工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

春の憂鬱

桜花甲子園から、パ・リーグから球音が聞こえてくる春本番ですね。
早朝家人を駅まで送りに行った帰路、近くの川の土手にある桜並木の様子を確認に行くが、遠眼には全く色づきが無いのでこりゃダメだなと諦めかけた。
しかしせめて数輪でも、と思い直し到着するも、やはり全く開花していない。
当初気象庁の開花予定の発表では静岡は何と13日頃という予測が出てびっくりしたが、これは直前になってデータ入力のミスで計算間違いだったとの訂正が入る。
訂正後出された予報は19日ということだった。既に予報から5日経過するが、とてもここ数日で開花するような現況ではないぞ。
しかしあの訂正時のニュースを見て、計算間違いのオドロキ以上にビックリさせられたのは、現在の開花予測というものはソメイヨシノのツボミの膨らみ具合などを検証するなどということは全く無く、ただひたすらコンピューターへ気温情報などのデータを入力し、統計学的数値をはじき出すだけなのだということだった。
そんなものなのかね。気象学というのは。
その土地に根ざし、子供の頃から農業に勤しむ傍ら、花守をしている古老などの予測の方へ信頼を託したくなってくるのだが、これはやはり間違いなのかな。
コンピューターに全幅の信頼を於くという科学的な手法こそ善であり神なのだ。
このままではキューブリック、「2001年宇宙の旅」のHALのように暴走し始めるのを誰も止められなくなるのだろうか。
今だから告白すると、この映画、封切り当時、新入社員だったボクは会社の先輩に嗾され連れられ、職場を抜け出て劇場に駆け込んだものだった。
こうしてこの先輩から悪いことも、シネマの快楽も覚えながらオトナへと向かっていったのだった。
IBMは徐々に日本の市場へとコンピューターを導入しつつあったが、まだ当時の職場では計算機は機械式のものを使っていた。個人的には計算尺というスケールのようもので計算をしていたのだった。
*画像
Top:ソメイヨシノ
中:土手に咲いていたぼけの花
下:工房前の地べたに毎年咲いてくれるスミレ
sumire
ぼけ

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  •    気象学とは俺(おら)のことかと統計学いひ
    >現在の開花予測というものはソメイヨシノのツボミの膨らみ具合などを検証するなどということは全く無く、ただひたすらコンピューターへ気温情報などのデータを入力し、統計学的数値をはじき出すだけなのだ
    これが、いまのニホンの社会の実態。まさしく、これが、現代的<科学的>開花予測なんでしょうね。
    でも、おら、やっぱり、ソメイヨシノのツボミの膨らみ具合をみて、そのえもいわれぬ桜色の度合をたしかめながら、自分の目で「予想する」ほうがいいなあ。
    スミレといやあ、この人。
       菫ほどな小さき人に生まれたし
                      漱石
    さいごに、ボケの花。
    写真のボケは、あやしくぼけているところがミソだけれど、なんだかボケの花らしくないね。撮影場所が土手ということからか、まわりにあまりにも草が多くて邪魔をしているよ。

  •     山路きて なにやらゆかし 菫草
                    松尾芭蕉
    風に吹かれてさん、どうも、です。
    気象庁職員もコンピューター操作能力は高まりはしても、職能としての予知能力は明らかに減退の一途を辿っていくのでしょうかね。
    ボケの撮影は絞りを開け、焦点深度を深くしたので、上のボケの方にだけ焦点が当たっていますね(^^)v
    土手の清掃をしてから撮影しなって? 師匠そんな‥‥。

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