工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

「国葬」強行にこの国の落日を視る

毎日新聞社による世論調査結果

1週間前の毎日新聞社の世論調査結果が冒頭のグラフです。

一般に内閣支持率が30%を切るとその内閣は“死に体”に陥る(おちいる)などと言われているようですが、明日の「国葬」という岸田政権にとっての大事業を控えていることを考えれば、この目を覆うばかりの支持の低さは、トンデモ無い大変な事態と言わねばならないでしょうね。
(毎日・「岸田内閣支持29% 7ポイント減、3割割る」09/18)

毎日新聞の世論調査だけが突出した数値を示しているのでもないようで、ほぼ、各社の世論調査も同様傾向を示しています。

このグラフからは、7月上旬を転機に、一気に支持率低下へと転げ落ちることが見てとれますが、この7月上旬というのは、参院選 最終盤の時期です。

他でも無く 現在、様々なメディアで大騒ぎになっている、元首相・安倍晋三氏の火縄銃様の銃器による銃殺と、これによって暴かれてしまった安倍晋三氏を頂点とする、自民党議員らがカルト教団・旧統一教会に絡め取られてしまっているという驚くべき実態への気付きであることは疑い無いところでしょう。

それにも関わらず、この教団と政界の関係性にあって、その頂点に君臨していた安倍晋三氏を「国葬」で祭り上げることへの疑念、不信、あるいは暴挙への怒りがこの急峻な支持率低下として表れているとみるべきでしょうね

岸田首相と安倍晋三氏は国会議員としては初当選同期なのだそうですが、そうした私的な友誼からくる判断もあったのでしょうが、誰が視ても、政権を掴み取ってから1年の余、自身の政権維持のための、安倍晋三氏が代表であった清和会(安倍派)ら、党内右派の支持繋ぎ止めの装置としての「国葬」決断であったと考えるのが、多少でも政治に関心を持つ人々であれば衆目一致するところでしょう。


しかし果たして、当の安倍晋三氏はこうして祭りあげられることを喜んでいると思われますか?。
あまり大っぴらにはしてこなかったカルト教団・旧統一教会とのただならぬ関係が「国葬」問題によりますます暴かれ、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、8年余りの政権を担う中から積み上げてきた「業績」は、実はカルト教団・旧統一教会の教義からの「受け売り」に近いものであったことなども暴かれてしまうに至っては、これらの「業績」もボロボロに傷つき、立つ瀬がないというのか、浮かばれないでしょう。

「国葬」に対する昭恵夫人や、岸信介の娘である晋三の母親ら、遺族の考えは伝わってきませんが、フツーであれば、死に至る過程の激越で特異な形態であったことからも、そっとしておいて欲しいというのが、愛する夫、愛する息子への最期の極私的な思いなのでは無いでしょうか。

数日前でしたが、自民党の古参議員・村上誠一郎氏の発言にはちょっと驚くほどのものがありました。

「反対が多いなか、なぜ強行するのか。安倍氏の名誉になるのかどうか」
党本部で開かれた総務会後に、安倍氏の政権運営が「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊した。国賊だ」と発言。
毎日新聞 09/21) 

席を同じくする自民党議員から「国賊」呼ばわりとはいささか驚きましたが、岸田首相が「国葬」にさえしていなければ、これほどに悪し様に言われることも無かったでしょう。

こうして「国葬」を取り巻く状況を視ますと、岸田政権の「国葬強行」は、人の死をも己の政治的欲望に利用し尽くすものといったものであり、とても許容できるものではありません。


以下、この「国葬」を巡る問題について少し考えを巡らせてみたいと思います。

まずは、野党のほとんどが指摘しているように、「国葬」決断までの「手続き」における瑕疵について。つまり法的根拠が果たしてあるのだろうか、という問題です。

「国葬」という、「国」が、ある特有の個人を「弔う」というのは、やはり尋常じゃ無いわけです。
岸田首相は「国葬」ではなく「国葬儀」であると、ゴールポストを移動させるようなごまかしで煙に巻こうとしています。

しかし、「国葬」であれ「国葬儀」であれ、どっちでも同じですが、「国」を冠するイベントであるにも関わらず、最低限、国会に諮る、というプロセスをいっさい経ることなく、内閣のみで決するというこの度の決定は、どう考えても、手続き上の瑕疵を越え、法的な問題が起きてきます。

戦後日本の「国葬」の在り様

戦前の大日本帝国憲法下では「国葬令」という規定があったようですが、新憲法の制定時、これは廃止されています。
したがって、戦後初の「国葬」だった吉田茂氏の時には、「吉田学校」の優等生であった当時の首相・佐藤栄作の強い意向から「国葬」を計画したのですが、「国葬令」が廃止された戦後日本においては法的根拠を欠くことから、当時の内閣法制局が「三権の了承が必要」との見解を示すことで、それぞれの了解を取り、野党(当時は社会党が第1党)を説得するなど、幅広い合意形成を粘り強く行った上での実施だったようです。(朝日09/08

朝日新聞からお借りしました

その後、ノーベル平和賞まで受賞した佐藤栄作の死去にあっては、自民党は同様に「国葬」を模索したものの、ここでもやはり「法的根拠」の疑わしさから、結局「国葬」の形式はとられることが無く、「政府、自民党、国民による共催」という形を取る「国民葬」とされたのでした。

その後は、こうした形式が定着したこともあり、大平正芳、岸信介、三木武夫、福田赳夫、小渕恵三、鈴木善幸、橋本龍太郎、宮沢喜一、中曽根康弘、各氏の死去に当たっては「内閣・自民党合同葬」として執り行われてきたのです。(費用の一部、または半額が国費で賄うというもの)

法的根拠の不在

先の「国葬」を巡る閉会中審査の場において、岸田首相と、各野党の間での議論が交わされ、その中で集中的に指摘されたのが、この「法的根拠」でした。
岸田首相は国葬の法的根拠として「内閣府設置法四条三項の「国の儀式」を挙げ、この行政法は内閣の判断に依るところから、閣議決定でOK!と解釈したのだそうですが、行政法の専門家によれば、これは国葬の実施を決定する根拠法とは言えず、単に「国葬」の業務の担当が「内閣府」であることを定めているだけという。

事実、1967年、吉田茂元首相の葬儀にあっては、当時の水田三喜男大蔵大臣は「国葬儀につきましては、ご承知のように法令の根拠はございません」と答弁しています。
前述の通り、そのために佐藤栄作首相は、三権の長、あるいは野党の承諾を得るべく、幅広い合意形成を粘り強く行ったのです。

つまりそもそも戦後日本憲法で「国葬」を行うことなど想定されていなかったものの(戦前の「国葬令」は民主主義憲法の理念に照らし、合法ではあり得ないとして廃止されるという歴史的な経緯があったのですから)、当時は戦前から戦争時に人生を送った人がまだ圧倒的に多かったこともあり、
いわば超法規的な措置として行われたのが、吉田茂の「国葬」だったのです。

基本的人権、法の下の平等を基本理念とする日本国憲法の下では、「国葬」などという戦前の亡霊はまかりならないのです。

私はこの度の「国葬」にはもちろん反対の立場ですが、これは安倍元首相を対象とするという、属人性も否定できないですが、基本、誰が対象であっても、戦後日本に生きる私たちとしてはノン、と言わねばならないのです。
ある特定の人物の死を国家があげて称揚し、人々に服喪を強いるなどというのは日本国憲法の最高理念である「法の下での平等(憲法第14条)」に反するのです。

全額国費での「国葬」

この「国葬」執行に要する経費は全額、財政規律がグダグダな国税からの支出です。

朝日新聞からお借りしました 多謝

(国葬であるにもかかわらず?)服喪を強いることは無いとは言っても、やはり国が司る「葬儀」であり、2億5千万円の直接経費に加え、警備費用、接遇費用などを加えれば、16億円と概算される経費は全て国費からの支出となります。

先の英国・エリザベス女王の国葬は約13億円だそうで、安倍元首相の「国葬」はこれを上回る経費となり、それとの対比で喧しいところもあるようですが、それはともかくも、当然にも「財政民主主義」(憲法83条:国家が支出や課税といった財政活動を行う場合には、国民の代表者で構成される国会での議決が必要であるとする考え方)の規範を考えれば、例え、国会の承認も必要とされない「予備費」での支出であれ、本来は国会での審議を経るべきものと考えるのが妥当でしょう。

とにもかくにも、この国葬実施決断への経緯は、岸田首相、松野博一官房長官、木原誠二官房副長官ら、官邸の一握りのメンバーで短兵急に決定したものと言われ、その後これを内閣の「閣議決定」として決せられたことへの疑義は、多くの法学者、政治学者がこぞって批判するところのようです。

冒頭の内閣支持率の坂を転げ落ちる様というのは、こうした法を無視した独善的で、筋悪の施策であることへの広汎なる怒りによるものでしょう。

旧統一教会と安倍晋三氏の蜜月

愛国は実は売国であったという笑えない話し

冒頭、内閣支持率の著しい低落傾向は、縷々挙げてきた事柄以上に、実は日々TV、雑誌、そして遅ればせながらこれに算入してきた新聞などによる、この日本社会を揺るがしてきた統一教会と自民党の抜き差しならぬトンデモ無い関係が、日々、暴かれ、その頂点に安倍晋三氏がいたという、恐るべき実態こそが、この「国葬」への強い違和感、フツフツと湧いてくる怒りが、支持率低落の根源にあることも明らかなようです。

7月8日、参院選投票日の前々日にあたりますが、安倍晋三氏は遊説先の奈良市内で応援演説しているその場で凶弾に斃れ、心肺停止に陥るという、恐るべき犯行が行われ、第一報を聞いたときは、その事実の重さにとても信じがたく、身震いするほどの衝撃を受けたものです。

犯人は41歳の元海上自衛隊隊員で、その武器は数本の鉄パイプをビニールテープで巻いた手製の銃器であったというので、これまたびっくり仰天の事件でした。

その後、母親が統一教会の信者で、誕生時のそれなりに裕福な家族であったものが、統一教会に身ぐるみ剥がされ、食うや食わずの極貧生活を強いられ、学業成績も良かったものの、こうした家庭の資産状況から大学へ進むことも諦め、自衛隊に職を求めたり、様々な派遣労働者として青年期を送っていたようです。

ついには募る一方の統一教会への怒りが、手製の銃製造から、統一教会との深い関係を持つと見做した安倍晋三元首相をターゲットにしていくプロセスは、既に様々なメディアによる取材と報道から、ほとんどの人が知るところとなっていくのです。


私はこの容疑者のように、家族の中に宗教にまるごと持っていかれる人はいませんし、周囲にも同様の人はいませんので報道に接する限りでしか理解できないのですが、しかし、彼のように、家族を顧みること無く宗教にまるごと捧げる人生に何らの疑念を持たない母親を持ち、病弱の兄を労りつつも、どうしようもなく強いられた自らの暗愚な人生に怒りと憎悪を滾らせることだけが生きるよすがともなれば、平穏な家庭生活が保障された中でしか得られないかも知れない、精神的な成長も阻まれ、自身の苦悩を聞き入れるような社会の受け皿も見当たらず、ただひとり、狭いアパートの中に籠もり、蝕まれていくように、人生が壊れていくというのも分からないでは無いのです。

他方では、裕福な人生があらかじめ保障され、存分に恵まれた環境の下、教育を与えられ、求めれば政界にも席を与えられ、やがては党の総裁まで上り詰め、一国の首相として頂点に立つ、もちろん本人の資質、努力もあるわけですが、何よりもあらかじめレールを敷かれたところからスタートするのとでは、この容疑者との人生の歩み方との違いの大きさに眩暈がするばかりです。

不条理というのか、社会というものの在り様に思いを巡らさざるを得ない事件でした。

その後、現在に至るまで3ヶ月近く経過しますが、この山上容疑者による数発の銃撃は戦後日本社会の依って立つ心臓部を照準にしたかのように、グラグラと揺り動かされているように思えてなりません。

統一教会との関係を有する少なくない数の政治家はもちろんですが、政治評論家から、右翼を信条とする言論の人々、あるいはTV芸者というのか、様々な芸能人まで含め、その物言いにおいて自身の立場性を問われるなどしているわけですが、この「国葬」を巡っては一層、それらの人々の依って立つ核心のところを見せてくれているようで、大変興味深いものがあります。


さて少し文脈が乱れてきましたが、この項のテーマ「旧統一教会と安倍晋三氏の蜜月」に戻ります。

当初、この銃撃事案の直後から数日は、選挙戦渦中であったことから「民主主義を否定する暴挙」「政治テロ」といった論調に支配され、選挙戦でも、党派を超え「断固として戦う」と唱和されたものでした。
そんなこともあり、参院選は安倍元首相の意志を継ぐとばかりに気勢も上がり、与党、自民党の圧勝という結果をもたらしたのです。

しかし、数日後には、容疑者のバックグラウンドが少しづつ明らかになり、やがては「統一教会」への私怨による犯行と判明し、新たに日本社会を大きく揺さぶることになっていくのです。

ここでは多くは語れませんが、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三、三代にわたる統一教会との蜜月は、政治学の分野の方々、ジャーナリスト、一部の市民などの間では比較的良く知られた、戦後政治におけるエポック的なもので、知る人ぞ知るというものでしたが、この銃殺というショッキングな態様も加味され、誰しもが戦後日本政治の一裏面史が知られるところとなっていきます。

1960年代から現在に至る、日本社会における旧統一教会、あるいは勝共連合の活動というものは、安倍晋三氏の祖父・岸信介の働きかけ、擁護、庇護なくしては、たぶん為し得なかったといっても過言では無いのです。
父親の晋太郎氏も、党内力学から勝ち抜き、自民党総裁への道を駆け上がろうとしていたのですが、その過程では統一教会の助力もあったものの、無念にもこれからという時期に病死となり、その意志は晋三氏に託されることになるのです。


岸田首相の自民党議員への統一教会との関係の「点検」には、巧妙にも細田衆院議長と、安倍元首相は対象から外され、彼らの統一教会との関係性は封印されたまま、だからというわけではありませんが、私もその実態はよく分かりません。(「旧統一教会との「決別」宣言、自民党内外から疑問の声 安倍氏、細田氏はあくまで除外、ずさんな自主点検」

しかし、関連団体のイベントへの電報であったり、ビデオ出演での激励から視る限りでも、ハンパ無い関係性が垣間見られますし、今回の参院選はもとより、過去の選挙においても、統一教会の信者の票の差配を安倍晋三氏が行っていたことが、支援を受けた自民党議員から明かされており、蜜月の関係を越え、まるで一体化されたとでも言うような関係であったようです。

こうした言い方は誤解を招く怖れもありますが、これらの背景を考えれば、山上容疑者による銃殺の照準はあながち的外れであったとは言えず、むしろドンピシャであったと言わねばならないのかも知れないのです。

本人のその殺害意志と犯行態様は、宗教の装いをしたカルト・統一教会により、容疑者の家庭を破滅させられ、その私怨を、銃殺対象として格好の場である公共空間上の演説の場に設定し、見事なまでに完遂させるという、怖ろしくも劇場型の犯行であったのですが、この容疑者の意志、思いをはるかに超え、日本社会を根底からユッサ、ユッサと揺り動かしているというのはなんとも皮肉なものです。

自民党の憲法草案からLGBTQなどの政策は、統一教会とおんなじ

さらに視ていきますと、トンデモ無いことに気付かされるのです。
自民党の「憲法改正案」は旧統一教会のそれと極めて似ているのです。(旧統一教会側と自民党、改憲案が「一致」 緊急事態条項、家族条項…濃厚な関係が影響? 東京新聞)

考えても視てください。韓国に本部を置く宗教団体と政権与党の政治リーダーが昵懇の関係にあり、政策から学び合う姿というその異様さを。

安倍晋三氏の思想信条の核心はナショナリズム、「愛国」にあったことはご存じの通りでしょうが、野党やリベラルな活動へは「反日勢力」などと悪罵を投げつけてきたのでしたが、何のことは無い、日本を悪し様に嫌悪し、日本の信者からの一家離散までを強い、洗脳の環境下で莫大な献金を強要し、これを韓国の本部に吸い上げ、教祖の懐に納め、世界の反共運動へと注ぎ込む。
「愛国」を語るも、その裏ではまるで「売国」に精を出しているというのが実態では無いじゃありませんか。

語るぬ堕ちるとはこのことです。化けの皮が剥がれたと言うのでしょうか、薄っぺらい、日本の右翼運動の最大のボスが、この「売国」に身をやつしていたのです。

昭恵夫人と親密な関係にあった学校法人に国有地をただ同然で払い下げ、若い頃からの親友が経営する学校法人に開学の制度を歪めてまで獣医学部を認可させ、自身の選挙地盤の有権者を数十台のチャーターバスで、国費が投じられる「花見の会」に招待するという政治の私物化。

これらへの国会での質疑に、議会事務所によるカウントでは118回の「虚偽答弁」がなされたといわれ、ついには腹痛で首相辞任。

こんな売国奴、トンデモ政治家を「国葬」に祭り上げるとは、日本もここまで堕ちたのかと思うと、哀しくてなりません。

おわりに

今回の記事は風呂敷を拡げすぎ、やや散漫な記述になってしまった事を詫びねばなりませんね。

また、紙幅の関係と言いますか、時間切れで書けませんでしたが、
統一教会の影がチラつく、朝日新聞社、記者へのテロ事件「赤報隊事件」であるとか、自民党がなぜここまで統一教会という禍々しいカルト教団に足下を掬われることになってしまったのか、その時代的な背景も考えていかねばなりませんし、

あるいはまた、岸田政権のこの度の「国葬」強硬は、冒頭のような支持率の惨憺たる低下として結果することは想定できたはずのものであり、まさにオウンゴールをしてしまう、政治センスの無さには驚くばかりで、そのあたりの背景にも迫ってみたいと思ってはいたのですが、非力な結果でした。
これらまたの機会に譲ります。

このような不十分な記述でしたが、「国葬」を巡る問題は、とても根が深く、戦後日本社会のある種の本質を照射するものでもあり、ここを考えていくことで、現在の日本社会の著しい世界的な低迷、とても近代を経てきたとも思えない、旧態依然とした社会制度、独歩安の円・・・

こうした様々な日本的特異性なるものの、その根底に拡がる、禍々しい実態の1つが、この安倍晋三氏と統一教会の関係性として暴かれつつあることだけは確かであるようです。

岸田政権は明日の「国葬」を、これらの禍々しさをひた隠しに封印してしまうイベントとして企んだのかも知れませんが、既にその意図はバレバレで、有権者、市民の怒りは沸点に達しつつあるようです。

今必要な事は「国葬」実施では無く、果たして安倍氏が「国葬」にふさわしい人物であるのかの解明でしょう。
16億円を「国葬」に費やすのではなく、コロナ禍で斃れた身内の葬儀1つも挙げられない庶民もおられる格差社会の是正にこそ使うべきでは無いでしょうか。


「国葬反対」の署名運動がいくつかありますが、その1つを以下に。

▼ 安倍元首相の「国葬」中止を求めます
Change.org :https://www.change.org/p/安倍元首相の-国葬-中止を求めます


《関連すると思われる記事》

                   
    

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.