工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

カップボードはブラックウォールナットで

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スタジオでの撮影でいきたいところだが、汚い工場でのものになっちゃった。
せめて日が落ちてからというわけで、夕食後三脚とストロボをい担いで工場に入り、数10枚のシャッターを切る。
光学フィルムではそうもいかないが、デジカメだとなんぼでもいける。
ストロボ撮影では調子を掴むまでが難しいからね。

簡易なディフューザーでのバウンスと、2灯ワイアレススレーブの設定でいけば、簡単に“それなり”の結果が得られる。
調子の難しさとは、マスター側発光とのバランスだが、経験を積むことで少しは上達するかな?

ところでこれらは震災前に納品する予定のものだったが、納品先は被災地の1つ、岩手県下ということで先延ばしされていた。

普段利用している運送屋はトラックを失うなど深刻なダメージを受けたようで、代わりの適切な業者を探すのはなかなか困難だった。
それも何とかクリアさせ、やっと落ち着き先へと旅立たせることができる。
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東日本大震災・災害ボランティア活動日録(6)

被災地・災害復興支援活動

3月24日(地震発生から13日経過)天気:晴のち曇り

ボランティアセンターへの活動登録は1日単位でのものとなっており、この日も朝9時に受付を行い、被災者からの依頼に応じ、適宜マッチングされ活動対象地域へと向かうのだが、2名は前日の継続となり、ボクは炊き出しの手伝いを担うことに。

朝9時の受付には十分な時間の余裕があるので、ボランティアセンターの責任的立場の人に掛け合い、石巻近郊の壊滅的地域の様子を伺うとともに、地図を含めてそれらの地域へのアクセス方法を確認する。
最初は少し渋ったが、事情を話すと快くアドバイスをくれた。

この日は9時までに野営地、石巻専修大学に戻ることを条件とし、近郊で最大の大津波の被害を受けている「雄勝町」(おがつちょう:宮城県北東部沿岸、2005年より石巻市に合併)方面に向かうことにした。

メンバーは我々と、前日の活動で合流していらい寝食を共にしている学生ら、若いソロのボランティアの2名を加えた5名。

服部さんが今回の災害ボランティア運行のために急遽買い求めたカーナビを頼りに、大地震・大津波被災地の石巻市街を駆け抜け、一路雄勝町へと峠を越えて東進する。

旧北上川の支流にあたる真野川沿いを抜けていくのだが、周囲は旧北上川を逆流した津波に大きく侵犯されたようであり、様々な痕跡が認められる。
車が水没し、あるいはでんぐり返り、あらぬところへと打ち捨てられている。
小舟が陸の上を漂流した後、家屋に突撃している。

そして津波に洗われた家屋から吐き出された家財、畳がところ構わずうずたかく積まれている。

真野川、川面には様々なガレキが落ち着くところもなく漂流しているが、その何倍ものガレキが水底に堆積しているのだろう。
この川沿いに拡がる田畝一帯は全て浸水し、果たして今年の稲作は絶望的であろうことは素人でも分かる。
周辺の住民が三々五々通りに出ては、捻りはちまきでの困惑顔、苦笑いの顔、顔。
こちらは遠慮気味にカメラを構えつつも、こっくりと軽く会釈しながら通り抜けていく。

車両4面には災害ボランティアのステッカーが貼られているので、遠方の他府県ナンバーではあっても見咎められることもない。
明示的では無いものの、それなりの敬意は持っていてくれるようにも感じる。

山間に入ってからはほとんど出会う人もいなければ、通り過ぎる車も数台という状態。
本来であれば通勤通学の時間帯であるので、すれ違う車両なども多いはず。
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“小沢昭一的こころ”に導かれて

「絆を強調 ちょっとだけ心配」

今朝、acanthogobiusさんからコメントをいただいたが、朝日新聞の記事からのものだった。
少しページをめくると、第二社会面というところになるのか、『シブトク立ち直って』というタイトルでの小沢昭一のインタビュー記事があった(インタビューというより聞き書き、かな)
以前、このBlogでも同小沢師匠の「大相撲八百長問題」に関わる持論を紹介したことがあった。
今回もまた師匠の被災地へのエールと、警句に惹かれた。

小沢昭一的こころぜひ原文にあたって欲しいと思う。
ここでは他人のBlogを借りて申し訳ないのだが、「ネパール評論」というBlogに引用があったので、ご参照いただきたい(震災後日本と小沢昭一の貧主主義

小沢師匠ならではの、芸能という切り口での東北論、とりわけ沿岸地域、港町の人々のその根っからの明るさ、開放感を自らの芝居を通した経験から振り返り、「東北というのは日本の原鄕」と位置づけている。
そして後段、いよいよ小沢師匠ならではの批評精神、希有の芸能人ならではのエスプリ(そうは思わせないところがまたすばらしいのだが)が開陳される。

先にこのBlogでも語った「ガンバレ ニッポン !」の薄気味悪さと同じ文脈で「一致協力」「絆」の強調への「心配」を糺している。
「‥若い人たちには初めての新鮮な言葉なんでしょう。いつの間にか意味がすり替わらないように、気をつけなくちゃいけませんよ。」との苦言。

小沢師匠に座布団○枚、やってください !!
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東日本大震災・災害ボランティア活動日録(5)

被災地・災害復興支援活動

3月23日(地震発生から12日経過)天気:晴れ、その3

野営地(石巻専修大学グランド)に帰着し、一人はボランティアセンターに出向き、差し出されたシートに活動報告を整理し、報告する。

「石巻ボランティアセンター」について
石巻専修大、5号館に置かれたボランティアセンターには社会福祉協議会のスタッフとともに、様々なNPO、NGOのスタッフ責任者が詰め、1つの連絡協議会組織を構成している。

こうした災害時における住民支援のシステムは阪神淡路大震災を教訓として、全国的に作られてきている。
しかも、特徴的なこととして民間のNPO、NGOとともに協議会を構成しているところだろう。

NPO、NGOという民間ボランティアの自律した活動を、社会福祉協議会傘下のボランティアセンターが取りまとめ、コーディネートする。
決してヒエラルキーを持つものではなく、あくまでもそれぞれの自主性を重んじ、それぞれの能力、態勢をいかに災害被災地への支援へと繋げていくのか、という役割分担を司るというものである。

この度の東日本大震災の特異性、その広域性、激甚性から、力ある著名なボランティア団体のほとんどが各ボランティアセンターへと集結しているものと思われるが、中でも地震、津波による壊滅的な被害を受けた石巻へは日本財団、ピースボートなどが大挙スタッフ、ボランティアを送り込んでいる。

ボクたちが入った23日は、ちょうど石巻市社会福祉協議会、石巻災害ボランティアセンターが設置されたばかりの時で、ピースボートもまだこの段階では先遣隊としてのスタッフを送り込んでいるといった段階だったが、26日になると大勢の要員が大型バスで到着していた。

そんな状況でもあり、ボクたちの現地入り23日という日程は実によいタイミングであったとも言える。(事前調整したわけでもないのだけれどね ^_^; )
被災者の支援依頼の方も、復興、再起へ向けて起ち上がるのに、この10日間という時間は必要なものであったということも、それぞれの被災住宅に立ち会い、また被災者のお話からも容易に伺えるところであった。

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日本社会の再生が懸かっている(大震災後のボクたち)

ボランティアについて少し考えてみたい。

ボクはかつて、これといったボランティアに従事したことはない。
あるいは、街頭で見かける募金にも必ずしも積極的に応じるという方でもない。

どちらたかと言えば、むしろ懐疑的な見方、いわば誤解を恐れず言ってしまえば偽善の香りに身を引いてしまう、という方である。
問題は政治社会、経済政策の貧困さにあるだろう、支配システムにこそ問題があるだろうとし、それを自覚するのであれば、募金に応ずる前に自身こそがなぜ行動を起こさないのか、という自戒があり、募金に応ずる側の偽善性に赤面しちゃうという風だった。

ただ一方では、人間存在の意味、現代社会に生きる者として次の世代に何を残すべきなのか、ということへの強い関心を持つという気風であったことは確か。

日本社会を覆っている閉塞感(オウム真理教事件から9.11へ)

ところで近年、ボクが最も哀しみを覚えたのは身内の不幸でもなければ、業務上の失態などからの自己嫌悪でもなく、ブッシュジュニアによるイラク先制攻撃の時代のあるできごと。
日本人のボランティア活動員などの人質事件と、それをめぐる国内の言説から受けた強い衝撃だった。
この時ばかりは例え身内の不幸の席でも泣き言も言わない自分も、人生観、社会観を木っ端微塵に打ち砕かれる思いで、嗚咽と共に泣き崩れたものだった。
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東日本大震災・災害ボランティア活動日録(4)

被災地・災害復興支援活動

3月23日(地震発生から12日経過)天気:晴れ、その2

被災地Map

被災地支援対象地域Map



自衛隊車両の車列には理由があった。
石巻災害ボランティアセンターが設置されている石巻専修大学へのアクセスの途上、石巻市総合運動公園の広大な敷地には自衛隊の災害支援部隊の駐屯地が置かれているからだった。

カーキ色、あるいは濃緑色に塗り潰された大小の軍用車、ヘリコプター、そして様々な重機、大型のテントなど、かなりの部隊展開を想像させる規模に見えた(道路から少し土盛りされた地形の広大な敷地に展開しているので分からなかった)。

そこを抜ければ間もなく到着地、石巻専修大学キャンパスだ。

石巻専修大学キャンパスはJR仙石線、石巻駅から北西2.5Kmの旧北上川東岸に位置し、430,000㎡を超える敷地を有する広大なところ。
石巻市社会福祉協議会の下の機関、「石巻災害ボランティアセンター」は、ここ「石巻専修大学 5号館」に設置されている。

本館などの建築棟の南に大きな駐車スペースを挟み、広大なグランドが広がっている。
既に芝生のグランド部分には大小のテントが張られ、ボランティア活動も精力的に行われている様子だ。

駐車場の一角に車を停め、さっそく「石巻災害ボランティアセンター」と大書された臨時の受付カウンターに出向き、待ち受けているスタッフから説明を受けながら、ボランティア活動員としての登録を行う。
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東日本大震災・災害ボランティア活動日録(3)

被災地へのアクセス

3月22日(地震発生から11日経過)

夜明けを待って四日市から搬送されてくる車両(ハイエース)への積み込みをすべく、5時にはスタンバイ。
前夜はやや緊張を引きずりながらの就寝だったが、熟睡できたようで心身ともに軽い。
駆けつけた若き隊員Hさんも体調は万全の様子。

四日市からはちょっとしたトラブルで到着が遅れるとの連絡。時間調整も必要となり近くの牛丼屋で朝の腹ごしらえ。

合流後、ハイエースに資材、燃料、支援物資を積みこむのだが、限られたスペースにいかに効率よく、利便性高く納めるかは容易ではない。
結局いくつかの支援物資の積み残しをせざるを得なかったものの、滞りなく出発準備を済ませ、これからの道中安全を確認し、意気揚々と乗り込みスタートさせる。

コースは右図の通りだが、概ね、以下のようだ。

map_shizuoka-miyagi

静岡ー宮城県運行コース

吉田IC
(東名高速道)
清水IC
(国道1号線)
興津
(国道52号線 身延道)
南アルプスIC
(中部横断自動車道)
双葉JCT
(中央自動車道)
  |
(長野自動車道)
更埴JCT
(上信越自動車道)
上越JCT
(北陸自動車道)
新潟中央JCT
(日本海東北道)
高速荒川胎内IC
(国道113号)
(国道13号)
山形市
山形蔵王IC
(山形自動車道)
笹谷IC
(国道286)
仙台市内
(県道31号〜37号〜石巻街道)
松島町
東松島市
(県道16号)
(石巻北部バイパス)
石巻災害ボランティアセンター(石巻専修大学内)

約750Kmのコース。
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東日本大震災・災害ボランティア活動日録(2)

プロローグ 2

3月17日(地震発生から6日経過)

「 エスペランサ・木工隊」結成と支援の訴えには多くの関心を呼んでいるようで、支援の申し出が相次ぐ。
被災地でもないにも関わらず、市場からは災害関連物資の調達が難しくなりつつある中、皆さん苦労されながら、物資を買い集めつつあることがありがたく、また頼もしく思った。
しかもその半数はこれまで交流など無かったBlog読者という括りでの方々のようだ。
彼らの思いは、よりボクらの企みへの専心と高揚感を掻き立てる。

阪神淡路大震災の被災者でもあるらしい若き木工家のhoopさんは、手づから作り上げた「ロケットストーブ」なるものの提供を約束してくれた。
これはボクたちの野営地における暖を取るストーブであり、また調理のためのストーブでもある。
木質燃料(木っ端、小枝など)で高効率での熱エネルギーを産み出す優れもの。
ボクたちの撤退後は、被災地の方々に使ってもらうことになる。

先輩デザイナーは高級な海苔、大判300枚の提供を申し出てくれた。

そして何よりも心強い仲間が一人増えることになった。
四日市で木工家具制作を基盤として様々な活動を展開している、服部篤さんが参加を申し出てくれ、電話、メールなどでの準備のための調整が始まる。
この服部さんが手を上げてくれたと言うことは「木の仕事の会」という大阪を拠点として活動している木工家、家具職人たちの支援も見込めるということでもあり、大変心強く思う。
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多木浩二さん、どうぞ安らかに(訃報)

近年、哲学書に目を通すことはとんと遠ざかっていたが、1つの例外があった。
多木浩二さんの美術、思想哲学に類する書への接近である。

数ヶ月前もいくつかの書を求め、拾い読みしはじめていた矢先だった。
この人の書はもちろんのこと、講演、鼎談、インタビューなどに触れた事がある人は一様にその博覧強記ぶりには驚き、そして知の愉楽について深く親しむことができたはず。

来歴をみれば1928年生まれとあるので、敗戦時1945年は17才、旧制三高の学生で敗戦を迎えたということになる。
思想形成における時代背景というものは大きな要素の1つであることは言うまでもなく、敗戦を思春期に迎えたことの意味するものは多木さんにとって小さかろうはずもない。

一般には多木さんは美術評論家としての肩書きで呼称されることが多かったと思うが、そのフィールドは広く、また深いものがあった。
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東日本大震災・災害ボランティア活動日録(1)

プロローグ 1

2011年3月11日14:46:地震発生

三陸沖、深さ約24km地点、国内観測史上最大規模、マグニチュード9.0(暫定値)の地震発生。
この時間、工房での作業中だったが、ラジオからの緊急地震速報を聴き、慌てて居間に駆け込みTVを付けた。
数秒後、立ちくらみかと思わされるようなゆっくりとした横揺れがあり、これが三陸沖を震源とする地震による揺れだと自覚するには数秒のタイムラグがあった。

その後TVでは続々と各地域での震度などが報じられていったが、数日前(3月9日)の三陸沖地震で緊張していたこともあり(気仙沼在住の顧客と連絡を取り合っていた)、深刻な事態であることへの想像が働く。

*福島第一原発では稼働中の1・2・3号機が自動停止。
大地震・大津波により非常用発電機、制御盤などが損傷(全電源喪失)1・2号機は非常用炉心冷却装置注水不能。
半径3km圏内の住民に対する避難指示
半径10km圏内の住民に対する屋内退避指示

3月12日(地震発生から1日経過)

03/12朝刊・夕刊

03/12朝刊・夕刊

朝刊には地震、津波による被害実態を知らせる、タブロイド紙並の最大ポイント活字が踊っている。

気仙沼在住の顧客には連絡取れず。
盛岡市のギャラリーオーナーとは連絡が付き、無事の確認が取れる。

多賀城市内で暮らす従兄弟3家族のことが気がかりで、電話をするも全く繋がらず。
そのうち二人の職場(仙台市内の大学研究施設など)も同様に繋がらない


この日あたりから、現地災害ボランティアへの決起を考え始める。
(うちに来ているHくんとの会話の中から、この震災への関わり方の1つとして、有用で効果的な方途を模索しはじめた、というところ)

仕事終了後、主にネットから現地の情報収集をスタートさせる。
「宮城県社会福祉協議会・ボランティアセンター」の書き込みを確認。
被災翌日ということの制約上、まだ有用な情報は掴めず。
他県を含め、未だボランティアに関わる情報は起ち上がっていない。

いずれにしろ、ほぼ現地へと赴く決意は固まりつつあったので、それを可能にするためのいくつかの問題解決にあたる。
主要には10日後に控えていたとても大きなボリュームでの納品設置作業に関する問題。
ただこの顧客も被災地の1つ、盛岡市内であったが、幸いにも新築住宅内外の被災は無く、無理をすれば納品できなくもなかったが、相手もこのような状態での受け入れは遠慮したいとのことで、延期することに。

他にもいくつかの業務上の懸案事項を俎上にし、1つ1つクリアさせていく。

業務上、クリアできない問題は残るものの、ともかくも現地ボランティア活動のプランを立ててていくことにする。
現地活動期間:往復の行程を含め1週間
        具体的には10日後の連休明けの22日あたりからとする
活動拠点:車両でアクセス可能な地域を前提としながらも、甚大な被災地(三陸沿岸部)
派遣人員:工房 悠から2名、これに数名の増強をねらって隊員を募る
支援要請:支援物資の調達とともに、義援金を募る

*福島第一原発:1号機ベント(格納容器の圧力が異常となり、弁開放)、
1号機建屋水素爆発。
原子炉に海水注入。
半径20km圏内の住民に対する避難を指示

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