工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

夏の日射し

真夏の強い日射しがよしず越しに射す工房内は過酷な環境ではあるものの、これまでの連日の雨による湿潤な環境と較べれば、感謝したいほどのありがたさ。
“梅雨明け10日”(梅雨明け後10日間は安定した晴れの日が続くという伝え)とはいかないようで、明日からまた崩れるとの予報もあるが、この2日間の晴れは最後の追い込み状況にあるわが工房にあって恵みのお天気だった。
椅子の脚のホゾを指し、組み上げ、メチ払いをして、塗装する。
これらの他愛ない工程も、この気象条件あってのもの。
しかし‥‥‥、この夏の異常と形容せねば理解できない気象。
果たしてあの暑い夏はどこへいったのさ、と訝りたくなるのは、湿潤な大気がもたらす業務への影響を指してのことだけではない。
夏休みを迎えての子供達が海へ、川へ、山へと向かう勢いを削いでしまうことの気の毒さを考える。
昨今の子供達の日常は、詰め込み授業と、校門を出てからも塾通い、あるいはゲーム、ケータイなどバーチャルな世界に耽溺してしまうという状況であるらしい。
せめてこの夏休みぐらいは、ゲーム機、ケータイから離れ、日常の世界から抜け出し、謂わば本来の子ども世界を回復するための貴重な時間を与えてやる時季とつくづく思う。
クワガタ、カブトムシなどがデパートで売り買いされるという、いびつで仮想的な子ども世界から逃避し、明けやらぬ早朝、近くの里山へ向かい蝉の羽化を待ちかまえ、あるいは麦ワラ帽子を被り(そんなもの今はない?)、網を手に川へともぐり、うぐいを掴まえ、はたまた隣町の少年達と取っ組み合いの喧嘩をする。
ともかくも、自身の脚と目で自然と交歓しあい、あるいはまた肉体のぶつかり合いでの痛さ、悔しさ、嬉しさを存分に体験させられる機会が、こうしたスカッとした夏空で下ならではのもの。
ボクが手先の器用さというものが養われたとするならば、10歳前後の頃、「肥後の守」をポケットに忍ばせて、友と里山を駆けめぐったことに、その源を求めることができると思うし、また自然界の豊かさ、あるいは人間社会が自然界の一部として柔らかく包摂されていることの実感というものを無意識の中に、身体感覚として備わってきたのも、この夏休みというものから与えられたものだったと言えるだろう。
民主党の教育関連マニフェストがどうなっているか詳らかにしないが、夏休みだけはたっぷりと与えて欲しいですね。
基礎教育は普段の授業でびしっと学び、夏休みは日常から解放させてやるという、メリハリを付けた戦略でやってもらおう。
(夏休みは受験戦争の現在では塾通いで追いまくられているのが実態だって?、そんなしょうもないことを‥‥‥)
拓郎、体調が懸念されるようだが、「夏休み」はこの拓郎のものを嚆矢とする ? かな
では皆さま、最後になりましたが‥‥、
 暑中お見舞い申し上げます

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  • 暑中お見舞い申し上げます。
    梅雨が明けたらとたんに猛暑。
    参ってしまいますわ。
    といいつつ、日陰で、ちびちびと
    作業するのが楽しくて。
    もうすぐ、夏休みです。
    楽しみです。
    ゲームは苦手なkentでした。
    (息子たちは勿論、大好きですよ>苦笑)

  • kentさん、あなたはまとまった休みとなると、やりたいことがありすぎて大変でしょうね。
    ボクは、そうですね‥‥、木陰に吊られたハンモックにでも揺られ、冷えたビールをやりながら読書でしょうか。
    (‥‥あるいはiPhoneにインストールしたゲームでも 苦笑)

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