工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

世には不快な音楽というものもあるから困る

全国紙が揃って一面Topに持ってくるほどに大層な事件なのか、ボクには理解を超える扱いだね。
小室哲哉・音楽プロデューサーの詐欺容疑での逮捕という一件。
ボクは音楽は好きなので、世界の様々なジャンルの音楽を受容し、楽しんできた。
ただ近年、日本のポップス界の90年代というものは、とても辛い時期にあたった。
今だから告白しよう、というのではない。
当時から周りの者がいいかげんにしてよ、と言われるほどにに嫌い、またそれを公言していた音楽があった。
他でもなくこの小室哲哉氏による音楽のことだ。
聴きたくなくても音楽シーンのメインストリームを疾走していた彼が手がける音楽から耳を塞ぐことなどできなかったからね。
それほどにFMの、AMのラジオから、そしてTVから否応もなく耳に突き刺さってきたものだ。
この辛かったということを説明するのは音楽への感性に関わる領域のことなので難しいことだが、あえてひと言で言うならば、とても不快だったと言うしかないようなものだ。
そう、あの旋律が不快で、彼の作曲する音楽全てにおいて共通する、独特の音楽世界というものは、いかに社会的に広く深く受容されていたとはいえ同調することは叶わず、いやだからこそ不快な90年代だった。
まさに時代はハブル期。彼の音楽もバブルの時代の徒花でしかなかったのではというのがボクの了解である。


お前さんはバブルな時代であったにも関わらず、おこぼれに与れなかった悲哀が、そうした音楽を受け入れる感受性を閉ざしていた要因なのでは、との声も聞こえてきそうだが、そのことについては否定はしませんよ。
その頃はホントにボクの感受性はおかしいんじゃないかと真剣に悩んだこともあったのは事実だからね。
圧倒的な社会的支持を受けているのに、それに同ずることができない自分の感性を疑ってしまうということは辛いものだよ。
このバブリーな時代と音楽シーンには、恐らくは多くの才能ある音楽家、感性豊かなミュージシャンには、はじき飛ばされていた人も実は多いのかも知れない。
彼らはこの小室哲哉が席巻していたあの時期をどのように総括しているのだろうか。
TVニュースではおしなべて「信じられない。あんなに好きな音楽だったのに‥‥」、「あれほどの才能があったのに、もったいない‥‥」と誰もかもが判を押したようにインタビューに応えているが、ボクのように不快と感じた者はホントにいないのだろうか。
一方、ニュースへの訳知りのコメンテーターなどは、彼の豪遊、贅沢三昧の生活ぶりを難詰しては、今度の逮捕で溜飲を下げる、と言ったトーンが主流であり、まさに水に落ちた犬を叩けとばかりの論調が支配している。
ボクはそんなものは興味はない。
カネの使い方などは人の勝手で、今回の詐欺事件も逮捕されただけで、今後の起訴 → 公判 → 判決を待たねば確定的なことなど言えるものではない。
とりあえずは私生活がどうあれ、他の属性がどうあれ、アーティストであれば、その作品性に評価すべきものがあれば素直に認めるというのがあるべき態度だ。
さんざんもてはやして、おこぼれを頂戴していた関係者、メディアにそれほどまでに叩かれる謂われはないだろう。
そんな三面記事的な関心よりも、ぜひ音楽的分析ができる評論家(それを職業としない個人でも構わない)に、ボクのこの不快の原因というものを分析してくれないだろうか。
その分析の結果を受けて、その音楽性と、彼のエトスの相関関係がどうなのか、必要とあればあらためて考えればよい。
とりあえずは渋谷陽一氏、あるいは音楽評論家の伊藤強氏あたりの話しに耳を傾けてみようか。

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • はじめてコメントを送らせていただきます。
    ブログ自体は以前からずっと興味深く見させていただき、また大変勉強させていただいています。
    (展示会なども伺わせていただきたいと思いつつ、なかなか行けないでいます。)
    でもコメントは恐れ多くずっと控えてきました。
    ただ、今回の内容については木工とはまったく関わりないことではありますが、全く同感で、常日頃感じている「何か」大切なことのような気がして、つい送ってしまいました。
    私自身、実はこの木工の道に飛び込む少し前に流行していたのが小室音楽でした。
    そしてあのヒット曲「いとしさと切なさと心強さと」が巷に流れ出した頃から、何だかその感性というか、それを良いと感じる人々(あるいは)世代というものが分からなくなってきました。(それより少し前の「Ya Ya Ya」「SAY YES」までは良く付いていっていたのですが… それに最近流行っている音楽もなかなかいいと思っているのですが…)
    それと機を一にして私は木工のほうへシフトして行き、前職を辞めました。木工所に入って埃にまみれ、訓練校へ行って年の離れた若い人と一緒に学び… 
    雪深い土地の中で苦しい生活でしたが、木工は楽しかったです。ただその頃数年は音楽の記憶はありません。小室音楽全盛の時代です。
    「小室音楽を良しとした時代、世代」もしかするとそれがなかったら私はまだ木工をやっていなかったかもしれない…なんて、大げさでしょうか?

  • jagarさん(格好良いハンドルネームですね)、ようこそいらっしゃいませ。
    ご同類が約一人、いてくれただけで、この記事も意味があったかなと胸をなで下ろしているところです(メールでも同じ思いの丈を語ってくれた人もいます)。
    “世代論”だけではない、ある何物かが、受容しがたい音楽世界を作っているように思いますが、それが何なのかを究明したいものですね。
    とても丁寧なコメントをいただいた訳ですが、この音楽性というものが、木工の道への転身に関わっていた、というのは意外と申しますか、jagarさんならではの含意があるようですね。
    それが何なのかはともかくも、音楽というのはそれほどまでに人の生き方にも影響してくるということもあるということなのでしょう。
    貴サイト拝見しました。とても良いお仕事をされているように拝察いたしました。
    またサイト構築もとてもクールで素敵ですね。センスを感じさせます。
    世代的にはボクよりかなりお若い方とお見受けしますが、どうぞお仕事がんばってください。
    なお、このBlogへのコメントですが、遠慮なさらずに木工関連へもどしどしお寄せ下さい。
    投稿を逡巡してしまうような、ある種の悪しき傾向を排除しなければならないのは運営管理者であるボクの務めであることは分かっているつもりなのですがね‥‥
    どうぞ、今後もよろしく。

  • ご無沙汰しています、が、ブログはいつもオジャマしています。
    私が小室哲哉を知ったのは小学生の頃で
    当時TMネットワークというグループでした。
    アイドル全盛期だった80年代に小室さんが作り出した音楽は
    衝撃的で大人でカッコ良かった。
    テープがすり切れる程聴いた曲達は今でも歌える程覚えています。
    90年代に入ってから 
    私も小室さんの使い捨て音楽を聴かなくなりましたが
    何が彼を「音より金」にしたのか、
    これはやっぱり時代背景なしには語れない様ですね。
    バブルによる歪みは 音楽だけではないですよね。

  • この事件であちこちのテレビから流れていましたが
    バブルの音楽
    ディスコ(古い)の音楽だったような気がします
    泡となって 消えましたねぇ

  • はじめまして
    記事を拝見して思うところがあり書き込みさせていただきました。
    その時代に青春を過ごした私なりの考察です。
    小室音楽は確かにバブル期のディスコ音楽と日本の歌謡曲をミックスしたある意味でパイオニアだった。彼の音楽は終焉を迎えたバブル景気を引きずり、またそれに憧れていた世代を巻き込み、チャートインする楽曲がミリオンヒットが当たり前という異常な事態を引き起こした。時代はまさにバブル崩壊後の不景気真っ只中、リストラの嵐、就職難といった実生活に降り注ぐ不景気という冷たい雨に怯え震え、孤独を嫌悪して小さく集まり、外敵から身を守るために「共感」という合言葉に右に倣えの馴れ合いのコミィニティを拡大していった若い民衆とそれに乗った音楽業界。メディアはそれに拍車をかけ、民衆はレコード会社が押すアーティストと呼ぶ虚像のCDを当然の様に買った。
    「何のために?」
    「繋がるために」
    楽曲の良し悪しなんて関係なく時代がCDを売った。
    しかし当然の様にバブルは小さく静かに弾ける。
    いけいけドンドンのバブル経済と収縮する身体をなんとか補おうと隣人の手を握り締めたいという音楽バブルの差異は無く根源では同じ集団心理だったのであろう。ただその媒介としていた音楽がただの音楽であり、一人の人間として人を抱きしめた時のその普遍性(音楽)には何者にも代えられないと気付いた、気付いていた人達が呟いた言葉から何かが崩壊し始めたと僕は思っている。
    「共感なんて糞食らえ」
    現在の音楽業界が未だにこのバブルを引きずり「ネットや携帯の影響でCDが売れない」などと愚痴を言っている場面をみるととても滑稽に思えてならない。それは今の日本の音楽市場が多様化し「自分らしさ」を求める世代を捉えきれていない証拠であるとともに音楽業界に対して小室の与えたファーストインパクトとその余韻がどれだけ強烈だったかを知る事象でもある。
    今回の事件はその小室音楽が起こした波に彼自身が飲み込まれ、攫われていっただけの薄ら寂しい何かであったということだけで、彼に対してなんの感情も湧いてこないのと共にマスコミの醜態が浮かび上がって胎から何かが込み上げるのを覚えただけだった。僕はただそれをコーヒーで押し戻し日々の雑務に戻った。
    以上私の勝手な考察、感想でした。
    乱文をお詫びします。

  • サワノさん、ようこそ。
    「使い捨て音楽」ですか、なるほど。
    確かに初期の音楽活動を評価する人は多いと聞きますね。
    >時代背景なしには語れない
    バブル期には日本全体が節操を無くしていましたからね。
    分析の一端がほのみえてきたように感じるコメントです。
    ありがとう。
    (怪我しないようにお仕事がんばってくださいね)

  • kokoniさん、TVから流れるあのバブリー旋律には、ホントに耳を背けていますよ。
    なおぜひ専門家として「分析」のお助けを !

  • 続々と読ませ、考えさせるコメントを頂戴しています。
    アルカディアさん、あなたの論考は、どっぷりとその時代にCDマーケット消費者として苦悩していた方のようで、「分析」の状況素材を提供してくれたように思います。
    いくつかのキーワードがありますね。
    「バブル期のディスコ音楽と日本の歌謡曲をミックスしたある意味でパイオニア」
    「終焉を迎えたバブル景気を引きずり、またそれに憧れていた世代を巻き込み」
    「「共感」という合言葉に右に倣えの馴れ合いのコミィニティを拡大」
    「虚像のCD」
    「共感なんて糞食らえ」
    「今の日本の音楽市場が多様化し「自分らしさ」を求める世代を捉えきれていない」
    大事なことは、あなたのような世代の方々にとって、真に共感できる音楽的経験をミュージシャン、音楽業界ともに提示しえていないという現状への強い危機感、いや飢餓感があるように受け取りました。
    荒廃するメディアへの鋭い批判も共感できるところですが、それにとどまらない、日本社会への異議申し立ては、先の世代に属するボクらにも大きな責任があると自戒せねばなりませんね。
    安易なことは申しませんが、また再びのバブルを、というものではない、やはり「真に共感」できる何ものかを求め、希望を見出し、再構築していこうというのが、共通の言葉でありたいと思います。
    無論、あまりにも荒廃の度合いは強く、この世界的にも困難な状況から抜け出すには5年、10年という単位での時代変化が無ければダメでしょう。
    それを可能にするのは、アルカディアさんのように苦しみにあえぎ、そこから這い出すパトスを燃やせる方がいる限り、諦念することは無いと確信しています。
    どうぞ、また対話にご参加下さい。

  • >「分析」のお助け
    いやいや〜(笑)私などの戯言より
    artisanはじめ ご訪問者のコメントに
    集約されていると思います
    >繋がっていたいから
    同じものを聞く
    ということは 携帯やネットに依存てしまう
    このところの状況の
    前触れだったのかもしれません

  • kokoniさん、さっそくの「お助け」、ありがたく。
    >携帯やネットに依存てしまうこのところの状況の前触れ
    確かにそのようなところがあるのも事実でしょうね。
    音楽でなくともそうですが、やはりこれだけの成熟した社会ですので、“多様性”というものへの評価は大切です。
    恐らくはそうした多様性が失われてしまう社会というのはとても脆弱で、発展の契機の芽を摘み取ってしまうことになります。
    そうした確認のもと、ただやはり大衆音楽の世界ではその時代にふさわしい、世代を超えた、誰もが諳んじることができるようなメガヒットが産まれるというのが望ましいのでしょうが、残念ながら現代社会というのは、そのような牧歌的なヒットの手法は許されなくなっているようです。
    つまり、音楽業界は戦略の主軸をマーケティング優先におき、消費させるためのものとして日々しのぎを削ってその手法を洗練させているわけですね。
    アルカディアさんの嘆きも、こうしたハイパー資本主義下の音楽業界の在り方から抜け出すことなくしては解放されないでしょう。
    でもしかし、世界は広いです。バルカンとか、アフリカとか、南米とか、そうした国々の音楽のナイーヴさ、音楽教育の情熱などに学ぶものは多いかも知れません。

  • 小室哲哉氏の音楽について、自分と全く同じ感想、そして悩みを持っている方が他にもいらっしゃったので大変有り難かったです
    自分は大学〜社会人の頃、世間では小室
    サウンドが席巻しておりましたが、どうしても好きになれない自分はどうかしてるのかと悩みました
    色々悩んだ結果、自分が合わないと思った理由としては、どの曲も基本的に曲のつくりが似通っている事
    同じメロディを何度も繰り返す
    転調してもさらに同じメロディを繰り返す
    名曲といわれているキャンユーセレブレイトのサビもずっと同じメロディを同じリズムに乗せてるだけ

    特にまたこれ?って思うのはリズムにメロディを乗せるやり方が毎回一緒で
    有名なところでいうとGET WILDであれば、Aメロの 走り抜ける
    サビの パズルを抱いて
    とか このメロディ+リズムを色んな曲で多用してますよね?
    自分の作る曲だし大量に作ったのだから
    似てしまうのはしょうがないとしても
    普通ならもっと上手いことやると思うんですよね
    それが個性って言われればそうなのかもしれませんが芸がなさ過ぎると感じてしまいます

    好きなアーティストなんてラーメンと同じで、好みは千差万別だし自分が合わないと思ったものを批判するのは無意味だとわかってます
    でもこの人の曲はホントに当時すごいムーブメントだったので、どうしても好きになれない理由をずっと考え悩んでたんですよね
    今更ですが同じ悩みを持っていた方がいた事に安堵しました

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