工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

夏の京都

東寺
京都の7月は祇園祭
しかも今日15日は宵宮祭
祇園祭りは八坂神社
八坂神社には鍵善良房
鍵善良房では葛切り
葛切りは黒田辰秋御大による螺鈿の器
そして帳場の大きな飾棚
と、やってきたのは良いのだが、今日はせっかくの祇園の宵山にも立ち会うことなくとって返さねばならないあわただしさ。
往復700Km近い日帰り行。
とはいうものの、古刹の伽藍をただ走り抜けるだけではあまりにも殺生。
東寺の講堂、五重塔を間近から仰ぎ見るのは久方ぶりのこと。
そこからさらに河原町から祇園へ。
車を八坂神社脇の市営駐車場に留め置き、鍵善良房へ。


祇園の通りは宵宮祭を数時間後に控え、多くの外国人カップルに混じり長い黒髪を後ろに上げ白いうなじを涼しげに見せた現代風の着物で着飾った善女、うちわを片手に着流しに兵児帯の善男が八坂神社をめざしてそぞろ歩き。
葛きり鍵善の暖簾をくぐればラッシュアワーの電車を待つホームの如き客待ち。
それでも10分ほどして奥の離れの座敷に案内され、二月堂机を前に席を取る。
運ばれてくるのは葛きり。
この忙しさの中にも配膳の女性スタッフは柔らかな物腰で接客しているのが気持ちよい。
この葛きりの器は以前は黒田御大による螺鈿のものだったが、いつの頃からか、画像のようなものになってしまって久しい。
改装後は2階に鎮座していた「拭漆欅大飾棚」は1階へと移され、小島伸吾氏のテーブルセットも同じ。
今日はあわただしく帰らねばならないので、この鍵善で涼んだ後、山科廻りで帰路につく。
ところでかつて現在の生業、木工に携わる以前においては、さほど寺社仏閣に興味を抱くことはなかったかもしれない。
しかし木工を本格的にスタートして以降、数年後には何故か気になりだしたからおかしい。
ボクは人後に落ちず近代合理主義者を自認して恥じない。
したがって木工にあっても、モダンデザインを志向するというのは必然だった。
あえて埃くさい近代以前の日本文化の象徴の1つでもある寺社仏閣をそれとして眺めることは趣味ではなかった。
中学、高校の修学旅行でもコースには必ず入っている古刹へとずらずらと分け入るのは退屈で仕方がなかった。
そのボクがこの仕事をはじめて間もなく、日本で家具を制作することの意味をふと考えたとき、ただただ近代主義の前にひれ伏すことからは見えてこない日本固有の伝統と文化というものを思考の対象として位置づけることの必要性に迫られた。
確かに伽藍を眺めることなどで、決して家具のディテールに参照できるものが見出せるというものではないだろう。
しかし数100年の歴史をくぐり抜けてきた文化の堆積物というものをそれとして対象化することなくして日本における家具屋の生き方というのも虚しいものがある。
あるいは例え欧米にルーツを持つ表現者にしても、日本の歴史と伝統、文化への思い入れを強く抱く人は多いことはよく知られているように、文化的営為とは自身の身近なところを深く掘り進むことと同時に、これとは遠く隔てた地域の歴史と文化に接近することは他者を理解し、自己の来し方を規定してきたであろう自国の文化を深く知ることに実は繋がるということに気づく。
そして慌ただしい中にも、古都を徘徊し、そこで触れあう今を生きる若い人と言葉を交わすのは悪いことではない。
いずれまたゆっくりと着流しでたゆたおう。
そうだった。近くの友人夫婦は殊の外京都が好きで年に4、5回は訪れていると言うから案内を請うことにしよう。
鍵善

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  • お忙しい京の旅でしたね
    つかの間のタイムトラベルでしょうか

  • kokoniさん、
    こんな古都との付き合いはいけませんね。
    ただ仕事だけで往復するのは詮無いことと‥、
    少しは“旅人”まがいのことをしてみたくなったという潔の悪さ。

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