ゴーギャン
就職して最初のボーナスを資金として買ったのはオーディオ装置(サンスイのSP、パイオニアのPAなど)と、絵を1枚。
会社の寮にその絵を掲げ、アルヒーフのレーベルでBachなどを聴いていた。
絵は複製品。ゴッホの「月と糸杉」、「ひまわり」の2枚組だった(と思う)。
複製品とは言っても、当時としてはめずらしい油絵の具が塗りたくられた立体感を再現させたもので、その頃の薄給とすれば、思い切った買い物だった。
ま、要するに、絵画の世界にさして詳しくもない貧乏な若者が、部屋での潤いを期待しただけのことだった。
ゴッホが、世紀末、パリ万博などで紹介された日本の浮世絵に強い興味を抱き、その画風に影響を与えたことなどを知るのは後年のこと。
また南仏アルルでのポール・ゴーギャンとの共同生活に希望を託しながらも破綻し、精神を病み早世したといった話しも、ややスキャンダラスな側面から関心を持つ程度で、特に深く伝記に分け入るなどということもなく、数度の引っ越しの過程で、この絵も行方が分からなくなっていった。
しかしその後、木工の世界に足を踏み入れる数年前から、様々なジャンルの芸術領域に関心が向くことになり、絵画への接し方も変わっていくことになる。
ま、誰しも人生を歩む過程で、おのれとは何ものなのか、世界とは何なのか、という疑問とともに、世界を掴みたいという欲望が持ち上がるものなのだろう。
対象への接近の度合いは変わり、深度は深まり、本質を掴もうという意識とともに、世界が見えてくるものだ。
絵画においても、その作者がどのような時代背景と美意識を持ってキャンパスに向かったのかといったようなところから眺めるようになり、そうした手法を通し少しは理解が深まってくるようであった。
さて、ゴーギャン。
必ずしも強い関心領域ではなかったのだが、名古屋ボストン美術館の会館10周年記念ということでやってきた「ゴーギャン展」を観る機会に恵まれた。
今回は、かの有名な大作 ≪我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか≫ が話題だったが、まだ作風が固まらない初期のブルターニュでの印象派そのものの画風のものからはじまり、タヒチ以降の作品まで、比較的整った作品数をもって展示されており、一通り見回すだけでもゴーギャンの画業を概観できるものとなっていた。
存命中は残念なことにその評価は必ずしも芳しくなく(ゴッホ同様に)、一人の男の人生としてみれば不遇なものであったようだが、しかし世紀末ヨーロッパが近代を迎えようという時代にあって、それに逆らうように、あるいは逃亡すかのようにタヒチという未開の南の島に向かったゴーギャンが掴んだ楽園は、彼自身の中では確かなものであったでろうし、少なくない数の子をもうけるなど艶福でもあっただろうから、悪くない人生ではあっただろう。
何よりも、 ≪我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか≫ をはじめ、魅力的な数々の名作を遺してくれたのだから、後世のものからすれば感謝すべき対象であり、芸術史に名を残す画家であることに違いはない。
今夜、これからNHK教育で、池澤夏樹による、この ≪我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか≫の解読があるようで、デビュー前から南島に魅入られている池澤がどのように読むのかは、ゴーギャンを理解する上で良いガイドになるだろう。(NHK ETV特集)
当然にも“近代”ということが1つのキーワードになるのであろう。
そしてゴーギャン死後100数年、21cの我々はこれからどこへ行こうとしているのだろうか。
“我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”
■ ゴーギャン展
(〜09/23:東京国立近代美術館)