奥会津・三島
奥会津に入ったのは9月最後の週末だったが、黄金色に色づく田んぼは稲刈り寸前の様子で、日曜日に家族総出での稲刈りという時期だったようだ。
画像は投宿させていただいた民家脇の空き地に咲くコスモス。
近頃は外来種のキバナコスモスの勢力が拡大していて、あまり良い気分にはなれないのだが、このような在来種であってはじめて秋を代表する花として愛でることができる。
次は山紫陽花だが、巨樹見学の途上、休憩地の雑草の中から見付けた花。
こうした野生原種は開花期も様々なようで、この時期に咲いているのはめずらしいことではない。
決して艶やかではないものの、薄く渋いピンク色の花を付けて入山者を楽しませてくれるのは嬉しいもの。
戦後間もなくの植林と思われる杉林の中で眠る栃の巨樹。
30度を超える傾斜地とあり、なかなかしんどいアプローチ。
沢伝いに登っていくのだが、豪雨の度に沢の水が氾濫し、道は洗われ、痕跡を留めるだけのような箇所も随所に。
里に流れる川には少ない数ではあるが釣り人もちらほら。
イワナねらいか。
集落にひっそりと佇む神社の一角には様々な祠がある。
画像のものは擬宝珠を持つ石作りの祠。
中にはマリア像と思しき?石像。
刻まれた建造の日付を見れば天保年間。
禁令下でのキリスト者が、こんな山奥にもいたということに驚く。
旅には様々な出会いがあり、旧い村には伝承が残り、数百年前からの歴史の堆積に出会う。
そして人の良い笑顔に包まれ、只見川沿いの温泉に浸かり、山菜を肴とした地酒に気分良く酔う。
欧州の大使館職員が置いていったお国のワインも上質辛口で気分も高揚。
親子で参加した日本語堪能で金髪碧眼、長躯の彼は日本の森の豊かさに感嘆の声を上げていたが、日本在住期間も伸びていくことだろう。
10日後には、名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開かれる。
「気候変動枠組み条約」とともに、いわゆる地球環境保護の「双子の条約」として1992年リオで開催された国連環境開発会議(UNCED、地球サミット)で調印されたものだが、人類の活動の結果による生態系の破壊、温暖化による「地球環境問題」を議論しようというものだ。
この奥会津のようにまだまだ国内には豊かな森があり、この森と樹木に積極的に関わろうという地元の人々も元気だ。
ただしかし、土色に染まったダム湖の水は息苦しく感じるし、なら枯れの山を見るのは辛い。
21世紀、東西冷戦が終わり、近代史がもたらした急激な地球規模での汚染という問題がやっと共通のテーブルに上げられ、世界規模での行動規範がかたち作られようとしている。
ボクが個人的に注目したいのは、この地球環境問題は国境を前提とした駆け引きだけで前進するようなものではあり得ず、国境、国民国家といった概念など無化する勢いと拡がりで、世界共通の脅威として迫ってきていることへの認識が徐々に深まりつつあることへの希望である。
まさに地球市民として立つ、ということでしか共通の理念を打ち立てることなどできないという特異性に密かな注目と、希望を見いだしたいと思うのだ。