工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

安保法制をめぐる、この熱い夏の光景(あの日から70年目の夏を迎えて その2)

国会前に押しかける人々の群れ

国会前では毎週末、定期的に反原発などの抗議活動が弛み無く続けられていることは知っていたが、違憲安保法制の衆院特別委での強行採決前後からは、これへの抗議活動が大規模に、日を置くこと無く連日のように、あるいは全国津々浦々、様々な団体が」「抗議声明」を発し、街頭に繰り出しデモを打ち、「アベ政治を 許さない」のステッカーを掲げ、個人が声を上げている。

あるいは、全国の県議会、市町村議会からも多くの「反対」「慎重審議」を求める意見書が採択されつつある[1]

あるいは憲法学者、弁護士団体などを先頭として、様々な学会の学者達から声明が出されるといったように、蜂の巣を突いたような大騒ぎになってしまっている[2]

それぞれの意志は様々で、抗議声明の内容も色とりどりだろうが、共通して底を流れていることは以下のようなことではないだろうか。

これまでは、政権による不当、不法な振る舞いには、疑問があったり、異議があっても、まぁ何とかセンセイ方に任せておけば、取りあえずは良いだろうなどと安穏としたところがあった。

ただ今回ばかりは、どうも憲法というものの鼎が問われているようで、俺たちの与り知らぬところで、とんでもないことを与党が画策しているようだ。

少し新聞を深読みすれば、これはヤバイよ。自民、何か感じ悪いよね。
戦後営々として護ってきた平和憲法をこんな連中に土足で踏みつぶされても良いだろうか。
このままじゃ、自分の可愛い子や孫たちが国にとられ、戦争の現場に立たされてしまうのでは無いのか、
といった覚醒への転換があったのだろうと思う。

戦後史を繙いてみても、60年安保騒動以来の議論の盛り上がりと言えるのは疑いない。


こうして、違憲安保法案の強行的な法制化は、そのカウンターを広汎に産み出すことで、これまでは絶対的に揺るがないとされてきた岩盤のような保守政治の根幹をも揺さぶるものとして、作用しつつあることに注目したいと思う。

確かに、これまでは為政者による不正な立法へは、一部労働組合や、先鋭的な市民らによる反対行動はあったとしても、やがては下火となり、矛を収め、収束し、日常に戻っていく、といった歴史の繰り返しであったわけだが、今般の違憲安保法制をめぐるカウンター層の拡がり、そしてその持続性、方法論などに観られる新奇性は、これまでになかった運動の形態を示しているように思う。

先の渋谷での高校生によるデモを観れば、ラップのリズムに載せ、主張をコールしている。(08/02 高校生デモ・YouTube
海外の、こうした街頭での抗議活動の様子は詳しくは無いが、たぶん、この高校生達、世界の先端をいく抗議スタイルを獲得しちゃったのかもしれない。

私も数少ない回数ではあるけれど、国会前に立った時に感じたのは、311後の反原発の運動に似通った参加者の様子を確認することができた。
幟を飜す組織的動員もあることは当然としても、多くの場合、個人として、一市民としての自律的、自立的な参加者が主体だと言うことに目を奪われる(私自身がそうだったのだが 笑)。

労組の多くは中曽根政権時の国鉄民営化などを機に一気に解体されり、リベラル陣営の組織的動員は影を潜めることになり、労働者も一人ひとりが孤立された状態で起ち上がるしかなくなっているという背景もあるのだろう。

それぞれに思い思いの手描きのステッカーを自作し、手に汗にぎる緊張感とともに、慣れないながらも、どこか晴れ晴れとし、爽快感あふれるシュプレヒコールに胸に迫るものを感じたものだ。

ジャーナリズムが総体として疲弊し、政権のスポークスマンに成り下がって久しく、この種の運動は可能な限りに記事にすること無くスルーしてきた新聞だったが、最近ではさすがに取り上げざるを得ないほどまでの、新たな息吹(党派制に無縁の学生、若い女性達、高校生等々)に感じるものがあったようだ(記者はそれなりの取材体制をシフトしつつも、編集段階でデスクが赤を入れるか、ゴミ箱に捨て去ると言うのが常だったろうが、どうも形勢は安倍自民の思いのままには進展していないばかりか、反対勢力が世の声となっていることを察知し、記事にせざるを得なくなっているとも言える)。

大学生、高校生、そして若い母親たち、これまで政治への関心など寄せてこなかった様々な人々が起ち上がってきており、これはかつて観られなかった戦後史における1つのエポックと言えるのかもしれない。

「自民、最近感じ悪いよね、」「戦争が身近に迫ってきている感じ」「大人達に任せておいてよいのだろうか」
素朴ではあるのだろうが、時代潮流への1つの真実を感じ取り、汚れちまった大人とは異なる、うぶな感性から危険を察知し、異を唱えて起ち上がってきている。

安倍政権は、クーデターまがいに「集団的自衛権」を閣議決定させ、これをベースとした「違憲安保法制」の制定に大きく踏み出したわけだが、どうもそれと引き替えに、市民たちが覚醒してしまうベルを鳴らしてしまったのかもしれない。

安倍晋三の師である森元首相は首相在任中「選挙では、無党派層は寝ていてくれればいい。投票率は低い方が良い」などと、あからさまなホンネをほざき、当然にも厳しい批判に曝されたが、弟子の安倍首相も、ホンネはそんなところにあるのかもしれない。

しかし、人々は目覚めてしまった。
有権者、市民をあまりに愚弄すれば、このような経緯を辿るものだと言うことを厭と言うほどに味わされているに違いない。

それにしても、官邸に詰める執行部らの舌禍に観られるあまりのお粗末さには驚かされることばかりだが、どうしてこれほどまでに政治の劣化を見せつけられるのか、不思議なところも無くは無い。

自民党には、まだまだ真っ当な政治家もいると思われるものの、全く影を潜めてしまっているのは、いくつかの理由があるだろうが、ただ言えることは、これほどまでの劣化は、自民党そのものの賞味期限がとうに終わっている、ということなのだろうと思う。

あるいは国政そのものにまともな人材が集まりにくく、ウソと、カネと、欲望と、権力に執着する者たちの掃きだめのように化していると言うべきなのかも知れない。

もっと敷衍すれば、残念な物言いではあるけれど、日本社会の総体としての劣化がもたらしたものであるとすれば、その責任は自分たちが負わねばならない性格のものでもあるだろう。

この屈辱にどこまで耐えられるのか、そうした問いかけが、心ある人々に掛けられている。

そうであれば、自分たちの誇り、日本という国の誇りにも掛けて、この違憲安保法案を葬り去ることだろう。
そうした息吹は、首都圏から全国にこだまする人々の怒りの声の中に、人々の汗と、振り上げる拳の先に、少し見えて来ていて、これらはあまりに貶められた私たちの誇りを取り戻す1つの兆しであるに違いない。

私たちにとっての「憲法九条」とは

第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

他の条文はともかくも、この憲法九条は学校の授業でも詳しく解説されてきたところだろうし、メディアでもよく取り上げられる条文だが、戦後日本の骨格を為す最重要な綱領とでも言うべきものであれば、それも当然だ。

内閣を構成する為政者、首相も、反対勢力の党派も、平和活動家も、憲法学者も、この条文を巡る解釈で争ってきたのが、日本の戦後の歩みそのものだったとも言える、核心的な命題だった。

自民党の歴史とは、結党以来、この条文を敵視し、そのためにこそ憲法改正(改悪)を訴え、また画策してきた歴史であったとも言える。
つまり、日本国憲法とは、マッカーサー元帥に代表される連合軍より押しつけられた憲法であり、これに替わる自主憲法をこそ制定すべきだ、というものだ。
日本という独立した国の市民であれば、自民党支持の有無を問わず、説得性を持って迫ってくる疑問だろう。


ではなぜこのようなカントの「永久平和論」の如くの(お花畑のような 笑)九条ができたのかは、近代史における最も重要なところでもあり、私の浅学では解けないとしても、ただこれだけは言える。

連合軍としては、日本という国を完膚無きまでに武装解除させ、徹底して軍国主義を排し、非武装の状態におき、抵抗のための手足をもぎ取ることが何よりも重要であったことからの帰結だったわけだ。

つまり、ポツダム宣言において、日本軍と日本に対する無条件降伏を求める内容から必然的にもたらされたものだったと言える。

6.日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。

(ポツダム宣言から)

日本はこれを受諾し、極東軍事裁判の結果(戦犯の訴追)とともに受け入れた、サンフランシスコ条約を持って、はじめて国際社会への復帰をスタートさせることができたわけだ。

いわゆる戦後レジームの根幹がここにある。
誰がどのように解釈しようとも、戦後に設立された国連の下での規範(国連において、日本は敵国として、今もなお、敵国条項に名を連ねているのはそのため)では、日本とはそういう国なのである。

その後日本は、1950年の朝鮮戦争の勃発があり、日本はこれを奇貨として、戦後経済復興の大きな波を引き寄せ、アジアの奇跡と言われるほどの経済大国へと向かって行く。

この朝鮮戦争を機に、東アジアにおけるパワーバランスから、米国は日本を再軍備させようと画策し、米国が押しつけたはずの憲法九条は足枷となってしまったのだったが、首相吉田茂はこの再軍備の要請を頑として受け入れず、かろうじて憲法は守られることになった。

護られたとは言っても、警察予備隊という戦力なのかどうなのか、様々な議論を呼ぶ不明確な存在様式ではあったが、その後自衛隊として世界でも冠たる武力を装備することになる「軍隊」を保有することとなる。

まさに実態としては九条違反である「軍隊」だったが、その後、今に至るも「憲法九条」は護持されてきている不思議さは、憲法学者ならずとも、なかなか興味深い対象ではある。

しかしいずれにしても、1960年の安保改定時の岸内閣権以降、ほとんど全ての内閣がそうであったように、米国への追従、盲従を深め、一方ではこの「憲法九条」を敵視し、変えたいと思いつつも、1度たりとも選挙公約に提示すること無く、今日に至っている。

先に述べたとおり、安倍晋三内閣の昨年7月1日のホトトギスの卵〈集団的自衛権容認〉は、そうしたこれまでの国是、自民党の手法を破り、巣を乗っ取ろうとしているわけだが、これにしても選挙公約で堂々と訴えてのものでは無い。
つまり理性がどこまで備わっているのか疑念がある安倍首相でさえ、真っ向から有権者に問うことはできないでいる。

それほどまでに、「押しつけられた憲法」ではあったものの、日本には圧倒的とも言って良いほどに憲法九条への信頼と、これを破壊しようとする勢力への危険視があるのは、戦後の歩みと、今般の「違憲安保法制」への危険視、「アベ政治 許さない」との怒りの声として、広く多くの人々に共有されるものとなってしまっているということだろう。

私はこうした「憲法九条」を巡る戦後史と今日の状況を見る限りにおいて、安易に改変されるとは思っていないが、しかし展開される「違憲安保法制」をめぐる議論を観る限りでは、数にものを言わせ、強行採決もあり得るところにいるのも事実だ。
それほどに、現政権は過去の自民党政権とは異なる、異次元の、異質で危険な政権であることが日々明らかになってきている

ただし、参院においても衆院同様、強行採決に持ち込むようなことがあったとすれば、翌年に控える参院選では、間違いなく自民は大敗すると思う。
それほどまで、人々の中に「憲法九条」は定着し、薄汚れた手法でこれを無きものにしようとする企みへの反発は政権をも倒す力があると考えている。
舐めちゃいかんぜよ!

天皇のおことば、について

リベラル陣営の憲法九条を巡る思考も様々であるのは当然だが、現天皇による、様々な機会に発せられる「平和憲法」を護持する立場からの「お言葉」への、高い評価を聞かされることが多いように感じている。

これは安倍第1次政権前後あたりから跋扈してきている、慰安婦問題、靖国問題などを典型とする、排外主義、差別主義、歴史修正主義のキャンペーンを展開する右翼の言説への対比として取り上げられることが多いのだが、対象が対象だけに、ある種の絶対性を担保させるものとして利用主義的に参照されるのは、如何なものかとの印象は拭えない。

私は右翼では無いので、そうした天皇の「お言葉を」利用しての右翼叩きを、思想的に難じる立場では無いが、なぜここでこんなことを持ち出すかと言えば、日本国憲法、およびこれを導き出したポツダム宣言、あるいはサンフランシスコ条約、つまり〈戦後レジーム〉のフレームワークにあって、天皇制もまた、その範疇において、連合国に許容された存在様式であったことを知っておきたいと思うからだ。

リベラル陣営から散見される、こうした天皇の「お言葉」を利用しての右翼批判は、あまりにもご都合主義であり、利用主義であることは戒めたいと思う。
市民は、もっと自分の言葉で語れ!と言っておきたい。

現日本国憲法という立憲的な法理の中にあって、天皇は、国事、式典、そして自らの存在様式そのものを強く律しているのであり、それなくしては、その地位そのものを揺るがしかねないからである。

これは他でも無く、8月15日のポツダム宣言受諾を巡っての、日本政府と連合国との、最大の駆け引きであったことは良く知られている事案だ。
国体を護持することが全ての前提であり、それを連合国に受け入れさせることを条件として、降伏を受け入れたのだ。

日本国憲法とは、いかに安倍晋三政権が押しつけと蔑んでも、天皇制の護持を条件として降伏を受け入れた一連の流れの中にあって、必然的なものとして成立していくことになったとも言えるだろう。

安倍首相の「戦後レジームからの脱却」とは、そうした日本の戦後史を蔑み、あわよくばちゃぶ台返しし、戦前のような欽定憲法下の非民主的、絶対主義、専制主義的時代を標榜するものであり、とても許容しがたく、「美しい日本」などとする、ただの精神主義的で薄っぺらな世界観に貫かれたものであることを、多くの人は見抜いている。

自らの立場を強く律しつつ、戦後を生きてきた天皇とは真反対の、それこそ悪質な「平和ボケ」したお坊ちゃま政治家であるとも言えるだろう。

最近の若手自民党議員、武藤貴也氏による、安保法案に反対する学生グループSEALDsへの「利己的個人主義」批判は、そうした安倍政権のホンネがいみじくも分かりやすく浮かび上がらせてくれたものとして恰好な素材だ。
主権在民、平和主義、表現の自由、こうした戦後の価値観を、見事なまでにその全てを否定する言説であり、安倍首相の「戦後レジームからの脱却」を先行するものとして炙り出されたものと言える。

こんな連中に、戦後日本を語る資格は無いだろうし、簒奪される理由があるわけも無い。

団塊の世代のひとりとして

国会前に駆けつける人々は各界各層、多様な方々で埋め尽くされているわけだが、その中には60年代後半〜70年代の新左翼の運動を担った人々、影響下にあった団塊の世代も多く見られるのも当然ではある。

私自身もその影響下にあったひとりであることを隠そうとも思わないが、ところで、家具制作というモノ作りの職域にあって、この世代は多くの人材を輩出し、また中にはそれぞれ責任ある立場を担っていると言うことも多いようだ。

学業を終え、そのままこの世界に入ってきた人もいるだろうが、いわゆる社会からのドロップアウトの末、カウンターカルチャーを志向し、こうしたモノ作りの世界に飛び込んできた人も多かった。

私がこのBlogでよく取り上げるJ・クレノフ氏にしても「ケルアック以前のヒッピーである」と自称していたようだが、全米各地でのワークショップ、講演会では、ベトナム戦争を忌避し、ドロップアウトしたような青年などを含む多くの若者を集め、まるでロックコンサートの如くに熱気を帯びたものになったと言われている。

あるいは異なる世界だけれど、Tシャツ、Gパンという出で立ちで通した、Appl.inc 創業者S・ジョブズ氏のその開発精神に宿るのは、巨大コンピューター企業、IBMを横目で睨み、誰もが簡便に操作でき、人々の生活の中心で活用できるコンピューターを作るという、大それた考えからのスタートであり、その思想はまさにカウンターカルチャーの息吹の中から産まれたものだったといっても間違いでは無い。

話は逸れたが、
国内でも、自身が全共闘運動の影響を受け、そこからこの世界に入ったと語る人も少なくは無い。

ただ、多くの場合、歌を忘れたカナリアのように、今は何も語らず、動かず、体制側に順応し、モノ作り至上主義、ゲイジュツ至上主義を追求しているのか、腑抜けた老いを迎えているとすれば、同世代のひとりとして残念であり、卑屈に顔半分で嗤うしか無い。

「若い頃はなぁ・・・、全共闘時代に比べれば今の若者は・・・」などとジジィ語りするのも、若者世代にとっては無意味で、老醜を曝すものでしかなく、迷惑な人たちであるのかもしれない(半分は自戒であるわけだが)。
ネタとして自身の若い時代のことを語るのだけは、例え酒席であっても避けたいもの。

概して、懐古的に語る者こそ、当時、浮薄な関わりしかできずに人生を送ったかもしれず、そんな実態は、聞かされる若者には見透かされていたりするものだ。

過去を語るのであれば、今にそれを継ぐことでアイデンティファイすれば良いのだ(国会前に起つと同義 笑)。
例え酒席の場であっても、過去を踏まえ、現状を解き、未来を語る、ということで、はじめて若者と時空を共有できるということだろう。

モノ作りなどというヤクザな生業で口に糊しているのであれば、つまらない過剰な抑制など剥ぎ取り、戦後日本の平和教育のシャワーに浴した世代として、その真理の一端でも、次の世代に継ぐ使命を帯びていることを自覚し、自己を律していきたいもの。

短い人生の中で、次の世代に継げるものは多くは無い。
ただ、アジアで1,500〜1,800万人の犠牲者を強い、国内だけでも300万人の同胞を失った、先の15年戦争から汲み取るべきことは余りにも多く、それを父や母、教壇の先生から聞いてきた世代の責任として、伝えおく勇気は持っておきたいと思う。

この項、もう少し続けます。

《関連すると思われる記事》


❖ 脚注
  1. 少し旧いデータ(07/09、朝日新聞) []
  2. 安全保障関連法案に反対する学者の会
    国民安保法制懇
    新安保法制、専門家ら撤回求める声明
    立憲デモクラシーの会
    真宗大谷派・宗務総長コメント
    安保体制打破新劇人会議 []
                   
    
  • 良い文脈で岩波世界の記事を読んだ印象でした。ガバメントをミスリードする様々な巧妙手口の姿は、見え隠れしていても蔭が出来るまでは実体・本性は現れず、このIT時代には今までに無い新手のオペラエーションがでてきています。
    無駄な努力への恐怖、「不安」が神経を混乱させますから熟睡して休養を時々。折しもお盆ですから、三界も賑やか。この暑さの中で、歴史は今日も作られています。ヨロブン倒れませぬよう。

    • 岩波世界とは、何と懐かしいことでしょう。
      いや、気恥ずかしい。
      今朝、朝刊に来ていたT.K生とともに思い出されます。

      >ガバメントをミスリードする様々な巧妙手口
      われわれを愚弄するものであるわけですが、
      それにしても、今回ばかりは児戯にも等しいお粗末な仕掛けです。

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