工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

旧作映画の再上映と第82回アカデミー賞

第82回アカデミー賞、授賞式が一昨日執り行われたね。
下馬評で最も話題をさらっていたジェームズ・キャメロン監督『アバター 』は技術的部門3つのオスカーに留まり、対してキャスリン・ビグロー監督作品『ハート・ロッカー』が主要6部門をさらっていった。
元夫妻という両監督、なかなか話題作りにも配慮したオスカーアカデミー会員の粋な計らい?(なんちって)
ボクはその日は21年前に公開された映画を観ていた。
バグダット・カフェ』という1987年作の名作だ。(日本公開は1988)
この映画はアカデミー賞としては最優秀主題歌賞にノミネートされただけの、少しじみ〜な作品だったかもしれない。
そうそうジェヴェッタ・スティールが歌った「コーリング・ユー」という曲がその後一人歩きするような勢いでヒットしたから、そちらを知っている人は多いと思う。
これが〔ニュー・ディレクターズ・カット版=108分〕として再上陸。
昨年末から各地で上映されているんだね。
当然無類の映画青年だったボクも封切り時に視ていたし、老いて再上陸ということであれば何を置いても観なければならんだろ。
というわけで足を運んだ。


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静岡にある小さな小屋だが、日曜日ということもあってその映画館としては入りも良かった方だろ。その多くがボクと同世代と見たが、若い青年もちらほらいたね。よしよし。
バグダットカフェさすがに21年も前の映画となるとディテールなどほとんど忘れているが、その全編に流れるあの独特の甘いフレーズの挿入曲とともに、徐々に当時の記憶が蘇り引き込まれて行くのにさほどの時間は要しなかった。
美男美女が出てくるわけでもなく、大きな事件が起きてドンパチ始まるではなし、カリフォルニア内陸部の砂塵舞う砂漠地帯に1日2台のトラックが立ち寄るだけのモーテル兼カフェがその舞台。
ダメ夫に三下り半を突きつけたばかりの女性オーナーとその子供達、ネイティブアメリカンの使用人、そしてその場所にキャンピングカーで仮住まいする老いた絵描きとタトゥー描きの女。
燃料を入れ、1杯のコーヒーを求めて立ち寄るトラックドライバー。
しかしコーヒーマシーンは壊れたまま …… 。
こうしてどこにでもあるアメリカ南西部の薄汚れたカフェに、旅の途上、夫と別れ一人大きなボストンバックを引きヅリながらがたどり着く赤毛のドイツ女。
ここからちょっとしたドラマが始まる。
最初はおかしな女だとまるで取り合わなかったこのドイツ女の挙動に、不遇をかこつ黒人女性オーナーも人生とカフェ運営に徐々に自覚させられていく。
一人の謎のドイツ女がうら寂れたカフェに舞い降りることで日常に波紋がもたらされ、異化されていき、やがてはトラックドライバー達を引き寄せ、店は華やぎ、バラバラだった家族もにこやかに絆を再び取り戻していく。
そしてこのドイツ女はビザも切れ・・・。
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この太っちょのドイツ人女ジャスミンも魅力的だが、なによりもカフェオーナー、ブレンダ役のCCH・パウンダーがとても良い演技をしていて印象深い。
彼女はガイアナ共和国出身。ま、要するにブラックアフリカにルーツを持つ黒人。
その陰影のある相貌と、強い視線が魅力的な女性だ。
今回のアカデミー賞でもレッドカーペットを歩いていたのかな(『アバター』にも出演していたというからね)
他にも店の片隅でいつもピアノ練習をしている息子も良い。
母親にうるさいからと叱られ叱られ、バッハ、「ゴルドベルク変奏曲」と「平均律クラビーア」をたどたどしく延々と練習する。この聖俗の対比に監督は一体何を暗喩させたのかは分からん。
ハリウッド映画的(制作国はドイツ)ではないかもしれないが(この映画の舞台はハリウッドから100Kmほどの隣地だが)、こうした小品ながら人々の心に淡く、あるいは強く印象を残す作品は好ましい。
20年経って、あらためてその小さな喜びを味わうために動員させる力がこの映画にはある。
(同じドイツ映画でアメリカの砂漠を舞台にしたロードムービーの不朽の名作があった。『バグダット・カフェ』の数年前に制作されたもの。ヴィム・ヴェンダース監督の『パリ、テキサス』(Paris,Texas)だね。2つの映画のいくつかの相関関係については不明なので触れないでおく)
映画の快楽にも様々なものがあるが、ボクは『アバター』にはさほど関心を抱くことはない。
史上最高の興行成績を上げつつあるとのことだが、前評判の割にはアカデミー会員には支持されなかったのには、やはり故なしとはしないものもあるのだろう。
ハリウッドのこれからの時代を担っていく主流は、こうした3Dを駆使したアドベンチャーもの、活劇ものなのだろうが、世界の全ての映画がそれになびくということにはならないから安心して良いだろう。
なお、ここでは触れる余裕がないが、再上映ということでは、今年になって2本の再上映映画作品に出会うことができた。
・『ミツバチのささやき El Espiritu de la colmena (1973)』
・『エル・スール El Sur (1982)』
いずれもビクトル・エリセ(Víctor Erice)監督作品。
静謐に、陰影深く、スペインの戦後を問いかけ、人生を語る、溝口健二を師と仰ぐビクトル・エリセ。不朽の名作だね。彼はもう撮らないのだろうか(撮れないのだろうか)。
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さて最後に、「最優秀ドキュメンタリー映画賞」を受賞したのが、紀州の伝統的な鯨漁でよく知られる太地町を舞台にしたイルカ漁の問題を描いた『ザ・コーヴ』(The Cove)である。
この3月、国内での上映会が地元漁協の反発を受けて中止に追い込まれるなど政治性を帯びてきている映画でもある。
ややエキセントリックな描き方もされているようで、これも反発を買う要因となっているようだが、アカデミー会員の支持をどのように解釈すべきかは、日本人としてもよく考えねばならない問題であるに違いない。
たまにスーパーの冷蔵陳列棚に見掛けるイルカだが、食したことはないし、食しようとも思わない。日本の食糧事情がどうであるかの議論以前に、代替タンパク源はいくらでもあるからね。
さきのニュージーランド+オーストラリアの政府をバックとしたシーシェパードによる捕鯨船への体当たり抗議行動も含め、食文化の対立をどう捉えるべきかは国際問題となってしまった現在となっては、極めて政治的な色彩を帯びてきて不幸な対立となっており、冷静な議論の環境が損なわれているように思われる。
感情論でこの種の問題を語ってはいけない。
どちらかと言えばホモサピエンス・ヒトと動物の関係性、あるいは死生観、という次元での議論となるが、それは必然的に哲学的領域、あるいは宗教観への深い洞察力なくしては噛み合わないものとなる。
両者の間で議論が噛み合わないのはここに原因がある。
ところが俺たちは残念ながら、彼らのキリスト教文化に対する仏教の教えからのアンチテーゼを出せるほどの敬虔な深い宗教観がないからダメなんだな。
日本人が明治維新以降受容してきた近代合理主義というものが、その背骨を貫くキリスト教的文明論の不在なままでの表層的なものに留まり、一方での仏教的死生観もまた抜け殻の如くに忘れ去られてきたという今日の状況にあっては、もはや鋭利に捌ききれる命題では無いのかも知れない。
これからの時代、こうした地球環境の問題から、生物多様性の保全の問題、持続可能性をどう模索していくのかは、様々なところで問われるつづけていくことになる。
因みに今年はこの「生物多様性条約締約国会議(Conference of the Parties; COP)」が名古屋で開催される。(COP10:隔年開催)
木工家具に係わるボクたちにも、決して無関係なものでもないだろう。
ちょうど今、『オーシャンズ』(原題:Océans)が観られるかも知れないから、関心のある方はぜひに。
キャラバン/ Himalaya – L’enfance d’un chef』、『WATARIDORI /Le Peuple migrateur』などの監督、フランスの名優でもあったジャック・ペラン(Jacques Perrin)による最新作。
昨年秋、第22回東京国際映画祭でオープニング作品として上映されたのでご存じの人も多いのでは。(因みに日本語版ナビゲーターは宮沢りえさん)
海の生物をテーマとしたドキュメンタリー映画だが、彼が撮る自然を相手にした映像作品はあまりにも迫力に富み、映像美あふれるすばらしいものだが、今回も期待を裏切らない仕上がり。(あくまでも実写であるが、撮影にはアニマトロニクス(コンピューター制御のロボット)なども使われており、また編集にはかなりコンピューターが駆使されているようだ。今の観客を感動させるには並大抵の編集力ではダメだからね)
未知の海の世界というものが少し身近に感じられるはずだ。
当然にもイルカ漁、クジラ漁も被写体となっており、西洋キリスト教文化が自然というものを、生物というものをどのように捉えているのかの基礎的資料ともなるだろう。
「Calling you」 Jevetta Steele 『BAGDAD CAFE』

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