工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

木工屋の原材料管理

桟積み状態
昨日から2日掛かりで桟積み状態の材木の移動で奔走。
昨年春の資材置き場兼倉庫の移転についてはここでも触れたと記憶するが、一部、桟積みした山の移動を怠っていた。
製材屋の土場に桟積みされた状態で置かしてもらっていたものだが、いよいよ搬送をせざるを得ない状況に。
できれば天然乾燥が終了する時期まで保管してもらいたかったのだが、あまり無理も言えない。
仕方なく桟積み状態の材木の山を積み込み、12Kmほどの距離を4往復。
それに伴い新たな土場の整備と、搬送、そして再設置、トタン屋根の整備と、結局2日間たっぷり掛けての大仕事となってしまう。
これらは木工職人の業務としては必須のものだと考えているが、こんな面倒くさいことをせずとも、材料屋から乾燥材を求めれば済むという考え方もある。


言ってしまえば、これがボクの習い性というところか。
松本民芸家具という会社から木工職人としての人生をスタートするという出自からすれば、こうした材木管理のあり方は当たり前のことだったからね。

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さほどの経験もないのに松本民芸の木工所に雇ってもらい最初にやらされたのが、重厚な材であるミズメカバの木取りのアシスタントと、各下請け工場からやってくる新米職人に混じって月一度の材木管理、桟バラシ作業への従事だった。
この時季であればシンと静まる空気を破り屋根からドサッと雪の固まりが落ち、桟積みの山はうづ高く雪帽子に覆われてしまうという雪深い木曽の奈良井という地でのこと。
借家に帰宅すれば、慣れない仕事での疲れからそのままぐったりと寝そべってしまう日常だったが、腕はパンパンに腫れ上がり、ビリビリと痛み、とても睡眠に入れる状態ではなかった。
木工職人として成すには、まずは身体作りからと自分に言い聞かせるところからスタートするしかなかった。
でも未だにそうした苦行を自らに強いることをどこかでほくそ笑みながら腕を腫らす自分がいるからおかしなものだ。
しかしそうした愚直とも思える材木管理の手法によるからこそ、加工から仕上げに至る一連の作業において職業人としての木工を気高く慈しみ、あるいは楽しく没頭することができるのかもしれない。
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ボクの理解では、工芸というものは、素材を通してその職人の美意識、世界観、教養、知性を表現するものだと考えているが、わけても木工ほどこの素材というものに規定されてしまうジャンルも無いように思う。
これは一面制約であるとともに、他方ではより工芸という本質を表すことにおいて優位性を認めることができる素材とも言えるだろう。
(より詳しく考えるべき対象と思うが、ここでの詳述は避ける)
さて、搬送した桟積みの山は来年2月末頃を見計らって、国内産の白木は人工乾燥へと回し、ブラックウォールナットなどの濃色材はさらにもう1年ほど天然乾燥を施し、倉庫へとストックされる。
気の長い話だ。

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