工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

2020東京五輪強行はオリンピック終焉への弔鐘(4)

産経新聞より

オリンピック開会式

Covid-19感染予防のためもあってか、各国入場セレモニーで間隔を大きく設けたことなどから予定の時間枠を越え4時間にもわたる開会式で、TVから離れようとしない子どもを寝かしつけねばと思いつつの深夜におよぶ観覧だったかもしれませんね。

大会関係者としては開催そのものへの批判、開会式を含め無観客という決断などから、式典の構成等悩ましいところもあったと思いますが、予定時間枠を越えるなど、感染予防に配慮された構成とも思えない、あるいは開幕直前になった式典関係者の相次ぐ辞任、解任騒ぎから多少は自粛する意志を示す意味から、短縮したモードで行うといった判断もあり得たはずですが、そこは全く無かったようです。

式典内容もショボかった。
パフォーマンスも大工の真似事、響かないタップダンス、意味不明なTVクルー等々、チマチマした小ネタの芸を繋ぎ合わせたもので、あれで165億円(閉会式と合わせた予算)もの経費を掛けたのかと思わされ、ビートたけしの「税金からいくらか出してる。金返せよ!」との怒りも当然かと思います。(中日:0725

一方、幾度も繰り返された競技場屋上からの花火の華やかさは、まさに祝祭空間を演ずるものでした。
競技場周辺にはかなりの数のギャラリーが集結していたようで、TVクルーはともかくも、彼らにとっては自粛モードとは裏腹のコロナ禍などどこ吹く風の祝祭の時空そのものであったのでしょう。

こうして祝祭空間を演出しているのかと思えば、他方では冴えない学芸会。

競技場周辺に三密よろしく集結した人の波を観れば、もはや、開場してやり、中へ入れてやったほうが感染予防になったのではと思うほどでした。
中には五輪に反対する市民らもかなりの数で集まっていたようですが、彼らも同じように三密避け、場内に入れてやり、集まった各国のアスリートらに、日本にも五輪に反対する意識ある市民らがいるんだということを視覚化させてやるのも一興かと思ったほどです。苦笑

組織委、式典演出家と作曲家の辞任、解任劇

このようなしょぼい開会式になってしまった理由にはいくつかの理由があるでしょう。
もちろん、社会状況的に「緊急事態宣言下」でのオリンピック強行となってしまい、いかに取り繕うとも、欺瞞的なものにしかならない宿命にあったことは言うまでも無いことです。

その上で、通奏低音の如くに五輪大会の基調に貫く、開催意義の問題、開催綱領の問題というものが、いみじくもこの開会式の演出、そしてその準備過程における辞任、解任問題として露呈されたものなのだと考えれば理解しやすいでしょう。

クリエイティブチームのメンバー

開、閉会式の演出責任者(肩書は事実上トップの Show Director)として任に当たっていた小林賢太郎氏、そして同じく、開会式のクリエーター、Composerの小山田圭吾氏が、それぞれ、解任、辞任という事態となり、大変な騒ぎになりました。

小林賢太郎氏は開、閉会式、両式典のショーディレクターという演出部門の実質的な最高席任者という位置づけ。(クリエティヴチームメンバー 発表 2021.07.15・中日)

小山田圭吾氏は4名の作曲家(Composer)のTopに位置づけられています。

小山田圭吾氏が担当する領域は4分ほどとのことで、差し替えで対応できたようですが、小林賢太郎氏は総合演出家ですので、たぶん、解任劇から開幕まで2日間しか残っておらず、組織委の「解任」決断とは裏腹に、演出内容はこのコバケン演出がほぼそのまま使われていたのだろうと思われます(大工の棟梁として出演する予定であった竹中直人氏が、過去の演技などで、この両名と同様の差別的な内容の演技をしていたことから、直前になって出演辞退するというオマケもあったようですが➡️朝日)。

既に多くのメディアで伝えられていますので、繰り返すのもどうかという思いもありますが、事柄がかなり深刻なものを孕むこともあることから、ここでも少し考えてみたいと思います。


小林賢太郎氏の解任劇の元になったお笑いユニット「ラーメンズ」時代の過去のコントでの台詞は、「ユダヤ人大量惨殺ごっこをやろう」というもの(メディアが対象部分をテキスト化していますので、参照ください(デイリー:)

この一件の情報を得た、米国のユダヤ人権団体・「サイモン・ウィーゼンタール・センター」から強い非難声明が発せられます(Simon Wiesenthal Center 公式サイト、対象ページ

SWC(Simon Wiesenthal Cente)公式サイトより

このSWCはナチスが組織的に行ったユダヤ人などへの絶滅政策・大量虐殺(ホロコースト)を記録保存し、これらを否定したり、揶揄する、あるいはナチスを賞揚するような反ユダヤ主義の監視を行い、世界に注意喚起するという非政府組織です。

過去、日本社会との関わりでは、ホロコーストを否認する内容だった文藝春秋の雑誌『マルコポーロ』への抗議が有名(その後、この『マルコポーロ』は廃刊に追い込まれています/1995年)。
今回の小林賢太郎氏の一件では「どんなに創造的であっても、ナチスの虐殺の犠牲者をあざける権利は誰にもない」とされていますが、過去の歴史に真摯に向き合うならば、私もこれに同意するしかないような内容です。

小林賢太郎氏 謝罪文

本人が解任を請けた際の謝罪文は右のようなもの。
「不適切な表現があった」
「極めて不謹慎な表現が含まれていました」
「自分の愚かな言葉選びが間違いだった」

先に引用したコントの台詞は単なる「言葉選び」の間違いといった言葉の表層的な相対比較の問題では無く、対話の流れに唐突として差し込まれているところから、ライター(小林賢太郎氏本人)自身の歴史認識を反映した自意識の表れと考えられます。
彼自身も謝罪文の中で語っているように、キャッチーな表現としてあえて耳目を引くことを意図した物言いです。

「揚げ足取り」「文脈から切り離し」「過去の話」等々の擁護論も散見されるわけですが、この度の指摘を受けるまで、何らの修復の手立て、謝罪に類するメッセージは無かったようですので、SWCからの抗議は当然と言わねばなりません。
地球の裏側まで、地獄の底までナチス残党への追及の手を緩めない人権団体なのですから。

組織委は開幕まで時間が迫っているところから、開会式の演出を全面的に作り直すわけにもいかず、もはや辞任など考えられないと考え、何とかやり過ごそうとしたようですが、ユダヤ人人権団体からの抗議に、政府としてはこのままではもたない、2020東京五輪開幕への大きな障害になる事は必至とみて、即断即決、「解任」に踏み切ったのです。

なぜやり過ごすことができなかったのか。

個人レヴェルの反ユダヤ、ホロコースト擁護論であればともかくも、本件は国際的な大イベントでの重要な式典の演出責任者による誤った発言であり、そのまま放置すれば、それが公式なものとして流布され、正統性を帯びていきかねないわけです。
例え、島国というある種の閉鎖空間・日本社会で許容されても、国境を一歩出た途端に、世界的にスタンダードとされる規範のふるいに掛けられるのです。
例えばドイツ国内などでは、ナチスの蛮行への賞揚であるとか、ホロコーストを無きものとする歴史改竄などは法的な責任を負わされるという現実があります(日本のそれらとは大違い)。

国際的なイベントを準備している重要なスタッフの一部に、戦争の灰燼の中から起ち上がってきた戦後社会における国際的規範。その中でも核心を為す反ナチス、反全体主義、人権、民主主義というものを揶揄する人物が存在するというのは、やはり国際社会への間違ったメッセージとなって拡散していくものなのです。

これに先んじる小山田圭吾氏の子供の頃の障害者への酷たらしい吐き気を催すような虐待、暴力、そして長じて、プロのミュージシャンとして活躍していた時期の雑誌のインタビューで、この一件を蕩々と、武勇伝の如くに再現するというのは、ひとりの人間としても、ほとんど人間失格と烙印されかねない言動であり、これを開会式のコンポーザーの最上位にリストされるというのは、やはりあってはいけないことです。

2人の個人の問題に矮小化させてはならない

こうした度重なる式典の主要関係者の解任、辞任劇は、組織委の人選の問題にいきつくのは当然です。
無論、組織委の武藤事務局長が全てを掌握し、統括しているものでは無いでしょう。実質的に組織委の実行部隊を構成し、担っているのは電通という広告会社です。
かれらのネットワークの中から人選され、統括管理され、作り上げられているのです。

電通佐々木 宏(豚演出で辞任) → 小林賢太郎小山田圭吾

当初、式典の総合プロデューサーは野村萬斎氏が担ってきたところ、1年延期の際、この野村萬斎が辞めさせられ(アドバイザーとして残るとされたものの)、これに代わり、電通の役員待遇でもある佐々木 宏氏を総責任者に(辞任した後は、日置貴之氏とかいう人)。そして 小林賢太郎を実質的な演出家として指名。 小林賢太郎氏が作曲家として小山田圭吾を指名、といった人選の流れなのでしょう。

日置貴之氏を除き、皆 こけちゃった。
日置貴之氏への興味深いインタビュー記事:開幕1週間前の7月14日)

佐々木 宏小林賢太郎小山田圭吾ら、個人的な資質のダメさは言うまでもないとしても、ここまでくれば、組織委という組織の問題、あるいは実質的に、この五輪を仕切り、差配している電通という広告会社のどうしようも無いクズぶりが露呈されてしまっている事態と観るしか無いのでしょう。

2020東京五輪はこれまで招致段階における買収疑惑(竹田前JOC会長による買収疑惑は、現在もなお、フランス検察東京の捜査対象になっている。Reuters「JOC竹田会長が退任の意向、招致買収疑惑で」)、そしてIOC総会における招致都市の選定会議での安倍首相の「アンダーコントロール」メッセージ、当初の開幕時期を3ヶ月後に控えた昨年の4月、森組織委会長、バッハIOC会長らの2年延期の進言を聞き入れず、あくまでも1年延期を主張することになった安倍前首相。そして組織委会長、森喜朗氏の「わきまえる女性」発言で浮かび上がった、組織委のあまりにも古臭い女性差別体質の暴露、式典演出の総責任者であった野村萬斎を押しのけ、Topに納まった佐々木某(電通・取締役)による渡辺直美への豚演出騒ぎでの辞任。
このように 耳目を集めたものに限っても、呆れるほどに悪質で耐えがたい嘘と欺瞞と差別のオンパレード。

ここにここ数週間の解任、辞任劇を加えるなら、果たしてこれらがオリンピックを組織し、準備、運営する組織体としてふさわしいのか、そうで無いのかは、自ずから明らかなことでしょう。

1964年の前東京大会では、敗戦から20年、焦土に化した東京と日本を国際社会へと復帰させ、近代日本の姿を世界に御披露目するという時空としての歴史的な意味合いが明確にあり、もちろん、その影には都内のインフラ整備、新幹線の整備等における、かなり無理なものもあったに違いないでしょうが、時代の勢いとリンクされる形で提示され、やりぬくというエネルギーとパッションがあったように記憶していますが、果たして2020東京五輪が、これに代わるだけの開催意義と、これを実施するだけの構想力、それにふさわしい態勢があったのかどうか、数々の不祥事を観るならばその答えは明らかでしょう。

復興五輪のまやかし

日置貴之氏

組織委、日置貴之氏へのインタビュー記事(日刊スポーツ)にも、「復興五輪」への問いかけがあり、これには「省いたつもりはない。たまたま書いてないだけ。演出には復興の観点もあり、1ミリも忘れていない」
と。「たまたま書いてないだけ。」って、上に示す、一見立派な「五輪パラ4式典の共通コンセプト」からはこの復興五輪は消え去っていることが読み取れます。

そもそも論になってしまいますが、復興五輪を掲げる五輪であれば、本来であれば、仙台市郊外などに国立競技場を新設し。ここを中心にやるのが最善であったはず。
東北復興置き去りに、さらなる東京一極集中という、全く時代に逆行するものでした。
事実、2020東京五輪関連の競技場建設、道路整備などで、建設需要が一気に過熱化し、東北復興に従事していた建設関連のマンパワーは奪われ、関連資材も高騰し、建設予定が大きく揺るがされるという事態が起きていたことは忘れないでおきたいものです。

医療従事者への感謝を表す内容はあるか、との問いには
「受け取り方をこちらが定義してはいけない。医療従事者の代表としてとか、そういう考え方自体がこの時代にそぐわない。云々」
…そういう考え方自体がこの時代にそぐわない、って、¯\_(⊙︿⊙)_/¯
まさに今、五輪フィーバーの影で、五輪観戦などにうつつを抜かす閑も無く、日夜、過酷な医療現場に立たされ、悲鳴を上げている医療従事者らに、この上から目線の暴力的で思いやりの欠片も無い言葉がいかに彼らを傷付けているかは明らかでしょう。

開会式では、医療従事者と思しき男女2名の姿もありましたが、何らの説明も無く、その他大勢の中にただ挿入されただけのもの。

上原ひろみ は、浜松出身ということもありますが、昨年惜しまれつつ亡くなったチック・コリアに見出され、Jazzシーンにデビューした頃から、注目してきたピアニストでした。なんとこの上原ひろみ、市川海老蔵との共演には度肝を抜かされました。
しかし、木に竹を接ぐ、という警句がありますが、その演奏と歌舞伎の見得を切る仕草はあまりにもチグハグで、上原ひろみへのオファーが気の毒でなりませんでした。…あれは酷い。

日本の古典芸能と、Jazzシーンの最先端を疾駆する日本人Jazzピアニスト、2020東京五輪の「多様性と調和」を代言させるものと演出者は考えたのでしょうが、あまりに安直でしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=UvEigoBD2Jo

選手入場後の演出では「Imagine」を各大陸の歌手が歌い継ぎ、私も聴き入ったものですが、これも振り返れば、2012年ロンドン大会でジョン・レノン本人による「Imagine」演奏の映像が流れたものの焼き直しでしかありませんでした。アイディアが無く、困った時のテッパン「Imagine」というわけです。

なお、入場行進に用いられたBGMの冒頭には『ドラゴンクエスト』が流されたということです(私はゲームはやらないので、全く気づかなかった)。
日本では良く知られたゲームのようですが、リオ五輪の閉会式で安倍晋三首相(当時)がふんしたマリオと較べても世界に浸透しているものでは無いとのことで、ゲーム関係者も首をひねっているとのこと。
ゲーム音楽を入場行進のBGMに用いるというのは、世界的に評価が高いとされる日本のサブカルをふんだんに使ったことなのでしょうが、一部のゲーム愛好家しか理解できないのでは如何なものでしょう。

なおこの曲『ドラゴンクエスト』は極右的な立場から活動する著名な作曲家の すぎやまこういち 氏によるもので、話題を攫っていました(『作曲家がLGBT差別の杉田水脈氏を肯定…開会式のドラクエ起用に疑問続出』:女性自身

「解任」させられた前述のコバケンなどより、よほど危険でインパクトの強い人物です。
ネット上では、自身を強く支持し、応援してくれている安倍晋三氏が指名したとの話もあるようです。

国内だけでは無く、開幕直前の主要なクリエーターの辞任、解任と、海外からも注目されている中にあって、あえてこのような危険な人物の曲を採用するというのは、あまりにも無神経で信じがたいものです。


当初、開会式の演出はMIKIKO氏によるもので進められていたと言われ、野村萬斎氏の辞任を経て、電通・佐々木宏氏が総責任者になって以後、このMIKIKO氏は排除されていったとのことです。(文春

このMIKIKO氏の演出ですが、《『AKIRA』のバイクが駆け抜け、スーパーマリオが競技紹介… 渡辺直美も絶賛した「MIKIKOチーム案」の“全貌”
世界的に人気の漫画家・大友克洋の『AKIRA』をイメージした演出をそのまま採用していたとすれば渡辺直美の絶賛を押しのけても、私も賛同しますし、海外からの視線として観れば、未来都市・TOKYOを表象するものになったに違いないでしょうね。残念です。😅

確かに、組織委としては、度重なる主要幹部の舌禍、不祥事が相次ぎ、『ダイバーシティー&インクルージョン(多様性と調和)』、あるいは国際性とは裏腹のものが浮かび上がっていましたので、開会式の構成、演出も相当に悩ましいものがあったと思います。

そんな中にあって、ベナン人の父と日本人の母を持つバスケの八村塁選手(ウィザーズ)を旗手にし、聖火リレーの最終ランナーに、ハイチ出身の父と日本人の母との間に生まれた大坂なおみ選手を充てたのは大いに評価されて良いものだったと思います。
この人選には相当に議論があったようですが、推してくださった人には感謝したいと思います。

ただやはり、演出の人選を除いても、その全体構成、一連の流れ、世界に日本をどのように打ち出していくのか、日本のポテンシャルを十分に引き出すことに成功したとは思えません。

これは組織委の資質が果たして『ダイバーシティー&インクルージョン(多様性と調和)』を有するものであるかを想像してみれば分かるでしょう。
あれが2020東京五輪、開会式典の限界なのです。

既に競技は中盤に差し掛かっていますが、アメリカストリートカルチャーの代表格・スケボー・ストリート競技に13歳の少女が颯爽と表彰台に上がるなど、日本のスポーツを取り巻く環境も大きく変容しつつあることを象徴するもののように思えてなりません。
時代は大きく変わってきており、日本社会の旧態依然とした体質を残存させた組織委が、この変容に対応できているとは思えない、ここに大きな問題を孕みつつ、後半競技へと移りつつあるようです。

2020東京五輪は中断するしか無いのでは

なお、オリンピックが挙行されている東京都では、このところCOVID-19パンデミックは新規感染確認者は3,000人を越えるなど、爆発的な傾向があります。

先に、4度目の緊急事態宣言が発出されたものの、一向に感染者数を抑え込むことはできず、むしろ2020東京五輪が、多くの医療関係者、専門家、そして市民らの厳しい要請「中止して欲しい」「延期しろ!」の声を無視し、強行していることによる、市民の行動規範の緩みが背景にあることは間違い無いようです。

開幕直前の西浦博教授(京都大学)のシミュレーションによれば、「東京都の新規感染者数は8月上旬には1日3000人を超える」(NHK)

とのことでしたが、旬日を越え、その前に3,000人突破という現実があります。

それでも菅首相は「東京五輪を中止する選択肢について、人流は減少している。そうした心配はない、と否定」しているのですが、とても統治能力があるとは思えない、無責任な発言では無いでしょうか。

このままだと、五輪が終わる頃、パラリンピックが開始する前には、かつて経験が無いほどに、新規感染者数は増大し、5,0000名を越え、医療態勢はパンクする事は目に見えています。

これを抑えるには、他でも無く、PCR検査体制の整備、充実とともに、2020東京五輪の中断しか無いでしょう。
今からでも遅くありません。

この私の思いと共振するかのような若い小説家からの新聞寄稿がありましたので紹介させていただきます。
【寄稿】五輪利権のため国民の命賭けた政府 作家・中村文則さん(東京新聞:2021年7月28日)

これほどの規模のパンデミックでの五輪・パラリンピックは、人類史上経験がない。どうしても「イチカバチカ」の賭けの要素があり、賭けられているのは国民の命になる。五輪利権のために国民の命を賭ける、史上初の政府を今私達は目の当たりにしている。

選手達は、やり難い。この時期の開催だから、感染し不参加の選手が当然続出しており、既に五輪はフェアでなく失敗している。国民に希望を、の言葉も、社会に補償が行き届いていない今、五輪費用が補償に回った方が人々のためだ。「心を一つにコロナと闘う」も幼稚過ぎる。世界の人々が望むのはコロナの収束で、五輪は真逆。選手達と違い、ワクチンも国民に行きわたっていない(僕の地区も予約は停止)。現在の感染者数の急上昇も無関係と思えない。五輪開催なら自粛などばかばかしい、という気運の結果もある。

僕は今でも五輪は中止・延期と考え、同時に内外の選手達の努力の結果を称えるつもりでいる。政治に毒されたスポーツを、自分の中だけでも取り戻したいと願う。この時期の開催に意義をつくっても欺瞞に過ぎない。選手達には自分達の競技に、つまりもうスポーツそのものと向き合ってほしいと思う。出場辞退を望む声はあるが、開催するなら出たいと思うのが選手だし、人間だろう。


 既に五輪は失敗と書いたが、そもそも、家族の預金を勝手に全て賭けた父親がその賭けに勝ったとして、父さん凄い! と褒めるのは愚行。国民の命は賭けるものではない。未来のためにも、政府とIOCは一度解体した方がいい。


日本人選手のメダルラッシュが続いていますが、世界各国でこのCOVID-19パンデミック状況は、各競技とも、まともな練習、肉体的な鍛錬もできず、実力選手のエントリーも断たれてしまったケースも少なく無いです。
既に開会前の時点で、アンフェアな大会だったのです。

「安心 安全」と呪文のように繰り返す菅首相ですが、それとは裏腹に、組織委の発表によれば、29日までの大会関係者の累計感染者数は、選手やスタッフなど、計198人にも及ぶのです。(組織委発表データ

既に競技を終えた選手もいるわけですが、感染予防の観点から、彼らは競技終了後48時間以内に出国するという規定になっていて、彼らは競技を終え、大きな重圧から解放された身でもあるところから選手村での他選手らとの交流を希望しても、これは叶わず、ましてや東京をエンジョイすることなど到底できず、追い立てられるように荷物をまとめ、帰国せねばならないのです。
本当に、トンデモ無い大会になってしまったものです。これがアスリートが夢にまでも視たオリンピックと言えるのでしょうか。選手らを心からリスペクトしたい私としては、気の毒でなりません。

前述したような現在の爆発的な感染拡大というものにはくつもの原因が輻輳してるのでしょうが、65歳以下の就業年齢で活動盛んな彼らには未だにワクチンが届いていないということは大きな問題です。

同時に〈緊急事態宣言〉が発出されている一方で、祝祭的イベントであるオリンピックが華々しく開催されていることの空気感、浮き立つような世相、社会状況というものは、〈緊急事態宣言〉に親和性を与えるどころか、真逆なベクトルでは無いですか。あり得ない、トンデモ無い逆説。

もはや、こんな悪い冗談でしか無い、〈緊急事態宣言〉下の東京五輪など、ザケンナって感じです。

ただちに、この2020東京五輪は中断すべきでしょう。

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