工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

2010、この夏のサブイ風景

今年の夏の暑さは格別。その気温の高さと、これが長期にわたって続くということにおいて、恐らくは記録的であるだろう。

エルニーニョ現象、地球温暖化、とその原因にはいくつもの気象テーマがあげられるものの、どれが正しいというようなものでもなく、かなり複雑な要因が絡んでいるだろうことも明らか。
かつてはこの辺りではめずらしかった南方育ちのはずのクマゼミの発生だが、今では朝7時頃から、鳴き声としては全く風情もなくただうるさいだけのクマゼミ特有の蝉時雨がより暑さを感じさせ、疎ましい。
これも地球温暖化による現象であるのだろうか。

高齢者の所在不明問題

ニュースを視れば、このところ連日報じられている高齢者の所在不明問題には、ここまで日本は来てしまっていたのか、との驚きがある。

真夏の夢であって欲しいとの願いは連日の報道で裏切られていく。
今日もどこかで身元不明の高齢者が人知れず熱中症で最期の時を迎えているかと思うと、寝付きが良くあろうはずもない。

親を敬い、兄弟仲良くといったような日本に根付いていると考えられてきた儒教精神も、今や根幹のところでズタズタにされているのだろうか。

いわゆる「公共空間」という地域コミュニティーも崩壊し、役所のルーティンワークもそうしたほころびを取り繕う機能を放棄してきた結果だろう。
今後ますます劇的に高齢者が増大する社会となる中、いったい日本という国はどうなっていくのだろう。想像するだに空恐ろしさに震えがくるほどだ。

日本の高齢者、100歳以上が4万人突破
日本の介護殺人、過去10年に増加傾向 発生件数400件以上
日本人の平均寿命過去最高に、女性86.44歳 男性79.59歳

千葉法相による死刑執行>

こちらの悪夢は意外なところからの展開だった。
千葉法相が実名をあげ(呼び捨て)死刑囚2名の執行命令書にサインをし、しかも刑場で立ち会ったとの記者会見。

加えて「刑場を報道陣に公開し、死刑制度の存廃を含めたあり方を研究する勉強会も同月中に発足させる方針」を明かした。

ズッコケたね。本当に悪い夢を見ているようだった。
彼女は「死刑廃止を推進する議員連盟の会員」だった(法相就任時に退会)。
リベラルな弁護士を出自とする法相であったはずで、被疑者取り調べにおける可視化法案についても、議員時代は先頭に立って活動していたのが、法相就任後はこれを積極的に推し進めるどころか、いつまでたっても「勉強会を起ち上げる」との言い逃れに終始。

ただ1点、死刑執行のハンコを押さないだけで、意味のある法相だったと思われていた、その矢先、とうとう自身の信念も心情もかなぐり捨てて、法務官僚に抱きつかれ、がんじがらめに絡め取られ、籠絡され、死刑執行の劈頭での旗振り役に成り下がった。

あろうことか、この執行を「死刑の存廃も含めた国民的議論が行なわれる契機にしたい」とのたもうた。
論理のすり替えというか、死刑執行を済ませた直後にこうした自身の行動を正当化するだけのために姑息な論理をひねくり出してきたようだ。
恥を知れ !

この「死刑制度」をめぐる議論は、残念なことに民主党政権の下で取り返しの付かないまでに大きく後退したと思われる。
セイケンコウタイともてはやされた民主党政権のその内実がいかにおぞましいものであるかの、象徴的な事象と見て良いだろう。
これは千葉大臣個人の資質に負うところが大とはしても、どう考えても、党としての決断であると見るべきと思うからだ。

つまり参院選の結果、政権が大きく弱体化する中、そうした政治的失墜を回復させるための政治的取引の材料として2名の死刑囚の命がやり取りされたされた、というわけだ。
法務の最高責任者である千葉大臣はご自身の信念にしたがい、官邸の方針に抗うことができなないわけでは無かったのだろうが、それほどの理念があったわけではなかったのか、大臣のポストへの執着心が勝ったのか、体よく死刑存置派を喜ばすカードの方を選んだということ。
世界の多くの国々が死刑廃止の時代潮流へと大きく動いているというのに、なぜに日本だけが取り残されねばならないのだろう。恥じ入るばかりだ。

〈8、6ヒロシマを巡り〉

8月は鎮魂と慰霊の時でもある。
今年の8.6ヒロシマは潘基文(パン・ギムン)氏が国連事務総長として初の参列を果たし、米英仏、核大国クラブの面々も初参加するなど、これまでには無かった新たな様相を見せていたようで、核廃絶へ向けての期待を醸成させていた。
しかし事はそう単純でもないようで、同時に多くの期待を裏切る側面を見せるものでもあったようだ。

潘国連事務総長は広島入りを前に長崎へに歴訪を果たし、被爆者との対話を重ね、広島平和記念式典へと参列したが、式典後の市内での講演は核廃絶へ向けて具体的ロードマップを提唱するなど、昨年4月の米国オバマ大統領のプラハ演説(演説詳細:米国大使館)以来の核廃絶への国際社会の機運を高め、具体的行動を真剣に促す内容のものであり、高く評価されるだろう。

また秋葉忠利広島市長は就任後、この平和記念式典には毎年熱いメッセージを掲げてきたが、今年も日本政府に非核三原則の法制化、「核の傘」からの離脱を求め、「2020核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020年までの核兵器廃絶のため更に大きなうねりを創るとし、「被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならない‥‥、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽くして遂行しなくてはならない責務」と締めくくっていた。

秋葉市長が主導する「平和市長会議」は2020年度までの核廃絶を訴え、すでに世界4,000都市を数えるまでの参加を得ている。((広島平和宣言全文)
こうした核廃絶への期待の一方、日米両国Topらの核問題への取り組みはいささか位相を異にする。

プラハ演説におけるいくつかの言葉でノーベル平和賞を手にしたオバマ大統領だが、どうもお人好しのボクらの期待通りには事は進んでいない。
「核兵器のない世界に向けたオバマ氏のビジョンと働きに特別な重要性を認めるものである」とのノーベル平和賞の受賞理由とは裏腹に、2011年度予算教書では核兵器関連予算要求額は前年度比9.8%増の70億ドルと、過去最高額を記し、「核兵器近代化計画」をひた走り、国防総省の「核の崇拝者たち」を満足させているようだ。

4月に調印された新戦略兵器削減条約(新START)では、米ロ双方の核弾頭の削減は微減でしかないようだし、米国防長官、ロバート・ゲーツ氏によれば核軍縮どころか、軍備拡張派を喜ばせる内実であることを隠そうともしていない(WSJへの寄稿:「新戦略兵器削減条約の考察」

要するに、オバマがプラハで大喝采を浴び、ノルウェー、ノーベル委員会の魂を揺さぶったのも画餅のようなもので、今一度冷静にアメリカという国が軍産複合体によって成立しているという実態に立ち返れば、オバマとて「米国を米国たらしめる軍事力、核戦略」に手を突っ込むという「無謀な策略」を巡らすことなどできょうも無いというのが冷徹な現実であるのだろう。

さて期待を裏切っているという意味では我らが首相とて同じ事。
平和記念式典後の記者会見では、秋葉市長が平和宣言で「核の傘」からの離脱を求めたことに対し、管首相は「核抑止力はわが国にとって引き続き必要だ」と強調してみせ、被爆者たちの怒りを買っている。
自民党政府時代と一体何が変わったというのだろうか。

アジアへ向けて「核抑止力」という名の戦略核、戦術核を実戦配備し(「核の傘」)、「《核兵器のない世界》の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任を有している」(管首相の式典での挨拶)とする姿勢に、果たして論理的整合性をどこに求めたらよいのか、凡夫ゆえのことでもあろうが、全く理解を超えた論理ではある。(テレ朝、NEWS
Linkしたニュース映像では、明確なビジョンを持って、世界へと核廃絶を訴える絶好の機会であろうに、苦虫つぶしたようなその相貌からは、被爆者を安堵させるような一国の宰相の姿とは思えないほどの弱々しさで、ただただ悲しい。

鳩山前首相が国連の首脳級会合で核兵器廃絶へ世界の先頭に立つと宣言したのは 昨年晩夏の政権交代後、間もない9月24日のこと。
その後の所信表明演説でも「核軍縮や核不拡散に大きく貢献し、不退転の決意で取り組みを進める」と強調 してみせたが、わずかに半年も経たない4月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議には鳩山も岡田も欠席。

一方で核クラブの一員になろうとしている(既に保有はしている)インドとの原子力協力協定の交渉を開始した。
当然にもこれはインドの核兵器増産に手を貸すことと同じこと。
核に果たして「良い核」と「悪い核」があるなどという児戯に等しいWスタンダードは我々の精神をも汚染させてしまっている。

*参照
潘基文国連事務総長の演説要旨(47NEWS)
NHKニュース


週末恒例のYouTube、今日はStingのニューアルバム〈SYMPHONICITIESス/シンフォニシティ〉から(日本国内販売は8月18日)。

英国ロイヤル・フィルハーモニック・コンサート・オーケストラとの共演盤
この映像は収録風景の一部と、インタビューを編集したもので、いわゆるメイキングビデオだね。
「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」などの再録。

ザ・ポリス時代の名曲がオーケストラとどのように響き合うのか、断片的なビデオながら「調和」と「破調」の狭間で楽しんでいるStingが嬉しい。
Stingはこのロイヤル・フィルハーモニック・コンサート・オーケストラを引きつれて、世界ツアーを敢行中。

画像Topに「Abbey Road」という看板が映っている。ビートルズのアルバム制作で有名なあのスタジオ、Abby Roadか(ビートルズ12作目のアルバム名でもある)。
先頃買収騒動(2月、所有するEMIが手放すと報道される)

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 民主党を象徴する外国人参政権及び夫婦別姓を推進する極左翼・千葉景子は、幸い落選した。
    これは、死刑反対の千葉景子法相が神奈川県民から受けた“死刑判決”。
    菅直人首相は死刑囚を法相として政権内に温存する。
    死刑反対の法相が2人だけ処刑したが、まだ100人以上が未処刑のまま。
    独身の変人・千葉景子の個人的な判断を裁判所の判決よりも優先させてはならない。

  • 民主党マニフェストには「死刑制度」に関わる記述はありません。
    しかし「民主党政策集INDEX2009」というものがあり、ここには以下のような記述があります。
    「死刑存廃の国民的議論を行うとともに、終身刑を検討、仮釈放制度の客観化・透明化をはかります。死刑制度については、死刑存置国が先進国中では日本と米国のみであり、EUの加盟条件に死刑廃止があがっているなどの国際的な動向にも注視しながら死刑の存廃問題だけでなく当面の執行停止や死刑の告知、執行方法などをも含めて国会内外で幅広く議論を継続していきます。」
    そうした政策の下、鳩山氏はいわゆる死刑廃止論者と言われていた千葉氏を法務大臣に据えたわけです。つまりは「死刑廃止」をも含意した人事であったと考えるのが正しい見方であるわけです。
    具体的政策としてはモラトリアム、つまり一時的に死刑執行を停止して議論の俎上にすることを優先させる、というのが大方の見解だったわけです。
    しかし千葉氏は法務省に入って行く中で法務官僚に籠絡されてしまい、さらには参院選で落選の憂き目にあったことで、より死刑制度の議論が後退させられた、というのが実態でしょう。
    こうした問題に、左翼とか右翼とかの決めつけ、振り分けで議論を停止させるのは賢明な手法ではありませんね。
    「裁判所の判決」、と仰いますが、昨今の裁判における相次ぐ誤審、再審の問題を含め、人の命に関わる次元の問題に絶対的なものとすることの危険性は避けねばならないというのが、近代社会における共有の倫理的、社会的到達点ですね。

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