工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

家具職人の個展

今回の個展、会場は3ヶ所の松坂屋美術画廊に囲まれた美術品売場という立地。
それぞれが初日オープンということで、大勢の来場者があった。
ただしかし、いかに手を尽くした自信作の家具制作とはいえ、日展会員の日本画、日本工芸会正会員の陶芸家による器などを求める客層とは少し、いやかなり異なるものがあるのだろう、一瞥をくれることもなく立ち去る人が多いというのが、悲しいかな実態である。
しかしさすがに松坂屋本店の美術部会場。興味深く見入る客の多くが、高級家具を知り尽くし、使い倒してきた人たちのようであった。
つまり鑑識眼をあらかじめ備えた人たちであり、木工家具に関するイロハの解説など不要で、いきなり本質的な話題へと入れるのが良いと感じさせられた。
初日だけでも幾組かとの高品質家具に関する興味深い話題に話が及んだのは嬉しい限り。
個展に於いて会場という要素の重要性についてあらためて感じ入った。
先に触れたように、この会場では初めての開催だが、個展のオファーは一昨年にあり、曖昧ながら受諾していただけだったが、この年明けに突然決定した。
こうして十分な準備期間が与えられていたわけではないのだが、そうした環境の中にあって、精一杯努力し、備えてきた積もりではある。
多くの人にご観覧頂き、ご批評賜りたいと思う。

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昨日、会場でちょっと困ったことが起きた。
この家具展を目的として来訪されたと思われる一人の若い男性がいて、その尋常ならざる見方に、叱りつけてやりたい衝動に駆られたのだった。


結論的に言っておけば、好きなようにさせてしまったのだが。
キャビネットの抽斗を1つ1つ乱暴に引っ張り出し、外してみては裏から底から確認しているではないか。拭漆のものにも、置かれた「手を触れないでください」の注意書きを無視して、べたべたと触り放題。
スタッフ数名を含め、作者がいることも眼中にないようで、勝手気ままな振る舞い。
ボクは知人の個展などでも同様な人たちに遭遇することが屡々あり、作者本人からでは言いにくいことだろうからと、出しゃばり、そうした見方への苦言をしてきたものだった。
恐らくは同業者、あるいは修行中の若者、という人たちだろうと思われる。
研究熱心なのは喜ばしい限りではあるが、まるで礼節をわきまえないということにおいては、そうした人たちと同業であることにボクは強く恥じ入る。悲しすぎる。
簡単なことである。
会場に作者がいれば自身の氏素性を明かし教えを請えば良い。その人の先輩である作者のほとんどがオープンに解説してくれるだろう。ただそれだけである。
モノ作りというのは、モノそれだけで完結しているわけではない。
それを制作した人の精魂込めた、その人が対象化されたモノであり、使い手との関係性の中にモノが介在するという本質を抜きにモノと対峙するというのは、ボクが考える概念の範疇外のことである。
これは決して過度に情緒的な関係性をモノの背景に見よ、ということを示しているわけではない。ドライなものであっても構わないし、作者との暖かいコミュニケーションが無くたって構わないが、そのモノへの興味を抱くのであれば、より深くそのモノへの探求がしたいのであれば、作者への最低限の敬意を払った礼節を示し、モノへと深くアクセスすれば良いだろう。
そうしたことを理解しないようであれば、良いモノ作りなどできるわけがない。
もう少し直截に言ってしまおうか。
家具などの場合、そのデザイン、技法、仕事の品質などは、適度な距離を置いて、外部に表れているところを見るだけで、十分にその作者の力量は透けて見えるもの。
逆の事例。
数日前、このBlogに初コメントした木工を志す若いご家族がやってきた。
彼らはちょっと驚いたようだったが、その姿を見てすぐにそれと分かり、こちらから話しかけたのだったが、当然にもこうしたケースでは必要に応じて簡単な説明を付し、楽しい会話も交え、じっくりと観覧し帰っていった。

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さて、今回の個展は「木工家ウィーク」に協賛させていただいているということもあり、木工家具の需要層へ向けた展覧会ではあるものの、「木工家ウィーク」に参加される多くの木工家、家具職人、あるいはデザイナーという木工家具周辺の人々の来場も多いと思われる。
これは意図せざるものではあるものの、せっかくの機会だから普段Webサイト、Blogで発信し続けている木工職人の作るモノがどのようなものであるのかを見ていただくのも悪くないだろうと考えている。
同業者の手厳しい批評に晒すのは制作者にとり決して甘い果実では無いかも知れない。
しかし例え苦いものであっても、それを甘受しようというのが表現者としての務めだろうし、また次へのステップを歩み出すのに何某かの良い効果をもたらすだろうと思うからだね。
昔、あるデザイナーからの出展依頼で展示会に出展したときのこと。
ボクをよく知る一人の若い家具職人が見に行ったようで、そこで主催者との会話の中で次のようなことを漏らしたと言う。
「杉山さんは口が上手だから‥‥」
それに対して主催者のA氏は次のように応えたそうだ。
「あなたは彼についてどこまで判っているつもりなの?。作り手は作ったもので評価されるのであって、口が上手、下手というのは本質的なものじゃないでしょう」
皮肉混じりの物言いを諫めたという場面であるが、これは表現者すべてに共通して言えることだろう。
つまり、他人が何を言おうが、その作家、制作者の属性に関してどのような尾ひれを付けられようが、まずはじめにモノ、あるいは作品が絶対的対象物として眼前にあるのであれば、それが全て。
モノ作りという生業とはそうした厳しい世界であることをあらためて考えさせられた一件だった。
一方またこれはシアワセな生業でもあることを意味している。
どのように陰口叩かれようが、モノで表現できる者はシアワセである。
無頼者であれ、世間知らずであれ、半端者であれ、良いモノを作り、社会的に有用であったり、時に反社会的な前衛芸術であったりする表現者は認められるべき人たちだ。
無論、対語として、キビシサということとともにある概念ではあるのだが。
モノ作りがモノに関わる外部発信をするとき、そのモノを見れば、どのようなバックボーンを背景として、どのような内実を持って生きているのかが透けて見えるというわけだ。
そうしたモノ作りにおけるモノとしての表現と、作者の発言の関係性を考えれば、普段からやや過剰なまでにモノを語り、世界を語るオトコが、どの程度の人物なのかが透けて見えるということでは、ご覧いただくのは悪いことではない、ということになるだろう。
その結果、厳しい批評に晒されるのであれば、それもまた由としなければならない。
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ボクの知る木工職人の多くは語らずしてモノを表現する人だ。
それぞれに魅力的ですばらしいモノ作りをする。
寡黙でひたすら自身の場所を掘り下げていく人たち。
これはパーソナリティーの在りようであっても、口の多いボクと人種が異なるわけでもなく、本質的で良い交流ができる人たちでもある。
つまり、モノ作りに勤しむ者どおしの共有基盤があり、さらにまたそれぞれの強い個性が魅力を放つが故の、認めあうことができる関係性がそこにはあるからである。
ただ誤解してもらっては困るのだが、今回の個展企画もそうだが、こうした企画は自身で「営業」するということはボクはほとんどしないし、できない。苦手だ。
相手からのオファーがあってはじめて動くというあり方からすれば、やはりボクも多くの語らず、寡黙な木工職人たちとほぼ同様のパーソナリティーの持ち主ということになろうか(爆)。
自身を“家具作家”と自称できるほどの勇気も自信もない、ありふれた木工職人、家具職人の系列に位置するモノ作り探求者の一人であるに過ぎない。
ところで件の傍若無人な振る舞いを放置したのは、企画者サイドの意向に沿ったまでのこと。
以前別会場でのことらしいが、同様なことで作者と観覧者との間が険悪となり、会場が大変なことになってしまったらしく、その再燃を危惧しての配慮だったようだ。
公共空間の振る舞いの在り様というのも、昨今いささか変容してきているのかもしれない。
あぁ、言うまでもないことだが、読者で観覧される方にはそのようなことはないと信じるし、また解説を請われれば、当然にも求めに応じるというのがボクの姿勢です。
下画像は初日会場スナップ
個展会場スナップ

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  • 松坂屋での個展開催おめでとうございます。
    大盛況の様で何よりです。
    工房悠さんの家具を前にしても困ったヒトというのは存在するのですね。
    こういうヒトは何を見ても同じ振る舞いをするのでしょう。
    高山の学校時代「家具は裏を見れば解る」みたいな言動が半端に浸透して
    解っているのかいないのか、
    何を見てもとりあえず抽き出しを引っ張り出して裏を見るクラスメイトを
    私はあまり好きにはなれませんでした。
    第一、その振る舞い、品が無い。
    こんなことがあったのでこの困ったヒトの振る舞いも想像がつきます。
    そんな私は 木工家具関係者の先輩方に
    私も家具を志すハシクレですっ!
    というオーラをもう少し出したいと悩む日々です。

  • サワノさん、モノの品格というものを感受するためには、それに見合った品格を有しないと無理なのかも知れませんね。
    粗雑な扱いしかできない輩には、その程度の品格しか備わっていないということでしょう。
    またその人がモノ作りを志す若者であるとすれば、その程度のモノしか作れないのかもしれないね。
    あなたのBlog記事における家具、デザイン、様式への洞察を知る私には ↑ の結語の懸念は全くないですね。
    “悩む”ことも積極性の表れであり、ステップアップの発条でしょう。
    いつも的を射たコメント感謝です。

  • 昨日は声をかけてくださりありがとうございました。
    木工に関することもっといろいろお伺いしたい事があったのですが
    緊張してうまく話すことができませんでした。
    一緒にいった友人も話す事ができていい経験ができましたと
    いっておりました。まだまだ勉強不足なのでお話させてください。
    宜しくお願いします。

  • オカさん、このためにはるばると遠くから来られた3人の若者たちでしたね。
    会場も来場者で混雑した中でしたので、十分な応対ができなかったかもしれません。
    家具と建具と椅子張り、それぞれの専門職を活かして良い仕事ができそうですね。
    不明なことなどありましたら、どうぞ遠慮無くメール、電話などでアクセスしてください。
    またどこかでお会いできるでしょう。がんばってください。

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