工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

東日本大震災・災害ボランティア活動日録(2)

プロローグ 2

3月17日(地震発生から6日経過)

「 エスペランサ・木工隊」結成と支援の訴えには多くの関心を呼んでいるようで、支援の申し出が相次ぐ。
被災地でもないにも関わらず、市場からは災害関連物資の調達が難しくなりつつある中、皆さん苦労されながら、物資を買い集めつつあることがありがたく、また頼もしく思った。
しかもその半数はこれまで交流など無かったBlog読者という括りでの方々のようだ。
彼らの思いは、よりボクらの企みへの専心と高揚感を掻き立てる。

阪神淡路大震災の被災者でもあるらしい若き木工家のhoopさんは、手づから作り上げた「ロケットストーブ」なるものの提供を約束してくれた。
これはボクたちの野営地における暖を取るストーブであり、また調理のためのストーブでもある。
木質燃料(木っ端、小枝など)で高効率での熱エネルギーを産み出す優れもの。
ボクたちの撤退後は、被災地の方々に使ってもらうことになる。

先輩デザイナーは高級な海苔、大判300枚の提供を申し出てくれた。

そして何よりも心強い仲間が一人増えることになった。
四日市で木工家具制作を基盤として様々な活動を展開している、服部篤さんが参加を申し出てくれ、電話、メールなどでの準備のための調整が始まる。
この服部さんが手を上げてくれたと言うことは「木の仕事の会」という大阪を拠点として活動している木工家、家具職人たちの支援も見込めるということでもあり、大変心強く思う。

また被災地・仙台市内に実家を置き、山形のアート系大学を卒業したばかりのSさんが現地情報の提供を含め、積極的に関わってくれそうで、これも車両運行などにおいて、より確度の高い情報が期待でき、たいへんありがたく思った。

新聞紙面*福島第一原発:自衛隊ヘリコプター、3号機の使用済み核燃料プールへ散水。
警察車両放水車での放水
自衛隊の消防車による放水
半径20km – 30km圏内の住民に対して、屋内退避指示。

3月18日(地震発生から7日経過)

宮城県下、被災地各地域のボランティアセンターでは徐々に情報提供が進んで来ているものの、肝心な沿岸地域の情報はとても少なく、県のセンターでもほとんどと言って良いほどに掌握されていない様子。
仙台市内、各区のボランティアセンターとの連絡を取るが、Welcomのところもあれば、市内在住の非被災者によるボランティアの申し出も多く、県外からの応援は不要とのところもいくつかあった。

沿岸地域に近い松島町のボランティアセンターとは調整が付き、さらなる甚大な被災地へのアクセスが困難な場合の受け入れ先候補として有力とみる。

午前中は調理機材の確認、および燃料(ホワイトガソリン)他資材の調達、および、食材の買い出し等で忙しく動き回る。
パワーマーケットと言ったところで資材、支援物資、および食材を買い求めようと企んだが、様々なものが消えつつあった。
紙おむつ、トレペ、水、缶詰、インスタント麺等々。
ロジスティックの障害も大きいものの、一部においては不要不急の買い占めなどもあるらしい。

義援金の確認をすると、早くも大口100,000円をはじめ、数名からの振り込みを確認。
また支援物資もお米60Kgをはじめとして、いくつもの段ボール詰めの支援物資が届き始めた。
静岡以西でのロジスティックの障害はさほどではないようだ。
「ロケットストーブ」も届く。思ったよりコンパクトで、どれだけの熱量を出せるのか、やや懸念を持つ。

この日からは、業務はいったん全て終了させ、準備活動に専念。
資材調達、レンタカー問題の解決、現地情勢の分析等々、いよいよスタートへ向けての佳境に入っていく。

一方、若き隊員のHさんからは家族が猛反対しているとぼそりと明かされたが、それは当然のことであり、しかしそうした家族のブレーキを打ち破り自律して旅立つというのが、若さの特権であることを確認。
本人の意欲は全く衰えていないので安堵。

*福島第一原発:自衛隊消防車、3号機の使用済み核燃料プールへ放水。
米軍高圧放水車を使用した東京電力による放水

原子力安全・保安院、1・2・3号機に対し国際原子力事象評価尺度 (INES) 暫定評価値レベル5と発表

3月19日(地震発生から8日経過)

運行車両は服部さん側から、ディーゼルエンジンのハイエースが確保される見込み(無理矢理供出させるらしい)ということで安堵する。

友人のSさん、Mさんに頼んでいた、活動メンバーのゼッケン、および車両へのゼッケンが一部できあがってきたので、これにステンシルの型紙を作り、文字をプリント。
Hくん、なかなか良いセンスで切り抜き、キレイに仕上がる。

ガソリン携行缶、200〜300L分の数を確保するために奔走。
市場からはまったく入手できないので、友人、知人を拝み倒し、服部さん側の調達を含め、何とか確保。

静岡市内の某家具製造会社で数缶集めてくれたので、これを取りに向かう途上のランチのパスタ屋さんでのこと。
ケータイでの支援物資調整のやり取りを見て、オーナーが関心を持ち、少ないけれど、といって唐辛子をたくさんいただく。現地は寒いので、これで暖まってもらいたいとの配慮。

家具会社でKさん調達による携行缶を受け取るとともに、真っ先に支援の手を上げてくれたサワノさんと落ち合い、SUVバケット満載の支援物資を受け取る。

岡山の彫刻家から、現地入りへの関心があり情報共有をしたいとメールが入る。
独自の情報入手ルートがあるようで、とりあえず応じつつ、今後の推移を見ることにする。

夜間はMacの前に陣取り、情報収集とともに、3名のIDカードの作成を済ます。
服部さんと資材調達の調整、および不足分の洗い出しなど。

*福島第一原発:3号機、緊急消防援助隊(東京消防庁・ハイパーレスキュー隊)の消防車による連続放水

3月20日(地震発生から9日経過)

朝から野営に必要な物資の点検と、調整、整備。
テントを張り、コールマンストーブの燃焼の確認。
エンジン発電機の試運転
照明器具の点灯確認

「ロケットストーブ」の燃焼実験。
操作は意外と簡単。
想像を超える燃焼で驚く。5Lの水を入れた鍋が10分ほどで沸騰。
実用性は大きいと見た。

工房内は自力活動のための資材、燃料、および支援物資などで足の踏み場もないほどに。

開設した義援金口座の確認をする。
想定を超える○十万円を超える入金があり、ありがたく、ただただ感謝。

*福島第一原発:2号機、東京電力(消防車)による注水(約40トン)
緊急消防援助隊(東京消防庁)の消防車による連続放水(約1137トン)
4号機、自衛隊の消防車(10台)により放水(約81トン)

3月21日(地震発生から10日経過)

ほぼ準備を終えたので、自分の個人的な荷を整理。
ヘルメット、シュラフ、大工道具、電動工具、着替え、カメラ、Mac etc。
大型、小型それぞれのザックに全て納める。

この間、新聞に眼を通す暇もないほどに忙しかったが、ざっと大震災のその後の経緯、および気懸かりな福島第一原発事故の推移を確認する。
そうはいっても、実際にどのような状況で、今後どのように推移すると見れば良いのかが、全く分からない。
そうであれば、やはり仙台へ向けての行路は、東北道ではなく、日本海側から山形市経由で突入するしかないと、最終判断。

また活動拠点については、まずはボランティア活動の登録をした「松島町ボランティアセンター」に置くこととした。

こうして準備も滞りなく終えることができ、いよいよ明22日未明に出発することになった。

*福島第一原発:4号機、自衛隊の消防車12台および東電の米軍高圧放水車1台により放水(13回、計約91トン)
1〜4号機の放水口付近(南側)において海水をサンプリングして核種分析をした結果、放射線核種が検出

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