工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

個展出品作スナップ、来訪者に感謝

個展3
三脚を持ち込んでは見たものの来客への配慮もあり、またストロボ使用も遠慮せざるをえず、手持ちでISO感度を上げ、と撮影環境としてはなかなか厳しい条件であり、あまり良い結果とはならなかったが参考程度にご覧いただこう。
さて、8日、9日の週末も大勢の来客にめぐまれた。
名古屋市内の知人、友人、顧客の他、美術系大学の学生、そして初対面のこのBlogの読者も数組来訪頂いた。
東は東京、西は大阪からと、かなり広域、遠方からのご祝儀を抱えての来訪で、感謝に堪えない。
顧客には普段汚い工房での接遇で、在庫の家具をご覧いただくにもイメージが湧きにくい環境でのものとならざるを得ず、はなはだ申し訳なく思っているので、こうした会場でご覧いただけることはとてもありがたい。
今日はBlog読者に関わることで1つ書き残しておこうと思う。
若い木工職人と思しきBlog読者の来訪者が数組あった。
ボクの年代からすれば、子の世代から下の世代にもなろうという若い人々の読者が多いというのは意外なことなので、その理由も判然としないのだが、ただ彼ら青年達にとっても千ページを超える記事数だけに留まらない何らかの有用性があるからなのだろうね。



さてそのうち1組は数回のコメントを投稿してきた人で、それなりのイメージを抱いていたのだが、対面して話すことで、例えコメント文体そのままに話す人ではあっても言葉が血肉化されてこちらに届くというのは、やはりコミュニケーションツールとして次元が異なるほどの会話が成立することにあらためて感じ入ったものだ。
デジタルツール言語もリアル言語も、それぞれに特性があり、優位性があるわけだが、可能であるならば双方を駆使することの重要性をあらためて感じた。
こんなことはあらためて確認するまでもない当然なことだが、ネット時代を生きる我らにとって自覚的でありたいと思うことだね。
またコメントをするほどでもなかった若いBlog読者には、はなはだ申し訳なくも思った。
聞けば熱心な読者のようで、周囲の人たちにもこのBlogアクセスを薦めるほどのファンだそうだが、コメントとなるとどうしても臆してしまうようだ。
言い換えれば、そうした若い人たちの積極的な関与を阻害させてしまう何らかのバリアが、このBlogを取り巻いている、ということか。
いやいや反省しきりである。
反省といえば、前回の記事「家具職人の個展」での「困った見学者」についての記事。
熱心な読者からあまりに厳しい内容ではないか、との指摘を受けた。
ややバランスを欠き、また若い人ならではの関心領域への理解も足りなかったかな、と反省している。
さらに若者をめぐる昨今の社会状況から敷衍すれば、あのようなことは一般にあり得る傾向なのかもしれないと思い直した。
ここでは詳述しないが、要するに公的空間における若者の振るまいが周囲と隔絶され、自己没頭型になってきつつあるということだね。

なおこのBlogの文体が、今の若者にとってみればかなり硬質なもので馴染まないだろうと言うことは自覚しているつもりだ。コメント投稿を阻害しているのも、そうしたことと関係するだろうことも明らか。
でもボクはこれについては基本的に変えるつもりはない。
というより、不器用なボクには変えようがないと言う方が正しい。
若い頃に何度もしたためたラブレターだって、この調子だったもの。
だからと言って、コメントの文体が規制されるわけではないのでね。どんなんでも構わんよ。
あなた自身にふさわしいものが1番。
彼ら読者がリアルな対面でどのように感じ取ったかはそれそれだろうが、想像を超えて気安いおっちゃん職人風情であることに安堵(落胆 ? )した人も多いのではないだろうか。
さて、こうして個展開催と来訪者との接遇でも、Blog運営の影響の大きさ、責任の重さをあらためて感じさせられたのだが、今後、こうした読者のことなども念頭に置きつつ、いや一方では勝手気ままに、木工世界とともに、自身の人生を掘り進め、書き連ねていこうと考えている。
世界は多様であり、それゆえにボクらを魅了させてくれる。そうした混沌の中から普遍性を探り当て、共に生きる証しを確認するのが人生だ。
明るい未来などあらかじめ用意されているわけじゃない。自分たちで掴みにいかなくちゃね。
会場にはまた週末から詰めますので、ボクがいましたら声を掛けてください。
Blogでは語れない話もできます。(微苦笑)

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個展1
個展2

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 裕さんご無沙汰です。
    個展盛況のようで何よりです。
    反省といえば、前回の記事「家具職人の個展」での「困った見学者」についての記事。
    熱心な読者からあまりに厳しい内容ではないか、との指摘を受けた。
    このお方は客であれば何をしても良いというお考えなのでしょうか?
    どんな場面でも守るべきマナーやルール・礼儀があるはずです。
    作者が精魂を込め命を賭けて作り上げた作品に対してこのような傍若無人の振る舞いが許されていい訳がありません。
    私はこの若者に厳しく諭して欲しかったです。
    悲しいかな今世の中多くの場面でこのような状況に出会います。
    年齢も関係なくむしろ年配者に多く見受けられます。
    10年先20年先もっと先の日本はどうなって行くのでしょう。

  • pianさん、ご無沙汰していました。遅めの春を堪能されていらっしゃるところでしょうか。
    企画側、会場スタッフからすれば穏便に、とのことですが、芸者(出展者)はこれに従うというのが大人の態様というわけですね。
    ただ思うに、やはり不当な振る舞いには、諭す意味においても然るべく本人に問題点を指摘し、そうした振る舞いの当否を考え直していただく契機にすべきだったと考えますね。
    そうした賢明な対応ができなかったのが悔やまれます。
    しかしこのご本人もBlog読者である可能性もありますので、理解頂けているのではと思いますよ。
    >年齢も関係なくむしろ年配者に多く見受けられます
    そうなのですか。
    >10年先20年先もっと先の日本はどうなって行くのでしょう。
    私はカント的倫理観に指標を置きたいと考える立場ですが、公的空間における振る舞いが変容してきていることは認めざるを得ないとしましても、これが永続的に進行していくとは考えません。
    揺り戻しと言いますか、時代と共に倫理観も変遷していくものではと思うのですよ。
    鴨長明「方丈記」の、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず‥‥、の心境にはなかなかなれるものでもありませんがね。
    では木工も楽しんでくださいね。

  •  先日はお忙しいところお時間を割いて頂き申し訳ありませんでした。
     父親の友人が「本当に制作でくたびれ果てたときに他人の制作を見に行く」と言っていたことを帰りの道中で思い出しました。
     個展を拝見して、僕ももっと木工をしたいと思いました。
     有り難うございました。

  • たいすけ さん、初対面でしたが、楽しくお話させていただきました。
    こちらこそありがとうございました。
    翌日、弟子2号さんにもお越し頂きましたよ。
    お若いですが伝統的な軸組構法を旨とする棟梁ですので、とても頼もしく思います。
    また機会があればゆっくりと歓談したいものです。

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