工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

職能の獲得と経験

先のノギスに関する、クソリアリズム的小論ですが、自分でもアホクサと思いつつMacのキーを叩いたのでしたが、この種のチップを書き始めたらいくらでもでてきそうで、程々にしないといけませんね。

しかしこれらは一見何気ないものに思えても、実は現場においては有用なことが多いものです。
そうでありながらも、意外と気付かず鈍くさい方法を取り続けるということもあるでしょう。

職人もモノづくりに向かうその思考スタイル、あるいは手の捌き、道具への関わり方、そうしたものは千差万別で、私も他人の手法を視てるとすごい、すごい、と感心することも屡々ですし、逆に鈍くさいことしてるな、と思うこともあるものです。

ある程度の規模の木工所であれば、親方、兄弟子、あるいは後輩と、様々なキャリアの職人の共同体的な職場状況で多くのことを学ぶことができます。

私は木工を生業として生きていこうと決め、その後いくつもの木工産地、あるいは木工家といわれる人を訪ね歩いたのでしたが、最終的に選んだのは信州の松本民芸家具でした。

理由ははっきりしています。
大量工業生産物ではない、本来の木製家具の製作現場の職人集団として形成され、意志のある若者を積極的に受け入れ、修行する場としては最適だろうと考えたからです。

そこでは熟練の親方から老齢の職人、勢いのある兄弟子にしごかれ、玄翁で叩かれながらも、彼らの仕事を盗み見し、仕口の加工法、段取り、あるいは巧緻な逃げなども含め、多くの事を学ぶことができたものです。

既に民芸ブームは去った頃で、「夢想」していた職人集団としてのギルド的紐帯などを感じ取ることは少なかったとは言え、モノづくりを担う職人の強い自負と責任感に貫かれた作風は私のそれまでの人生では出会えなかった群像のそれであったことは確かだったでしょう。

私は松本民芸家具で数年、その後、静岡に戻り、横浜クラシック家具の親方の元で数年、修行させていただく機会があり、今にして思えばたいへん良い職場環境で学ぶことができたものです。

加え、その前段階として訓練校における優れた教員に鍛えられ、職人的な技能の修練とともに知的刺激を受けた経験が生きているのも間違いないでしょう。

あるいは独立直後の時期、J・クレノフ氏のキャビネット講習会に参加する機会を得、木材に向かう上での重要な視点や、クレノフの手先の動きに目を懲らし、4冊のテキストからは得られないエッセンスに触れることもでき、知的刺激になったばかりか、その後の木工人生への大いなる励みになったことは言うまでもありません。

それらは木工の技法の習得に留まらず、木工の文化といったような広い世界への扉を開いてくれるもので、その後30年にわたる弛み無い木工人生への基盤を作るにあたり、大変重要な時期であったのです。

私の独立起業は1980年代末期の頃(右肩上がりの好景気)ということもあり、ある家具販売店のオーナーから続々と仕事の依頼があり、連日、暦が替わるまでも仕事が終わらないという繁忙の時期を過ごしたのでしたが、そうした「原始的蓄積」の過程を経ることで、家具制作における多くの事を学び、修得させられたものです。

その過程では親方に叱られ叱られ、覚えた技法を現場で投下し、そこに稚拙なりにも自身のアイディアを加えたりと、技法の蓄積と意匠における美意識を鍛えていくことになったのです。

さて一方、木工の基本を学ぶ場である訓練校などでの短期間の養成所を経て、いきなり独立し木工に従事する人もいるでしょう。
こうした選択は、彼ら自身の考えに基づいたものでしょうから、上述のような私の経験などさほど価値があるものとは思えないでしょう。

ただやはり、木工というのは決して純粋アートのような創作作業ではないことも確かなのです。

日本には伝統的な木工文化がはるか古代から現在にいたるまで蓄積されているものですが、そうしたエッセンスを学ぶことで、一定の水準を前提としたところから、より高い木工の可能性を拓くことができるものなのです。

木工とは手先を使い、道具を適切に用い、有機素材である木に向かっていくわけですが、そうした過程はまさに職能的なものであり、先人が体得してきたものから伝授され、これをリアルな現場で受け取り、自身のものへと還元していく過程であるのです。

そうした契機を経ず、閉鎖的、孤独な場で同様の事を獲得することがいかに困難であるかは説明不要でしょう。

鉋イラスト

確かに、現代日本の木工家具の製作現場を視れば、細々として息づいてる程度でしょうし、またそのようなところでも70年代の頃までのような余裕のある経営状況では無いと言うのが実態でしょう。

それでも対象が全く無いわけでは無く、全国隈無く探せばぶち当たるものです。そうしたところで親方や兄弟子の下で修行することで、古来から受け継がれてきている技法の数々、あるいは職人としての作風など、現場ならではのエッセンスに出会い、その後の木工人生の原始的な蓄積の場としてかけがえの無いものになるのではと思います。

そうした場所で基盤を作り上げれば、後は個々の制作対象により、蓄積してきた技法やチップをその人の仕事に準じ、特化させつつ進化させ、更新させ、積まれるであろう多くの経験を経てさらに洗練され、やがてはある種のアートの領域へと到達していくものなのです。

語彙としてのart
アートは必ずしも純粋芸術だけを指すものでは無く、元々のラテン語では「職人的な技法」とうものを含意することは良く知られたところです。
私の呼称・artisan は職人と訳されますが、artという文字を含むことは故無しとしないというわけですね。

なお独立後、それまでに修得してきた技法ではどうしても解決しない状況に遭遇することもままあるもの。
たぶん、現在ではGoogle先生に訊ね解決を図るという方法が取られる事も多いでしょうが、先輩や親方筋を辿り、教えを請うことで生きた技法にアクセスできるでしょうし、さらにはその技法周縁のところへと話しは拡がるかもしれず、そうしたプロセスは疑問を覚え、その解決へと試みたアプローチが木工世界の拡がりへと繋がっていくことを自覚する契機にもなるというわけです。

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あるいはまた木工関連雑誌で木工を学ぶという方法もあるかもしれません。
私も〈Fine Woodworking誌〉を定期購読していますが、確かに教えられることもあります。ただそれらは修練を経て確固とした技能を獲得し、批評精神を持った眼で視ることで有益なものとして視ることができても、初心者が体系的な学習をするほどに編集、構成されたものでは無いでしょうし、屡々、間違った理解を前提とした記述も少なく無いのが実態なのです。

記事が読者に訴え、それなりの反響を得て、出版を継続するだけの力を持てば、編集者もそれで由とするのであって、それ以上でも以下でも無い、消費物としてのそれというわけです。
トピック的な記事や断片的な技法紹介でページを構成されるものではあっても、決して体系的に専門的な技法を記述するものでは無いのですから、それ以上を望んでも無理であることは必然というわけですね。

技能というモノが持つ、奥の深い世界を消費物としての雑誌に求める事自体、間違っているといわねばならないのかもしれません。

そうした与えられた限界を越え、潤沢な資金を投入し、充実した内容で編集された書籍もドイツなどの事例にありますが、現在の日本では皆無に近いかもしれません。
お金になる範囲でしか出版に漕ぎ着けないのが現実というわけです。

木工技法の習得は決して短兵急な付け焼き刃で身につくほどの甘さは無く、迂遠でも然るべく熟練した大先輩、あるいは確かな仕事をしている木工所、さらには伝統技法に準じたものを体系的なカリキュラムで教育する学校などにアクセスし、基礎的技法を身に付けることです。

その後、現場に立ったならば、とにかく多くの経験を積み、努力を重ね、自分のスタイルというものを見出すまでひたすら邁進するだけです。

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このところ、訓練校も冬休みに入り、就職へ向けた動きをしている時期であるためか、うちにも工房訪問の依頼が数本飛び込んできています。
そのうち、当工房については以前よりBlog等で強い関心を持っており、ぜひ見せて欲しいといった内容のメールをくれた方がいて、もし就職希望であれば応じがたいけれど、訪問は歓迎する旨の丁寧な返事を返したものの、その後今日に至るも、何らの応答も無いという事も。

こうした方は残念ながら真っ当な木工職人に育つとは期待できないでしょう。
逆に、訓練校を経、就職したいという若者の一人で、簡単な採用実技試験の結果で断ったものの、数年経過するものの、未だに遠いところから近況をしたためてくる若者もいたりします。
たぶん、この方は良い木工家になっていくことでしょう。採用しなかったのは間違っていたと後悔するのかもしれませんね。

物事を成し遂げるには、真摯な姿勢が何よりものエンジンであるでしょう。そうした真摯さは決して自分を裏切るとは無いでしょうし、周囲に自身の真摯さを感染させるほどのパトスと人間性があれば、閉鎖した空間で自己満足的な木工に浸る事を越え、広く社会に問うチャンスを引き寄せる事にも繋がっていくものです。

鉋イラスト

2018年も終わります。

皆さんにとってはどんな1年だったでしょう。


工房 悠としては、それなりに充実した年だったと言えるかも知れません。
年明けからは3月末という期限を切られ、新しい教会に設置するいくつかの調度品の製作に追われ、この広い工房も足の踏み場も無いほどに所狭しと置かれた完成品で埋め尽くされたものです。

またその後は新たな個人の顧客と繋がり、良い経験をさせられたりと、忙しい日々を送らせてもらいました。

こうした受注の全ては顧客からのダイレクトな依頼のものです。
良い仕事をしていれば、そうしたものを求めている人にキャッチされ、アクセスしていただけるものです。
それまでの木工家具制作の蓄積と経験で裏付けられた実績に加え、制作スタイル、意匠が評価され、信頼されてのアクセスなのです。

またそうしたバックボーンは、作り上げてきた本人の努力はもちろんですが、支えてくれた教師、親方、兄弟子、先輩、助言者、販売店、ギャラリー、材木屋、機械屋、他多くの人々からの支えが今に繋がっているということですので、全ての方々に感謝せねばいけません。

2019年も弛み無く歩き続けたいと考えています。
このBlogも更新を滞ることなく、弛み無く続けていく積もりです。
どうぞよろしくお願いいたします。

hr

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  • 先生、明けましておめでとうございます。
    いつも、遠方より勉強させていただいております。BAUHAUS開校から、100年に至る今年、何かわからずとも気張って参ろうと思います。独学で木工を続けてきた若者に出会いました。木に挑む姿勢に、私も身をもう一度正さねばと思いました。学ぶことは、上下左右に目を持たねばと思います。どうぞ、今年もよろしくお願い申し上げます

    • ヒラタ先生、ご無沙汰しています。コメント投稿ありがとうございます。

      そうでした。グロピウス主宰のバウハウス開校から100年になるのですね。
      いわゆる大戦間、独のワイマール時代という特異な状況下に花開いた豊穣な文化の中核的なものとして建築・工芸デザイン様式を追求する革新的な学校が起こったのでした。
      私も用いるドイツ発信のシステム金具に留まらず、デザイン全般にわたってその影響下にあることをあらためて感じ入ります。

      私はその方のような若さはありませんが、あらためて家具や木工芸に携わる意味というものを考え、挑んでいきたいと思いますよ。
      またお話しお聴かせください。ありがとうございました。

  • 簡単にいうと
    どんな仕事でもこなせる基礎能力、身体記憶で修行することの重要性ですね。
    親方筋をもち、正調な仕事をおぼえないと上質の仕事は拡がらない。
    得たいのしれない情報で固めても使い物にはならない。一生食べて行ける?
    確かな仕事・情報は人づて。ボンヤリしているとぶん殴られたけど。
    しっかり、シャッキリしろ。大怪我するぜ。
    職業訓練校は、始めから徒弟学校でした。プロの一流バリバリが指導しているのではないのです。
    「卒業」して自立するのなんて、そりゃ無茶無理というもの。やがて離脱していきます。
    今日、正調の木工伝統技法は、ヤイズ・刑務所作業場に残ります。
    ナカナカ粋ガタ師AB

    • 家具制作の過程、思いの外首尾良く綺麗に納まり、ほくそ笑む事があったりするのですが、大抵は「そう言えば親方に叱られたところを修正した事で綺麗に組めたんだ」などと気付くことも多いものです。

      自己過信に陥ることなく、先人が築き上げてきた技法に畏れを抱きつそこから学ぶという姿勢は、修練というプロセスでは欠かせないでしょうね。

      訓練校の場合、現場を経ていない教官もいますので、必ずしも実践的で無いスタイルもあり得ますし、何よりも圧倒的な経験からもたらされる職人的スピリッツは大きいものです。
      そこを体得することなく、唯我独尊に陥るのはあまりにも損失。

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