2011年の折り返しと、文学者の振るまい
今日で6月も終わり、今年も折り返しに向かう。
このところ6月としては記録的な猛暑が続き、早くも夏本番のような陽気だが、海や山に、あるいは里や街に、いつものあの夏のように子供たちの弾んだ声は聞こえているだろうか。
震災復興の一番手は、やはり子どもたちの明るい笑顔と希望にあふれた活気だ。
おとな達はこうした子どもらに促され、最初は苦笑いからのはじまりかも知れないが、取り戻されたその笑いが哀しみと苦しみに囚われ硬直した心身を解き放ち、その笑いに子らも深く安堵し、そうしてともに新たな歩みはじめていくだろう。
しかし、今年の夏、残念なことに東北、北関東の一部地域、あるいは日本全域の子ども達の笑い声はくぐもったものであるかもしれない。
いかに20mSvまではダイジョウブと言われても、親たちは自分の正統なDNAを継ぐ子らに、二重らせんを破断させてしまう放射線を無防備に浴びさせる蛮勇を振るうはずもないだろうから。
ボクの子ども時代、山から山へと今で言うゼネコンの社員だった親に伴われ、ダム建設現場を転々としたのだが、いずこでも夏と言えば川ガキで遊んでばかりいた。
谷川ではその水の冷たさに唇を紫色に染め、凍え、風邪をこじらせたこともあったが、それもこれも楽しい記憶として留めている。
身体作法であったり、手先の器用さというものは、子供時代の自然界との交歓の中でこそ養われるものであって、インドアでのゲーム機相手の遊びがこれに代わられるはずもなかろう。
日本では、3.11をもって、少なくない数の子供らが、こうした夏の遊びから遠ざかってしまうのだろうか。
いや、日本のみならず、全世界が3,11をもって新たな時代状況(放射線汚染という側面での)へと移ろってしまったという小出裕章氏(京大原子炉実験所・助教)の言葉には愕然とする。
以下、ここ1週間ほどの新聞から目に止まったことを数点取り上げてみる。
6月25日、朝日夕刊の〈惜別〉に取り上げられている「多木浩二さん」
文芸部、大西若人による記事
広いフィールドでの評論活動の人だったので、全く読まない領域があるのは仕方ないと開き直るしかないのだが、主には「写真論」の領域から森山大道氏のコメントを紹介。
「ゆっくりと、でもよどまず的確に話す人。フーコーもメルロポンティも、そこで教えてもらった。50年写真をやってきたが、多木さんの『写真論集成』は今も、僕の一番下の所を支えてくれるバイブルです」
とする森山大道、そして中平卓馬両氏は「根源丸」と呼んでいたという。
物事の根っこを問う姿を指しての呼称らしい。
なるほど、ボクが多木さんに強く惹かれてしまっていたのも、そういうことだったのかと納得する。
そして建築家の磯崎新氏
ジャンルを超え広くものを見られる数少ない人でした」と振り返り、代表作に「天皇の肖像」を挙げる。明治天皇の肖像が、国家に取り込まれる過程を記号論的視点で読み解いた。
先見性があったし、もっと海外も評価されていい
末尾に記者は
震災後の社会やメディア、芸術の状況。聞きたいことはいっぱいあるのに「根源丸」はもういない。
と括る。
文芸時評・斎藤美奈子が〝叫ぶ〟「文学者の原発責任」
4月の同欄での「文学者の原発責任」(「文学者の“戦争責任”」のアナロジーであることは言うまでもない)への批判に対する反批判。
ここでは詳述はしないが、何事につけ微温的な振る舞いが大人であり、世渡り上手の処世術とされる日本、しかも全国紙の「文芸時評」という場での、文壇(そんなもの、今もホントにあるのかどうか知らないが)という狭い業界の中でのこのバトルは、外野席からヤレ〜とせきたてる声も聞こえそうだ。
斎藤美奈子氏の熱いけんか腰は怯むことなく続けるのが良い。
数日前、図書館でここ数ヶ月の文芸誌をざっくりと読んでみたが、がっぷり4つに震災と向き合う者、暗喩的に言葉を探しながら自分の位置を確認しようとする者、全く関心がないようなフリをする者、三者三様であることは、市井の人々らと何も変わることはないのだな、とヘンに納得したものだった。
そんな中、今朝の「論壇時評」の高橋源一郎氏からは、文学者ならではの想像力と、喚起力に満ちた論考で、いくつものことを気づかされる。(3.11以降、2度目の出稿だったかな)
新聞社との契約でもあるわけだが、ちょうど3.11に出くわした「運命」を楽しんでいるかのようでもあり、高橋らしい視点にあふれていた。
ここで紹介されているいくつかの論考には目を通しておきたいと思う。
「被曝労働」を取り上げた「現代労働問題の縮図としての原発――差別の批判から、社会的基準の構築へ」(POSSE11・今野春貴)
『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(関沼博)
ぼくたちひとりでは「見えない」ものも、専門家は見せてくれることができる。だが、専門家が見つけたものにはそれを「見よう」という強い意志を持つ、ぼくたちのような素人が必要なのだ
とする。
ところで、同じ新聞に「終わりと始まり」というコラムを持っている池澤夏樹氏だが、4月のコラムでは「春を恨んだりはしない」というタイトルで上げていた。ボクはこれを少なくない違和感と落胆とともに読んだものだった。
‥‥次の下り。
正直に言えば、ぼくは今の事態に対して言うべき言葉を持たない。
被災地の惨状について、避難所で暮らす人たちの苦労について、暴れる原子力発電所を鎮めようと(文字どおり)懸命に働いている人々の努力について、いったい何が言えるだろう。
自分の中にいろいろな言葉が去来するけれど、その大半は敢えて発語するに及ばないものだ。それは最初の段階でわかった。ぼくは「なじらない」と「あおらない」を当面の方針とした。
政府や東電に対してみんな言いたいことはたくさんあるだろう。しかし現場にいるのは彼らであるし、不器用で混乱しているように見えても今は彼らに任せておくしかない。事前に彼らを選んでおいたのは我々だから。
ウソで塗り固められたフクシマを、孫請けのまた下請けの原発労働者に依存しきっている「現場から遠く離れた」東電を、このように免責することへの違和感だ。
ボクは2001/09/11以降の池澤夏樹氏の、時代から逃げない真摯な姿勢に深い敬意をもって接して来たつもりだったが、この違和感をどのように整理すべきか戸惑いもしたが、その後の同コラム「風と太陽、波と潮と地熱」
あるいは次の2つの文章で、少し平衡心を取り戻せた気がした。
■ 『楽しい終末』より(PDF)
■ 『光の指で触れよ』より(PDF)
しかし、その間の距離をどう考えるかは、いまだに解けない難問ではある。
つまり、3.11という壮絶な事象に対する著名な文学者としての振る舞いに関わる問題だが、例えば、話題になった先の村上春樹氏のカタルーニャでのスピーチも、フクシマ、メルトダウンに至ったプロセスは「津波によって発生した」とする事実としての誤り(既にその前段階での地震による様々な破断が引き金になったとされる)もさることながら、自己批判的なものを含む多言を弄されてはいても、なぜか空疎に響くのは何なんだろうという思いも含め、困難なアポリアに手を突っ込むようでなかなか気が晴れないのは困ったものだ。
しかし斎藤美奈子氏のように、執拗に追い続けることで接近していくしかないのだろう。
最後に久々にYouTubeを貼り付けよう。
6.11反原発100万人アクション・新宿中央公園での歴史社会学者「小熊英二氏の挨拶」。
実はこれも今日の論壇時評で高橋源一郎氏が取り上げていたコンテンツだが、他のいくつかの動画とともに、〈忘れられていた「みんなで上(未来)を向こう」という思いではなかったか〉と括っていた。
小熊英二氏のアジもなかなかのもの(教壇での説諭みたいだけれど)。
発言内容も含蓄深く示唆的で、小熊氏らしさがあって良い。
まだ就学前のおさなごの姿とともに消えたところも、6.11アクションらしくて微笑ましい。
こうして厚く隔てられた大学研究室から街頭に飛び出して、市民とともに語り合い「みんなで上を向こう」とする姿は3.11以前にはあまり無かったように思う。
3.11によって様々なものがジャラジャラポンッ ! され、本質的に良質なものと、偽ものが峻別されてきているのかもしれない。
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=Ki2KI9pmXto[/youtube]