工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

菅新政権とガリレオ裁判(日本学術会議の会員任命拒否)その1.

〈人文社会系学協会連合連絡会 会見 2020.11.6〉

冒頭、貼り付けたのは11月6日の〈日本記者クラブ〉における《人文社会系学協会連合連絡会》の会見の模様。

人文社会系、247学協会による、「日本学術会議の任命拒否問題に対する任命拒否の理由の説明と撤回を求める共同声明」を発出した際の、10学会の会長らの共同記者会見
宗教、社会、文学、哲学・歴史、教育 等々、普段は個々の学会内での活動に留まる学者も多いと思われる中、こうして一堂に会しての共同記者会見とは、なかなか壮観ではある。(声明文書、A4 4枚にも渡る学会名称のリストで、これは圧巻です。上のLinkクリックで声明文書PDFが展開します)

私は一介の職人だから、というわけでもないが、象牙の塔に籠もりタコツボ的な研究に打ち込む学者へは、どちらかと言えば斜に構え眺めるといったスタンスを専らとしてきた。

しかし、この度の日本学術会議、会員の任命拒否には本当に驚き、おぼろげながらもトンデモ無い事態に突入しつつあるのではとの思いでいた。

単に高尚な学問に勤しむ学者への政治権力の介入という問題に留まらず、政権トップの彼らが事あるごとに言い募る「法の支配」そのものを犯す暴挙であり、日本国憲法下の「法の支配」に基づく日本の民主主義を、もっとも先頭に立って護るべきその人が壊すという、絶対あってはならない事態への恐怖に戦慄を覚える。

世界からも、この問題では嘲笑の眼で見られているようで、おまえらの国、マジに近代国家なのか、との侮蔑には笑って誤魔化すしか無いと言うのも偽らぬ思いだが、日本の近年の政治社会の荒廃を考えれた時、とうとうここまできてしまったのか、と苦虫潰す感じだ。
以下は科学誌では世界的に最も名高い《Nature誌》に掲載された警鐘だ。

《Nature》誌、2020.10.08 号 黄色ハイライト、Author

確かに「学問の自由」であったり「表現の自由」といった日本国憲法にも銘記される近代国家の根幹をなす法哲学、理念というものは必ずしも所与のものと考えるほど堅固にこの社会に確立したものなどではないのかもしれない。

国家権力というのは、「学問の自由」であったり「表現の自由」というものには常に懐疑的な眼で監視しており、政権の政策遂行に都合の良いようにこれを差配し、解釈し、利用し、あるいは時には排撃しようとする。

日本学術会議が、こうした政権の思惑に平伏しないとばかりに訝り、普段はもっぱら政権の政策遂行に都合の良い「ナンチャラ審議会」なるものを設置し、ここに政権の覚えめでたい二流の学者を侍らせ、結論ありきの審議結果を導き出すというのが実態。

日本学術会議・設置の歴史的経緯

日本学術会議が設置されたのは戦後間もない頃の1949年。この1949年とは敗戦の4年後、そして日本の国土を兵站基地とした朝鮮戦争が勃発する1950年の直前のこと。
まだGHQによる占領下の時代で再建復興へと歩み始めた時期だ。

当然にも焦土と化した日本国の再建には科学技術の進展が必須だったわけだが、一方では日本の科学技術や、これを取り巻く文化的土壌というものが、戦争下の中国内陸部や国内にあって、とんでもない人倫にもとる戦争犯罪を起こしていたことへの深い反省に立ったものとして構想されていく。

NHKのETVなどで何度か報じられ、いまや多くの人が知ることとなった中国内陸部での石井四郎部隊長下での731部隊による人体実験、細菌爆弾、生物兵器の開発等々、戦時下に行われた科学者の戦争動員による悪逆非道は人倫にもとる活動であったことはもちろんのこと、真理探究こそ最終的な目的とするはずの科学者として、この人類への大犯罪とも言うべき所業に手を染めてきたという戦争犯罪への深刻な反省に立った、新たな誓いというものが込められたものとしての「日本学術会議」の設立主旨だったように思う。

日本に於ける基礎物理学者として著名な湯川秀樹朝永振一郎坂田昌一らと並び、私は3.11 F1過酷事故などの折々に、武谷三男の業績を振り返る事が多いが、
彼の提唱による原子力平和利用の三原則自主・公開・民主」などは「日本学術会議」設立主旨とも親和性が高く、社会において科学というものを考える場合の本来の姿ではないかと考えてきた。

こうした時代背景を有するところから、日本学術会議の設立主旨には「科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的」と謳われているのである。

任命拒否の法的諸問題

ここでは日本学術会議を法的に位置づける〈日本学術会議法〉の内容と、1983年の改定時におけ「文教委員会」の審議を、公開されている国会の審議録から振り返り、読み解いてみたいと思う。

右は〈日本学術会議法〉の、会員の規定に関わる部位の抜粋。

第3章・第7条 
日本学術会議は、210人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。
2 会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。


第17条
日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。


今回の菅首相による日本学術会議の会員任命拒否問題はまず何よりも適法性を大きく逸脱するものとされているところだが、このように、日本学術会議法の単純明快な法律の文言そのものからも明かだろう。

日本学術会議は政府の一機関ではあるが政府から「独立して」職務を行う(法3条)ものとされ、「優れた研究又は業績がある科学者」という条件から日本学術会議が推薦するという建て付けになっている。

つまり内閣総理大臣による任命は日本会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」(17条第2項)とされており、この「基づいて」という一言からも分かるように、内閣総理大臣による裁量などを差し挟む余地の無いもので、菅首相などが語る任命権は、あくまでも形式的なものにすぎない。

これは日本学術会議は独立した組織であることを保障させる法的な縛りであり、日本会議法が改定された1983年の国会でのやりとりに、ずいぶんと丁寧で慎重な議論があり、私も読み通したところ、当時の法案起案者がいかに苦労し、日本学術会議の崇高な独立を護らなければならないかに心砕いていた様が読み取れる。

1983年5月.参院・文教委員会での「日本学術会議法」の一部を改正する法律案審議から

以下は1983年5月の参院・文教委員会での「日本学術会議法」の一部を改正する法律案の審議の議事録からの採録である。

この改正案はそれまで学者による選挙制であったものを推薦制に改正するという骨子のもので、今般の「日本学術会議」の会員選考をめぐり、いかに政府からの介入を排し、独立したものとして制度下するかに関する議論だ。

余談だが、この当時の審議に直接的に関わる法案起案者、野党の質問者らが、今般の菅首相らの任命拒否の暴挙を知ったとすればどのような反応を見せるだろうか。卒倒しちゃうのでは無いだろうか。 ここまであからさまな酷い法解釈など、とても想定内では無かっただろうからね。

かなり長時間にわたる議論のようで、関連する重要な部位を以下に上げる。
主に、149・粕谷照美(教員出身の社会党議員)〜182・丹羽兵助(文部大臣)

ハイライト、その1

政府委員(手塚康夫君) 前回の高木先生の御質問に対するお答えでも申し上げましたように、私どもは、実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません。確かに誤解を受けるのは、推薦制という言葉とそれから総理大臣の任命という言葉は結びついているものですから、中身をなかなか御理解できない方は、何か多数推薦されたうちから総理大臣がいい人を選ぶのじゃないか、そういう印象を与えているのじゃないかという感じが最近私もしてまいったのですが、仕組みをよく見ていただけばわかりますように、研連から出していただくのはちょうど二百十名ぴったりを出していただくということにしているわけでございます。それでそれを私の方に上げてまいりましたら、それを形式的に任命行為を行う。この点は、従来の場合には選挙によっていたために任命というのが必要がなかったのですが、こういう形の場合には形式的にはやむを得ません。そういうことで任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません。(148・手塚康夫

ハイライト、その2

「会員は、第二十二条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣がこれを任命する。」こういう表現になっておりまして、ただいま総務審議官の方からお答え申し上げておりますように、二百十人の会員が研連から推薦されてまいりまして、それをそのとおり内閣総理大臣が形式的な発令行為を行うというふうにこの条文を私どもは解釈をしておるところでございます。この点につきましては、内閣法制局におきます法律案の審査のときにおきまして十分その点は詰めたところでございます。」150・高岡完治(内閣官房・起案者)

ハイライト、その3

「内閣総理大臣の発令行為と申しますのは、それに随伴する付随的な行為と、」(158・高岡)

この辺りの解釈について少し・・・
日本学術会議は政府の一機関であるにも関わらず、独立した機関として、会員は日本学術会議法の17条に基づき、日本学術会議による推薦で決まることになっているが、この会員人選を日本国民の前に法的(公的)位置づけを与えるべく、行政府のTopである首相による「任命」というプロセスをおいたわけだ。
これは、審議に何度も出てくるとおり、首相による任命はあくまでも「随伴する付随的な行為」ということである。

菅首相、あるいは官房長官が「任命権は首相にある」とする解釈が、法律制定時の審議を繙けば、いかに立法主旨を恣意的にねじ曲げる違法な解釈であるかは明らかなのだ。

この審議の締めくくりの文部大臣・丹羽兵助氏による総括答弁は以下のようだ。

ハイライト、その4 文部大臣:丹羽兵助

文部大臣(丹羽兵助君) けさほどから先生にいろいろと御意見も聞かしていただき、お尋ねもちょうだいいたしました。その都度お答えを申し上げておりますが、いままでの学術会議の果たされた業績というものは大変なものであると全く評価していかなければならないし、より以上に今後もやっていただきたい、そういうことを願っての今回の法の改正をお願いしておるのでございますが、先生が最後におっしゃっていただきましたように、あくまでもこれは独立した機関である、自主的に運営される、そういうことを政府がああこうと干渉してはならぬ、こういうことでございますから、いままでとってまいりました姿勢、考えは今後とも必ず守り続けていくということをお約束を申し上げておきたいと思います。 (182・丹羽兵助

さらに、本件議論で様々なところで引用されている中曽根首相の答弁は以下の通りだ。

ハイライト、その5 総理大臣:中曽根康弘

国務大臣(中曽根康弘君) これは、学会やらあるいは学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております。(審議録

この一連の審議録だが、11月5日・参院予算委において、小西洋之議員から問われた菅首相、この日本学術会議法改正時の審議録はまったく目にしていないとの答えだった。

もはや、勝負は付いたと言うべきだろう。
一国の首相が行うある固有の法律下の行政は、その法律に厳密に適合させることなくしては「法の支配」にもとることとなり、同時にそれだけではなくその法律制定の背後にある立法主旨に基づくことが要請される。

今回の任命拒否はそうした「法の支配」に著しく背理する暴挙であることはもはや明らかというべきだろう。(次回に続く)

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