工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

狭い手押鉋盤の憂鬱

手押鉋盤の能力を超えて

うちの手押鉋盤は305mmの幅しかない。
片や自動一面鉋盤(プレナー)の方は620mm。
つまり基準面さえ出ていれば600mmの幅まで機械切削が可能。

しかしこの300mm〜600mmの間が疎ましい。
300mmまでであれば1発で基準面が出せるが、それを超えると機械での切削はできない相談である。

以前とても忙しく、こうした部材を含むある家具の製作を知人の工房に依頼したことがあり、結果、たいへん困ったことになったことがある。
依頼先工房の手押しも300mmの性能なのだが、400mmを超える板の削りは手押鉋盤に余るものだから、基準面を取らずに荒木の状態でそのままプレナーに突っ込み、削り上げていたことが分かり、驚いた。

ボクは何に付け、合理的な思考を旨とするが、さすがにこうしたことはとてもできない。
当然ながら、400mm幅の板はプロペラのように捻れた状態で削られ、組み上げられていた。
こういう信じがたい実態があるのも事実。(フラッシュの現場では、そのようなこともままあるようなのだが)

さて、こうしたことは論外としても、手押鉋盤の能力を超える板の削り(平面だし)は確かに簡単な作業ではない。
しかし、500mmほどの手押鉋盤が導入できないのであれば、機械切削に余るところはシコシコと手で削るしかない。
どうするかと言えば、とりあえず300mmだけ手押鉋盤で削り、後はポータブルの電動鉋、さらには手鉋を駆使してやることになる。
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村上富朗さん、どうぞ安らかに

日本を代表するウィンザーチェアメーカー、村上富朗さんの訃報です。
享年62歳。生き急いだ人生でした。

私はあまりに遅れてきた青年でしたが、木工を志した頃、彼は既に著名なチェアーメーカーでした。
新宿小田急ハルクにおいて、他の数名の木工家のものとともに常設されていたウィンザーは異彩を放っていましたし、日本においてそうしたモノ作りの生き方があることを示唆してくれた先輩の一人でした。

その後、OZONE、九つ井などの展示会でご一緒したり、名古屋丸善・椅子展に押しかけた夜の酒席を楽しいものにしてくれたのも村上さんでした。

若き頃のフィ ラデルフィアでのウィンザーとの出合いから、その後オリジナルデザインを含め100脚の椅子を作るという宣言など、自身に課した大きな課題の困難を、いかにも楽しげに語るという風のキャラクターも、やはり彼の椅子の大らかさと繋がるものであったのかも知れません。

先の東御市文化会館での「一日だけの村上富朗木の椅子100脚展」にも小海町の会場から抜け出して観覧させていただきましたが、多くの友人、顧客らに囲まれ、余命わずかと告げられていたとも思えぬ靜かでおだやかな笑顔もまた村上さんらしく素敵なものでした。

天国に召された今、自身の揺り椅子に揺られながら、にこやかにバーボンを傾けている姿が自然と浮かんでくるのも、やはり彼ならではのものなのでしょう。

どうぞ安らかに。

Wood Worker Murakami

日曜日

睡蓮



日曜の朝はゆっくりと起き、午前中は近くの園芸店でプランターの苗を買い求める。
画像は園芸店で見付けた小さな睡蓮(少しレタッチ)

午後は図書館で涼しく読書三昧のはずが、農を営む友人が午後早くにもぎたてトウモロコシをぶらさげてやってきた。
病を抱えた身での田植えは大変だったようだが、収穫の喜びへ向け力を振り絞ってやりきったようで、安堵感に包まれた良い笑顔だった。

浜岡原発から20km圏内で暮らす農家であれば、話題は自ずと原発問題に収斂してしまうのは自然なところ。

浜岡再稼働の困難は必然としても、フクシマ帰因による放射線汚染も無視できないようで、行政による検査態勢のお粗末さ、情報公開への不信をつのらせていた。

さらには玄海原発の安全宣言が科学的根拠とはおよそ無関係な政治的な判断でしかないこと、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の発表‥‥「6歳から16歳の子供たち10人の尿検査をした結果全員から微量の放射性物質を検出、内部被曝が疑われる」の衝撃 ──
3月12日の水素爆発直後、あるいはその後のベントの直後に検査していれば、今回検出されなかったヨウ素を含め、かなりの数値が出た可能性が高いはず、等々(河北新報

既に機は逸したとはいえ‥‥、福島県下のこどもたちを対象とする集団疎開を強力に推し進める方途は無いものか、その全国的な支援態勢の可能性は?

楽しかろうはずの友との会話も、3.11以後、大きく揺さぶられている。

下は友からのトウモロコシ。1粒1粒が宝石のように美しい。
半分だけ茹で、残りは隣家にお裾分け。
茹でたてをガプリッ。自然な香りと甘さが“口福”をもたらす。
食べ残しは冷凍。解凍後は軽く醤油を塗りながら焼けば、なお旨いだろう。

初夏の味覚

BOSCH ドリルビットシャープナーの効能

BOSCH ドリルビットシャープナー本体にドリルビットを装填しているところ

あれば良いのにな、と思う工具は数知れずあるが、購入への飛躍はその必要性の度合いによって優先順位が定まるのは当然としても、ちょっとしたきっかけでポチッしちゃうこともある。

このドリルビットシャープナーもそれにあたる買い方だった。
ある太さのドリルビットを折損させてしまった。
刃物の価格は1本1,000円ほどだろうからさほどの出費ではないが、実はうちには他にも折損させてしまった刃がゴロゴロと。

この際、それら全てを復活再生してやろうと思い立ち(我ながら見上げた心構えだ)、購入に踏み切った。
なんか、めちゃくちゃ高価な買い物のような物言いだが、実勢価格8,000円ほどのもの。
飲み会を2回パスすれば届く金額(実際その場に立ったら、そんな天秤など掛けないけど‥‥ 笑)。

ホントのところは、この「ドリルビットシャープナー」なるもの、その実力のほどは如何に?という懸念が購入に踏み切る阻害要因となっていたことも確かで、荷が届くとさっそく開梱し、テスト、確認。
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フレデリック・バック展、7月2日から開催

『Crack』,『木を植えた男』のフレデリック・バック(Frederic Back [Frédéric Back] 1924年 仏・ザールブリュッケン生、モントリオール在住)展が明日から「東京都現代美術館」ではじまる。

観に行きた〜い。絶対いきた〜い(まるで子どもがぐずるような訴求だね)

本人はこれを機に来日するんだろうか?御年87歳では無茶な要求か。

まずは公式WebサイトからFrederic Back氏のメッセージを引用させていただこう。

 スタジオジブリ、日本テレビ、東京都現代美術館は、このたび光栄にも、絵を描くことに対する私の70年にわたる情熱を皆さまにご覧いただく機会をお与えくださいました。これらの絵は、動物、人々、自然、地上の私たちの生命(いのち)に伴奏するあらゆる素晴らしきものを、愛情をもって学び取った成果なのです。

 私は、平和と調和を推し進めること、すなわち、この世界を支配しているさまざまな法則に気づくよう人々に促すために、力の限り努力して参りました。

 この展覧会は、絵やアニメーション映画が、人々の眼や心などの扉をどこまで開くことができ、善い行動をどこまで鼓舞できるのか。そして、皆さまが夢見ることをどこまで実現することができるのかを示そうとするものです。
 私は皆さまが、これらのスケッチを通じての旅を気に入ってくださるよう切に願っています。これらのスケッチは、アカデミー賞や広島国際アニメーションフェスティバルでグランプリを受賞したいくつかの映画の成功の源泉だったのですから。
 一人の人生の軌跡であるこの絵画展に、創意の精神を、奔放さを、そして寛容さを示してくださったスタジオジブリに感謝の意を表します。
 皆さまの発見と楽しみ、そして熱意とに捧げられたこの展覧にようこそ!

フレデリック・バック

      企画要綱
▼名称:フレデリック・バック展/L’Homme qui Plantait des Arbres
▼会場:東京都現代美術館 企画展示室1F・3F
▼期間:2011.07.02〜2011.10.02
▼公式サイト:http://www.ntv.co.jp/fredericback/
▼企画制作協力:スタジオジブリ/三鷹の森ジブリ美術館

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2011年の折り返しと、文学者の振るまい

今日で6月も終わり、今年も折り返しに向かう。

このところ6月としては記録的な猛暑が続き、早くも夏本番のような陽気だが、海や山に、あるいは里や街に、いつものあの夏のように子供たちの弾んだ声は聞こえているだろうか。

震災復興の一番手は、やはり子どもたちの明るい笑顔と希望にあふれた活気だ。
おとな達はこうした子どもらに促され、最初は苦笑いからのはじまりかも知れないが、取り戻されたその笑いが哀しみと苦しみに囚われ硬直した心身を解き放ち、その笑いに子らも深く安堵し、そうしてともに新たな歩みはじめていくだろう。

しかし、今年の夏、残念なことに東北、北関東の一部地域、あるいは日本全域の子ども達の笑い声はくぐもったものであるかもしれない。

いかに20mSvまではダイジョウブと言われても、親たちは自分の正統なDNAを継ぐ子らに、二重らせんを破断させてしまう放射線を無防備に浴びさせる蛮勇を振るうはずもないだろうから。

ボクの子ども時代、山から山へと今で言うゼネコンの社員だった親に伴われ、ダム建設現場を転々としたのだが、いずこでも夏と言えば川ガキで遊んでばかりいた。
谷川ではその水の冷たさに唇を紫色に染め、凍え、風邪をこじらせたこともあったが、それもこれも楽しい記憶として留めている。

身体作法であったり、手先の器用さというものは、子供時代の自然界との交歓の中でこそ養われるものであって、インドアでのゲーム機相手の遊びがこれに代わられるはずもなかろう。

日本では、3.11をもって、少なくない数の子供らが、こうした夏の遊びから遠ざかってしまうのだろうか。
いや、日本のみならず、全世界が3,11をもって新たな時代状況(放射線汚染という側面での)へと移ろってしまったという小出裕章氏(京大原子炉実験所・助教)の言葉には愕然とする。
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「PPモブラー と 椅子の作り方」講演会にて

うちにはウェグナーのpp501が1脚ある。
15年ほど昔、ACTUSで購入したものだが、ナラ材、籐張り、ソープ仕上げの仕様だ。

数日前、とても美しい、同じシリーズのpp503[1] を観ることがあった。

こちらはチーク材の革張り。当然にもオイルフィニッシュのものとなる。
〈PPモブラー と 椅子の作り方〉とタイトルされた講演会でのこと。

講演会とは言っても前半はPPモブラーの設立当時のエピソード、NCルーター導入時のウェグナーからの受容のされ方など、とても興味深い話しが続いたが、その後ワークショップ的なスタイルに一転する。

持ち込まれた3つの椅子の中のその1つがPP503「The Chair」だった。
チークとは言ってもかなり赤みが増した輝きと、チーク特有の帯状の杢が美しい美品で、とても魅入られてしまった。
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❖ 脚注
  1. pp501もpp503も、同じく「The Chair」と呼称されるもの。
    501が藤張りの方で、503が革張り []

長坂 翁



ここの蕎麦は2度目だったかな。
場所もうろ覚えで、しかも前回とは逆の諏訪方面からのアクセスということもあり、ちょっと迷う。
移動はカーナビを設置していないトラックだし‥‥。
iPhoneで住所検索、マップマッチングを試み無事に辿り着くが、週末ということも手伝ってか、かなり混雑。

納品も終えた後で急ぐ旅ではなし、里山の靜かな木立に囲まれたロケーションをながめつつ、声が掛かるのを待つ。
この「超」が付くほどの有名な蕎麦屋、メニューもざると田舎だけ。
他には酒などのサイドメニューのみ。

それでもセットメニューというのがあり、お豆腐と焼き味噌が付くのでそれにする。
ボクは蕎麦に関しては贔屓にしている地元の宮本藪蕎麦を嚆矢とするが、宮本藪蕎麦ほどの細さではなかったものの、鶯色をした細打ちの美しい蕎麦だ。
つゆの方だが、体調が優れなかったのか、なぜか妙なクセが気になったものの、まずまず美味しくいただいた。
おかわりを頼むほどの少ない分量でもなく1枚で満足。

お豆腐も美味。焼き味噌(画像、木ヘラ)も甘からず辛からず。
薬味がちょっと足りなかったかな。

この「翁」、全国に暖簾分けも含む弟子が大勢いらっしゃるそうで、以前、大町市にできた新しいお店に出掛けたたこともあった。
良い蕎麦だったと記憶している。、
店舗もモダンな数寄屋風というものだった。

また近く、暇な時間を見つけ、宮本藪蕎麦にチャリで出掛け、一献傾けながら蕎麦を啜ろう。
石巻行に大枚をはずんでくれた亭主ともじっくり話がしたいしね。

栃の座卓

信州でももっとも早くから開発されてきた別荘地Tにあらたに建造されたログハウス。
Webからアクセスしてきた I さんの別荘に座卓を納品させていただく。

別荘地であるので、敷地内の整備、植栽を含め、まだまだやらねばならないことがあるような状況だったが、シーズンを前にしてとりあえずは入居できるようになったそうで、この夏から楽しむのだそうだ。

座卓だが、都内から2度にわたりお訪ねいただき、当初はその材種を含め、いろいろと迷いに迷った末、栃の1枚板の甲板を選ばれた。
ボクが原木を集め始めた最初の頃の材木なので、競り落とし、製材後およそ20数年は経過する。
甲板は仕上がりで2寸を超える厚さだが、乾燥は十分。

オイル仕上げのためか、壁面の欧州松と色調も統一感があり、施主もとても喜んでくれた。
ブラックウォールナットの魅力に抗しがたいものもあったようだが、結果、栃にして正解だったと言うわけだ。

搬入する際にお手伝いいただいたのだが、そのあまりの重さに根を上げていらっしゃったが、それもまたログキャビンに似合う重厚感として評価していただく。

ボクはテーブルの甲板などはデザイン的にはさほど厚く見せない方を好むが、今回のような場合は例外だ。

標高1,500m。下界では多くのところで猛暑日を更新していたようだが、ここは半袖ではまだ寒いくらい。
薪ストーブの近くで使うことになるので、木の痩せがどのように進行するか気懸かりではあるが、さすがにこの別荘、真冬は使わないだろうとのこと(深い積雪で辿り着くのが困難)。
しかし、4シーズンを超えて、どのように収縮するか、暴れるかをチェックしたいと思っている。

甲板と脚部の緊結は送り寄せ蟻の吸い付きだが、かなり堅めに調整しておいた。

hr

君は「浅川巧・伯教兄弟の心と眼-朝鮮時代の美-」を観たか

ボクの陶芸に向かう眼差しは、木工という本業への傾斜を機として、つかず離れずの距離でいつも傍にあった、といえば良いだろうか。

木工の訓練校に通う前後から「駒場民芸館」に足を運び、ここでいわゆる民芸派といわれる濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、富本憲吉の作品に近しく触れるようになったことを手始めとして、その後、工房を起ち上げた同じ地域にに窯を構える著名な陶芸家と親しくさせていただき、モノ作り全般にわたる指導を仰ぐという機会に恵まれことなども幸いした。

一方で、一時世話になった松本民芸家具の制作に携わる過程で、「柳宗悦」の民芸論は避けて通れないモノ作りにおける1つの道標であったことは隠すまでもないことで、これは必然的に木工というジャンルを超えたモノ全般への視座をもたらしてくれることにもなった。

さて「柳宗悦」を語るとき、若い頃の西洋近代美術への傾斜(白樺派としての)から、当時、誰も見向きもしなかった東洋美術へと目を向けていくことで、いわゆる「民芸論」の基礎が打ち立てられていったことは知っての通りだが、これを誘った(いざなった)のが「浅川巧・伯教兄弟」だったことは果たしてどれだけ知られているのだろうか。
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