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「HeForShe」エマ・ワトソンの国連演説から

エマ・ワトソン(UN Womenサイトからいただきました)

エマ・ワトソン(UN Womenサイトからいただきました)

24歳の若いアイドルのような女優のスピーチに、まさか我が耳を奪われ、心臓をわしづかみにされようとは思いもしなかった。
去る9月20日、NY国連本部「UNウィメン」の「HeForShe」キャンペーンでの女性親善大使・エマ・ワトソン(Emma Watson)の演説のことだ。

ボクは彼女の映画の1つも観ていないので、普段の容貌、立ち居振る舞いも分からない。

しかしWeb上、あちこちに貼り付けられている画像を見る限りに於いて、まだあどけさが残る、かわいい笑顔が素敵な女優で、演説の様子を伝えるYouTubeでは、やはりどことなく緊張し、時に会場の反応を気にしているのか、ぎごちなさはあるものの、だが堂々と、格調高く、自身の言葉で「フェミニズム」の再定義とでも値するよう演説をぶったから、驚き以外の何ものでも無かった。

【翻訳者、「備忘録√y」の松本優真氏による印象的なフレーズ】

“…the more I realized that fighting for women’s rights has too often become synonymous with man-hating. If there is one thing I know for certain is that this has to stop.”
(…女性の権利を叫ぶことが、男性を敵視することとほとんど同じになってしまっているケースもあまりに多いことに気付き始めました。確かなのは、そのような流れは絶たなければならないということです。)

“Gender equality is your issue, too.”
(性差別の撤廃は、男性のみなさんの課題でもあるのです。)

“In my nervousness for this speech and in my moments of doubt, I told myself firmly: if not me, who? If not now, when?”
(このスピーチをするにあたって感じてきた緊張と迷いの中で、ずっと自分自身に堅く言い聞かせてきたことは、私でなければ一体誰が、そして今この時でなければ一体いつ声を上げるのか、ということです。)

※ ぜひ、全文に目を通していただきたい

▽Emma Watson HeForShe Speech at the United Nations | UN Women 2014


映画の中での彼女を知るファンであれば、この演説に接し意外感が無かったかも知れないし、逆に、えっ、あのエマがこんな演説をと、卒倒したかも知れない。
初見のボクには、一人の有能な女性で、強い意志を持ち、女性として生を受けたからには、どうしてもここに立ち、男どもと、新しい社会を作っていくのだ、とする祈りにも近いメッセージを発する、未来からやってきた、若き女神のように映った。

おおよそ、フェミニズム、フェミニストという思想、哲学、概念は、今の時代、まるで人気が無いどころか、男どもからは馬鹿な女が自意識過剰に、オレらを敵にするような連中のかわいげの無い考え方だろう、と言ったところが社会底辺の共通認識かもしれない。

恐らくは、これは近代社会、世界共通に通底するホンネであるかも知れないし、昨今の日本では、こうした時代逆行的な思考スタイルがより一層深まって来ているというのが実態なのではないか。
安倍政権による、女性の活躍云々のかけ声とは裏腹に、日本における女性が置かれた社会的、経済的状況は、近年、最悪の危機的状況にあると言っても間違いでは無いのだから。

この世に生を受ければ、まるで当然のように、子育ての過程では「女の子だから・・・、男の子だから・・・」と育てられ、やがて思春期になればオシャレに気をつかい、紅を差し、スカートの丈を短くした途端、オトコの視線は変化し、それへの対応如何では、オトコへの抑圧下での処世に身を委ね、オトコ社会で自身の一部を押し殺し生きることを自らに強い・・・そうした総体が差別社会を温存させていく。

無論、オトコの自覚と、社会的正義に反する諸制度が、そうした女性の意識を受容させ、再生産し、拡張させていくことのなるのだが、哀しいかな、オトコも、女も、いや、とりわけオトコの方が、なのだが、無自覚であることが、この問題の根っこにこびり付き、無くならない。

社会には、この世界には、様々な差別問題が残存しているわけだが、恐らくはこの女性差別の自覚と、その克服はもっとも困難な部類に属するのではないかと思う。

しかし、彼女の演説の特徴は、とりわけ、オトコへの自覚を、ただ指弾するのでは無く、オトコも人間らしくあるために、差別を克服し、私たち(女)とともに手に手を取り合って行こう、とする立場性が全編、貫かれているところにある。

男性のみなさんには、このうねりを加速して頂きたいと思っています。それによって、家族の中にいる女性たちが先入観から解放されることになるだけでなく、男性もまた、自分の弱みや人間臭い部分をさらけ出してゆけることになるでしょう。これまで捨て去ってきた自分自身の姿を取り戻し、またそうすることで、よりありのままで等身大の自分になるのです。

彼女の演説後、もっとも話題になっていることと言えば、演説に感動し、私たちもあなたに続いていこう、といったものじゃない。残念だが、それが現実だ。
むしろネット上に溢れかえっているのは、彼女への憎悪に満ちたパッシングであり、脅迫であると言う事実を観れば、いかに男どもにとり衝撃的なメッセージであったかの証左と考えることができる。

これらはエマ・ワトソンにとり、決して恥ずべきリアクションなどではなく、新しい道へと踏み出す者への常なる強烈な反動の嵐であり、闘う者に与えられた誇りある栄誉と受け止めるべきなのだ。

ではなぜこれほどまでに衝撃的な演説であったのか。
もちろん彼女がハリウッドを代表する女優であり、したがって若くして数10億円の年収を誇るセレブの一人であるというスター性から付与されたものであることも、1つの隠せない要因であることは否定しない。

しかし、多くの女性はそんな属性で評価などしていないと思う。
何よりも彼女の演説は、とても簡明で、ストレートで、自分たちの女性としての人生の中で体験させられてきた女としての悔しさ、哀しさ、男のアホさ加減、そして女としての誇らしさ、そうしたものへの偽りの無い共感を語ってくれたことで、大きな反響をもたらしているのではないだろうか。

さらに、まるで世界を相手に宣戦布告するような内容でのスピーチを、何と国連の場で発するという大胆な企てと勇気に、拍手を送らずしておくものか、といった受け止め方であったように思う。

あるいはボクのように、演説が向けられ、起ち上がれとエールを送った対象は女だけでは無く、男への指弾であり、そして励ましでもある内容であることに気付き、恥じ、そして自覚し、女性とともに起ち上がろうと勇気づけられた多くのオトコどもも、感動の涙で大きな拍手を送ったに違いないだろう。

私は70年代に青春時代を送った者の一人として、女性解放の運動を身近に見知る場にいたこともあり(当時はウーマンリブという形態を取った運動だったが)、フェミニズム、あるいはジェンダーに関わる多少の知見とともに、男としての存在であるがゆえの限定的なものではあるが、女性差別の現状には歯がゆい思いもし、差別を克服するよう自覚し、生きてきた積もりではあった。

そうした男でも、彼女の演説には目頭が熱くなり、同時に女性解放の運動においても、新たなページが刻まれたのだろうな、との思いが強く、感動を共有してしまったものだ。

大げさかも知れないが、1963年、ワシントンでの大行進で『I Have a Dream』(私には夢がある)と語った、あの有名なキング牧師による名演説に並ぶほどのものにさえ思った。
エマ・ワトソンも若いが、当時、キング牧師は34歳。

この原稿を書くにあたり、メディア以外からの評価、評論などを探してみたが、個人のBlog以外では見つけられず、日本国内での評価は不明だが、そうしたことに関わる識者、あるいは関心を持つ人々にはぜひ、感想の一端でも残して欲しい。著名な女優、エマ・ワトソンという属性を抜きに、彼女のメッセージを虚心坦懐に読み解いて欲しい。

フェニミズムを語るにあたり、今後はこの演説を参照し、触れること無くしては、十分な効力を持たないのではとさえ思えてくる。

そしてぜひ日本でもこの国連の新しいプログラム「HeForShe」運動を根付かせて行って欲しいと願うばかりだ。

最後に少し、日本での男女関係について、普段気になっていることを書き残しておきたいと思う。
比較的若い、既婚者の男たちが用いる、パートナー、配偶者への呼称のことだ。
ボクにとっては耳を疑い、哀しみをもって受け止めざるを得ない呼称。
「うちのヨメ(嫁)」という呼称が、実に広く、一般化していることに驚く。

本人は全く無自覚に使っている人がほとんどなのだろうという気はするものの、これは封建遺制として捉えるべき呼称。
「嫁」とは、家父長制度、家制度の中にあって、外から「家」にやってくる女性。

紛々たるヒエラルキー臭が漂う概念、まさに男女差別の象徴的な表象ではないのだろうか。

ボクの世代では考えられない呼称だが、今の世代がいかに旧弊に逆行し、時代錯誤的な男女関係に浸っているのかの象徴であるように思えてならないのは、単なる杞憂であれば良いのだか。
名は体を表すと言うが、いかに無自覚であったとしても、その語彙に託された本来の意味を放棄させ、無化するなどという芸当は止めにして欲しいと思う。

最後の最後に、この彼女の演説を翻訳してくれたBlog「備忘録√y」の松本優真氏(京都大学生)に深く感謝して、冗長な話しを置くことにする。

【演説の結語】

平等を実現できると信じられるならば、みなさんもまた、私がすでにお話しした、意図せぬフェミニストの一人なのです。そのことに、私は拍手を送りたいと思います。

私たちをまとめ上げるような言葉はなかなか見出せずにいますが、私たちが足取りを同じくしているのは素晴らしいことだと言えるでしょう。それこそ、「HeForShe」の取り組みです。

足を進め、前に出て声を上げて、女性に寄り添う男性になって頂きたいのです。自分でなければ誰がやるのか、今でなければいつやるのか、と自分に問いかけてみて下さい。

ありがとうございました。

UN Women 2014〈HeForShe〉の公式ロゴ

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