生きにくい時代の木工家という生業
木工家具の展示会での即売では、家具というものが持つ特有の属性(調度品、日本の貧困な住宅事情から置きたくとも置けない事情といったことなどの)に制約され、求める人との新たな「出会い」というものが重要な要素になる。
世には木工コレクターという人たちも希少ながら居る。
以前名古屋での展示会場でボクの作品を見初めてくれた初老の男性がいた。曰く、著名な木工家の名前を挙げながら「君のこの家具は私がコレクションしているものと較べ値段も桁が一つ少ないようなものだが、ちょっとおもしろいから買っといてやるわ・・・」などと。
詳しくお話しさせてもらうと、木工のコレクションのために大きな蔵のような建物があるとのこと。
他にも、とある古刹の住職の庫裡に案内され木工、陶器などのコレクションに驚かされたこともあった。
このようなありがたい客層があることも一方の真実だが、しかし一般には、調度品として事足りていれば例え気に入ったものがあったとしても購買衝動は抑えられてしまう。
そのためには、常に新たな顧客との出会いというものが求められるという宿命にあるのが木工家だ。
展示会の実施、それへ向けた広報、購買意欲を持った客層の綿密な管理と情報提供。
この時代、そうした様々な販売戦略も作家自身が積極的にやらなければならないというめんどうな時代のようだ。作家も制作だけやっていれば良いものではなく、まさに総合力が問われるという恐ろしい時代に生きているようなのだ。
ご覧のようにWebサイトの管理運営、Blogの管理運営もままならぬボクなどにはその荷は大変重たく、足取りもフットワーク軽く、とはいかないのが実態。
今日もまた大阪在住の木工家とその生き方の困難性を分かち合い、明日への希望を見いだそうと意見交換したのだった。