神無月、新月の日には巨樹伐採へ(続)
秋冷の大気は四季の中でもっとも身体を活気づかせる力を持つが、あらゆる工業的営みから逃れた奥会津の山中のそれはまた別種の感覚があるようで身体が喜ぶのを自覚する。
ただ一方、新月が人の身体にどのような作用をもたらすかは分からない。
産婦人科の医師、看護婦らは、この新月にあたる日のシフトを厚くするのだと言った話しは人智を越えた経験則であるのだろうが、これらにはもっと科学的なメスが入れられてもおかしくない事象ではないか。
Top画像は伐採対象の山腹下の沢の流れだが、実に清冽な水だ。
この沢の水量はわずかなものかも知れないが、幾筋もの流れを集め、地域の生活水となり、また田畑を潤し、やがては蕩々と只見川に注ぎ、いくつもの電源ダム湖を満たし、最後は山々から溶け出した豊富なミネラルを含んだ水は大海へと注ぎ込み、全ての命の源となっていく。
その大海の水も、気象により大気の中へと上昇し、雲を形成し、やがては雨となって山々へと降り注ぐ。
この何億年という時間軸での絶え間なく続く循環が地球上のあらゆる命を育み、植物の中でも最も長寿で、地上最大の大きさを持つ樹木もまた有力な生態系の1つとしてあらゆるところに繁茂してきた。
往復のアクセスを含め4日間ほど山と森で過ごしたが、言われるところの限界集落に近い山村であればこそなのだろうが、病んだ身体も蘇り、老体も弾むばかりに若返る感じさえしてくる。
清生とした大気に包まれ、山菜を食し、沢からの水を飲む。
夕刻には新月の闇夜により強く輝く星雲を見上げつつ露天の温泉に浸かり、湯気の向こうの地元の古老と語る。
都市にはない『生命の源』が、こうした山村には息づいているかのようだ。
昨今喧しい地球環境の悪化の問題というのも、確かに現代人にとっては深刻な話しではあるが、千年、万年の時間軸で対象化すれば、「地球に優しく‥‥」といった一見気の利いた片言隻句も地球からすれば冷笑の対象であるかも知れないと考えたりするのだが‥‥。
しかし残念だが、そんな悠長なことを言って斜に構えているほどには事態は穏やかではない。
国内の森林は荒れ放題。
戦後の全土的な植林政策は広葉樹林をバッサバッサと伐採し尽くし、スギ、ヒノキの大造林を錦の御旗の下で行ってきた。
しかし1960年代からの木材自由化と2×4建築システムの導入は、洪水のような木材輸入として結果し、そして国産材は市場から忌避されるようになり、やがて森は間伐すら手を惜しむようになり、荒れ果てるままに捨て置かれてしまった。
ボクが18、9の頃までは、この時季、赤松林の下には立派な松茸が容易に見つかり、すき焼きで楽しんだものだが、そんなことはただの語りぐさの1つでしかなくなって久しい。
荒れた松林は陽を遮り、生い茂った下草が堆積した土壌からは松茸など生えるはずもない。
国連食糧農業機関(FAO)によれば日本の森林面積はドイツの2.2倍あるものの、木材生産量はドイツの30%だという数値はいったい何を物語っているのだろう。
京都議定書(1997年12月)に続く2,013年以降の世界の温暖化対策を採択する《COP15》(国連気候変動枠組条約、締約国会議)が、12月にコペンハーゲンで開かれようとしていいる。
国内世論でも喧しい、鳩山新政権の環境政策の骨格、温室効果ガス排出量削減目標「2020年までに25%減(1990年比)」という国連演説は、世界から冷笑の対象にしかならなかった麻生政権の「2020年までに8%減(1990年比)」を覆し、何とか面目を保つ野心的な英断として好感を持って世界から迎えられた。
経済界の苦虫潰した面々には理解を超えるものだったことは確かであるにしても、誰しも心の中ではこのままで良いと思っている人などはいないだろう。
CO2が地球温暖化の元凶ということへの懐疑はともかくも、低炭素社会へとシフトしていかざるを得ないだろうことは否定しがたいところだが、2,010年にはGDPで日本を追い抜くと言われる経済成長著しい中国でさえも、国連での胡錦涛国家主席の演説に於いて「顕著な削減に努力する」と表明が出されたのも、この鳩山プランに応じざるを得なかったことからであり、このように今やそうした後戻りの利かない潮流の中、如何にヘゲモニーを持って新たなサスティナブルな社会を切り拓いていくのかが問われているということなのだろう。
オバマのグリーンニューディールを含め、世界各国の産業界も低炭素社会へ対応させるような新産業の開拓へ向けシフトしつつあるのであって、日本だけが墨守派の鉄面皮を託ってどうする。
なお、1年後の2,010年、10月、名古屋で《生物多様性条約第10回締約国会議》(COP10)が開かれる。(公式Webサイト:http://cop10.jp/aichi-nagoya/)
(略称、COPが国連気候変動枠組条約、締約国会議と重なるのが困るね)
種の多様性とは、この地球上に生きとし生ける物にとって必須の生存条件。
数億年という人類の歴史はまた地球上のあらゆる生物の進化の歴史とともにあり、その循環系にほころびが生じつつあると言うことは、つまりはホモサピエンス・ヒトの生存環境が脅かされているということと同義。
森という森をスギ・ヒノキで埋め尽くし、また放置してきてしまっている戦後林業の荒廃もまた、種の多様性を脅かすものであるだろう。
ところでボクたち家具職人が好んで用いるナラが赤茶けて枯れてしまっている光景が急速に拡大しつつあるようだ。
「カシノナガキクイムシ」による「ナラ枯れ」だ。
若い木工職人にとり、これは深刻な問題ではないか。
何が元凶なのかは定かではないようだが、地球温暖化もそうだろうし、家具用材から薪炭に至るまで様々な用途として生活に密着してきたナラも使われなくなり、またそうした材木活用の変容による伐採から市場供給に従事する人材の枯渇(木樵職人がいない)ということも問題の深刻さを深める要因だ。(asahi.comより)
里山へと村人が入らなくなり、子供達は山で遊ぶことを忘れ、インドアでのゲームに興ずる姿もまた、山からのしっぺ返しを促すものだろう。
さて、“地球からすれば冷笑の対象”でしかない“地球に優しい環境対策”は、言い換えれば、いかにこの現代社会が腐りきっているか、ということと等価だと思う自分がどこかにいる。
良くそこまで愚かになれるものかと、ぴーちくぱーちく騒がしく低俗で愚劣なだけのTVモニター、それは欲情のままに突っ走ってきた“旧”政権がもたらした社会の荒廃と公的空間の喪失の元凶の1つ?。
あまりシニックになるなよと友は言うが、どこに再生の道はあるのか。
あるいは一方、このくだらなさ加減ゆえに、実はそれだけ愛おしく感じてしまうのも事実であり、人肌恋しくなるのも秋冷からくるものだけではなく、愚かなる人々ゆえの愛らしさか。
山に暮らす人々との交流は、まだまだ夢と希望を捨てるのを思いとどまらせる力があった。
山々に挟まれた川沿いに張り付くように開かれた部落を走ってみたが、決して広くはない田畑も耕作放棄地とはならずに、蕎麦やゼンマイ、ワラビの畑として、あるいは桐が整然と植えられていて、美しい佇まいを見せてくれていた。
こうして生態系が守られることで、収穫された高品質な山菜の加工品は現金収入になり、山の人は生きていくことができる。
過度に美化することは避けねばならないが、生きるという価値概念も多様であって良いだろう。
自然と交歓することでしか生活の術を持たない彼らには、実存として生活者の智恵と生きる力がある。
伐採見学会を終えたその日の夕刻、この山で10頭近くの熊に出会い、一部は仕留め、あるいは身代わりとして愛犬を餌食にされたという一人の古老のマタギの話しを聞くこともできた。
熊と相対するにふさわしいコワモテの男かと緊張の面持ちで玄関をくぐったが、出てきたのは世俗から縁を断ち、山深く哲学する仙人のような、あるいは高僧の如くの佇まいと温和な相貌を持った老人だった。
彼もまた喧噪の都市に背を向け、この山に暮らし、山の恵みに潤い、人生を豊かで幸せに生きてきた人なのだろう。
住まいも立派で、漆が重厚に施された一枚板の羽目板を持つ建具が渋く輝いていた。
新月伐採という企画であったものが、実は人間存在の確からしさとは何か、自然との交歓が意味するものは何か、ということの自問と、何某かの希望を見出す旅であったのかも知れないと思った。
「限界集落」と蔑まれながらも、まだ残されている山の人々の生活の豊かさ(現代社会の金銭的価値のみの追求だけではない、何ものか)を感じ取り、友と共に山へと分け入ろう。
下の画像は、二宿四飯の世話をいただいたHANAKOさんの手による、バッグ。
白土三平の「カムイ伝」にもあるように百姓は、百の生業を営む人との定義すらあるように、何でも自前でやってしまう人たちだが、このバッグにはそれを超えた工芸的品質、美しさがある。
「ヒロロ」(カンスゲ)、「モワダ」(シナノキの樹皮)など自然素材を材料とした網細工。
acanthogobius
2009-10-25(日) 10:54
同じ木工教室にいた仲間が只見町布沢で家具作りをしています。
http://fuzawa.blogspot.com/
千葉県柏市から脱サラして古民家を買い取っての移住でしたが
林道の行き止まりで冬は除雪がされないため車が入れません。
町へ出るにはカンジキを履いて1時間ほど林道を歩かねばなりません。
今年は休耕田を借りて米作りにも挑戦したようですが、移住組には
苦労も多いようです。
数回、遊びに行きましたが、その時購入したヒロロのバッグは
今でも母が愛用しています。
artisan
2009-10-25(日) 20:53
acanthogobiusさん、コメントありがとうございます。
お仲間さんのBlog拝見しました。
良いお仕事をされていらっしゃいますね。
ボクが訪ねた地域とは少し距離があるようですが、風土は同じでしょう。
除雪車が来ないというのは大変です。
ボクが訪ねたところでは、町支給の除雪車が各部落で管理され、部落単位で自主的に除雪しているようでした。
しかし苦労を承知で東京から移住されたのでしょうが、それだけ惹きつける何ものかがあったということなのでしょうね。
Blogの新月伐採材に興味があるようでしたら、メールをくださるようにお伝えください。