工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

巨樹の森への旅

栃の木


秋分の日を過ぎたとはいえ、残暑の残る下界をおさらばし、深い山へと分け入ってみた。
昨年の「新月伐採」立ち会いの企画者からの誘いで、今回は栃の木の巨樹見学会に参加者させていただいた。
(昨年の記事:「神無月、新月の日には巨樹伐採へ」「同、続」
「栃の王国」見学会と銘打たれた奥会津での企画。

昨年の新月伐採の山懐からさらに数Km先に分け入った地点になり登山距離も少し長くはなったが、沢伝いに歩を進めるのは自然との交歓をより深くするものともなり、心躍る時空となった。

画像の栃は樹齢500年ほどのものと推定されるが、実に見事な樹形である。
ゴツゴツと節の塊が出っ張り、豪雨、台風、地震、豪雪などあらゆる荒ぶれる自然現象にも耐え、一人の人間の生命の10倍もの年月を数えてきた荘厳なまでの存在感を持つ。

これほどまでにこうした栃の木がこの山に残ってきたのは何故か。
他でもない、食用のためである。
栃の実[種子]は渋抜きをすることでデンプン、タンパク質を含む食用となり、栃餅などにして主食、あるいは飢餓作物とされ重宝されてきたという歴史がある。

地元の木樵(きこり)に訊ねれば、最近ではいなくなったものの、炭焼きの人々が山深く住み着いていたそうで、コナラなどの広葉樹は伐採されてきたものの、彼らの食のためにこの栃の木だけは残されてきたのだと言う。

わずかに数十年前ほどの頃まで、子連れで山に入り炭を焼いていたそうだ。
里の小学校まで子供達はかなりの距離を歩いて通学していたらしい。

山も里も豊かで、人と自然の循環系が保たれていた時代は決して遠い昔のことではなかったということだろう。


栃の木2

今回の見学会は40名近い老若男女が集うものだったが、自治体関係者、木を商う業者、木材加工業の関係者、大工、左官屋、山歩きの好きな人、欧州の大使館関係者、木の総合学の学者、美術系大学の学生、主婦、中学生など、様々な属性を持つ人々で、森に入り、木を愛で、日本の自然の現状を実学として見たいという共通項だけで繋がるユニークなものだった。
家具職人はボクだけだ。

それぞれに胸に秘める思いは異なれども、またそれだけに交わされる話の内容も様々に交錯し、非日常の時空が豊かに積み重なっていくものでもあった。

ボクなどは木工に従事してからは必ずしもこうしたフィールドワークに積極的に出向くものではなかったが、木を素材として仕事をさせていただいている者の一人として、森での実学の場に立つ経験というのはありがたいものだ。
ライン

秋分の日を前後してほぼ1週間工房を空け、旅に出ていた。
前半は身内の法事を兼ねての関西方面への旅に、後半は奥会津での山歩きと巨樹見学。

ボクのような年齢にもなれば、仕事の質を維持し、あるいはより高めていくためには、ただ工房内で淡々と、ルーチン的なスタンスでやり続けるだけではダメなようだ。

若い頃は常に新たな仕口にチャレンジし、それを安定的に、あるいは効率的に進め、完成形へと到達させる意志と楽しみがあったものだが、そうしたテクニカル的な分野を自家薬籠中のものとしてしまった後は、仕事の質と効率は高く維持できるものの、やはり新たな刺激、あるいはアイデンティファイする、謂わば自己確認というものが必要とされるようになってくるのかも知れない。
これには様々な手法があるだろうが、例えばボクが頻繁に美術・工芸の展覧会に出向くのもそうしたものの有用な1つだろう。
気のおけない友人と飲み交わすのも良いだろうし、積ん読(つんどく)状態であった分厚い書に向かうのも意外と悪くないアイディアかもしれない。

昨年後半はある事情からそうしたことに集中的に取り組むことができ、心身にこびり付いた垢を削ぎ落とすことができたのだったが、それ以降も繁忙な業務を縫っては、そうしたある種の快楽に身を浸すことの喜びの時間を持つようにしている。

モノ作り、工芸の質というものも結局は作り手の“心のひだ”の皺の深さ、細かさに規定されるという認識に立つ者としては、馬車馬のように脇目を振らずに働くだけが尊いということでは無いように思う。

今回のような旅に出ることもまた非日常の世界へと自らを誘い、自己確認する格好の処方であるだろう。
沢

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 日本の原風景のような山里ですが、高齢化と
    人口流出に悩んでいますね。
    今回のイベントでも主催者側には、そういったことへの
    危機感のようなものもあるのではないでしょうか。
    人のいる所に金も仕事も集まるのでしょうが、この人口の
    偏在化は何とかならないものでしょうか?

  • 素晴らしい樹ですね。。。

  • acanthogobiusさん、仰るように、ここはかつて日本のどこにでも見られた山間の風景ですね。
    〈人口の偏在〉ですが、国連によれば世界ではこの2009年に都市人口が農村人口を上回ったとの統計を出していますし、2050年には人口の2/3が都市生活者になってしまうとの予測が出ています。
    これによる様々な影響が考えられますが、エネルギー消費量の増大、地球温暖化、氷河の減少、二酸化炭素濃度の上昇、森林の荒廃、生物種の減少、水資源の枯渇。
    今年の夏の猛暑、異常気象もこうしたことと無縁では無いのかも知れませんね。
    都市と農山村、旧くて新しい問題の1つですが、揺り戻しの動きも少し見えながらも、長期的には農村から都市への移動というものはホモサピエンス・ヒトの飽くなき欲望追求の不可逆的流れであるのでしょうね。アホですね。
    言うまでもなく、日本はほぼ来るところまで来ていますが、問題はアジア・アフリカ諸国の急速な近代化による影響ですね。

  • kokoniさん、次回はご一緒しましょうか(笑)

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