工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

時にはDomino活用で

Domino1
(画像はいずれもクリック拡大)

家具職人によるホゾ穴の穿孔は「角ノミ機」で行うのが一般的だ。
ほとんどすべてのホゾ穴はこの機械が比較的高精度に開けてくれるが、残念ながらこの機械が使えないこともある。
角ノミ機の定盤に載せられないほどの巨大な被加工物などだね。

ただ載せられないとは言っても、被加工物を定盤フェンスに固定するための押さえ部を除く定盤の幅に納まらなくとも、これを取り去ればかなり広くなるし、さらには左右移動のハンドルを取り去れば理論的には無制限な広さのものがセットできるだろう。

しかし問題はいかに広い被加工物をセットできるとしても、穿孔位置には制約がある。その機械の懐には構造的な制約があるからだね。
そもそもこの「角ノミ機」という機械は建具屋向けに開発製造されてもののようで、家具産地・静岡のようにフラッシュ構造を基本とする地域では、框ものの加工を必須のものとしないという傾向があり、この機械の需要は多くはなく、したがって中古機械市場にもあまり流通していない。
つまり定盤の広さ、およびふところの広さは建具屋が必要とする程度の框加工の要請に応えるだけで十分というわけだね。

それを超える位置に穿孔したい場合はどうするか。
→ 手ノミで開ければ良いというのが最善の解。
それが結論ではこの記事はこれ以上進まない。

さて、ある工場では、海外で流通している卓上型の小型角ノミ機を用い、これをコの字型の鉄骨アングルで深い懐で使えるものを機械製作して活用しているところを見たことがある。
溶接機があれば自作することも可能だろうね。
今日は、こうした分野において簡便な手法で威力を発揮するDominoのお話し。

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希望から諦念への落下速度

迷走する政権の行方
荒涼とした日本社会に一条の光が射し込んだというのが昨年夏も終わりに近づく衆議院総選挙の結果だった。
「友愛」などと恥ずかしげもなくのたまう鳩山党首を頂く民主党ではあっても、安部とか麻生と言った、だひたすら米国に向けては屈従を誓い、国内にはやたらと偉ぶる三文役者に較べればよほどまともで安心させてくれるお坊ちゃんだった。
この政権交代は「これで日本も少しは立ち直れるかも‥‥」といった控えめな高揚感をもたらし、多くの人々同様にボクも期待した一人だったが、まだ半年しか経過していないこの段階で自身の不明を恥じることになるとは‥‥。
世論調査などというものに時代潮流の動向を求めようとはさらさら思わない。しかし70%を超える政権発足時の支持率がたった半年で40%を切るところまで落ち込むといういささかドラスティックな低落というものはやはり無視できる数値ではないことも確か。
このところの鳩山民主党の迷走ぶりは尋常ではない。
象徴的なもので言えば、やはり普天間米軍基地移設問題を典型とする“日米同盟”への姿勢だろう。
これに関しての政権内部、各閣僚からの発言は政権発足当初からばらんばらんで、まるで政権の体を為していなかったわけだが、5月決着とする猶予ならざる時期を迎え、メディアの錯綜ぶりにも足下を掬われ、より一層の混迷ぶりで小田原評定から抜け出す気配すらない。
同時にまた衆院選前に提示されたマニフェストから大きくかけ離れた方向へと舵が切られつつあるいくつかの指標も取り上げねばならない。

  • 千葉法務大臣、犯罪取り調べの録音・録画(可視化)のための刑事訴訟法改正案の今国会への提出見送り
  • 高校授業料の実質無償化の対象から朝鮮高級学校を除外

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チョコレートブラウン

ブラックウォールナット
ブラックウォールナットの色調を言い表すのに、最もふさわしい名称は何だろう。
物の本では「紫褐色」、「暗紫褐色」などと紹介されることが多いようだが、実はその実態は多様であって様々な色調を見せてくれる(魅せてくれる、と言いたいほどだ)。
もしや違う材種なのでは、と思わされるほどに異なる色調のものもあったりする。
また一方、近年では市場に流通しているその多くが、色調においては本来備わった色が損なわれ変化させられてしまっているので、元の色調をご存じのない職人もいるとのことだ。
過去、このBlogでも何度も触れてきたように、人工乾燥の過程で詐術されてしまっていることによる。

※ 人工乾燥の過程で詐術( = 歩留まりを改善させる目的で、心材の色調を白太部分に移行させるのだが、その結果心材の本来の色調は失われ、平板な灰褐色に劣化する)

また、特徴的なこととして、良質なものでは木理が絡むとともに、いくつかの色調が縞状に交錯することもあり、そうしたことも化粧的価値を高めるものとして高く評価される要因となっている。
ボクの見立てでは、このような縞状のものは別としても、本来の良質なブラックウォールナットの色調はと問われれば、チョコレートブラウン、と答えよう。
オイルフィニッシュで美しく装えば、まさに良質のチョコレートが溶け出す時のあの艶めかしい魅惑的な色に近似する。
アフリカ系アメリカ人として初めてオスカー主演女優賞に輝いたハル・ベリーHalle Maria Berry)(2001年『チョコレート』)のような、と言えば分かりやすいだろうか(どういう意味って‥‥、そういう意味さ)
ここ15年来、ボクが用いる用材の5割ほどはブラックウォールナットで推移してきている。
これにはくつかの要因があるわけだが、この色調というものにノックダウンされてしまっていることが実は大きいのかも知れない。
(過去、鉋掛かりが良いだとか、反張しにくい安定した木だとか、加工していて快適だ、などと語ってきたわけだが、やっぱりここは単純に色と言ってしまおう、というわけだね)

Chocolate

画像は現在進行形のキャビネット脚部。
本体は刻み始めたばかりなのだが、先に仕上がった方の脚部には軽くオイルを。
このところの天候不順続きの環境に生地のままで捨て置かれれば具合がよろしくない。
オイルを拭いておけば少しは防御できるからね。
乾燥して良いお天気だった先週末に組んだので接合部が切れてくる恐れは無いとは思うが、オイルを拭いておけばなお安心というわけだ。
では今夜は一粒の溶ろけるような生チョコを舐めなめ、スコッチでも傾けて‥‥

脚はできたけれど‥‥、

家具
蛙股を含む脚部を組んだのは良いが、本体のデザインはどうするか。
本体のディテールが未定のままにまず脚部を組み上げる。
それを眺めつつ、喚起力に頼りながら考えてみる。
いくつかのラフスケッチをメモに取り、これを図面に落とす。
あぁでもない、こうでもない、と一人つぶやきながらの至福の、いや苦しみのひととき。
家具というモノであれば、外形のデザインと同等程度に機能を満たすための構造的裏付けの検討も必要となる。
定型的な約束事とともに20数年間で培った経験則を加味し、それだけでは足りない部分を新たなアイディアで膨らませる。
時には試行錯誤で苦悶しながら良い解決策を編み出し、いずれはそうしたものの中から自身のスタイルへと洗練、定着されていくものもでてくる。


下の画像は矩(カネ)を確認するためのツール。
Top画像のように矩形の内側の一部が直線では無い場合はスコヤが使えない。
矩(カネ)を計測する他の方法としては対角線の長さを測るというやり方があるが、こうしたアメリカ生まれのツールは具合がよいね。
二本のバーを任意な長さに延伸、固定できるようになっている単純な機構のものだが、これはこれでなかなか有用である。
この方法というのはスコヤよりもむしろ高精度に計れるしね。
Veritasの製品だが、15年ほども前に購入したもので今も入手できるかは不明。
少しネットで探してみたが見付けられない。
特段高機能というようなものでもないので、代替品を自作することもできるだろう。

Varitus1ところで、本体は板指しにしたいと考えているのだが、お天気が回復してくれないと板の仕事はしたくないなぁ。
しっかし、昨夜の雨はすごかった。
深夜丑三つ時、暗闇を切り裂く雷光、雷鳴轟き、慌てた。
ガバッと飛び起き、ADSLモデムのLine、電源を遮断。ホッ‥‥。
明日からは冬型という予報だが、既にこの時間帯、外では暴風が吹きまくっている。
部屋の湿度も40%を切る。
明日は板の仕事もできそうだね。

2010年度の美術展 Pick up !

サルガド昨年末の東京都写真美術館での《木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし》展の観覧の際、その1つ前の企画展《セバスチャン・サルガド アフリカ》展の図録を注文していたのが届いた。
あのときは終了したばかりだったのに、図録は完売し、あらためて増刷する予定とのことで頼んでおいたもの。
版が小さいうえ、1頁に2枚の作品という構成であるために喚起力に欠ける。
やはりオリジナルプリントを観なければダメだと悟った。
今は高価な美術書を求めなくともかなりの程度で高画質のプリントをWebから探し出すこともできるだろうが、やはり国内での閲覧の機会があれば出かけなければならないということだね。
怠惰は精神の摩耗、欲望からの逃避、老化への道を掃き清めるだけ ?
今年もいくつか観ておきたい美術展覧会が盛りだくさん。
ただ静岡という地勢は、大都市から離れ、文化的には孤島のような感じさえあるため、必然的に美術展へのアクセスには東京都内、名古屋へと足を運ばねばならず、業務との関わり、繁忙時期との調整など、いくつかのハードルを越えてのものとなる。
とりあえず、以下に挙げる企画展のいくつかは逃したくないと考えているが、さて…。

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好みの“面”はありますか

蛙股面
好みの“面”、と言われても、建築や工芸について関わる人でないと何のことか分からんね。
“面”とは一般にはある矩形の物のエッジ(角)に施す切削断面のことを指すと言って良いのかな。
この“面”は建築や工芸という人々の手に触れるところに施すわけなので、やはり必須のことだね。
以前、ご一緒した展示会で隣り合わせた著名な木工家の作品の背中側で接客するということがあったが、そのキャビネットの背中の柱、桟などの面が全く取られておらず驚いたことがあった。
裏側だからということで無視したのだろうが、運搬の際などで手に触れることはあるわけで、ピン角では怪我しちゃうでしょ。
人間はあまり丸くまとまるのはかえって気味悪く、少しはエッジが効いていた方が魅力的だと思うが、キャビネットなどではせめて坊主で丸めてもらいたい(エッジが効いているボクが言うのだからね)
ちょっと本題から逸れつつあるので軌道修正する。
“面”はこのように単に「優しく」というだけではない効用があることは言うまでもない。
建築、家具、あるいは工芸品の意匠を構成したり、イメージを形成する上でとても重要なエレメントだ。

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旧作映画の再上映と第82回アカデミー賞

第82回アカデミー賞、授賞式が一昨日執り行われたね。
下馬評で最も話題をさらっていたジェームズ・キャメロン監督『アバター 』は技術的部門3つのオスカーに留まり、対してキャスリン・ビグロー監督作品『ハート・ロッカー』が主要6部門をさらっていった。
元夫妻という両監督、なかなか話題作りにも配慮したオスカーアカデミー会員の粋な計らい?(なんちって)
ボクはその日は21年前に公開された映画を観ていた。
バグダット・カフェ』という1987年作の名作だ。(日本公開は1988)
この映画はアカデミー賞としては最優秀主題歌賞にノミネートされただけの、少しじみ〜な作品だったかもしれない。
そうそうジェヴェッタ・スティールが歌った「コーリング・ユー」という曲がその後一人歩きするような勢いでヒットしたから、そちらを知っている人は多いと思う。
これが〔ニュー・ディレクターズ・カット版=108分〕として再上陸。
昨年末から各地で上映されているんだね。
当然無類の映画青年だったボクも封切り時に視ていたし、老いて再上陸ということであれば何を置いても観なければならんだろ。
というわけで足を運んだ。

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バンクーバー冬季五輪大会を終え(メディアから考えた)

五輪という名の祝祭が終わり、こうして日常に戻ってみれば、あの騒ぎは一体何だったのだろうかとの感が無くもない。
今日(こんにち)の我々を取り巻く情報というものは、デジタル社会となってそれ以前の数倍、いや数百倍の怒濤のような洪水として押し寄せてきている。
家にいるときはPC、Macの前にドッカと腰を下ろしてのネットサーフィン、移動中はスマートフォンとにらめっこ。
会社に着けばWindowsを起ち上げてメールチェックから業務がスタート。
勤め帰りの一杯飲み屋ではTVから流れる惚けたお笑い芸人たちの狂騒に混じり、訳知り顔のワイドショーコメンテーターによる説教を聴かされ、帰宅すれば家人から「ねぇ、ねぇ、今日テレビでね ……」と芸能界のうわさ話を聞かされ、チリ地震の被災情報も晩酌とともに流され、それら全てが飯とともに消費されていく。
人の噂も75日、と言われてきたが、とんでもない。海馬での保存期間はわずかに数日というところだろうか。
こうしてあれだけ華やかに繰り広げられたバンクーバーの祝典の脳内映像も、外付けHDDから呼び出さないとデスクトップには表れてくれない。
さて、五輪というスポーツ競技最大のイベントが運営できるのも、メディア無くしては語れないことは知っているだろう。運営の資金源が各国TV放送局が買い取る放映権料によって賄われるようになったのはいつの頃からなのかは知らないが、これを最大限に活用させるシステムを作ってきたのが前IOC会長・サマランチであることだけははっきりしている。

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その高額な放映権料のためとでも了解するしか無いのか、と思わされたのがNHKの放送。

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X-Y軸の傾斜(椅子制作の魅力)

椅子の文化史的発展に関しては、その世界史的文脈から遅れてきた日本ではあってもいくつかの専門書があるほどだが、これはまた技術史的文脈としても同時に語られなければならないテーマでもあるだろうね。
椅子の歴史は古代エジプトのファラオの玉座から始まると言われるが、直立した背と水平な座にヒエラルキーを付与するためのデコラティヴな装飾、という構成であり、これは決して座り心地が良かったとは到底思えないものだろう。
近代の「身体」から考えられたデザイン、構成というものに接近するまでにはその後4,000年以上の時間が必要とされた。
いろいろと説はあるものの、バロックからルネッサンス様式の時代に来てやっと「身体の快楽」から要請される設計、意匠になってきたようだが、ご存じのように椅子に限らず宮廷には様々な目的と機能を満たすための家具、調度品が所狭しとが置かれるようになったのもこの頃からだった。
無論技術史的にもそうした求めに応えるための発展があってはじめて可能となったのは言うまでもない。
その後、いよいよ機能美から装飾性を強く意識した椅子を含む家具の発展があったわけだが、しかし今では装飾は悪であるかの如くの現代に生きる我々家具職人としては、どのようなデザインの家具が時代から求められているか、なかなか読み解くことの困難な場に立ち竦んでいるかのようだ。

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「私語り」について(斎藤美奈子氏 時評から)

苔
先にBlog記述に関わり「含羞」という言葉から考えて見た(こちら)ことがあったが、あらためてBlog記述について考えさせられる新聞記事があった。
朝日新聞〈文芸時評〉斎藤美奈子氏の《「私」を語る方法》という02/23付の評論。
後半に出てくる石原慎太郎「再生」(文学界)へのコテンパ批評は痛快であり、それ1つとってもお勧めであるので機会があれば目を通すのも一興かと。
朝日新聞〈文芸時評〉は一昨年までは加藤典洋による連載だったがこの斎藤氏に代わったときは、少なからず違和感があった。
文芸評論家とはいえ恥ずかしながらほとんど読んだこともない人だったということもあるが、それまでの加藤氏とは評論の視座が異なるのは当然としても、文体に馴染めなかったことが大きかったのかもしれない。
簡単に言えば今風のポップな文体であり、そのことによる読みやすさもこの人の戦略なのかと思った。 毎回目を通す内にその文体にも慣れ親しんでくるからおかしなものだ。
フェミ系、サブカルの方に関心領域があるようだが、それもまた彼女の戦略なのかもしれない。
ともかくも多く読んでもらわねばはじまらないからね。

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さて、今回の時評、〔「私」を語る方法 〕とタイトルされたものだが、なぜこれをここで取り上げるかと言えば、Blogという表現方法にも深く関わるものと感じられたから。

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