工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

雪が舞う大晦日の工房より(年越しにあたり)

今朝は驚かされた。
この温暖で知られる静岡の平地に雪が舞った。
“舞った”、という程度で積雪に及ぶものではなく、カメラを出す暇もなく止んでしまったのだったが。
ともかく青く澄み切った空が、一瞬にして雪をもたらす特有の雲に覆い尽くされる寒い一日だった。
大晦日、日が高いうちにお餅などの買い出しに出た時に出会ったサプライズの気象だった。
そこは比較的最近になって見つけたお店。

数ヶ月前から体調整えるために往復20Kmほど自転車走行することを日課にし始めたのだが、その行程で見つけた店舗。
もっぱら地域の農家、ハム製造工房、豆腐屋、仕出しや、などからのものを取り扱う。
したがってその朝に収穫したもの、あるいは製造したものが入手できるというわけだ。
いかに大手のスーパーマーケットの流通システムから抜け出るかが、ボクの1つの課題。

例えば、冬定番の白菜漬け。
この白菜の流通だがこの辺りのスーパーではI県からのものがほとんど全て。
そう、あの放射能漏れ事故のあった地域。
科学的根拠を示せるわけではないが、そこで産する気持ち悪いものは口にしたくないのが人情。
地元の鮮度の高い野菜の漬け物は、漬け込む前に太陽の日射しをたっぷりと受けさせてから漬け込むが、水の上がりも早く、シャリシャリとした食感、旨み、甘さが引き立ち、この時季の食卓に欠かせない。

お店の人にその日のサプライズを聞き出したり、納品にやってくる農夫に調理法を訊ねたり、あるいは他の客と情報交換したりと、会話も弾む。
全てに於いて買い物という欲望本来の楽しみがそこにはある。

雪だるま


話しは飛ぶが、町から駄菓子屋が消えて久しい
子供達は、やはりコンビニで買うのだそうだ。
子どもにとって駄菓子屋へ買い物へ行くのは、成長過程における社会との交流の始まりでもあった。

おばちゃんと会話しつつ購買するという行為そのものが、子どもにとっては家族以外の地域の人との交通であり、社会の一員としての自覚の始まりだった。
コンビニではレジのお姉さんから声を掛けられれば良い方だろうが、ただ商品と金のやり取りだけという資本経済のドライな関係性しかそこには無い。

先日、「無印良品」を求めに隣町の「西友」に出掛けたときのこと。
その「西友」の最上階にある「無印良品」で買い物を済ませ、エスカレーターで降りながら気付いたこと。
全てのフロアで商品陳列棚が変貌していた。天井の高さまでもある陳列棚は全てが倉庫の如くに整然と立錐の余地無く並び、赤地のプライスカードが大きく訴求しているのだった。
いわゆるアメリカ方式というのだろうか。
確かに西友は米国の資本下(ウォルマート)に入っていることは知っていたのだが、デフレ基調の消費経済動向を受けての新しい店舗展開であるようだ。
例えばジーンズが850円 !! に象徴されるような徹底した低価格路線。
服飾などは興味もないので手にとって確認するまでも無かったのだが、いわゆる欲望としての買い物という行為を、こうした陳列方式では満たされないだろうな、というのがボクの偽りのない感想。

また店舗内には、店員の姿はほとんど見ることができない。レジにすらいないのだ。
レジ前に立って10分ほども待ち、やっと50代の女性が済まなそうな顔つきでやってきてくれた。
「このフロアにスタッフは数名だけなのでご迷惑お掛けします」との言い訳であったので、こちらは訝るよりも、同情気味の話しをさせていただくと、この店舗展開と同時に、徹底した人員削減をしたそうだ。
顧客との会話を通して商品の説明、訴求などはできようもない。むしろそんなことは忌避される?

リーマンショック以降、新自由主義的経済環境は、少しは揺り戻しがあるような感じはしてたのだが、こうして米国資本の店舗ではまだまだ続けられているようだった。
長々とボク自身が最近経験したお買い物に関わるいくつかのことを紹介してきたが、これは単にボクの嗜好、思考を基準として提示してきた積もりはない。

雪だるま

2,009年という年は「政権交代」という一言で記憶される年になるだろうと思う。
確かに1955年からこのかた盤石の如くの自民党支配体制が崩れたことは銘記されるべき事柄なのだろうね。
民主党がめざす改革も決して予定調和的にいくものでないことは既に様々なところで浮かび上がってきているが、恐らくは5年、10年という単位で評価しなければ実は何も分からないだろうという気がする。

ここでは詳述は避けるが、「政権交代」とは言ってもそのファンダメンタル(基礎的要件)なところが変わらなければ本質的で安定的な政権運用もできないだろうし、その果実ももたらされるものは少ないだろうと思う。
つまり、政権がどうのこうのというところの問題ではなく、日本人の55年間にもわたる「自民党的体質」がそのままで、一体何を期待できるというのだろうか。
いわゆるリソースがそのままでは変わりようがないだろう。
(例えば、1945年の敗戦から、戦後復興 → 高度成長 → 現在、という大きな変化も実は戦前からのリソースそのままに顔つきだけを変えてみただけ、という本質があることは疑いようがなく、未だに戦前の債務から逃れられないことにいみじくも示される、日本の特質)

先述の買い物の風景から読み解くことからも分かるように、社会が弱体化し、疲弊しつつある今日、大切なことを取り戻す一環として、巨大資本市場から抜け出し、近隣の生産農家などと繋がり、地域の例えば駄菓子屋というものにあっただろう中間の共同体、中間のコミュニティーというものを再興させなければ人々は元気になれないのじゃないだろうか。

言い換えれば、これまでのお上に丸投げし、何ごとも「してもらう」という受け身の姿勢では変わりようがない、ということであって、如何に能動的に社会と関わっていくのか、ということが「政権交代」した現在の日本の風景の中で求められているのだろうな、という気がする。

消費経済のダウンサイジング
楽しく買い物をし、生産者と交流し、地域とつながり、世代を超えた社会の繋がりを再興していくというようなことでしか、社会の安寧な維持運営と、発展の道筋はないのではないか。
社会も経済も人との関わりだ。レジにもどこにも人が見えないところで、商品だけが寂しく訴え掛けてくる社会に楽しさもなければ、価値を見出す契機からも見放されてしまう。
雪だるま

さて木工家具を制作する職人のボクにとって、今後をどのように展望すればよいのか。
全国有数の家具産地・静岡だが、最近も中堅どころのメーカーの工場を廻って気付かされた。
だだっ広い工場に職人の姿はパラパラと探すのが困難なほどの様相。

新しいところでは北海道民芸家具がこれまで経営していたクラレインテリアからキツツキに売却されたが、驚くに値しない。どこも似たような経営状態なのだろう。
こうした産業のどこに未来を見出せばよいのか。処方箋があれば教えてもらいたい。
欧米からは鶏小屋と揶揄される日本の住宅には、もはや家具調度品は飽和状態。足の踏み場もないほど。
確かに引っ越しでもすれば捨てられたり(捨てるほどに惜しくもない安物家具)、壊れたりと、それなりの更新需要はあるだろうが、そうしたものはニトリのもので十分な程度だから国内生産に依存するほどのものではない。

ここ数十年、国内家具メーカーは安い労働力を求めて海外へと工場移転に余念がなかったが、いつのまにやら移転先の工場もデザイン、技術ともにキャッチアップされ、日本は無用となっているという笑えない話し。恐らくは現在の延長線上に復興は無いだろう。不可逆的な動向でしかない。

しかし工房家具といわれるボクらの生産様式ではその存在価値は見失われはしないと思う。
つまり、冒頭から述べてきたように駄菓子屋からコンビに姿を変えてしまった町の変容、買い物の在り方の変容というものが大衆消費社会の行き着いた先の色彩のない冷え冷えとした姿であれば、新たに地域コミュニティーの中から新鮮な販売様式を持った店舗も生まれ出てくるものなのだ。
生産者の苦労と歓びを共有し、消費の本来の楽しさ、欲望が真に満たされる関係性がそこにはある。
工房家具と言われる制作と販売、消費の在り方も実はそうした健康的な関係性に依存しているのであって、むしろ消費の在り方が見直されて来つつある状況においては既に優位性を獲得しているとも言えるのでは無いだろうか。

確かに有用な自然有機物に原料素材を求めるボクたちにとって、中国、インド、中東などが大衆消費社会へと急速に発展し、当然にも資源の需給バランスが大きく揺らぎ、またしかも国内木材資源が供給力を失いつつあるという、木材資源を巡る国内外の厳しい現実一つ取っても一切の甘えは許されないだろう。
しかし使い捨ての張りぼて家具製造から、有限な資源を有効活用し、堅牢性の高い家具制作を旨とするボクたちの存在様式は、こうした新たな時代の中にあっても大いに希望の持てるものだろうと信じたい。
無論、世界には優れた家具を作るメーカーが多数存在するし、一瞬にしてそうした情報を得ることもでき、一瞬にして海外の店舗と契約を結ぶことも可能。
そんな時代に生き残っていくには、価格も含めた相応の品質が問われことになるのも必至。
企画力もデザイン力もなく、ただ無垢で手作りでござい、では競合する前から敗北するのも必至。

つまりは高品質でセンスのあるものを世に問うものでなければならないという、いわば真っ当な定義がよりシンプルに問われてくるということに尽きるのだろう。
ボクの周りにはそうしたことに真摯に取り組んでいる木工仲間がたくさんいるし、ボクも同列から外れないように気を引き締めなければとあらためて思う。

今年は J・クレノフ氏が鬼籍に入り、これに関わるいくつかの記事を上げてきたが、これが起因と考えられるアクセス数の増加ももちろんあったのだが、これを機に電話、あるいはメールで遠くの知人先輩方とクレノフ氏の木工を語り、深く考えさせられ、あるいは新しい幾人かの木工家との交流も生まれた。
これらは自身が打ち込んでいることの意味というものにあらためて再考を迫るものでもあり、また永遠の課題でもあるだろう。
雪だるま

木工職人という仕事は自分たちが考えるほどには社会的にも経済的にも評価に恵まれないということもあり、ともすれば対社会的にルサンチマンを抱え込んだり(ボクのことじゃないよ 苦笑)、あるいは一部には内部に抑圧の対象を絞り上げたりと、劣情の赴くままに世界を閉じてしまう傾向もあるようだが、モノづくりに打ち込むことができ、それがまた人々に快適で美しい生活を提供することに繋がるという、素晴らしい仕事に従事できることの幸せを考えるならば、周囲3mだけにしか関心が及ばないという射程の短さを飛び越えて、大きく広い社会の成員の一人として生きていきたいと思う。

またインターネットというユニークなメディアが広く開放され、あまねく低コストで使えるようになってきた21世紀のボクたちにとって、非力な木工職人であっても、そのデザイン力と品質があれば、大手の有力企業と拮抗できるほどの力を持ちうる、という社会経済状況は優位に働く。

一昨日、Webサイトの更新の知らせをここでしたばかりだが、さっそくその更新された家具の問い合わせが入ってきている。
こうして、地域のコミュニティーと豊かな関係を結び、日々制作に打ち込み、またネットで発信し続けることで、決して孤立することなどなく社会と結びつき、ステキな社会生活を営むことができるだろう。
雪だるま

今日は買い出しの後は、部屋の整理も早々と終え、Macのメンテ(数日前からフリーズしやすくなっていた。SMCリセット、PRAMクリヤですっきりと快復)などの他、読書で費やしたが、NHK FMで「アコースティックギター三昧」(しかしア・コ・ギ、という略称はよして欲しい)という終日の番組で楽しむことができた。

家人は紅白歌合戦視聴だが、ラジオからのお気に入りの曲が流れるのは、つい頬が緩む。
こうして2,009年も暮れて、年が改められる。

このBlogの読者には感謝に堪えない。昨年と較べればエントリ数は半減したものの、何故かPV(ページビュー)は5割増というカウンター数が教えるものは何だろう。
ありがたく、また責任も重くなっているが、これまで通り肩肘張らずに、やっていきたい。

さて来る2,010年、このBlog読者にとっても、佳い1年であらんことを祈念するばかりだ。
無論、世界にとって少しでも明るいニュースが届けられることを祈らずにはおられない。
(2,010年という年は、FIFAワールドカップの年でもあるが、この日本にとっては「安保改定50年」、「日韓併合100年」、「日韓条約締結45年」という年でもあり‥‥)
ボク個人にとってもかつてない試練の年になるかもしれない。心して挑んでいかねばならない。
また冗漫になってしまったが、おゆるしいただきたい。

どうぞ皆さんにとって、来る2,010がステキな佳い年であることを願いながら、終わりとします。
ありがとうございました。          artisan 拝

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • artisanさま
    あけましておめでとうございます
    >西友
    エコヒートだけを買いに行く店になってしまいました
    “倉庫”では購買欲は わかないですぅ
    今年もよろしくお願いいたします
    kokoni

  • kokoniさん、
    “エコヒート”というのは新繊維素材のことでしょうか。
    各社競って開発しているのですね。
    この冬は厳しいようですので、どうぞ暖かくしてお過ごしくださいよ。
    ? お近くに西友なんてありましたかね。
    どうぞ本年もよろしくお願いします。

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.