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2020東京五輪強行はオリンピック終焉への弔鐘(2)

緊急事態宣言下での開催?

06/17、菅首相は沖縄を除く9都道府県の宣言解除についての記者会見を行った。現在はこれがすべて解除され、21日から東京、北海道、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡の7都道府県では〈まん延防止等重点措置〉へと移行された状況にあります。
記者会見を行った17日の東京の新規感染者数は452人と、「ステージ4(感染爆発)」に限りなく近いのに、です。
そして今日に至るまで、大きく減ずること無く、いわゆる「下げ止まり」の状況にあるようです。

そして本日、6月23日の東京都の感染確認は619人で、4日連続で前週同曜日を上回る感染確認という状況だそうです。(NHK
この状況からは、今や、下げ止まりから一転、再拡大へと向かいつつあるのではとの懸念さえ現実味を帯びていているかのよう…。

東洋経済新聞

また、今後の感染を予測する上で有為な指標とされている「実効再生産数」を観ますと、むしろ上昇しつつあることが窺えるのです(東洋経済・新型コロナウイルス国内感染の状況(東京都))。

前回3月の〈緊急事態宣言〉解除では大阪に典型的でしたが、明かなリバウンドが起き、その後1ヶ月余りで再宣言せざるを得ない状況になったことは記憶に新しいところです。

今回はこの時より感染者数は120名も多く、いかに「まん延防止等重点措置」に切り換え、規制を掛けるとは言いつつも、午後7時までは酒類が提供されることとなり、感染防止策は大きく緩みます。
たぶん、前回以上のリバウンドが避けられないのでは無いのでしょうか。

このまま開催に突入し、五輪大会開催中にクラスターが発生したとしても、それらが発症し、問題になるのは、大会終了後ということになれば、当然にも責任問題となるでしょうが、組織委は解散し、首相の任期も終わりを迎えるという日程なのです。

さて、本筋に戻り、前回からの続きです。

驚くべきIOCの傲慢さ

05/21 IOC、緊急事態宣言下でも東京五輪は開催(ジョン・コーツ IOC 調整委員長)

「世界保健機関(WHO)からの助言や、すべての科学的助言は、私たちがプレイブックで明示した措置の全てが、健康面で安全な大会の確保に十分だと示している。それは緊急事態宣言中かどうかに、かかわらずだ」(ジョン・コーツ IOC 調整委員長)BBC

05/21 東京五輪は「アルマゲドン(最終戦争)に見舞われない限り、開催される」(IOC最古参のパウンド氏)

・「アルマゲドン(最終戦争)に見舞われない限り、東京五輪は計画通りに開催される」
・「開催国(日本)が開催したくないなら、開催されない」としながらも、「状況が確かに危険な場合、大会を中止する権利」は最終的にIOCが保持している(AFP

東京大会を巡る状況は大変厳しい状況下、IOCはそんなこと関係ない。〈緊急事態宣言〉があろうがなかろうが、決めたことはやるんだ、とする妄言吐きまくっているというわけです。
彼らは開催直前に一族を伴い東京に降り立ち、最高級のもてなしを受け、三つ星ホテルの最高クラスのスイートに部屋を取り、開催中はパーティーやら何やらを連日連夜繰り広げ、4年に1度の我が世の春を謳歌して帰って行くのです。(AERA「IOC貴族への過剰接待リスト 渡航滞在費は夫妻450万円、土産代計6300万円」

これは海外のIOC委員だけの振る舞いではありません。
欧州のIOC委員は、近代化の中で形式上は無くなっていく運命の「貴族」として振る舞う一方、日本のJOC、組織委はそれを真似したいのか、1日あたり、35万円とも80万円とも言われる日当を稼ぐことになっているところから、何が何でも実施せねばとの焦りがあるようなのです(Litera「組織委の現役職員が五輪の異常な人件費と中抜き告発 日当は1人35万円どころか80万円!「政治、利権が絡んでこの金額に」)。

WHO(世界保健機関)は明確な国連の関連機関ですが、IOCは多くのNOC(国内オリンピック委員会)を統括するNGO(非政府組織)の国際機関ではあるものの、国連などとは性格の異なる一民間団体に過ぎないのです。
このIOCが日本政府を抱きしめ、羽交い締めして吸い上げる構造となっているのが五輪なのです。
バッハが「ぼったくり男爵」と呼ばれたのも、決して間違ったアナロジーではないのです。

この傍若無人、傲岸不遜な2020東京五輪へ向けたIOCの姿勢はいったい何を意味するのでしょうか。
一言で言えば、彼らに取り、日本の感染状況などさしたる問題では無く、とにもかくにも、計画通りに五輪を開催させることに最大の価値を置いているということなのでしょう。

日本の組織委、JOCの金銭的な腐敗は後述しますが、1964年東京五輪と較べても、巨大なマネーが蠢く一大イベントとして構想され、これに有象無象な関係者が甘い汁を求め、群がっているという構図なのです。

パンデミック下の開催はアンフェアなものになってしまう

JOC理事で、この東京五輪の開催を危惧する山口香さん(元、柔道選手)から注目すべき発言がありました。(Newsweek 06/08

朝日新聞

中でも、このパンデミックにより、エントリーする選手がアンフェアな状況に陥っている問題です。

この他にも、豪州、水泳飛び込み連盟が、緊急事態宣言下の東京で開催されたW杯に参加しないことを決め、前回のリオ大会で女子シンクロ飛び込み種目の銅メダリスト、アナベル・スミス選手は「五輪のフェアプレイという大原則に反する決定により、私たちが出場権を獲得する機会は失われた」とinstagramに投稿。

東京都の忌むべき感染状況により、4年に1度の出場機会が奪われることになったのです。

また、リオで開催される体操の南北アメリカ大陸選手権(06/4〜06/13)に、カナダの男女体操代表候補の派遣は、感染リスクを厳しく評価するところから派遣を取りやめています。(NHK

カヌーのアジア選手権がタイで開催されましたが(04/30〜05/07)、10日間の隔離期間を考慮し、04/16に入国しようとしたインドの選手らに、タイ政府は変異株が猛威を振るっているインドからの入国を拒否されてしまっています。

これらは事柄の一端に過ぎないのだろうと思われますが、事ほど左様に、今大会は実にアンフェアなオリンピックとして準備されていることは忘れてはならないでしょう。

とても世界に開かれた「平和の祭典」東京五輪と胸を張って言えるような状況ではないのです。

しかしなぜ日本はこのような無謀な開催にに突入しようとしているのでしょうか。

パンデミック・緊急事態宣言状況下でなぜ開催強行?

さらにこれから1年延期すれば、日本国内のワクチン接種はほぼ所定の計画を達成しているものと考えても良いでしょうから、現在のような医療逼迫状況からはかなりの程度、緩和されていると考えられます。

これはわが国だけではなく、世界の多くの国々も同様の経緯を辿るものと期待しても良いでしょう。
そうであれば、各国選手団の構成も、然るべく予選を経て、万全の体制で臨める可能性は高くなるでしょう。
予選もまともにできず、あるいは例え競技の代表に選考され、来日できたとしても、観客席には自国の応援は皆無の一方、日本人による日の丸だけが会場を圧するという光景が繰り広げられるとすれば、これが果たしてフェアな競技と言えるのでしょうか。


にもかかわらず、延期しない。
これは昨年の4月に、当時の安倍首相と、組織委、森会長、そしてIOCバッハ会長との会談で1年延期とされた際、IOC会長・バッハが1年延期ではまだリスクが高く、2年先の方が良いのでは、との提案を蹴り、あえて1年後としたことにあります。(バッハ氏「来年無理なら中止」 朝日新聞2020.05.22

にもかかわらず、安倍首相(当時)は「日本はワクチン製造の技術がある。春頃にはワクチンが開発され、全国民に接種ができる。そうすれば7月の2020東京五輪の開催は可能」と見得を切ったのです。
この時の安倍首相(当時)とIOC会長との取り決めを根拠として、再延期は無いとされているのです。

この安倍首相(当時)の1年延期とした期限ですが、言うまでも無く、自民党総裁の任期が2021年の9月で、自身が開催時の首相として栄誉あるお立ち台に立つためには、1年延期がギリギリだったというわけです。

リオ オリンピックの閉会式にマリオを模した姿で2020東京五輪をアピールしたように、東京五輪は安倍首相の叶えられなかった夢であり、偽りのレガシー。
この代わりを担うのが菅後継首相。

菅首相にとってみれば、後継として首相の席を与えてくれた安倍首相の悲願である2020東京五輪は前首相との約束であり、自身の思いなど実はさほどのものでは無いのかも知れません。
このコロナ禍にあって、なぜ無謀な開催に執着するのかとの問いに対し、これまで開催意義に関する説得性のある説明はまったく語られず、ただただ呪文の如くに抑揚の無い語りで「安心安全」を呟くのみ。


時事通信

さきの枝野立憲民主党 党首との初の党首討論では、この開催意義を意味するものと考えたのか、高校生時代に開かれた1964東京五輪の思い出話を蕩々と語り、その白々しさに呆れ果てたのは私だけでは無かったでしょう。


会場こそ東京で重なるとはいえ、焦土に化した敗戦後の東京が見事に復興し、欧米先進国にキャッチアップしようとする1964東京と、今度の2020東京五輪とは開催への位置づけは全く異なるもので、思い出話に花を咲かせる そんな愚にもつかないポエムで、パンデミック下の開催強行の理由付けになどなるはずもないのです。

菅首相はもっぱら(開催有無は)「政府が決めることではない、東京五輪の開催はIOCに権限がある」と、開催国のTopリーダーとして理解困難な責任逃れに終始するばかりなのです。

オリンピック開催の意義とは

菅首相は前述のように、1964東京五輪の思い出にふけることで、その開催意義をアピールしたかったようですが、これはそれほどまでに、説得性のあるパンデミック下での開催強行の意味づけが困難だと言う事の裏返しでしょう。

確かに私も1964年のオリンピックには高揚感があったように記憶しています。
私は田舎暮らしでしたので、大会関連の競技施設の建設や、首都高の整備など東京の街の急速な変貌を観ることは無かったものの、新幹線の整備には目を見張るものがありました。
ほぼ同時期に整備されつつあった日本最初の高速道・名神高速道もその頃、一部開通するといったように、日本社会の道路網、鉄道網などに象徴される日本社会のめざましい発展と共に、この1964東京五輪開催は一体のものだったのです。

朝日新聞

この1964東京五輪と2020東京五輪の違いについて、谷川俊太郎さんが見事に言い表しているように思いました。
彼は1964年大会の市川崑監督による公式映画の脚本に参加していたのですが、今回はその大きな変質から「五輪の詩は書けない」として以下のように語っています。(朝日新聞 2021.06.07


少なくとも64年の東京五輪と、今の五輪の中身の違いの恐ろしさは感じます。前回僕は記録映画の脚本に参加したり、新聞で五輪の詩を書いたりしましたが、今度はそれは書けないという感じがすごく強いですね。

64年の時にはまだアマチュア精神というものがあって、選手たちの闘う姿が美しかったという記憶があるのね。それがいつの間にか、カネの世界になっちゃったわけですよね。

市川さんは選手の肉体の美しさを描いていて、それは時代によって変わるものではないと思うんですけど、それよりも数字に表れた記録とか放映権みたいな話になってしまって。スポーツ選手たちの肉体の美しさを屹立させると言うか、俗世間からは違うものとして詩を書くことが、もう難しくなってしまった感じがあるんですね。

簡単に言うと、五輪の詩というものは失われたと思います。五輪の詩を書くことに対しては64年の当時から批判はもちろんあったのですが、五輪の精神が人間を豊かに美しくしていたというのがありました。だけど今、五輪の詩を書いてくれと言われても、僕は書けないですね。パロディーとか批判的な詩なら良いのだけれども、スポーツとはそういうものではないと思うからね。

「64年の時にはまだアマチュア精神というものがあったが、いつの間にかカネの世界になっちゃった」と嘆く詩人ですが、この嘆きはまさに元プロサッカー選手でもあった米パシフィック大学教授のジュールズ・ボイコフさんが言うところの「祝賀資本主義」としての東京五輪の本質を言い当てていると思います。

「祝賀資本主義」(ジュールズ・ボイコフ)

「IOCは招致が決まった瞬間は優しく抱きしめ、いったん開催都市契約書を交わすと財政面の負担を押しつけて羽交い締めに。しかも、強烈に…」(朝日インタビュー

一般大衆が喜び、浮かれて盛り上がる祝祭に乗じて、規制緩和などの改革が行われる。そこにはわながあって、開催都市の納税者は大会経費の負担を強いられ、一部の民間企業が利益を享受する仕組みです。東京では国立競技場の建て替えを機に、明治神宮外苑地区では東京都が1970年に条例で設けた15メートルの高さ制限が、80メートルまで引き上げられたと聞きました。大手ディベロッパーにとっては大いなる恩恵です。12年ロンドン五輪を招致した当時のロンドン市長は、東部地区の開発のために巨額の公金を政府から引き出す唯一の策が五輪招致だったと語っています

今夏の東京は海外から観戦客は来ないですし、コロナ禍で祝祭ムードとはほど遠い雰囲気になるでしょう。副次的な効果は期待できません。大富豪たちの虚栄心を満たす宴のために、大半の人々は我慢を強いられるだけなのです

ジュールズ・ボイコフさんが語る「祝賀資本主義」はこの2020東京五輪において、完成の域に達しようとしているようです。

数日前、2020東京五輪反対署名を呼び掛けた宇都宮健児氏と共に、このジュールズ・ボイコフ氏がオンラインでの講演を行っており、これは五輪そのものの歴史的な調査分析に踏まえた、たいへん示唆的な内容となっていますのでご案内させてください。

ジュールズ・ボイコフ+宇都宮健児「犠牲の祭典-オリンピックの真実」

開催費用も鰻登りに莫大な規模へと

東京五輪の開催費用は公式には総額1兆6440億円と公表されています。
組織委が7200億円で、残り9000億円が東京都と国から支出されます。

毎日新聞

ただこれに留まらず、会計検査院の指摘では既に国は1兆600億円を支出したとされ、同様に東京都も関連経費は7770億円を支出。つまり3兆5000億円の経費が支出されつつあるのです。
これだけの膨大なカネが無ければ開けないのが、今のオリンピックなのです。(朝日新聞

覚えているでしょうか。2013年の招致時に語れらた「世界一コンパクトな大会にする」との話しがありました。
これはオリンピックが回を追うごとに巨大なイベントになっていくことで、手を上げる都市がどんどんいなくなることへの反省もあったことからの、招致国としてのメッセージだったのでしょう。
その時の開催費用は7400億円とされていました。
なんとこの5倍近くに増大という予算になってしまっているのです。

因みに前回のリオ大会は108億ドル、前々回のロンドンは104億ドル。
単純に見積もっても、東京大会の3兆5000億円は、これらの2.7倍です。

これらのカネは新国立競技場など競技施設の建設費用の他、開催準備から運営まで独占的に請けている電通を介した様々な費用として化けていくわけですが、大手ゼネコン、大手広告会社、竹中平蔵のパソナといった強力に政府に食い込んでいる一部政商へと合法的に吸い上げられていく構造となっているのです。

パソナ・竹中平蔵の「世論が間違ってますよ」が炎上したのはつい先日のことでしたが(朝日)東京五輪に強力に食い込み、巨万の富を得ることが約束されていることからの、社会へ向けた怨嗟の雄叫びだったのでしょう。


電通に至っては、招致段階からはじまり、安倍、および菅継承政権が、五輪の組織化、運営のあらゆる領域で、この電通に丸投げしていることから説明するまでも無い独占的な蜜月企業として、管理料の名目などで開催経費の多くが呑み込まれていくのです。

こうした競技施設や、湾岸地域の都市開発、あるいは道路整備といったインフラ整備は果たして1964年五輪のように首都東京を近代都市へと塗り替えたるほどの将来に向けたインパクトのある地域整備になっているのでしょうか。
この2020東京五輪はむしろそうした都市化の論理というものより、本来コンパクト五輪として打ち出し、招致を勝ち取った経緯からも有為な説明にはなっていないというのが実態。

もっとはっきりと言わせて頂ければ2020東京五輪を何か、経済効果があるかのように装ってきているわけですが、言ってしまえば、インバウンドとかいう、海外から五輪目的に来日する観光需要ぐらいしか無いのです。

ところが、この観光需要すらも、COVID-19パンデミックからの防疫上、海外からの観客はゼロとなってしまった。
経済効果なるものは期待に反し、何も得られないという哀しい現実が突き付けられているのです。

さらにまた、「復興五輪」などと銘打ってはいるものの、福島から東北の現状を観れば、それらの実態は空疎なもので、単なる情緒としての物言い、ポエムでしかなく、そこにはまったく論理的な説明など為し得ないものでしかないのです。(続く)

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