工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

ミズメを想え ─「COP10」を控えて

ミズメ1

画像はミズメを鉋仕上げしているところだが、無垢板を加工素材とする木工所でもこうした光景は急速に消えつつあるようだ。

ボクがこの世界に没入する四半世紀前、すでに兄弟子からそうした懸念が漏らされていたが、今では市場に流通しているものはごくごく稀なものとなっているようだ。
兄弟子とは松本民芸家具傘下の木工所でのことで、この家具会社が用いる主たる材種がこのミズメだった。

ここではミズメは高く評価され、これを素材とすることの優位性と自覚をカタログなどで誇らしく語っていたものだ。
しかし既にその頃でも潤沢な供給量があるというわけでもなく、製作の全てをこのミズメで賄うことは叶わず、ウダイ樺(いわゆる“真樺”=マカバ)を併用することで凌いでいた。
ミズメという材種は分類としてはカバノキ科に属するが、カバノキ科の他の樹種のほとんどが○▽カンバと称するのに対しこのミズメという単独の呼称はめずらしい。(ミズメザクラという呼称も市場では一般的ながら、“桜”とは異なる分類であるので区別すべきだろう)


特徴的には環孔材なるも、年輪は必ずしも明瞭ではなく、またその分肌目は精だ。
均質重厚で反張しにくい。また加工性も良好だ。
つまりは家具材とし求められる要件を高いレベルにおいて備えているといえるだろう。
したがってその用途は高級洋家具、あるいは内装壁面などに、化粧単板として珍重される。

これらの特徴はマカンバ(真樺)とほぼ同様であるが、気乾比重が1〜2割ほど重い。つまりより緻密だということ。
またしたがって加工は少し困難ではあるものの、これがまともにスイスイと削れないようであれば、技量もまたその程度であると知らされるだけである。

見た目では緻密であることと関係するが、その赤みは真樺よりさらに強く、深い。
また不定形に虎斑(トラフ)という紋様(幅広に逆目が絡む)を醸すことが多いが、これが光の反射を受けて独特の表情をもたらす。(画像下は ミズメを用いたBoxの蓋の一部だが、鏡板の柾目にトラフ紋様が見える)

こうした特質を持つ樹種だが、このところ急速に市場からその姿を消しつつあるようだ。
ボクは10年ほど前に60cm(ミズメとしては最大級)、4m材を4本ほど製材したのが最後。
その在庫もわずかとなっている。

したがって大事に大事に使っているが、残念なのはこうした良材が若い家具職人の手には恐らくは渡ることが難しくなってきていること。
もし原木の情報があれば、少し無理してでも入手したいものだ。

ライン

この10月、名古屋で「COP10」(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催される。
これに向け、7月、カナダ・モントリオールにおいてCOP10へ向けての作業部会が催されていたが、多くの部会で議定書作成へ向けての議論が座礁しているとの報があり懸念している。

本件に関しては国内では全く報道される気配もないというお寒い実態。
この「生物多様性条約」とは、先に取り上げたマグロ問題でのワシントン条約であるとか、ラムサール条約のように、個別の地域、生物を対象とするものではなく、この地球上の多くの生物の多様性を包括的に保全しようというもので、具体的にはこの生物多様性の構成要素の持続可能な利用、遺伝資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な配分についての条約と言って良いだろう。

COP10にはボクも関心を持って注視していたが、いわゆる先住民族が深くこれに関わっているということを知ったのは、恥ずかしながら昨年末のことだったこと(ほとんど報道がないからね)を考えてみても、実に多彩な分野が課題とされており、地球市民のこれからの生存をめぐる問題と深く関わってくる条約であることは間違いない。
今日のテーマのミズメの枯渇状況ということも、ここ数10年のことと考えれば、生物多様性の問題からの視座も必要だろう。

ミズメに限らず、国産の広葉樹は危機的状況にあると言っても過言ではない状況にあるしね。

市場で流通している材種は、国産材と同じ名称で取引されているものの、その多くは海外材に代替されているという現状を知らぬ家具職人はいないだろう。
今日はこれ以上に深入りせずあらためて別稿として取り上げたいと考えているが、いずれにしても名古屋でのCOP10はぜひ注目していきたいと考えている。

ミズメ2

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 今後の家具用材の入手にあまり明るい見通しはありませんね。私の様に木材商からその都度仕入れをしている者にとっては尚更です。
    現状として広葉樹国産材(ほぼ壊滅的)にしろ輸入材にしろ資源が枯渇しつつある為に入手しづらいのか、はたまた経済合理性に合わないため日本市場の流通量が減っているのか、現状を客観的にとらえるデータが欲しいものです。
    材料業者に聞けば、海外の原木市場で日本の商社が競り負ける状態が続いているという話を聞きました。いづれにしても良い話はあまり耳に入ってはきません。
    いまだに割り箸は環境にとって「悪」だと信じる方もいると思うと、現場に立つ職人であっても現在の木材資源の現状をきっちり知る必要性を痛切に感じます。

  • とある家具職人さん、ご意見、ご指摘、ありがとうございます。
    恐らくは、投稿者のみならず、家具職人共通の問題意識だろうと思います。
    一方、入手先、入手方法(製品、あるいは原木といった違い)の差異であるとか、キャリアの差異(在庫の差異、先代からの材を保有とか)によっても、その意識の温度差は様々でしょうか。
    若いこれからの家具職人にとっては職業選択における重要な要件の1つを欠くことにもなり、悩ましいところであるでしょう。
    >資源が枯渇しつつある為に入手しづらいのか、はたまた経済合理性に合わないため日本市場の流通量が減っているのか
    恐らくは両方でしょうけれど、加えて自然保護、やたらに伐採させない、という潮流も無視できない要素です。
    経済合理性に合わない、ということでは、チップに回るものもまだまだ家具用材として使えるものもある、というミスマッチという現状もあります。
    したがって「現状を客観的にとらえるデータ」というのが重要なリソースになるわけですが、ネット社会の利便性を活かし、データを整理し、もっとフラットな形で共有化できるようにすべきでしょうね。
    とりあえず「林野庁」あたりが膨大なデータを保有しているはずです。
    私はかつて木工関係者が集うある公共的な場で、そうしたリソースを含めた家具制作関連情報の共有化を提案し、働きかけたたことがありましたが、非力さ故か、頓挫したという苦い経験もあります。
    木工職人のBlogで、こうしたこと論考対象にする“おかしな奴”はあまり見掛けないところにも、その難しさが表れていると言えるかな。
    とある職人さんもしっかり稼いで、良材を確保しておきましょう。(そういう個人的な問題では無いか (-。-;)
    >海外の原木市場で日本の商社が競り負ける
    中国要素でしょうね。
    資本の論理からすれば、カネのあるところに流れるのは必然。
    最後に一言。
    直接的、短期的対応にはなりませんが、我々家具職人も、稀少となりつつある国産材を用いていかに良質な家具を市場に提供していくのか、ということも国産材の活性化にとって重要なことであるでしょう。

  • いつの時代もまっとうなことを論じると「おかしな奴」と言われるようです(笑)。
    artisanさんはかつて情報の共有化を働きかけところ頓挫されたそうですが、当時そこまでの危機感をもった職人・業界人はいなかったのでしょうね。近い将来かならず訪れる材料入手の問題に、一日も早く手当てしなければならないことは
    火を見るより明らかなのに・・・。
    私の周辺の同業者・職人と顔を合わせても木材資源の現状や今後の木材流通について話題に出ることはありません。どこそこの材木屋は安いぞといった話ばかりです(笑)。この問題については個人的に取り組んでいかなければ仕方ないのでしょう。
    国産材の活用はとても重要な今後の課題だと思います。避けて通れないと実感しています。「木の文化」が売りの日本なら、尚更自国の資源で賄うべき(すぐには不可能でも少しづつシフトしていくべき)だしそれが自然なのではないでしょうか。
    木工を生業とするなら、artisanさんのようにやはり丸太で買い付け、製材しすべての品質をコントロールすることこそベストの選択だと思っています。私も儲かったら是非良材を買い付け将来に備えたいですが、まずは嫁さんに「旅行でも連れて行け!」と言われそうです(笑)。

  • とある家具職人さん、
    課題をより整序していただいたようで、嬉しく思います。
    日本国内の樹木の生態系は、広葉樹、針葉樹ともに世界に誇るべき資産であることをあらためて感じさせられます。
    日本古来からの優れた木工芸(仏像美術、正倉院の宝物など)という「木の文化」も、豊かな木材資源あったればこそのものです。
    恐らくは戦後65年間という、とても短い現代史の過程で消費してしまった木材資源は、それ以前の数百年、数千年掛かって消費してきたものに等しいほどの大量消費であったのかもしれません。
    大衆消費社会ー近代史とはそうしたものであったということでしょう。
    大工も、木工屋も、林業生産者も、林野庁も、イケイケドンドンの時代を後ろを振り返りもせずに走ってきちゃった。
    木工用材を「世界遺産」的視点から個人的に集積し、研究分析されている野のプロフェッサーがいまして、このBlog記事を機にメールをいただいていますが、日本の現代木工芸をその用材の優位性とともに、正しく世界に発信していくことの重要性を説いておられます。
    私の場合、苦い経験もありましたが、しかしこうした野の碩学、あるいは“とある家具職人”のような有為な人材がいるだけでも、希望は持てます。
    まずは連れ合いを説得するところから始めましょうか。

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