工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

2010年のはじめにあたり

月夜
2010年のはじまりだね。
ミレニアムと騒がれた10年前のような盛り上がりに欠けるのは、ただ1,000年という単位と、10年の単位の桁の違いによるものだけではないだろうね。
経済不況ということに止まらず、未来という希望を安易に語ることのできない空気のようなものにがんじがらめにされている状況がそうさせているのでは。
しかしこの10年間というのは実に様々なことが起き、短くはないボクの人生の中でも特筆すべきことが目白押し。
地下鉄サリン事件は1995年だったが、9/11WTC、リーマンショック、政権交代と、戦後の枠組みが問われ続けた10年、いや百数十年間に渡る近代以降の歴史という長いスパンでのエポックな出来事が相次いだ10年間だったとも言えるのでは。
さて、2010年が明けたが、これからもこのBlog運営は続けていくことになるだろうと思う。
柄にもなくあらためてこのことについて考えてみた。

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このところ様々な雑誌メディアが休刊、廃刊が相次いでいることは周知の通り。


『月刊 現代』(講談社)が休刊したのは一昨年末だったが、その後ライターらによって、『復刻 月刊 現代』(『現代とわたしたち』)が発刊されたというので申し込んでおいたのだったが、なかなか手元に来ることもなく、忘れつつあった年末にやっと届いた(あまりに遅れたので贈呈といたします、とあったのでそれはそれでありがたかった)。
このお休み期間に少しづつ読み進めているが、そこには休刊に至った理由へも言及されていて、ネットに読者を奪われてしまい、それへの対応が十分ではなかった、との分析がいくつか出ていた。
無論そうした側面は否定できないかもしれない。
少し掘り下げれば、「本田靖春」氏のような気骨のあるジャーナリストが取材し、著したような骨太のルポルタージュなど今の若者は見向きもしないということは確かなのだろう。
それは新聞なども購読せずに、世界、国内問わず、時勢の動向を知るネタはもっぱらネットに繋がったPC、あるいはケータイから取得することで事足れりとする思考のスタイル、社会との繋がりの浮薄さに起因するのではないだろうか。
新聞で言えばタイトルとリードの部分だけで十分とし、内容に立ち入らず分かったつもりになってしまう。
親しい仲間と語るのは芸能ネタ、お笑いネタはあっても、自分たち若者の首を真綿のように締め付けている正体である政治社会のことを論ずることはウザイとして徹底して忌避する、といった傾向。
一方のメディアの方も、そうした若者の思考に媚びた愚劣なページ構成、番組構成をしている。発行部数、視聴率という数字に踊らされるメディアの病弊だ。
当然にも一言二言だけでは済まされない事象を深く掘り下げることを旨とする『月刊 現代』など見向きもしなくなると言うわけだ。
こうして若者たちは羊の如くにおとなしく、心地の良い仲間たちとだけ繋がり、思考、嗜好の重なるごく一部のちっちゃな「友達の輪」から外に飛び出す勇気を失い、言葉も鍛えられず、そうして幼児退行化していく。
昨年は“草食系男子”などという言葉が流行語として話題になったが、これは単に異姓と正常な性的関係性を取ろうとしない、ということにとどまらない、社会人として充実した人間形成をしていくべき時期なのに、逆に退行していこうという傾向ではないかとさえ感じる。

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話しがややが拡散しつつあるので戻そう。
ボクはネット上のBlogというのは実はとても危ういメディアなのだということを、常々自覚しつつ向かっている。
雑誌、本などというものは、経験豊かな編集者から徹底的なチェックが入り、何度も何度も推敲させられ、書き直され、そうしたハードルを超えたものだけが世に問われる。
多くの人が読むに値する言説としてア・プリオリに提示されているというわけだ。
比し、このBlogなどというメディアは書き放題。
嘘、出任せ、でっち上げ、悪態、断罪、褒めそやし、稚拙な内容、めちゃくちゃな文体、誤字脱字だらけ、要するに何でもありの世界。
時には暴走し、炎上などということも起こるが、まさに肥大した欲望まるだしのおっそろしい世界でもある。
無論そうした破天荒なことが許容されるからこそ魅力を放つ、ということもあるわけだ。
また雑誌などと異なり、ライター、設置運営者が同一人物であることがほとんどで、また金銭的見返りが全くなく無償という不思議なメディアでもある。
労働に対価が払われるのはあたりまえだが、この特異なメディアのBlogではそうしたものはない。著者に対価もなければ、読者へも課金されることもない。
(だからといって記述内容に不正確さが許されるというものではないはずだが)
そうしたものへと情報取得のコスト、時間が移行されてしまい、それらが雑誌出版に影響を与えてしまった要因の一つであったとすれば、ネットの片隅で書き連ねてきたこのBlogも罪深い。
無論一方での徒手空拳のボクなどにとっては有用なメディアであることに違いはなく、結局は上述のような危うさとどう折り合いをつけていくのかということの自覚性、クリティカルな視座を持ち続けることを担保として、恥さらしをしていくしかないのか、と考えているわけだ。
クリティカルということはつまりは自身の言説が批評に耐えうるものとして十分なものか、あるいは覚悟があるのか、ということだろう。
批評に耐えうるものという作法の1つとして、当たり障りのない内容、文体で貫く、という手法も無論ありうるだろう(多くはそうしたものであるのかもしれない)。
しかしartisanの記述がそうした過度に抑制されたものであれ、というのは自己欺瞞でしかなくなるだろうし、Blogが有用なものと期待されるのであれば、あまり意味のないことを書き連ねるのもどうかと思うよね。
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さて国内では木工関連の定期刊行の雑誌も以前ほどには活発ではないようだ(あまり興味もないのでよく知らないのだが)。
そうであればなおのこと、優良な雑誌メディアが産声を上げるまでの間は例え代替できるはずもはないとは言え、ネット上の関連メディアも少しは重要になってくるのかも知れない。
そうしたメディアをめぐる状況を自覚しつつ、Blogの特異性ということを忘れず、
書くべき内容を持ち、知的に高めていく努力を重ね、クリティカルな視座を持ち、ぼちぼちとやっていこうかと考えている。
お付き合いいただける読者がいるとすれば、とても嬉しい限りだし、コメント、およびそれへのレスを含め、共にネットの片隅のちっちゃなちっちゃなへたれメディアを育てていっていただければ望外の歓びだ。
どうぞ2010年もよろしくお願いします。

画像は昨夕、初日の出ならぬ、東の空から昇った満月。
月の下の光の帯は大井川鉄橋を渡る新幹線
めちゃくちゃひどい写真だが、残念ながら三脚を建てた大井川土手は暴風であり、甘いピンと、暗がりでの露光設定で失敗しちゃった

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  • 明けましておめでとうございます。
    今年は厳しい年になりそうです。
    もはや、建設業は構造不況業種ととらえられ
    私が勤めるような小規模建設業者などは大波に翻弄
    されそうです。
    「転職」とか「倒産」などの言葉が頭をよぎる
    今日この頃です。
    そんな中、artisanさんの作品やブログを一つの
    手本としつつ、何とか健康で、この一年家具作りを続けて
    行きたいと思っています。
    今年もブログの展開を楽しみにしています。

  • acanthogobiusさん、
    世情、混沌として私たちの明日も定まらずといった感ではありますが、acanthogobiusさんには生業とはまた別の確固とした目標もおありでしょうから、案ずるに如かずでしょう。
    “手本”とすべきは他にいくらでもいますでしょうから、ここでは手厳しい読者として接遇いただければありがたいですね。
    本年もどうぞよろしくお願いします。

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