工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

コロナ対応の迷走、あるいは《人新世》の時代相

中国大陸内陸部の武漢を発生源とするCovid-19、新型コロナウイルスの発覚から1年余り経過し、今では世界全ての大陸で人々に襲いかかり、猛威を振るっている。

1年で最も人の温かさを感じ、生きる歓びを共にするはずの正月休み。今年は孫との戯れも、友人らとの酒食も断たれ、鬱屈としたスタートを強いられている人も多いと思う。

私は父と兄の位牌を護ってもらっている隣町の実家に足を運び、仏前に座る程度でそそくさとステイホームへと舞い戻るという味気ない新年の始まりだった。

現在、北半球ではウイルスの活動が活発化すると言われる冬季でもあり、このコロナウイルスを迎え撃つ人類にとっては初めての経験となる。

そして米国では1日あたり4,000名を超える人々が死に追いやられているという。
この数字は2001年9月11日のWTCなどへの同時多発テロの際の犠牲者(約3,000人)を超える死者数だ。WTCテロは1度きりだが、今はこれが昨日も、今日も、明日も・・・毎日同じような死者数が堆積していく。

昨年の夏頃、トランプ大統領は、米国のコロナウイルスによる死者はベトナム戦争の犠牲者の数を超えるかも知れない、と嘆いていたが、いやいや、現時点ですらその数字(約10万人)を数倍上回り、第二次世界大戦(1941~1945年)の4年間における戦闘による死者数29万1557人(退役軍人省の発表)を超え、やがては50万人に達する勢いである。何という悲劇の時代だろうか。

これを世界に目を転じれば、Covid-19による全世界の累計死者数はついに200万人を越えたとの報があったばかりだ。(日経

(全世界のCovid-19感染状況は Worldometer に詳しい)


日経新聞より

わが国においても、昨年末から感染陽性者の数は急拡大し、日本政府は遅ればせながらも大都市圏を中心に、2度目の緊急事態宣言を発した。

半年後には1年延期となった2020東京五輪の開催が控えていて、組織委、主催都市の東京都、そして日本政府は開催強行を前提としているところから、この緊急事態宣言の発出は何としても避けたかったのだろうが、感染状況の実態は隠しおおせる一線を越え、陽性確認者数は指数関数的に伸びる一方で、科学者ら専門家、そして何よりも日々、重症患者の急速な増加を目の前にし、必死の医療措置を施す医療現場からの悲鳴にも似た要請に渋々応えざるを得なかったというのが真相のようだ。

追記:2021.01.16
米紙NYTは「東京オリンピック開催の望みは薄くなった」との記事を発信。

同時にBloomberg紙も同様の主旨で記事を配信

菅首相は2月7日までの緊急事態宣言発出の1月間で感染を抑えると豪語しているようだが、日本独自のコロナ対策とされてきたクラスター対策ではまったく追いつかない市中感染の蔓延では、この豪語もウイルスからはせせら笑いで迎えられているのではないだろうか。

生物でも無機物でも無い奇妙なウイルスにはそうした意志など持たないわけだが、しかし自己複製を目的とするウイルスにはヒトの願いなどおかまいなく振る舞うだろうから、「1月間で感染を抑える」とする菅首相のさほど根拠のあるものとも思えない頼りない願望は、果たして1月後の結果が吉と出るのか、残念ながら私は悲観的だ。

また多くの人にとり、この年末年始は1年のうち、もっとも他者との濃厚接触が盛んになる時期であって、その数週間前に前に発出されるなら一定の効果は望めただろうが、師走の「勝負の3週間」などとする掛け声も弱々しく響くばかりで、何らの有効な手立ても施されること無く年末まで推移し、その結果、ついには大晦日には東京都の感染確認者数が1,300名を超えるに至り、新年を迎えるという経緯だった。

しかし、感染者数、死者数の指数関数的な上昇を迎えてからの緊急事態宣言の発出となり「先手 先手で…」との冷笑とも含み笑いとも知れぬ首相の物言いとは逆に、いかにもトンマで、後手後手の誹りは免れない状況となってしまった。

《人新世》

話は変わるが、ここ数年、《人新世》(じんしんせい、英: Anthropocene)という時代認識にまつわる言葉が事あるごとに聞こえてくるようだ。

既に読者にもこれをキャッチし、思考を巡らせてきた人も少なく無いかも知れない。
この《人新世》という時代認識は新型コロナウイルスのパンデミックの時代となり、それまでは一部の研究者らに留まっていたものが、ますます広汎な領域で語られるようになっている。

私は世界のニュースを様々なメディアから取得しているが、新型コロナウイルスに関する情報も同様に各国の医療専門サイトや大手メディアから覗き、その方向性を見定めるための示唆を得ているが、世界の動向をITの視点から展望する WIRED もその1つ。

確たる記憶ではないが、《人新世》という用語を視たのもこのWIREDが最初だったか、あるいは下の図版が添付された朝日の科学紙面だったか、ともかくも2016〜7年の頃だった。(WIRED:人新世

これが新型コロナウイルスのパンデミックでより説得性をもち、あらためて深く、あるいはさらに広汎な領域で問い直されつつあることで、人々に知れ渡るようにようになっていることも肯ける。

まずは簡単に概略を掴むため、朝日の解説を付そう。

科学の扉)人新世 人類が地球を変える時代 プラスチック「現代の化石」

 地球の歴史のうえで、人類による環境変化が大きくなった時代を「人新世(じんしんせい)」として区分してはどうか。そんな論争が世界の学者の間で繰り広げられている。環境問題や文明論を語るキーワードとしても広まりつつある。

 地球が誕生したのは46億年前。地球の歴史を刻む地質年代は、地層に含まれる化石や岩石から環境の変化を読み取って区分されている。現在は新生代第四紀の「完新世」だ。氷河時代が終わり温暖になった時期で、1万1700年前から始まり今に続いている。
 人新世(Anthropocene〈アントロポシーン〉)は、このうち人間の影響の大きい時代を分離する考え方だ。ギリシャ語で「人間」を意味する「Anthropo」に、「新しい」を意味する「cene」を組み合わせた。オゾン層破壊を警告したノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェン博士が2000年の国際会議で提起し、広まった。
 「人新世は地質記録からも識別できる。人間活動による圧力が強まっているのは明らかだ」。クルッツェン氏は独サイトのインタビューでこう語っている。
 人類が地球に残しつつある爪痕を挙げればきりがない。18世紀半ばに約7億人だった世界人口は70億人を超えた。国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、二酸化炭素(CO2)やメタンなどの温室効果ガスの濃度が、過去80万年で前例のない高い水準だとしている。化石燃料を燃やして生じるススなどの大気汚染物質も急増している。
 もともと自然界にないか、極めてまれだった物質や製品が大量に作られるようにもなった。現代文明を支えるプラスチックやアルミニウム、コンクリートなどは、地層中で長期間保存される。将来は化石のように年代の同定に使えるとして「テクノフォッシル」(技術化石)とも呼ばれる。
 森林伐採や埋め立て、乱獲などで生物多様性も失われつつある。このままでは今後数百年で75%の種が絶滅するとの研究もある。約6500万年前の恐竜の絶滅をはじめ、地球上ではこれまで5回の大絶滅があったとされるが、すでに6回目の大絶滅時代を迎えているとも言われている。遺伝子組み換えなどで、本来の自然では存在しない生き物も現れている。

 ■国際会議で議論
 地質年代の区分を決めているのは国際地質科学連合(IUGS)。人新世を新たな地質年代とするかどうかは、この下部組織の委員会が09年から作業部会を作って議論している。
 正式に認められるには、前の時代との境となる出来事が地球上で同時期に起きたといえること、それが分かる模式的な地層をどこかに決めることが求められている。作業部会が提言し、委員会をへて、IUGSで承認されるまで道のりは長い。
 いつ人新世が始まったかは重要な論点だ。クルッツェン氏は産業革命が始まった18世紀末としているが、世界同時ではない。農耕や牧畜が世界的に広まった8千年前ごろや、コロンブスによる米大陸の発見や移住で大陸を越えて生物種が移動するようになった時期をあげるグループもいる。
 今年1月、作業部会メンバーの3分の2を占める科学者が連名で米科学誌サイエンスに投稿した論文では、CO2濃度や人工物の生産量など多くの指標が急増した20世紀半ばを提案した。1945年の米国による初の核実験以降、大気中の放射性物質の濃度が増えたことが世界中の地層で確認できることも理由に挙げた。

 ■政治的な問題も
 議論は盛り上がるが、実際に決まるかどうかは分からない。
 1月末、国立科学博物館が主催した人新世の国際シンポジウムのため、作業部会を取りまとめる小委員会の委員長を務めるカナダ・ブロック大のマーティン・ヘッド教授が来日した。ヘッド氏は、年内か来年初めには作業部会の提言が出るとの見通しを示したが、「一つの境目を決めれば研究者コミュニティーが分裂する可能性がある。そこまでするメリットがあるのか」と否決される可能性を示唆した。
 日本学術会議のIUGS分科会委員長の北里洋・東京海洋大特任教授(地球生命科学)は、現在進行中の出来事を地質年代として決めることの難しさを指摘する。「誰が人新世を引き起こしたのかという問題にもつながる。純粋な科学的議論にとどまらず、政治的な問題にもなる。作業部会の議論を注目している」
 一方、人新世は、環境問題や持続可能な社会を語る際のキーワードとして広まりつつある。人新世を出発点として、これからの地球の環境変化や開発のあり方を学際的に考える国際研究「フューチャーアース」も始まっている。安成哲三・総合地球環境学研究所所長は「地質学の用語にならなくても、人類が影響を与えていることは紛れもない事実。地球の未来は我々人類抜きでは考えられない」と話す。ヘッド氏も「人新世は『ルネサンス』や『産業革命』のような文化的な用語として残るのではないか」と言う。(香取啓介)

ようするに、《人新世》(Anthoropocene)とは、地質年代の区分を指すもので、今はどの時代を起点とするのかの議論があるために学会による決定には至らず、仮説の段階のようではあるが、地質の時代区分における共通認識として学会、研究者、メディアなどで定着している概念だ。

地質年代において、現在は人類誕生の新生代「第四紀」の「完新世」とされているのだが、ここにあらたに人間による影響の大きい時代を分離し、《人新世》として区分し直すべきなのでは、という議論である。

言ってしまえば、この現代世界の《人新世》とはその地質は自然界には存在しなかったプラスチックやアルミ、コンクリートなどで堆積された特異な時代区分と言うわけだ。

それまでの地質区分による歴史解読は遠い過去の古代史であり、まさに考古学者による地層の解析や化石の発掘・分析から説き起こされたものであったわけだが、現在、まさに人類が生きている今を解析しようというので、何とも神の手を借りるような壮大な、いや尊大きわまる手法ではあるだろう。

つまり後世の人々、いや人々に代わり地球上を支配する何ものかは分からないが、ともかくそうした生物の歴史学の中で、ホモサピエンスが滅亡へと突き進んだ時代を《人新世》と解読するであろうという事を、現代世界の科学者、哲学、思想家が定義づけようとしている。

なぜならこの学問は未来の科学者にこれを委ねるわけにはいかないという特殊な課題が突き付けられていることに依る。
ホモサピエンス ヒトの生存の絶滅に深く関わる問題でもあるからだ。

我々人類の死滅後、新たに世界を支配する何者かが、地層を解析したところ、何やら「ヒト」という生物が唯一、生物の生存が許されたこの地球に君臨し、資本主義なる経済社会を打ち立て、科学の発展と文明を謳歌し、人口爆発を起こしつつも延命方法を開拓してたようだが、その背景で進んでいた自然破壊への関心も無いまま、あまりの平和ボケで地球温暖化が昂進し、ついには生存域を狭隘なものとし、やがては死に絶えていったようだ。視なさい、この自然界に背を向けたプラスチックとコンクリートの地層を、と。

あるいはまた、掘り出された人骨からの〈ヒト〉のDNAゲノム解析では、その螺旋の一部には様々なウイルスを原因とする病弊の痕跡が解析され・・・・。

こんなことは数千年、数万年先のヒトの絶滅後、あらたに勃興するかも知れない未来の生物に委ねれば良いだけの話しだが、現にいま、この時代を生きている我々とすれば、この人類の生存に深く関わる領域の問題に深く切り込めぬまま、真綿で首を絞められるが如くに、あるいは茹でガエル理論のような結末を前に、指をくわえたままで無為徒食で過ごして良いのか、という切迫した問題でもあるのだろう。

TIME誌:2019年を象徴する人物

科学技術の発展を背景とした自然破壊を究極的なところまで推し進めてきた戦後75年ほどの時代は、地域によっては様々なグラデーションで彩られるものの、一部では豊かで平和な時代ではあったのだろうが、しかしそれ自体が人類の生存を脅かす、かつてないほどの脅威を与えてしまう時代であったことも疑いの無い事実なのだろう。

こうした時代認識を背景とした訴えがCOP(国連気候変動枠組条約締約国会議)による気候変動に関わるパリ協定として締約された脱炭素社会へ向けた取り組みの議論であり、
あるいは一昨年以来の若者たちの異議申し立ての反乱。
スウェーデンの高校生・グレータ・トゥーンベリ氏の必死の訴えからもよく見て取れる。(COP24でのグレータの訴え


あるいは、こうした環境学が未分化の時代の1960年代初頭に著された『沈黙の春』(レイチェル・カーソン)を取り上げねば不公平と言うべきかも知れない。

しかしこのレイチェルによる警鐘を冷笑し続けてきた結果、今や人類の生存が危ういところまできてしまっている。

こうした気候変動に顕著に表れてきている自然界のドラスチックな変化と、これが人間活動によりもたらされたとする科学的検証を経、歴史学、思想学的な議論に踏まえ、あるいはいくぶん「類」としての自省的な考えも反映させ《人新世》という歴史区分が定着しつつあるということなのだろう。


SDGs

このところ、巷間喧しい SDGs(Sustainable Development Goals – 持続可能な開発目標)もまた、こうした歴史認識からの提言であり、活動の指標として捉えても良いのかも知れない。

これは2015年に国連で採択され、各国が様々な行動計画を練り、達成へ向け運動している途上だ。
ただこの SDGsは開発を前提とされた概念でもあるところから、不徹底なものでしかないとの批判も少なく無い。

私も街中を歩くと、ダークスーツの襟にこのSDGsのバッジを付けて歩くビジネスマン風の人に出遭う。
Oh!、意識高いじゃん、などと冷やかそうものなら、怒られそうなくらい誇らしげに…。

SDGsでは17の分野別の目標、169項目のターゲットがあるとのこと。
以下は総務省の解説に依る17の目標。(こちら

国連採択から6年目になるが、日本の達成度ランキングは17位と、なかなか微妙な位置ではある。
2017年は11位に付けていたようで、残念ながらその下降傾向は否めない。

サステナブル・ブランド ジャパンによれば、日本は目標5の「ジェンダー平等」、目標13の「気候変動」、目標14の「海洋・陸上の持続可能性」、目標17の「パートナーシップ」、さらには目標10「人や国の不平等をなくそう」、経済格差や高齢者の貧困など格差是正への取り組みが後退していると指摘されている。

(指摘されるまでも無く、こうした領域は日本が苦手とする根深い困難な課題であることは多くの人が共有できると思う)

アメリカ(31位)や、中国(48位)に較べれば優秀だが、北欧、西欧からは下位にあり、かろうじてベラルーシ、クロアチアの上という位置。¯\_(⊙︿⊙)_/¯

Covid-19パンデミックが意味すること

現在、地球上には77億という人口を抱え、放漫な日常を送る人々の一方、その日の食べ物にも事欠き、明日を迎えられるかが問題となる地域の人々もいる。
ただ総じて、地球上の限られた資源を過剰に摂取し、環境を悪化させ、生物多様性こそ地球の本来の姿であった生態系のバランスを大きく棄損する活動に邁進しているのが人類と言えるだろう。

霊長類の中でも唯一、自然界を大きく改変し「文明」という名の楼閣を作り上げ、ますます増長し、全ての生態系の頂点に立つホモサピエンス・ヒトだが、この活動による結果の1つが気候変動による地球温暖化として顕現し、やがてはこのままでは居住環境を奪い去られてしまうという多くの科学的根拠に基づく警鐘がCOPでの議論だった。

先進国にあっては1周も2周も遅れながらも、菅内閣誕生時の所信表明演説における〈2050年のカーボンニュートラル宣言〉だったわけだが、世界的に蔓延するCovid-19パンデミックもまた、人類のより豊かな環境を求める《人新世》の時代ならではの自然界からの応答と言えるのかも知れない。

もちろん、人類はその誕生以来、常に感染症との闘いを強いられてきたことも歴史から明らか。

国際保健学、熱帯感染症学の専門家である山本太郎氏は〈文明は感染症の「ゆりかご」であった〉とまで喝破しているように(『感染症と文明』岩波新書)、古代文明の時代から感染症と対峙し、時にこの感染症による犠牲でその地域の人口が大きく減少し、時代の様相を大きく塗り替えるほどまでに猛威に晒され、結果、次の時代の勃興を促すと言ったこともあったようだ。

古代の狩猟採集社会であれば、居住単位が親族、姻族という極小のもの、あるいはそれを多少拡大したものであり、例えあらたなウイルスの侵犯を受けても、「類」としての人類社会が大きく揺るがされることは無かっただろうが、文明が発達し、世界規模での人的、物的交流、交易が盛んになれば、当然にも、こうした感染症による影響は世界的規模となり、まさに時代を画するほどの影響を人類に及ぼすようになるだろうことは中学生でも分かる道理である。


国連の報告によれば、毎年のように東京都の面積と同程度、約10万平方メートルほどの森林が失われているとされるし、こうした皆伐による森林破壊に留まらずとも、地球上の多くの低開発国では深く森林に分け入り、居住地の開拓、あるいは焼き畑農業などの食糧増産のために未開の地へと足を踏み入れていくというのが人類の歴史でもあった。

こうして人や、人とともに暮らす家畜が未開の地に潜んでいるさまざまな病原体を持つ野生生物とコンタクトを持つことで、この病原体は未知の宿主であるヒトに自己増殖の場を獲得し、その生活圏でのさらなる伝播を求め、拡大していく。これが自然の摂理というものだ。
病原体を保有する森林の生物の生存域へとヒトが介入していくことで、感染症として人間社会に大きな影響を与えていく。

前述のように古代の狩猟採集社会ではその影響は小集団で留まるに過ぎないものの、今や全世界に航路、航空路線が張り巡らされ、人々の地球規模での移動がすさまじい勢いで展開されている時代であれば、新興感染症の爆発的な伝播はある種必然的なものと言うしか無い。

この交通ネットワークのグローバル世界では東京からパリ、ロンドンまで24時間もあれば移動可能で、つまり病原体のウイルスもそれだけのスピードで世界へと拡散可能な時代を我々は生きている。
天然痘の時代より、ペストの時代より、はるかに現代世界の方がウイルス感染症としては、より脆弱な時代を生きているとも言えるわけで、この自覚が果たして私たち人類に備わっていたのかどうか。

中国大陸内陸部の武漢を発生地とする(と考えられている)、このCovid-19ウイルスの発生源はコウモリともセンザンコウとも言われており、WHOもこれを解明すべく武漢へと入国しつつあるところで、その調査報告を待ちたいが、いずれにしろ急拡大する中国大陸内陸部に拡がる森林へのヒトの介入は未知のウイルスとのコンタクトが待ち構え、これがまた容易に全世界へと影響を与える時代なのだとの認識は必要なのだろう。

まさに《人新世》の時代相と、このCovid-19パンデミックは密接不可分の自然界からの警鐘と言わねばならない。

森林資源を主要素材とする木工の未来とは

さて、私たち木工に従事する者として、この《人新世》の時代をどのように捉えれば良いのだろう。

一方で、Covid-19パンデミックに震えながら、この感染症のルーツを探し求めていけば、自分が使っている南洋材の伐採にも実は深く関わっているかも知れないとの自覚は必然だろうし、また一方、60〜70年代以降の大衆消費社会の時代の中で、家具産業も工業化の一途を辿り、「暖かな木の温もり…」とキャッチーな物言いでアピールする家具も、実は木材とはまるで縁の無い、石油を由来とする樹脂で製造されたものであったりするなかにあって、自分たちは本来の木製の家具を作っているという自負もあるだろう。

あるいはさらに積極的に、南洋材の皆伐のような木材を使うこと無く、昔から日本人が行ってきた植林、営林による賜物である木材を原料とする家具製造で、《人新世》の危機に背を向け、持続的な制作スタイルで市場に問うという人もいるだろう。

さらには、用いる塗料、接着材なども石油由来の樹脂ではなく、自然に還る素材のものを導入し、意識的に持続可能性のある制作スタイルを獲得していこうとする人もいるはずだ。

いわば、高度資本主義社会における商品に一面的に価値を求めるものでは無く、むしろそこから抜け出て、こうした自覚に立つ同業種の人々と緩やかなネットワークで結びあい、地球資源に敬意を払いつつ、ここからの賜物で良質な木工家具を制作、提供し、顧客の豊かな暮らしと美的インパクトを与えつつ、持続可能な時代を先取りしていくような工房スタイルの可能性を指し示していくこともできるのでは無いだろうか。

多くの産業が生産性の高度化をひたすら求め、資本の拡大とともに大量生産で消費者の要望に応えていく、現在の工業社会での家具製造に持続可能性や開かれた未来があるとも思えない。

木工は木材という有機素材ならではの工業化素材としては不向きな特性から、元々多品種少量生産という工房スタイルの制作に向いた産業と言える。
第1次産業と第2次産業の中間点に位置するようなものだろう。

そうした特性からすれば、《人新世》の時代が大変困難な状況に差し掛かっているとはいえ、私は大いに持続可能性が拓かれた仕事だろうと思っている。

むしろ、こうした自然界に寄り添ったモノ作りの世界に未来展望を描くことで《人新世》の時代の困難を少しでも和らげ、希望の近未来を指し示すことだって不可能では無いだろう。

ただ、そうした本質から離れた、我々の暮らし全般から思考様式も含め考えれば、やはり《人新世》の困難な時代のど真ん中にいることも疑いなく、こうしたものとの自覚的で未来指向型の暮らし方、人生観といった展望を見出していくことも必須の命題なのだろうと思う。

私は団塊の世代だが、こうした未来を語るには決してふさわしい世代では無く、むしろこの分野では若い世代が自身と、そしてその子たちの現実的な課題として取り組んでくれることを願っているし、またそれに答えを見出してくれるだろう事は強く信じたいと思っている。

いわば、この気候変動をもたらす時代を牽引し、世界に誇るべき最優良な国産広葉樹を次から次へと伐採し、家具へと姿を変える主体者でもあった事を省察するならば、この問題の当事者の一人として責任ある立場を自覚することも求められている。

さて、今回は《人新世》という、気宇壮大なテーマの入り口で右往左往と言った論考になってしまったが、まさにこれからの大きな課題でもあり、意識しつつ、考えを巡らせ、2021年も限りある有限の素材である貴重な木材を使わせて頂き、それに見合った優良な木工に取り組んでいきたいと考えている。

なおCovid-19パンデミックについては、近未来を語れるものは何も持っていない。
2021年内に、安心して現在の規制を緩ませる日が来るとは思えないことだけは確かだろう。


ただそれに換え、全世界で1600万〜部を売り上げた『サピエンス全史』の著者、歴史家のユヴァル・ノア・ハラリの言葉を借りよう。

ウイルスが歴史の行方を決めることはない、それを決めるのは人間である。

私たちが直面している最大の危険はウイルスではなく、人類が内に抱えた魔物たち、すなわち、憎悪と強欲と無知だ。

自分たちがより多くを手に入れることばかり考えずに、持てるものを他者にと分かち合うという選択も可能だ。もしこうした建設的な形で反応すれば、目の前の危機に取り組むことがはるかに易しくなるだろうし、ポストコロナの世界は、格段に繁栄し、円満なものとなることだろう

緊急提言『パンデミック』より
緊急提言『パンデミック』

ここに日本人として1つだけ付け加えさせていただけるならば、この感染症の克服は全く可能と思われるが、それには規制当局(日本政府)への信頼があってはじめて為し得る。この平明な事実だ。

信頼されるに足る政府を持ち、科学的な専門知の助言を受けた、より効果的な規制を甘受し、ここに未来を信じ、耐え抜けるなら、その未来は明るい。

果たして私たちはこの控えめな定義付けにふさわしい政府を戴いているかどうかは、一人一人が胸に手を当てて考えれば自ずから答えは導き出される。

さらには、始まったばかりのワクチン投与だが、これは全人類に均しく接種されねば効果は半減するだろうことくらい誰にも分かることだが、事実はかなり違ってくると言われている。

いわば《ワクチン・ナショナリズム》が懸念されている。
「裏取引をしている国や必要以上のワクチンを確保している国もある」と語るのはグテレス国連事務総長。(AFPBB

やはり低開発国の南アジアの小国やアフリカなどへのワクチン供給は様々な困難から後回しになってしまうか、提供されずにズルズルと時が過ぎていく。

日本国としては、WHOを介し、こうした不公平で非合理的な供与の在り方を戒め、Covid-19感染に均しく怯えるすべての人が公平に接種できるよう、積極的に関与するならば、ポストコロナ時代の世界における日本の未来はより明るくなるに違いない。

こうした一国の振る舞いとしては真逆の、アメリカファースト!と叫ぶ指導者が敗退したことは、このCovid-19パンデミックの国際的対策の上でも、大きな転機になることを祈るような思いで見つめているところだ。

Covid-19パンデミックの危機は、この無知で暴力的で傲岸不遜な政治指導者を放逐するという好機を引きずり出したものと言えなくも無いのだ。

私は呼吸器喘息患者の高齢者という自覚を持ち、免疫を維持し、お酒とともに友との語らいを楽しみつつ、楽しく木工に勤しもうと考えている。

2021年もお付き合い下さい。

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  • 今までの燃料や建材の生活維持素材から、オーガニック素材の重要性やキュア・メデイカル生命維へという段階です。でそれを伝える仕事がウッドワークの新次元では? ボンヤリしていられない木の内科担当abe

  • アンデス・チベット高地や寒冷、森林地帯は生命殘存しますね。
    喰えなくなれば動物は移動したり、遺伝進化もかわりますから、適者生存が働きマス。その時、生存基盤となる針葉樹か気候変動に弱い広葉樹体なのか これからの生態圏は変わります。この一万年間は、人類には好都合でした。
    食べる物、住む所は、森林で。木工の仕事はその基礎でした。文明・文化は木の御陰です。木の内科担当もボンヤリ為ていられません。 年配年肺のabe

    • 木工は古来から森林とともにあった人類に欠かせぬ生きるための1つの生業だったわけですね。
      多少の加工を投下することで、様々な領域で人間は生き存える道具として用い、快適に暮らす道具として提供されてきた。

      ホモサピエンス ヒトが地球上で繁栄していくのは5万年とも10万年前とも言われる〈新生代 第四紀 更新世から完新世〉の時代ですが、ご指摘の通り、この気候の安定期と森林があってはじめて生き存えてきたわけで、この安定期も変動の時代に入りつつある兆候が気候変動、地球温暖化ということですね。

      木工に関わる者の一人として、それにふさわしい関心を持ち続け、時にはこうして発信していかねばなりませんね。
      これからもご指導の程、お願いいたします。

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