工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

民主党、自己否定の新政権

台風12号で日本列島大荒れの週末だが、当地も断続的に豪雨に見舞われた。
台風通過地域の岡山、兵庫には親戚も多く、電話連絡を取ったりと落ち着けない時間を過ごす。
契約駐車場の車が水没という倉敷在住の親戚もいたり、ガキの頃に過ごした奈良県の最南部・十津川村の大きな被害などのTV報道を前に胸が塞がれる。

さて、1週間後は3.11東日本大震災から半年になる。
一方、2001年9.11WTCテロ事件から10周年ということでもある。
早いものだな、というのが偽らない印象だが、3.11東日本大震災というのは現在進行形であることは言うまでも無いのだが、実は9.11も同様に、ボクの中では現在進行形でホットな問題であることに違いが無いと思っている。

いずれも様々に思いが駆け巡るのだが、それぞれに現代世界を既定づけることになった大きなエポックであるということで共通する事柄だ。

またそのことに関してもいずれ記事に上げたいと思っているが、今日はもっとホットな国内の話題、民主党新政権について、少し触れておきたいと思う。

今朝の朝刊には発足した新政権への世論調査の結果が報じられている。
各紙、ほぼ同じような結果のようで、新内閣の支持率が5割を超え、V字回復とのこと。
特徴的なのは自民党支持層でも4割を超える人々が好感を持って迎えているというところに、新内閣の特性が表れているように思う。(毎日.jp

つまり野田政権の保守主義回帰への好感だ。
これは何を意味しているかと言えば、2年前の政権交代という戦後政治史の大きなエポックを否定する政権として迎えられたということである。

表向きの顔は民主党政権であるわけだが、その内実は55年体制、自民党による長期支配政権を食い破り、新たな民主的な政治風土をスタートさせたはずの政権運営を根底から自己否定するものであって、あぁ、これで政権交代の果実は今から急速に腐りはじめ、元の木阿弥と化すのだな、という苦々しく、重々しい思いに囚われている。

メディアもこの大きな逆流に棹さして、新たな政権を持ち上げる記事を書き殴っているわけだが、批評精神を失って久しい日本の大手新聞社、TV局の罪深さには呆れ果て、無力感に襲われる思いだ。

およそ民主党代表選には高揚感も無ければ、期待するものなど何も見あたらない寒々としたものでしか無かった。

今回は民主党へと政権が変わり、丸2年だと言うのに3度目の代表選挙であり、規約上の代表任期まで残すところ1年という、中途半端な時期の問題もあったからだろうか。
何のことは無い、管首相が無理矢理に引きずり下ろされてしまった結果としての選挙というわけだ。

まぁ、個人的な感想を許していただくとするならば、候補の中には、この人にやらせてみるのはアリかな、と思った人もいたが、「調整」とやらで引っ込んでしまい、残る5名にはほとんど期待できないだろうと踏んでいたことも、関心が薄くなる要因だったことは確か。

いつの頃からか、政治家は歴史を語り、国家を語り、そして市民に寄り添うための理念を語ることを止めてしまって久しい。

2年前の民主党のマニフェストをベースとする鳩山代表の演説には、その片鱗が見えたが、これを継ぐ管首相は突然の消費税増税への言及、そしてことごとくマニフェストを雑巾のように捨て去り、結果、当然にも総スカンに遭い、参院選の大敗北という失態。
挙げ句の果て、引きずり下ろされてしまった。

そして新しい代表は党内民主主義を語り、浪花節を語りはしても、高邁な政治理念は語らず、政権交代の歴史的な意味合いなどには関心がないという、不思議な人。
政治主導という、官僚を巧に使いこなせなかった報いの漂流から一転、勝政権[1] などと揶揄されるほどに官僚支配への回帰だ。

さっそく打ち出しているのが、現在稼働停止している原発を順次再稼働させようというメッセージだが、福島第一原子力発電所事故について彼自身からの何らの総括も聞かされていない段階で、ともかくも動かすんだぜ、という姿勢には、菅政権がかろうじて踏みとどまった原子力推進という機関車の動輪をあらためて磨き上げようという意欲に満ちたものである。

これって、相当深刻な問題だと思うよ。
3.11大震災と福島第一原子力発電所の事故による、決して狭い領域では無い、広大な国土が放射線というわけのわからない悪魔に蹂躙され、人々は生きるための基本的な要件を奪われ、尊厳を無視されてしまっているという、この時期に、政治指導者たる人たちが均しく語る「国難」というものの、その内実が全く空虚だというのはどうしてなのか。

宮台真司氏はこの野田新首相を“巨大な空洞”と称していたが、一国の宰相に与える形容としては笑えない現実だ。

ま、空洞であるならば、周囲の内閣を固める大臣はじめ、スタッフの力量とがんばりに期待を託すしか無いのだが、当面する震災復興へのスピーディーな施策、福島第一原子力発電所事故への全力を挙げた対策、福島県下の放射線量の詳細な公開、除染活動等、庶民派を演ずる人らしく、人々に寄り添い、多くの市民による支援活動とともに現地に張り付いて指揮を執るなどの意気込みで専心してもらいたい。

ところでボクは菅政権には当初から諦念という思いで見つめていた。
言うまでも無い、普天間基地移設問題での米国べったりの姿勢、TPP参加姿勢に視られる日本売り、突然の増税ぶち上げ、と、政権交代時のマニフェストとは真逆の政権運営にただただ脱力し、苦々しい思いで視ていたのだが、3.11以後の政治姿勢としては、様々な問題を投げかけながらも、ともかくも浜岡を稼働停止にし、脱原発を掲げた、その一点において、高く評価すべきだと思っている。
他の民主党党員の誰が首相という立場において、これだけの歴史的な決断ができただろうか。

首相の器で無かったとされる菅氏だが、この一点において、3.11の総括を考えた時、大きな第1歩として歴史に刻まれることは確かだろう。

これに替わり、新しい宰相を迎えた日本という国が、この先どこへ向かっていくと言うのだろう。
ともかくもフクシマの子らを生きさせ、3.11で失われた多くの生命の前に敬虔の念を示しつつ、再生へと踏み出さねばならない。

陸に上がった大型漁船(気仙沼市内):2011.08.21


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❖ 脚注
  1. 財務省事務次官の勝栄二郎を指す []
                   
    
  • artisanさんの言われることは良く分かりますし、その通りだと
    思います。
    ただ、政権交代後の2年間で国民の多くは、明後日の理想を語っても
    明日のご飯にはならないことを悟ってしまいましたね。
    哀しいことです。
    これはアメリカも同じで、核廃絶の理想を掲げて、ノーベル賞まで
    もらったオバマも明日のご飯を求める国民からノーを突き付けられ
    再選も危うい状態です。
    政治が悪いのか、市民が時としてわがまま、無責任なのか、または
    その両方なのか。
    9.11も3.11も当事者以外は忘れ始めているのではないですか。

    • 日本の政治風土(=市民と政治の関係性)、社会への眼差しの平均値がacanthogobiusさんのような立場かもしれませんね。
      まじめに向き合っているけれども、どこかシニカルで、諦観しちゃってる。

      >政治が悪いのか、市民が時としてわがまま、無責任なのか、またはその両方なのか。
      政治の腐敗も、市民の無関心も、結局は同根でしょう。
      おかみ意識と「由らしむべし知らしむべからず」という風土は古来から何も変わっていないのでは?
      つまり民主主義とは言うものの、人々のエートスなどを考えればその実態は近代以前のものでしかないのかも知れません。

      >9.11も3.11も当事者以外は忘れ始めている
      しかしいずれも、国際社会と日本の未来を考えたとき、あらゆる事柄と時代精神を規定するものとなっていくことは疑いないところでしょうね。
      忘れてくれるのが、為政者にとっては望ましいこと。

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