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国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP13)の行方

今日、11日は「京都議定書」が採択されて丁度10周年にあたる。【1997/12/11に京都市の国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)で採択】
奇しくもインドネシア・バリ島、ヌサドゥアでは「国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP13)」が開かれ、いわゆる「ポスト京都議定書」の枠組みが作られようとしている。(今週、金曜日まで) 
一方昨夜ノルウェー・オスロではアル・ゴア前米副大統領と、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」へのノーベル平和賞授賞式の様子が外報にきていた。
しかし皮肉なものだ。COP3京都議定書採択にあたって当時の米国副大統領ゴアが大きな立役者となり、そしてこの度ノーベル平和賞を授賞したその時に現米国政府は、ポスト京都議定書・新たな枠組み作りへの最大のブレーキと成り下がってしまっている。
なお日本だって10年前には議長国として採択に最大の努力を傾注した話しは今や過去のもの。
常に米国の顔色を窺いつつ、あいまいな姿勢で自らの「京都議定書」を反故(ほご)にしようと企んでいるかのよう。これには国際NGOから強く牽制されている。
また昨夕のNHK「クローズアップ現代」では前日までバリCOP13に参加していた亀山康子さん(国立環境研究所 主任研究員)をゲストに迎え「シリーズ地球温暖化 / 森林破壊を食い止めろ」とタイトルされた内容で構成されていたが、これは個人的にはとても衝撃的な問題だった。
自身の認識の浅さを突きつけられるとともに、地球温暖化をめぐる問題解決の困難さをあらためて知らされるものでもあった。


地球温暖化への元凶と言われる化石燃料の使用による温室化効果ガスの排出を押さえるために、これに変わる代替燃料として注目されるバイオディーゼル油の需要逼迫というものが、広大な森林をパーム油の原料、ヤシ畑へと作り替えられることでインドネシアの森林破壊が急速に進み、その結果土地を疲弊させ、結局そこから膨大な二酸化炭素が排出され、今や世界第3位の炭素排出大国になってしまっていると言う、パラドクシカルな現象が報告されていた。
欧米先進国で環境に良いからと代替が進むバイオディーゼル油による炭素排出量の削減も、結局はこうした森林破壊による炭素排出量の方が数倍に勝るものになってしまうという驚くべき事実。
これが現地取材による映像によりまざまざと突きつけられていく。
このアポリアはどのようにして打開していくことができるのか。
様々な議論があり、様々な環境関連技術の開発がなされつつあるものの、もっとも大切なことは国際経済において、環境という投資へのコストを適正に評価することの重要性だ。
つまり化石燃料をがぶ飲みする現在の消費経済から、せめて二酸化炭素を吸収してくれる有用な現在の森林資源を維持しつつ、持続的な経済開発をしていくための環境対策への投資誘導を政策的に進め、また人々の側もこれを積極的に受け入れるという合意形成を計ることの重要性ということだね。
分かりやすく言っちゃえば、化石燃料・油にはコスト+環境税的な価格上乗せをし、その分、どうしても高くならざるを得ない非化石燃料を相対的に安価に保ち、この供給量を増やして、森林も守っていこう、ということ。
これを経済界および市民の側も同意し、まさに“類としての人間”として積極的に受け入れようと言うこと。
欧州では各国政府、および経済界は今真剣にこれに取り組みつつある。
日本でも伝統的に強いと言われる産業部門での環境技術を活かし、中国など排出大国への技術支援を行っているところだ。
しかしそれだけではまだまだ追いつかないというのが実態なのだろう。
COP13最終日にどのような議決がされるのか、あるいはされないのかも含め、注視していきたいと思う。
ところで化石燃料、つまり原油の埋蔵量は現在の消費水準で計算すれば残るところわずかにこの先40年で枯渇するというデータは有力なようなのだが、無尽蔵に湧き出るものではないことだけは確かなこと。
昨今原油高騰は経済界から、市井の人々まで苦しませるほどの水準に押し上げられている。
現在の100$/バレル は確かに異様な高さとして受け止められているが、これはあのオイルショックの頃と較べると4倍の高騰。
しかし物価の方はと言えば、何とほぼ同じぐらいに上がってきている。
つまりこれは原油だけが暴騰しているという俗説の根拠を崩す換算ではないのか。‥という議論があるこことも見ておきたい。
つまりこれまで低価格で推移してきたのは、米国を初めとする日本を含む先進国による原油がぶ飲み国の国際経済における需給バランス(原油産出国への圧力も含め)と、油田新規開発におけるコストの低減などからもたらされた安さでしかなかったのだ。
暫くは100$/バレルをいきつもどりつしつつも、これは決して一過性の価格基準ではなく、高止まりから、大きく価格を戻すことなく右肩上がりに推移するのではないか、というのが一部の識者の見解だ。
‥‥ボクは思うね。結局私たち21世紀を生きる人々が、未来に産まれくる人々に、どのような地球を残してやれるのか、という命題になるのだよ。
日本人が果たしてこうした倫理的規範というものを持てるのかどうか、そうした想像力を喚起し得るのか、ということが実は問われているのだと言うことだよ。
これは消費経済の餌食に、あるいは積極的推進者になりきってしまっている自分たちの文明観を根底から問うものだろうし、したがってそれほど簡単なものではないだろう。
まさに哲学的命題である。
アジアの日本としては、はるか昔に近代化へと大きく舵を切ったあの頃から仏教哲学を捨て去ってきちゃった報いとうものが、今ここに試されているということができるのかもしれない。
晴れの授賞式であるのも関わらず、名指しでアメリカと中国の非協力的な姿勢への抗議を露わにするゴアのあの憂鬱な顔付きは、やはり真剣なのだと思わされるに十分なものだった。
【余談】先週までやっていたNHKの藤沢周平のドラマ『風の果て』はめずらしくMacのデスクトップから見入ってしまった時代劇であった (余談だがケイコ・リーのテーマ曲もGood !)が、ここで通奏低音のように語られていた「風の果て、尚、足るを知らず」は藤沢周平の現代文明批判でもあっただろうと解釈させられた。
ボクたちの日々の生活における文明からの享受というものは、実は未来社会の生存環境を脅かしていることで成り立っているのではないか、という想像力というものはいま怖ろしいほどに希薄だ。
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