工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

ミスと経験の蓄積

前回、ドジな加工ミスについて書いたが、お恥ずかしい話しだった。
いわゆるケアレスミスという領域のものだが、こういうミスは単純に不注意であることに起因する。
誰しもこういうことはある、このように猛暑が続くと集中力を欠くのも仕方がない ‥‥、などと居直るのは良くないだろうな。
こうした思わぬミスを避けるための決定的な考え方などあるとも思えないが、唯一あるとすれば、経験の蓄積だろうか。
職人の力量とは多くの仕事をこなす過程で技法を習得し、あるいはたくさんのミスを犯し、兄弟子にポカンとゲンコツを喰らい、もらったたんこぶの数だけ賢くなっていく。
つまり学習していくことでつまらないミスを避け、贅肉が絞られていくその量だけ熟練した職人として成長していくというわけだ。
“家具作家”などといった活動スタイルがあるとすれば、そうしたこととは無縁かもしれないが、職人という概念で考えれば圧倒的な経験に裏付けされたプロとしての誇り高い人といって良いだろう。


ところでボクは常々訪ね来る木工志願者に問われるままに答えるのだが、独立起業までの間、時間が許せるだけ、多くの経験を積むことを勧めている。
「職人は旅をしろ」、とよく言われるのだが、有能な親方の下で叱られ叱られ、木工技法を習得し、あるいは生業としていくための様々な関連業務の知識を覚え学習していく。
さらにまた技法の修得と言う領域からすれば、1ヶ所に留まるのではなく、いくつかの親方のところを移動して学ぶのは悪くない考えだろうと思う。
木工に限らず、モノ作りの現場というものは地域によっても、親方によってもそのアプローチにおける差異は大きい。
それぞれが合理的、合目的と考えられるアプローチを獲得しているものだが、その親方固有の技法が洗練され定着しているものであり、それらの固有のテクノロジー、思考スタイルの差異を自覚的に対象化できる環境を求め探し歩くのも1つの道だろう。
他の工芸に関して詳しく知るものではないのだが、木工に限って言えば、木という有機素材を取り扱う上で様々な難しい問題があり、これを克服するには長い歴史にの中で蓄積されてきている技法を学ぶことが必須の課題とならざるを得ない。
一人で悶々として苦闘するのも悪いとは言わないし、雑誌やネットから情報取得する方法もあるやも知れない。しかしそんなお気軽な学習方法で本質に接近できるほど甘い物でもないだろうとも思う。
ボクの場合はあまりに遅く出てきた青年であったこともあり、残された時間的余裕は少なく、世話になった親方は3人だけ。
しかもそれぞれ2年づつほどの短い期間だったが、いずれもこちらの事情を理解していただき、真摯に接遇していただき、それぞれの手法を“それなりに”伝授していただき、今に至る。
百戦錬磨の親方の技法を盗み、いかに無理、無駄を無くし、合目的的に作業を進めるかの思考スタイル、あるいは仕口における考えかた、木工機械の使用法、安全管理、様々な領域において学習することができた。
わずかに数年間ではあったものの、その数十倍、数百倍の経験に踏まえたものを見知ることができたというわけだ。
親方というのは、その人一人が単独で備えたものではなく、その先代、先々代と遡る木工技法の集積の人である。
訓練校を出たからと言って、いっぱしの木工家、家具作家などと自称して世に出るということがどれだけおこがましい振る舞いであるかは知っておいた方がよい。
木工を侮る無かれ、職人を侮る無かれ、というわけである。
まぁ、しかし、木工も様々だし、人も様々。
人生観にも繋がる話であるが、元々才能に長けていて、孤高を自らのスタイルとしていくのであればその限りではない。
一人の活動での技法の習得には多くの困難が待ち構えているが、才能があり、困難を突破する勇気があれば自らの道を歩めば良いだろう。
ボクの場合は、幾人かの親方の下で学ぶことで、木工の厳しさ、難しさとともに、先人が伝えてきた木という素材を御するためのすばらしいアートとしての技法を学ぶことができ、その後独立して以降の困難に立ち向かう勇気を持つこともできた。
我を知り、木工を知れば、自ずからその道は拓かれるだろう。(凡夫の覚悟)

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  • おはようございます。
    私もかなり遅れてきた者であり、時間的余裕は少ないと思いますが、修行か独立かで少し悩んでいます。
    訓練校での自由課題製作を通して必要と思われる技術等を洗い出し、それらを習得できる修行先を探したいと考えています。
    ちょうど考えていたことの記事だったので参考になりました。
    ありがとうございます。

  • ぽーるさん、夏休み明けともなりますと、かなり木工に関わる様々なことが見えてくる時期でもありますね。
    自身の信ずる道を進むのが基本ですが、アプローチできる範囲でも、貴校の指導教官、あるいは有能で信頼のおける職業木工家などに適切なアドバイスを求めてみてください。
    ただ家具制作会社の多くが採用枠を減らしてきている現状を考えると、希望に沿うのはたやすいことでは無いかも知れません。
    しかし木工に賭ける熱意、修得した技法などの自己アピールなどで狭い門をこじ開ける勇気が何よりも重要です。

  • こんばんは。
    いつか気が向かれたら、artisanさんの職人としての”walkabout”エピソード
    記事にして下さい。読み物として興味があります。

  • うずまき さん、”walkabout”って、私の放浪譚を明かせ、ってことかしらん。
    木工への道に進む前世だけで大著になりますし、その後の道筋を整理して記述するのもなかなか片手間にはいかない、な〜んて言うのは冗談で、実にシンプルで面白くもない半生ですので、楽しんでいただける自信がありません。
    うずまきさんのご希望のような“変わった趣味”をお持ちの方もいらっしゃることは胸に納めておきたいと思います。
    これまでもこのBlogに限っても断片的に過去の恥を語ってきた経緯もありますしね。
    きちんとこれらを整序させ恥を晒せ、ということとして受け止めましょう。
    ただ、今回のテーマの背景にある、木工家具制作における職人的なスタンスについては、もう少し整理して記述すべき価値はあると考えますので、さしあたってそのあたりから書き起こす必要はあるかな、と考えています。
    ‥‥ ボクはうずまきさんのwalkaboutにも興味があるのですがね。

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