのだった。

夥しい命が流され、夥しい瓦礫の山が積み上げられ、夥しい人々の人生がゴロッと転がった。
ボクの人生も、あの震災による震度以上に大きく揺り動かされ、真に大切なモノを掴み取るための日々を送ろうと決したのが3.11だった。
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年の瀬に


午後、週末恒例の買い出しに街に出た。
風は無く、外は12℃と暖かい。

マーケットは通常モードから年越し特別モードへと品揃えが代わり、おせちかと思われる大きな風呂敷包みを抱えた客、バスケット一杯に商品を放り込む客、いずれも顔はほころび、いそいそと正月を迎えるハレのモードである。

今年もこうして穏やかに年も暮れ、靜かに新年を迎えることだろう。
巷間では2011年も何事も無く例年と同じような年の瀬を迎えているかのように映る。

ただしかし、そうでは無い人が数10万、数100万人という単位でいるというのも、この年の瀬の特徴であることは広く共有されていることだろう。
他でも無い、東日本大震災による被災者らが迎えるはじめての年の瀬でもあるのだ。

両親を亡くした子供たちが200人、片親を亡くした子どもらを加えれば1.000人を超えるということだが、華やかなハレの舞台から一人取り残されたように、寒空に光り輝く星を見上げ、親の姿を追い求める姿を想起することも必要なことだろう。

この子らが迎える年の瀬と新年が、少しでも安寧で希望が見えるものであることを願うばかりだ。
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仕事納めの1日・みなさま、お疲れさまでした

うちの仕事納めは、終日機械の整備、メンテンナンスで追われる。

“追われる”が、“終われない”ことさえある。
ま、しかし今年は、終日“追われ”、何とか終えることにした。

自動一面鉋盤は、まずはローラーにこびり付いたダスト、ボンドの残滓と思われる樹脂分とサビ、これらを真鍮ブラシでゴシゴシと削ぎ落とす。
ついで、様々な駆動部の劣化した油をシンナーで洗浄し、その後注油。
メインのスピンドル部には高速回転対応の油を給油。
それらが一通り終えたらば、刃物の交換。

うちの自動一面鉋盤は桑原製ということですこぶる調子の良い機種ではあるが、このところ送り機構に若干の問題が生じつつあったのも、今日のメンテナンスで正常に戻った。
プレッシャーバーの位置調整での修復だ。

機械屋に言わせれば、定盤がへたってくると送りが悪くなる、などとメンテのポイントを指摘するのだが、実は定盤の劣化ではなく、こうした調整で修復できたのだが、この自動一面鉋盤という機械ほど、調整一つでどのようにもなるということは知っておいた方が良い。

以前は二流メーカーのものを使っていて、それはそれは調整のし甲斐があったのだったが、この桑原はそうした“愉楽”を奪ってしまった。
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長野県技専木工科OB、OGの皆さまへ(お願い)

長野県技術専門校(= いわゆる訓練校・松本、上松、伊那、各校)木工科OB、OGの方々へのお知らせがあります。
(下の“More”をクリックしてご覧ください)
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柳宗理さん死去を悼む

今朝の新聞の訃報で知った。
96歳という高齢。
私が氏にお会いしたのは、1997年OZONEでの『柳宗理展ー三角スツールからの展開』レセプション会場でのこと。
二言三言お話ししただけのことだったが、寡黙で静かな佇まいが印象的だった。

今さらボクが紹介するまでもないほどに、日本のプロダクトデザインの黎明期から、今に至るまで時代の先端を駆け抜けてきた、デザイン界の時代の寵児だった。

家具の分野では、あまりにも著名なバタフライチェアはもとより(ルーブル、MoMAのパーマネントコレクション)、晩年もBC工房、鈴木氏が仕掛けた「楽椅子、楽座」プロジェクトに参加するなど旺盛な創作力は見事なものだった(上述のOZONE展は、そうした流れ)。
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Merry Christmas !

全ての子らに
Merry Christmas !

今年の年の瀬ほど、子供たちの安寧と、幸せを願うことはかつて無かったと思う。
切実にそう思う。

例年であれば、戦火の下、生存そのものが危うい環境で暮らすパレスチナの子供たち、あるいはアフリカ諸国の貧しい人々の子ら、そして餓死寸前の子らも多いと言われる、北朝鮮の子供たち、
彼らに一片のパンとスプーン1杯のスープを ! と、サンタさんに願い立てるのだったが、2011年は、大きく様相が変わっている。

この16日、「ふくしま集団疎開裁判」は福島地裁郡山支部(清水響裁判長)により「却下」されてしまった。

福島での「福島除染・回復プロジェクト、実証実験」活動の際にも、現地の方にお聞きしたのだったが、福島地裁ではなくあえて郡山支部へ提訴した理由の1つには、かろうじて郡山の裁判官に望みを託したい、とのことだったようで(福島地裁は期待できる判事がいないだろう、という)、その淡い期待も裏切られてしまった。

体内外の放射線被曝は子どもらに晩発性の癌をはじめとした、様々な疾病、障害をもたらすと言われている中、お母さんをはじめとし、多くの大人達が奔走して自主的な疎開、移住へと踏みきっていたが、それら子どもらへの喫緊の健康被害への必至の対応を、いっさい保護に値しないとばかりに切って捨る日本司法の荒廃ぶりは、言葉を失う。

子どもの未来をこうした粗暴な司法判断で封じてしまうようでは、この国の未来も危うい。
来年度からは、民主党による政権交代の目玉の1つでもあった、子ども手当が無くなる。

今、日本の子供の未来が危うい。

お隣の国から機械探し

電話ベルが鳴り、液晶モニタには“82”から始まる11桁の電話番号が表示されたのでちょっと驚く。
国識別番号が付加された相手先はお隣の韓国。

ハングルはさっぱりなので緊張するが、相手は日本語端麗な女性の声で安心する。
というより、まんま日本人だった。

何かのセールスか、あるいは家具を欲しいという客なのか?

残念ながらいずれでもなかった。
桑原の600mm自動一面鉋盤のことを知りたいのだという。
ある建築現場で、電話主の会社の社長が興味を示し、入手方を知りたいとのこと。
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